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作品 - 20151024_793_8378p

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週末はやりきれなくて(2015ver.)

  熊谷


 新宿駅の高架下を通って東口方面へ抜けると、急に雨が強くなっていた。それは版画のなかの雨のように、まっすぐ打ち付けるような降り方で、目の前にあるはずの景色や、聞こえてくるはずの音をすべてかき消していた。日常、消化しきれないものは多々ある。そのうちのひとつとして、先ほど食べた脂っこいボンゴレがそうだった。定規のように強く真っ直ぐ地面を打つ雨は、あらゆる物に線を引く。それは僕の胃にも痛烈に届いて、胃もたれを引き起こしていた。目をつぶって優しくみぞおちを触ると、線は緩やかになり、何とか胃の形に収まろうとしていくのだった。



 ロシア生まれの留学生の彼女は、ボンゴレを得意料理にしていた。そこには、バターやオリーブオイルもたっぷり入れるのだけれど、不思議と彼女の作ったボンゴレは、胃がもたれなかったのを覚えている。いつか彼女が見せてくれた写真に、エジプトの砂漠でラクダに乗った彼女とその母親が写っていた。母親とは全く顔が似ておらず、むしろ日本人の僕の方が彼女に近い顔立ちをしていた。僕らは何でもちょっとずつ似ていて、まるで兄弟みたいだった。彼女は「わたしは日本人みたいな顔だから、きっととても良い日本語教師になれると思うの」と言うのだった。



 伊勢丹の辺りで吐き気を催してあわててトイレに駆け込むと、消化しきれなかった日常のできごとが頭を巡った。会社をかけずり回って靴底が減った革靴が、左だけ転がっていく。飲めないのに無理矢理飲んだコーヒーを、一緒に吐き出しているのを見ていたら、冷や汗がどっと吹き出し、やりきれなくて目をぎゅっとつぶった。今週は仕事でミスをしていた。AとBを間違えるような単純なミスだった。いつか彼女が、「日本語がわからなかったり、嫌なことがあったときは角砂糖にたくさん愚痴を吹き込んで、そうしてコーヒーに溶かして飲んでしまうの。そうしたら、もうそれでサッパリ忘れちゃうのよ」と言っていたことを思い出していた。



 気がついたら、ラクダに乗っている。それも何頭ものラクダ達と共に、暗闇へ向かっていた。ぱっと左を見ると、彼女とその母親もラクダに乗っていた。右を見ると、砂漠の地平線からわずかに太陽が見えている。「急いで陽が昇る方へ行きましょう」と彼女が言うと、ラクダ達はすぐに東へ方向を変えた。どこへ行くのか全くわからなかったけれど、とにかく金曜日を乗り切らなきゃ行けないことはわかっていた。週末はやりきれない。それは僕も彼女も、ラクダ達も一緒だった。誰もが一人でいることを寂しく思うし、砂糖入りのコーヒーを飲まなければいけなかったし、あらゆるものから、必死で逃げなくてはならなかった。ふと見ると、なぜか彼女の手に、履いているはずの僕の左足の靴が握られていた。



 「お兄さん大丈夫?」掃除係のおじさんに声をかけられ目を開けると、便器にしがみついたまま、寝てしまっていた。立ち上がって左足の靴を履こうとした時に、ずいぶん体調が良くなっていることに気がついた。おそらくストレスで胃が弱っているところに、脂物とブラックのコーヒーを飲んでしまったことが原因なのだろう。彼女を思い出すのが悲しくて、砂糖を入れずにコーヒーを飲んでいたのだけれど、やはりブラックでは飲まないほうが良いのかもしれない。あれから、彼女はロシアへと帰って行ってしまった。おそらく僕が口にしていた日本語を、現地で子供たちに教えているのだろう。ポケットから定期を出すと、黄色い砂のようなものがザザーと出てきた。土曜日まであと数時間。きっとすぐに日は昇る。僕らは東に向かって、走っているのだから。

週末はやりきれなくて(http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=78;uniqid=20070410_603_1995p#20070410_603_1995p)再校正分

文学極道

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