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作品 - 20151007_395_8360p

  • [佳]  ゆく - 山人  (2015-10)

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ゆく

  山人

 小さなザックを背中に背負い、懐かしい山村のバス停で下車した。少年時代を過ごした村である。
すでに稲刈りも終わり、刈り取られた稲の株から新しい新芽が立ち上がり、晩秋の風に晒され微かになびいている。
落穂でも残っているのか、カラスが何羽も行ったり来たりしている。
未だ舗装されていない小道を歩いていくと、深い山容が正面にあった。魔谷山と言われる伝説の山である。名前に魅せられて標高こそ千メートルを少し超える程度だが、多くのハイカーが訪れる山である。
取り憑かれたように突然目を見開き、村人達が山に分け入り、そのまま消息を絶ったと伝えられる魔の山。そんな伝説が登山口の小さなプラスチックの看板に書かれていた。
一歩踏み出すと、別の世界へ踏み込んだような取り返しのつかない感覚に襲われた。私はここを最後の場所として登るのである。
今まで多くの山登りをしてきた私は、幾度も死への恐れを感じたことがあった。その都度生を味わい、安堵したものだった。
幾度となく小さな罪を繰り返し、そしてかけがえのないものを無くしてしまった。私が私自身の存在を受け止めることは許されるべきことではない。泥臭く生きることも可能であり、それが逆に美しいとする考えもあるだろう、しかし、十分すぎるほど泥臭く私は生きた。死んでいく時だけは美しく死んでいきたい。
死を暗示させるような文面も何も残していない。そういうものを残すことは死への恐怖を訴えがたいためのものなのではないか。確かに死は怖い、幾度も危険な目に合い、死の恐怖を感じあの世の使者の舌なめずりを見たこともあった。死は怖いが、私がどのように死に往くのか、そして私の魂はどこに行くのか、それを確かめたい気持ちがあった。それが完結である、そう思いたかった。生を享けた時の記憶がない、だから、生が終わる時は明らかにそれを自覚したい、そう思った。
 
晩秋の気配が漂う山道は、多くの彩られた葉が散乱していた。すでに午後の日差しが差しこみ、夫婦連れの登山者に会った。夫婦と言えども仲が良いとは限らない、だが、夫婦で登るからにはそこに愛があるのは当然だろう、そういう普通の考えを嫌った私だった。
「これからですか」とにこやかに妻君らしい女性が声をかけた。
「ええ・・」、確かにこれから山に登るのだ。だが、違うのは下山しないと言うことだけだが。 
カップル、単独行者、グループ、数組の登山者に会った。山頂に着くと三角点があり、そこにザックを立てかけた。すでに登山者は全て下山しており、登山者によって侵食された山頂には、いくつもの転がった石と生き物の空気が漂っていた。
三角点に腰掛け、五年間止めていたタバコに火を点けた。吸っていた頃の銘柄はすでに発売されていなく、軽めの人気銘柄を買ってきた。気管支や肺の細胞は、五年もの間この時を待っていたかのように煙と毒を堪能していた。毒が満たされ、そのけむっていた想いを晩秋の夕闇に吐き出した。
午後三時を過ぎると明らかに晩秋は駆け足のように夜を急ぐ。山頂を後にした頃にはすでに足元が少し暗くなっていた。
山頂直下の急登を下ると、緩やかな窪地となり、薮を分け入りやすらげる場所を決めた。
最後の晩餐だった。
ヘッドランプを取り出して、湯を沸かした。死ぬつもりが生きるための行為をしているようで滑稽だと思い嗤った。
レトルトカレーとインスタントラーメン、おかずは赤貝の缶詰だ。山でひとりでこんなに贅沢したのは初めてで、自分の存在の終焉に乾杯、と高級な缶ビールを木に優しくぶつけた。
これで眠くなればちょうど良い。
ほどよく眠くなり、しばらく寝たようだ。風の音で目が覚めた。強烈な寒さで星は凍っている、とたんに我慢できない尿意を感じた。死ぬ時もこんなに寒い目にあわなければならないのだろうか、この震えのあとには気持ちの良い眠気が襲ってくるはずだ、そうすれば凍死できる。それにしても我慢できないほどの寒気が体中を刺していた。少し小高いところに立ち、放尿した。尿が風に煽られ飛沫となって左右に揺れ、私の足元もゆらりと揺れた。尿意はまだ納まっていないのに体はバランスを崩し、宙を舞った。暗い闇の中、私は滑落しながらまだ放尿を続けていた。数十?メートル落ちながら尖った岩にバウンドし、私の眼球は頭部から離れ、暗い煌く星空を眺めていた。次のバウンドで頭蓋から飛散した脳漿が体から分離し、新しい闇の空間へ飛び出していった。脳漿の想い、険悪なスラブの岩を滑り落ちながら「あなたは、いつも○○なのよ、お父さんなんて・・・だもの、どうするんだいったい、わかってるよ、そんなこと&%#”!*+<?***」
 ザスッ、鈍い音がやっと平らになった岩棚に落ちた。もはや原型をとどめていない私だった。これで私は間違いなく死んだであろう。心残りは尿意がまだ残っていたことだった。
それと、ずいぶんきたない死に様だ。

                   

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