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作品 - 20150706_195_8173p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一四年八月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一四年八月一日「蜜の流れる青年たち」


 屋敷のなかを蜜の流れる青年たちが立っていて、ぼくが通ると笑いかけてくる。頭のうえから蜜がしたたっていて、手に持ったガラスの器に蜜がたまっていて、ぼくがその蜜を舐めるとよろこぶ。どうやら、弟はぼくを愛しているらしい。白い猫と黒い猫が追いかけっこ。屋敷には、ぼくの本も大量に運ばれていて、弟が運ばせていた。弟は、寝室で横たわっているぼくの耳にキスをして部屋を出て行った。白い猫と黒い猫たちが後方に走り去っていった。と思った瞬間、その姿は消えていて、気がつくと、また前方からこちらに向かって、くんずほぐれつ白い猫と黒い猫たちが走り寄ってきて、目のまえで踊るようにして追いかけっこして後方に走り去り、またふたたび前方からこちらに向かって、くんずほぐれつ走り寄ってきた。猫を飼っていたとは知らなかった。でも、よく見ると、それが母親や叔母たちが扮している猫たちで、屋敷の廊下をふざけながら猛スピードで駆け巡っているのだった。ぼくのそばを通っては笑い声をあげて追いかけっこをしているのであった。完全に目を覚ましたぼくは、廊下中に立っている蜜のしたたる青年たちの蜜を舐めていった。


二〇一四年八月二日「戦時下の田舎」


 戦時下だというのに、弟の屋敷では、時間の流れがまったく別のもののように感じられる。中庭に出てベンチに坐って、ジョン・ダンの詩集を読んでいる。ページから目を上げると、ふと噴水の流れ落ちる水の音に気がついたり、小鳥たちが地面の砂をくちばしのさきでつつき回している姿に気がついたり、背後の樹のなかに姿を隠した小鳥や虫たちの鳴く声に気がついたりするのであった。ぼくが詩を読んでいるあいだも、それらは流れ落ち、つつき回し、鳴きつづけていたのであろうけれども。足元の日差しのなかで、裸の足指を動かしてみた。気持ちがよい。夏休みのあいだだけでも巷の喧騒から逃れて田舎の屋敷でゆっくりすればいいと、弟が言ってくれたのだった。西院に比べて桂がそんなに田舎だとは思えないのだけれど。ぼくはふたたび、ジョン・ダンの詩集に目を落とした。ホラティウスやシェイクスピアもずいぶんとえげつない詩を書いていたが、ジョン・ダンのものがいちばんえげつないような気がする。


二〇一四年八月三日「100人のダリが曲がっている。」


 中庭でベンチに腰掛けながら、ジョン・ダンの詩集を読んでいると、小さい虫がページのうえに、で、無造作に手ではらったら、簡単につぶれて、ページにしみがついてしまって、で、すぐに部屋に戻って、消しゴムで消そうとしたら、インクがかすれて、文字までかすれて、泣きそうになった、買いなおそうかなあ、めっちゃ腹が立つ。虫に、いや、自分自身に、いや、虫と自分自身に。おぼえておかなきゃいけないね、虫が簡単につぶれてしまうってこと。それに、なにするにしても、もっと慎重にしなければいけないね、ふうって息吹きかけて吹き飛ばしてしまえばよかったな。ビールでも飲もう。で、これからつづきを。まだ、ぜんぶ読んでないしね。ああ、しあわせ。ジョン・ダンの詩集って、めっちゃ陽気で、えげつないのがあって、いくつもね。ブサイクな女がなぜいいのか、とかね。吹き出しちゃったよ、あまりにえげつなくってね。フフン、石頭。いつも同じひと。どろどろになる夢を見た。


二〇一四年八月四日「科学的探究心」


 きょうも、中庭で、ジョン・ダンの詩集を読んでいた。もう終わりかけのところで、昼食の時間を知らせるチャイムが鳴った。ぼくは詩集をとじて、立ち上がった。ちょっとよろけてしまって、ベンチのうえにしりもちをついてしまった。すると、噴水の水のきらめきと音が思い出させたのだろうか。子どものときに弟のところに行こうとして、川のなかでつまずいておっちんしたときの記憶がよみがえったのであった。鴨川で、一年に一度、夏の第一日曜日か、第二日曜日に、小さな鯉や鮒や金魚などを放流して、子どもたちに魚獲りをさせる日があって、なんていう名前の行事か忘れてしまったのだけれど、たぶん、ぼくがまだ小学校の四年生ころのときのことだと思う。川床の岩(いわ)石(いし)につまずいて、水のなかにおっちんしてしまったのである。そのときに、水際の護岸の岩と岩のあいだに密生している草の影のところの水が、日に当たっているところの水よりはるかに冷たいことを知ったのだった。しかし、川の水は流れているわけだし、常時、川の水は違った水になっているはずなのに、水際の丈高い草の影の水がなぜ冷たいのかと不思議に思ったのであった。ただし、ぼくが冷たいと思ったのは、川のなかにしゃがんで伸ばした手のさきの水だったので、水面近くの水ではなくて、水底に近い部分だったことは、理由としてあるのかもしれない。水底といっても、わずか2、30センチメートルだったとは思うのだけれど。子ども心に科学的探究心があったのであろう。水のなかで日に当たっているところと水際の草の影になっているところに手を伸ばして行き来させては、徐々に手のひらを上げて、その温度の違いを確かめていったのだから。水面近くになってやっと了解したのだった。水の温みは太陽光線による放射熱であって、直射日光の熱であったのだった。すばやく移動しているはずの水面近くの日に当たっているところと影になって日に当たっていないところの温度は、太陽光線の放射熱のせいでまったく違っていたのだった。いまでも顔がほころぶ。当時のぼくの顔もほころんでいたに違いない。40年以上もむかしのことなのに、きのうしゃがんでいたことのように、はっきりと覚えている。あっ、あの行事の名前、鴨川納涼祭りだったかな。それとも、鴨川の魚祭りだったかな。両方とも違ってたりして。


二〇一四年八月五日「ゴリラは語る」


 弟の子どもの双子の男の子たちの勉強をみているときに、大谷中学校の2013年度の国語の入試問題のなかに、山極寿一さんの『ゴリラは語る』というタイトルの文章が使われていて、その文章のなかに、おもしろいものがあった。「「遊び」というのは不思議なもので、遊ぶこと自体が目的です。」「ゴリラは、日に何度も、しかもほかの動物とは比べものにならないほど長く、遊び続けることができるのです。」、「時間のむだづかいにも見える「遊び」を長く続けられるのは、遊びの内容をどんどん変えていけるからです。」いや〜、これを読んで、ぼくが取り組んでる詩作のことやんか、と思った。ゴリラとは、ぼくである。ぼくとは、ゴリラであったのだ〜と叫んで、弟の子どもたちとふざけて、部屋じゅう追いかけっこして騒いでいたら、突然、部屋に入ってきた弟に叱られた。ちょっとイヤな気がした。


二〇一四年八月六日「死父」


朝、死んだ父に脇腹をコチョコチョされて目が覚めた。一日じゅう気分が悪かった。


二〇一四年八月七日「寝るためのお呪い」


羊がいっぴき、羊がにひき、羊がさんびき……
羊がいっぴき、羊がにひき、羊がさんびき……
羊がいっぴき、羊がにひき、羊がさんびき……
一晩中、羊たちは不眠症のひとたちに数えられて
ちっとも眠らせてもらえなかったので、しまいに
怒って、不眠症のひとたち、ひとりひとりの頭を
つぎつぎと、ぐしゃぐしゃ踏んづけてゆきました。


二〇一四年八月八日「寝るためのお呪い、ふたたび」


棺がひとつ、棺がふたつ、棺がみっつ……
棺がひとつ、棺がふたつ、棺がみっつ……
棺がひとつ、棺がふたつ、棺がみっつ……
一晩中、死んだ父親が目を見開いて棺から
つぎつぎ現われてくる光景を見ていたので
まったくちらとも眠ることができなかった


二〇一四年八月九日「空気金魚」


 人間の頭くらいの大きさの空気金魚が胸びれ腹びれ尻びれをひらひらさせながら躰をくゆらし、尾びれ背びれを優雅にふりまきながら、弟の差し出したポッキー状の餌を少しずつかじっていた。空気金魚は、この大きさで、空気と同じ重さなのだ。ポッキー状の餌も空気と同じ重さらしい。一人暮らしをはじめて三十年近くになる、広い屋敷は逆に窮屈だ、そろそろ帰りたい、と弟に話した。弟は隣の部屋に入っていった。ドアが開いていたので、つづいて部屋に入ると、空気娘たちが部屋のなかに何人も漂っていた。気配がしたので振り返ろうとすると、弟がぼくの肩に手を置いて「兄さんは、興味がなかったかな?」と言う。外見はぼくのほうが父親に似ていたが、性格は弟のほうが父親に似ているのだった。まったく思いやりのない口調であった。


二〇一四年八月十日「パーティー」


 ぜったい嫌がらせに違いないと思うのだけれど、弟に屋敷を出たいと言ったつぎの日の今日に、なんのパーティーか知らないけれど、パーティーが開かれた。空気牛や空気山羊や空気象や空気熊や空気豚などが宴会場になっている大広間で空中にただよっているなかに、弟に呼ばれた客たちが裸で牛や山羊や象や熊や豚などに扮して、かれらもまた空中にただよいながら酒や食事を空中にふりまきながら飲食や会話をしているのだった。不愉快きわまる光景であった。あしたの朝いちばんに屋敷を出ることにした。


二〇一四年八月十一日「ブレッズ・プラス」


 昼ご飯を食べに西院のブレッズ・プラスに行く途中、女性の二人組がぺちゃくちゃしゃべりながら、ぼくの前から近づいてきた。ぼくは、人の顔があまり記憶できない性質なので、もう覚えていないのだけれど、というのも、ちらりと見ただけで、もうケッコウという感じだったからなんだけど、ぼくに近い方、道の真ん中を歩いてた方の女性が、ぼくの出っ張ったお腹を見ながら、「やせなあかんわ。」と言いよったのだった。オドリャ、と思ったのだけれど、まあ、ええわ。人間は他人を見て、自分のことを振り返るんやからと思って、チェッと思いながらも、そのままやりすごしたのだけれど、ほんと、人間というものは、他人を見て、自分のことを思い出してしまうんやなあと、つくづく思った。パン屋さんに入って、BLTサンドのランチ・セットを頼んでテーブルにつき、ルーズリーフを拡げると、つぎのような言葉がつぎつぎと目に飛び込んできた。「今、わたしの存在を維持しているのはだれか?」(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』50、岡部宏之訳)「人間がその死性を免れる道は、笑いと絆を通してでしかない。それら二つの大いなる慰め。」(グレゴリイ・ベンフォード『輝く永遠への航海』下・第六部・5、冬川 亘訳)「人生で起こる偶然はみな、われわれが自分の欲するものを作り出すための材料となる。精神の豊かな人は、人生から多くのものを作り出す。まったく精神的な人にとっては、どんな知遇、どんな出来事も、無限級数の第一項となり、終わりなき小説の発端となるだろう。」(ノヴァーリス『花粉』 66、今泉文子訳)「人生を楽しむ秘訣は、細部に注意を払うこと。」(シオドア・スタージョン『君微笑めば』大森 望訳)「細部こそが、すべて」(ブライアン・W・オールディス『三つの謎の物語のための略図』深町眞理子訳)「本質的に小さなもの。それは芸術家の求めるものよ」(フランク・ハーバート『デューン砂丘の大聖堂』第二巻、矢野 徹訳)「人生はほとんどいつもおもしろいものだ。」(タビサ・キング『スモール・ワールド』5、みき 遥訳)「そうした幸せは、まさしく小さなものであるからこそ存在しているのだ」(サバト『英雄たちと墓』第II部・4、安藤哲行訳)「重要なのは経験だ。」(ミシェル・ジュリ『不安定な時間』鈴木 晶訳)「人生のあらゆる瞬間はかならずなにかを物語っている、」(ジェイムズ・エルロイ『キラー・オン・ザ・ロード』四・16、小林宏明訳)「経験は避けるのが困難なものである。」(フィリップ・ホセ・ファーマー『飛翔せよ、遙かなる空へ』上・15、岡部宏之訳)「すべての経験はわたしという存在の一部になるのだから」(ジーン・ウルフ『拷問者の影』11、岡部宏之訳)「新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。」(エマソン『詩人』酒本雅之訳)「レサマは「覚えておくんだよ、わたしたちは言葉によってしか救われないってこと。書くんだ。」とぼくに言った。」(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』通りで、安藤哲行訳)「われわれのかかわりを持つものすべてが、すべてわれわれに向かって道を説く。」(エマソン『自然』五、酒本雅之訳)「あらゆるものが、たとえどんなにつまらないものであろうと、あらゆるものへの入口だ。」(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第3部・20、嶋田洋一訳)「創造者がどれだけ多くのものを被造物と分かちもっているか、」(トマス・M・ディッシュ『M・D』下・第五部・67、松本剛史訳)「作品と同時に自分を生みだす。というか、自分を生みだすために作品を書くんだ」(オースン・スコット・カード『エンダーの子どもたち』上・4、田中一江訳)「人生の目的は事物を理解することではない。(……)できるだけよく生きることである。」(ウィリアム・エンプソン『曖昧の七つの型』下・8、岩崎宗治訳)「生きること、生きつづけることであり、幸せに生きることである。」(フランシス・ポンジュ『プロエーム(抄)』VII、平岡篤頼訳)。


二〇一四年八月十二日「言葉をひねる。」


言葉をひねる。
ひねられると
言葉だって痛い。
痛いから
違った言葉のふりをする。


二〇一四年八月十三日「言葉にも利息がつく。」


 言葉にも利息がつく。利息には正の利息と負の利息がある。言葉を創作(つく)って使うと正の利息がつく。言葉は増加し、よりたくさんの言葉となる。言葉を借りて使うと負の利息がつく。預けていた言葉が減少し、預けていた言葉がなくなると、覚えていた言葉が忘れられていく。


二〇一四年八月十四日「くるりんと」


卵に蝶がとまって
ひらひら翅を動かしていると
くるりんと一回転した。
少女がそれを手にとって
頭につけて、くるりんと一回転した。
すると地球も、くるりんと一回転した。


二〇一四年八月十五日「卵」


波はひくたびに
白い泡の代わりに
白い卵を波打ち際においていく

波打ち際に
びっしりと立ち並んだ
白い卵たち


二〇一四年八月十六日「10億人のぼく。」


 人間ひとりをつくるためには、ふたりの親が必要で、そのひとりひとりの親にもそれぞれふたりの親が必要で、というふうにさかのぼると、300年で10代の人間がかかわったとしたら、ぼくをつくるのに2の10乗の1024人の人間が必要だったわけで、さらに300年まえは、そのまた1024倍で、というふうにさかのぼっていくと、いまから1000年ほど前のぼくは、およそ10億人だったわけである。さまざまな人生があったろうになって思う。どうしたって、ぼくの人生はたったひとつだけだしね。


二〇一四年八月十七日「『高慢と偏見』」


 あと10ページばかり。ジェーンはビングリーと婚約、エリザベスもダーシーと婚約というところ。いま、ちょっと息をととのえて、書き込みをしているのは、自分のことを嫌っているように見えてたダーシーが、いつ自分を愛するようになったのかとエリザベスが訊くところ。「そもそものおはじまりは?」(ジェーン・オースティン『高慢と偏見』60、富田 彬訳)このすばらしいセリフが終わり近くで発せられることに、こころから感謝。


二〇一四年八月十八日「amazon」


これで笑ったひとは、こんなものにでも笑っています。


二〇一四年八月十九日「ゴボウを持ちながら。」


 スーパーで、ゴボウを持ちながら、買おうか買わないでおこうか、えんえんと迷いつづける主婦の話。すき焼きにゴボウをいれたものかどうか、ひさしぶりのすき焼きなので記憶があやふやで、過去の食事を順に追って思い出しては記憶のなかのさまざまな事柄にとらわれていく主婦の話。


二〇一四年八月二十日「素数」


 13も31も素数である。17も71も素数である。37も73も素数である。このように数字の順番を逆にしても素数になる素数が無数にある。また、131のように、その数自身、数字の順が線対称的に並んだ素数が無数にある。


二〇一四年八月二十一日「有理数と無理数」

 
 きょう、パソコンで、ゲイの出会い系サイトを眺めていたら、「しゃぶり好きいる?」というタイトルで、「普通体型以上で、しゃぶり好き居たら会いたい。我慢汁多い 168#98#36 短髪髭あり。ねっとり咥え込んで欲しい。最後は口にぶっ放したい。」とコメントが書いてあって、連絡した。携帯でやりとりしているうちに、お互いに知り合いであったことに気がついたのだが、とにかく会うことにした。さいしょに連絡してから一時間ほどしてから部屋にきたのだが、テーブルのうえに置いてあった「アナホリッシュ國文學」の第8号用の「詩の日めくり」の初校ゲラを見て、「おれも詩を書いてるんやけど、見てくれる?」と言って、彼がアイフォンに保存している詩を見せられた。自分を「独楽」に擬した詩や、死んだ友だちを哀悼する言葉にまじって、彼が彼の恋人といっしょにいる瞬間について書かれた詩があった。永遠は瞬間のなかにしかないと書いていたのは、ブレイクだったろうか。彼が帰ったあと、瞬間について考えた。瞬間と時間について考えた。学ぶことは驚くことで、学んでいくにしたがって、驚くことが多くなることは周知のことであろうけれど、やがて、ある時点から驚くことが少なくなっていく。ぼくのような、驚くために学んでいくタイプの人間にとって、それは悲しいことで、つぎの段階は、学ぶこと自体を学ばなければならないことになる。そのうえで、これまでの驚きについても詳細に分析し直さなければならない。なぜ驚かされたのかと。その方法の一つは、単純なことだが意外に難しい。多面的にとらえるのだ。齢をとって、いいことの一つだ。思弁だけではなく、経験を通しても多面的に見れる場面が多々ある。ぼくたちが、時間を所有しているのではない。ぼくたちのなかに、時間が存在するのではない。時間が、ぼくたちを所有しているのだ。時間のなかに、ぼくたちが存在しているのだ。まるでぼくたちは、連続する実数のなかに存在する有理数のようなものなのだろう。実数とは有理数と無理数からなる、とする数概念だが、この比喩のなかでおもしろいのは、では、実数のなかで無理数に相当するものはなにか、という点だ。それは、ぼくたちではないものだ。ぼくたちではないものを時間は所有しているのだ。ぼくたちでないものが、時間のなかに存在しているのだ。しかし、もし、時間が実数どころではなくて複素数のような数概念のものなら、時間はまったく異なる2つのものからなる。もしかすると、ぼくたちと、ぼくたちではないものとは、複素数概念のこのまったく異なる2つのもののようなものなのだろうか。しかし、ここからさきに考えをすすめることは、いまのぼくには難しい。実数として比喩的に時間をとらえ、その時間のなかで、ぼくたちが有理数のようなものとして存在すると考えるだけで、無理数に相当するぼくたちではないものに思いを馳せることができる。しかし、それにしたって、じつは、ぼくたちではないものというのも定義が難しい。なぜなら、ぼくたちの感覚器官がとらえたものも、ぼくたちが意識でとらえたものも、ぼくたちが触れたものも、ぼくたちに触れたものも、ぼくたちではないとは言い切れないからである。この部分の弁別が精緻にできれば、この分析にも大いに意義があるだろう。ところで、実数のなかで、有理数と無理数のどちらが多いかとなると、圧倒的に無理数のほうが多いらしい。多いらしいというのは、そのことが証明されている論文をじかに目にしたことがないからであるが、そのうち機会があれば、読んでみようかなと思っている。
 

二〇一四年八月二十二日「チュパチュパ」


 阪急西院駅の改札を通るとすぐ左手にゴミ入れがあって、隅に残ったジュースをストローでチュパチュパ吸ったあと、そのゴミ入れに直方体の野菜ジュースの紙パックを捨てるときに気がついたのであった、着ていたシャツのボタンを掛け違えていたことに。朝は西院のマクドナルドを利用することが多くて、たいていは、チキンフィレオのコンビで野菜ジュースを注文して、あと一つ、単品のなんとかマフィンを頼んで食べるんだけど、今朝もそうだったんだけど、友だちと待ち合わせをしていて、野菜ジュースだけがまだ残っていて、でも時間が、と思って、ジュースを持って、店を出て、駅まで歩きながらチュパチュパしていたのだった。いや、正確に言うと、横断歩道では信号が点滅していたし、車のなかにいるひとたちの視線を集めるのが嫌で、チュパチュパしていなかったんだけど、それに、小走りで横断歩道を渡らなければならなかったし、改札の機械に回数券を滑り込ませなければならなかったので、そんなに歩きながらチュパチュパしていなかったんだけど、というわけで、改札に入ってから最後のチュパチュパをして、野菜ジュースの紙パックをゴミ入れに投げ入れるまで目を下に向けることがなかったので、自分の着ているシャツの前のところが長さが違うことに、ボタンを掛け違えて、シャツの前の部分の右側と左側とでは長さが違うことに気がつくことができなかったのであった。「西洋の庭園の多くは均整に造られるのにくらべて、日本の庭園はたいてい不均整に造られますが、不均整は均整よりも、多くのもの、廣いものを象徴出來るからでありませう。」(川端康成『美しい日本の私』)「断片だけがわたしの信頼する唯一の形式。」(ドナルド・バーセルミ『月が見えるだろう?』邦高忠二訳)「首尾一貫など、偉大な魂にはまったくかかわりのないことだ。」(エマソン『自己信頼』酒本雅之訳)「読書の楽しさは不確定性にある──まだ読んでいない部分でなにが起きるかわからないということだ。」(ジェイムズ・P・ホーガン『ミクロ・パーク』26、内田昌之訳)。


二〇一四年八月二十三日「通夜」


 よい父は、死んだ父だけだ。これが最初の言葉であった。父の死に顔に触れ、ぼくの指が読んだ、死んだ父の最初の言葉であった。息を引き取ってしばらくすると、顔面に点字が浮かび上がる。それは、父方の一族に特有の体質であった。傍らにいる母には読めなかった。読むことができるのは、父方の直系の血脈に限られていた。母の目は、父の死に顔に触れるぼくの指と、点字を翻訳していくぼくの口元とのあいだを往還していた。父は懺悔していた。ひたすら、ぼくたちに許しを請うていた。母は、死んだ父の手をとって泣いた。──なにも、首を吊らなくってもねえ──。叔母の言葉を耳にして、母は、いっそう激しく泣き出した。

 ぼくは、幼い従弟妹たちと外に出た。叔母の膝にしがみついて泣く母の姿を見ていると、いったい、いつ笑い出してしまうか、わからなかったからである。親戚のだれもが、かつて、ぼくが優等生であったことを知っている。いまでも、その印象は変わってはいないはずだ。死んだ父も、ずっと、ぼくのことを、おとなしくて、よい息子だと思っていたに違いない。もっとはやく死んでくれればよかったのに。もしも、父が、ふつうに臨終を迎えてくれていたら、ぼくは、死に際の父の耳に、きっと、そう囁いていたであろう。自販機のまえで、従弟妹たちがジュースを欲しがった。

 どんな夜も通夜にふさわしい。橋の袂のところにまで来ると、昼のあいだに目にした鳩の群れが、灯かりに照らされた河川敷の石畳のうえを、脚だけになって下りて行くのが見えた。階段にすると、二、三段ほどのゆるやかな傾斜を、小刻みに下りて行く、その姿は滑稽だった。

 従弟妹たちを裸にすると、水に返してやった。死んだ父は、夜の打ち網が趣味だった。よくついて行かされた。いやいやだったのだが、父のことが怖くて、ぼくには拒めなかった。岸辺で待っているあいだ、ぼくは魚籠のなかに手を突っ込み、父が獲った魚たちを取り出して遊んだ。剥がした鱗を、手の甲にまぶし、月の光に照らして眺めていた。

 気配がしたので振り返った。脚の群れが、すぐそばにまで来ていた。踏みつけると、籤(ひご)細工のように、ポキポキ折れていった。


二〇一四年八月二十四日「新しい意味」


 赤言葉、青言葉、黄言葉。赤言葉、青言葉、黄言葉。赤言葉、青言葉、黄言葉。「言葉同士がぶつかり、くっつきあう。」(ルーディ・ラッカー『ホワイト・ライト』第四部・22、黒丸 尚訳)よくぶつかるよい言葉だ。隣の言葉は、よくぶつかるよい言葉だ。「解読するとは生みだすこと」(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・71、土岐恒二訳)「創造性とは、関係の存在しないところに関係を見出す能力にほかならない。」(トマス・M・ディッシュ『334』ソクラテスの死・4、増田まもる訳)言葉のうえに言葉をのせて、その言葉のうえに言葉をのせて、その言葉のうえの言葉に言葉をのせて、とつづけて言葉をのせていって、そこで、一番下の言葉をどけること。ときどき、言葉に曲芸をさせること。ときどき、言葉に休憩をとらせること。言葉には、いつもたっぷりと睡眠を与えて、つねにたらふく食べさせること。でもたまには、田舎の空気でも吸いに辺鄙な土地に旅行させること。とは言っても、言葉の親戚たちはきわめて神経質で、うるさいので、ちゃんと手配はしておくこと。温度・湿度・気圧が大事だ。ホテルではみだりに裸にならないこと。支配人に髪の毛をつかまれて引きずりまわされるからだ。階段から突き落とされる掃除婦のイメージ。まっさかさまだ。ホテルでは、みだりに裸にはならないこと。とくにビジネスホテルでは、つねに盗聴されているので、気をつけること。言葉だからといって、むやみに、ほかの言葉に抱かれたりしないこと。朝になったら、ドアの下をかならずのぞくこと。差し込まれたカードには、新しい意味が書かれている。


二〇一四年八月二十五日「天使の球根」


 月の夜だった。欠けるところのない、うつくしい月が、雲ひとつない空に、きらきらと輝いていた。また来てしまった。また、ぼくは、ここに来てしまった。もう、よそう、もう、よしてしまおう、と、何度も思ったのだけれど、夜になると、来たくなる。夜になると、また来てしまう。さびしかったのだ。たまらなく、さびしかったのだ。
 橋の袂にある、小さな公園。葵公園と呼ばれる、ここには、夜になると、男を求める男たちがやって来る。ぼくが来たときには、まだ、それほど来ていなかったけれど、月のうつくしい夜には、たくさんの男たちがやって来る。公衆トイレで小便をすませると、ぼくは、トイレのすぐそばのベンチに坐って、煙草に火をつけた。
 目のまえを通り過ぎる男たちを見ていると、みんな、どこか、ぼくに似たところがあった。ぼくより齢が上だったり、背が高かったり、あるいは、太っていたりと、姿、形はずいぶんと違っていたのだが、みんな、ぼくに似ていた。しかし、それにしても、いったい何が、そう思わせるのだろうか。月明かりの道を行き交う男たちは、みんな、ぼくに似て、瓜ふたつ、そっくり同じだった。
 樹の蔭から、スーツ姿の男が出てきた。まだらに落ちた影を踏みながら、ぼくの方に近づいてきた。
「よかったら、話でもさせてもらえないかな?」
うなずくと、男は、ぼくの隣に腰掛けてきて、ぼくの膝の上に自分の手を載せた。
「こんなものを見たことがあるかい?」
手渡された写真に目を落とすと、翼をたたんだ、真裸の天使が微笑んでいた。
「これを、きみにあげよう。」
 胡桃くらいの大きさの白い球根が、ぼくの手のひらの上に置かれた。男の話では、今夜のようなうつくしい満月の夜に、この球根を植えると、ほぼ一週間ほどで、写真のような天使になるという。ただし、天使が目をあけるまでは、けっして手で触れたりはしないように、とのことだった。
「また会えれば、いいね。」
 男は、ぼくのものをしまいながら、そう言うと、出てきた方とは反対側にある樹の蔭に向かって歩き去って行った。


二〇一四年八月二十六日「無意味の意味」


「芸術において当然栄誉に値するものは、何はさておき勇気である。」(バルザック『従妹ベット』二一、清水 亮訳)たくさんの手が出るおにぎり弁当がコンビニで新発売されるらしい。こわくて、よう手ぇ出されへんわと思った。きゅうに頭が痛くなって、どしたんやろうと思って手を額にあてたら熱が出てた。ノブユキも、ときどき熱が出るって言ってた。20年以上もむかしの話だけど。むかし、ぼくの詩をよく読んで批評してくれた友だちの言葉を思い出した。ジミーちゃんの言葉だ。「あなたの詩はリズムによって理性が崩壊するところがよい。」ルーズリーフを眺めていると、ジミーちゃんのこの言葉に目がとまったのだ。すばらしい言葉だと思う。以前に書いた「無意味というものもまた意味なのだろうか。」といった言葉は、紫 式部の『源氏物語』の「竹河」にあった「無情も情である」(与謝野晶子訳)という言葉から思いついたものであった。ジミーちゃんちの庭で、ジミーちゃんのお母さまに、木と木のあいだ、日向と木陰のまじった場所にテーブルを置いてもらって、二人で坐ってコーヒーを飲みながら、百人一首を読み合ったことがあった。どの歌がいちばん音がきれいかと、選び合って。そのときに選んだ歌のいくつかを、むかし、國文學という雑誌の原稿に書き込んだ記憶がある。「短歌と韻律」という特集の号だった。ぼくが北山に住んでいた十年近くもむかしの話だ。


二〇一四年八月二十七日「詩と人生」


 きょうは、大宮公園に行って、もう一度、さいしょのページから、ジョン・ダンの詩集を読んでいた。公園で詩集を読むのは、ひさしぶりだった。一時間ほど、ページを繰っては、本を閉じ、またページを開いたりしていた。帰ろうと思って、詩集をリュックにしまい、さて、立ちあがろうかなと思って腰を浮かせかけたら、2才か3才だろうか、男の子が一人、小枝を手にもって一羽の鳩を追いかけている姿を目にしたのだった。ぼくは、浮かしかけた腰をもう一度、ベンチのうえに落として坐り直して、背中にしょったリュックを横に置いた。男の子の後ろには、その男の子のお母さんらしきひとがいて、その男の子が、段差のあるところに足を踏み入れかけたときに、そっと、その男の子の手に握られた小枝を抜き取って、その男の子の目が見えないところに投げ捨てたのだけれど、するとその男の子が大声で泣き出したのだが、泣きながら、その男の子は道に落ちていた一枚の枯れ葉に近づき、それを手に取り、まるでそれがさきほど取り上げられた小枝かどうか思案しているかのような表情を浮かべて泣きやんで眺めていたのだけれど、一瞬か二瞬のことだった。その男の子はその枯れ葉を自分の目の前の道に捨てて、ふたたび大声で泣き出したのであった。すると、あとからやってきた父親らしきひとが、その男の子の身体を抱き上げて、母親らしきひとといっしょに立ち去っていったのであった。なんでもない光景だけれど、ぼくの目は、この光景を、一生、忘れることができないと思った。


二〇一四年八月二十八日「人間であることの困難さ」


 言葉遊びをしよう。言葉で遊ぶのか、言葉が遊ぶのか、どちらでもよいのだけれど、ラテン語の成句に、こんなのがあった。「誰をも褒める者は、誰をも褒めず。」ラテン語自体は忘れた。逆もまた真なりではないけれど、逆もまた真のことがある。一時的に真であるというのは、論理的には無効なのだけれど、日常的には、そのへんにころころころがっている話ではある。で、逆もまた真であるとする場合があるとすると、「誰をも褒めない者は、誰をも褒めている。」ということになる。さて、つぎの二つの文章を読み比べてみよう。「どれにも意味があるので、どこにも意味がない。」「どこにも意味がないので、どれにも意味がある。」塾からの帰り道、こんなことを考えながら歩いていた。ぼくに狂ったところがまったくないとしたら、ぼくは狂っている。ぼくが狂っているとしたら、ぼくには狂ったところがまったくない。じっさいには、少し狂ったところがあるので、ぼくは狂ってはいない。ぼくは狂ってはいないので、少し狂ったところがある。「おれなんか、ちゃろいですか?」「かわいい顔してなに言ってるんや。」「なんでそんな目で見るんですか?」。「なんでそんな目で見るんですか?」いったい、どんな目で見ていたんだろう。そういえば、付き合った子にはよく言われたな。ぼくには、どんな目か、自分ではわからないのだけれど。よく、どこ見てるの、とも言われたなあ。ぼくには、どこ見てるのか、自分でもわからなかったのだけれど。「人間であることは、たいへんむずかしい」(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)「人間であることはじつに困難だよ、」(マルロー『希望』第二編・第一部・7、小松 清訳)「「困難なことが魅力的なのは」とチョークは言った。「それが世界の意味をがらりと変えてしまうからだよ」」(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』1、三田村 裕訳)「きみの苦しみが宇宙に目的を与えているのかもしれないよ」(バリー・N・マルツバーグ『ローマという名の島宇宙』10、浅倉久志訳)ほんと、そうかもね。


二〇一四年八月二十九日「放置プレイ」


 さて、PC切るか、と思って、メールチェックしてたら、大事なメールをいったん削除してしまった。復活させたけど。あれ、なにを書くつもりか忘れてしまった。そうだ、オレンジエキス入りの水を飲んで寝ます。新しい恋人用に買っておいたものだけど、自分でアクエリアス持ってきて飲んでたから、ぼくが飲むことに。ぼくのこともっと深く知りたいらしい。ぼくには深みがないから、より神秘的に思えるんじゃないかな。「あつすけさん、何者なんですか?」「何者でもないよ。ただのハゲオヤジ。きみのことが好きな、ただのハゲオヤジだよ。」「朗読されてるチューブ、お気に入りに入れましたけど、じっさい、もっと男前ですやん。」「えっ。」「ぼく、撮ったげましょか。でも、それ見て、おれ、オナニーするかも知れません。」「なんぼでも、したらええやん。オナニーは悪いことちゃうよ。」「こんど動画を撮ってもええですか。」「ええよ。」「なんでも、おれの言うこと聞いてくれて、おれ、幸せや。」「ありがとう。ぼくも幸せやで。」これはきっと、ぼくが、不幸をより強烈に味わうための伏線なのだった。きょうデートしたんだけど、間違った待ち合わせ場所を教えて、ちょっと待たしてしまった。「放置プレイやと思って、おれ興奮して待っとったんですよ。」って言われた。ぼくの住んでるところの近く、ゲイの待ち合わせが多くて、よくゲイのカップルを見る。西大路五条の角の交差点前。身体を持ち上げて横にしてあげたら、すごく喜んでた。「うわ、すごい。おれ、夢中になりそうや。もっとわがまま言うて、ええですか?」「かまへんで。」「口うつしで、水ください。」ぼくは、生まれてはじめて、自分の口に含んだ水をひとの口のなかに落として入れた。そだ、水を飲んで寝なきゃ。「彼女、いるんですか?」「自分がバイやからって、ひともバイや思うたら、あかんで。まあ、バイ多いけどな。これまで、ぼくが付き合った子、みんなバイやったわ。偶然やろうけどね。」偶然違うやろうけどね。と、そう思うた。偶然であって、偶然ではないということ。矛盾してるけどね。


二〇一四年八月三十日「火の酒」


 きょう恋人からプレゼントしてもらったウォッカを飲んでいる。2杯目だ。大きなグラスに。ウォッカって、たしか、火の酒と書いたかな。火が、ぼくの喉のなかを通る。火が、ぼくの喉の道を焼きつくす。喉が、火の道を通ると言ってもよい。まるでダニエル記に出てくる3人の証人のように。その3人の証人たちは、3つの喉だ。ぼくの3つの喉の道を炎が通り過ぎる。3つの喉が、ぼくを炎の道に歩ませる。ほら、偶然に擬態したウォッカが、ぼくの言葉を火の色に染め上げる。さあ、ぼくである3人の証人たちよ。火のなかをくぐれ。3つの喉が、炎のなかを通り過ぎる。ジリジリと喉の焼き焦げる音がする。ジリジリと魂の焼き焦げる音がする。ジリジリと喉の焼き焦げるにおいがしないか。ジリジリと魂の焼き焦げるにおいがしないか。ジリジリと、ジリジリとしないか、魂は。恋人からのプレゼントが、炎の通る道を、ぼくの喉のなかに開いてくれた。偶然のつくる火の道だ。魂のジリジリと焼き焦げる味がする。あまい酒だ。偶然がもたらせた火の道だ。ほら、ジリジリと魂の焼き焦げるにおいがしないか。My Sweet Baby! Love & Vodka! 「運命とは偶然に他ならないのではないか?」(フィリップ・ホセ・ファーマー『飛翔せよ、遙かなる空へ』下・48、岡部宏之訳)「だれもが自分は自由だと思っとるかもしれん。しかし、だれの人生も、たまたま知りあった人たち、たまたま居合わせた場所、たまたまでくわした仕事や趣味で作りあげられていく。」(コードウェイナー・スミス『ノーストリリア』浅倉久志訳)「すべては同じようにはかなく移ろいやすいものだ。少なくともそのために、束の間のものを普遍化するために書く。たぶん、それは愛。」(サバト『英雄たちと墓』第II部・四、安藤哲行訳)「ぼくにとってこれが人生のすべてだった。」(グレッグ・イーガン『ディアスポラ』第三部・8、山岸 真訳)「なんのための芸術か?」(ホフマンスタール『一人の死者の影が……』川村二郎訳)「作家は文学を破壊するためでなかったらいったい何のために奉仕するんだい?」(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)「言葉以外の何を使って、嫌悪する世界を消しさり、愛しうる世界を創りだせるというのか?」(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)ウォッカ。火のようにあまくて、うまい酒だ。喉が熱い。火のように熱い。真っ赤に焼けた火の道だ。ほら、ジリジリと魂の焼き焦げるにおいがしないか。


二〇一四年八月三十一日「できそこないの天使」


 瞳もまだ閉じていたし、翼も殻を抜け出たばかりの蝉の翅のように透けていて、白くて、しわくちゃだったけれど、六日もすると、鉢植えの天使は、ほぼ完全な姿を見せていた。眺めていると、そのやわらかそうな額に、頬に、唇に、肩に、胸に、翼に、腰に、太腿に、この手で触れたい、この手で触れてみたい、この手で触りたい、この手で触ってみたいと思わせられた。そのうち、とうとう、その衝動を抑え切れなくなって、舌の先で、唇の先で、天使の頬に、唇に、その片方の翼の縁に触れてみた。味はしなかった。冷たくはなかったけれど、生き物のようには思えなかった。血の流れている生き物の温かさは感じ取れなかった。舌の先に異物感があったので、指先に取ってみると、うっすらとした小さな羽毛が、二、三枚、指先に張りついていた。鉢植えの上に目をやると、瞳を閉じた天使の顔が、苦悶の表情に変っていた。ぼくの舌や唇が触れたところが、傷んだ玉葱のように、半透明の茶褐色に変色していた。目を開けるまでは、けっして触れないこと……。あの男の言葉が思い出された。
 机の引き出しから、カッター・ナイフを取り出して、片方の翼を切り落とした。すると、その翼の切り落としたところから、いちじくを枝からもぎ取ったときのような、白い液体がしたたり落ちた。
 その後、何度も公園に足を運んだけれど、あの男には、二度と出会うことはなかった。

文学極道

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