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作品 - 20140902_900_7638p

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続・銀の雨

  はかいし

木の上で生活し始めてからもう三日も経つというのに、兵士たちの姿は消えない。消えた、と思ったときには、また別のところから、姿を見せている。鳥たちの羽ばたき、猿の鳴き声のリズム。私の走りはちょうど重なる。私の木の葉を踏む音を隠してくれる。どうして逃げ出したのか、少しも記憶にない。頭に浮かんでいるのは、脱走兵は射殺される、という指示だけ。どこまで追ってくるのか見当もつかない。追い掛けと逃げの単調な繰り返しではなく、他の音に紛れた足音に対し、照準を合わせるようにして取り囲む準備が、兵士たちには出来ている。

銃を構える音。野生の小動物のリズムにはない足音。その方角から動きを捉える。脳裏に浮かぶ微粒子は、明らかに口を縛っていない袋の形状をなしている(ぶつ切りにした輪ゴムのように世界は広がる)。まだ私の身体の中にも物理学が残っていたのだ。微粒子の動きが波紋を作り、木々がそれを反射しつつ音を伝える(私の耳の中にしか世界はない、すべての音が私の中にある)。正確に彼らを定位する音の群れ。待伏せが銃を構える。前方に微粒子が出現(人)。待伏せを避けて、微粒子の網を潜る方向へ。右という名だったか、左だったかは、とうに忘れた。微粒子のパターンから逃れるのに、できるだけ猿のいる方に向かう。猿は近づくとざわざわと怪しげに動き、兵士たちの気を紛らすのに一役買ってくれる。最後に、木の上から手榴弾を遠方に投げ、爆発を起こす。あとは火が確実に兵士たちを追い払う。

煙の中で、眠っていた。そのときから、夢を見ることを、思い出した。思い出した後は、それが夢という名前だと、名付けるのを忘れた。忘れはしたが、それがそういうものだと知っている。鳥が飛ぶ姿が、私の世界を上空に打ち上げてくれる。先に燃え出した山火事に散水する車の群れ(消防車)。あれが何という名前だったか、もう呼ぶことができない番号を掛けて、そこから連れ出してくれるなら嬉しい。110、119、0120、数の記憶は、それを辿る方向とは常に逆向きに、流れていくのだが、その形だけが浮かび上がり、名称を思い出すことはない。何と呼んでいたか、呼んでいたのは誰だったのか。問いが、失われた記憶を浮き彫りにするが、骨格はなく、意味を与えようとする行為には、喪の作業という、新しい名前を立ち上げることも、ままならない。破り捨ててしまおう。くしゃくしゃにして。夢の描かれた紙片(ゴミ)を収めた、円筒状の金属製容器(くずかご)の表象の、名はどこにも存在しないばかりか、視界を覆う不純物として現れ、それをも片付ける身体の部分(掌)、その名を、どこかへ捨てていく。何も残らない。何も残らないということさえも。

山火事は辺りをすっかり焼いてしまった。炭になったところに、わずかにまだ光っているのは、猿の瞳(または、星たちと呼ぼう)。何と形容したらいいのか、私にはわからないばかりか、むなしく光るばかりの夜の星を目薬にして、あなたは光っているのだと(あるいは、猿の涙の輝きが空に上がっている)。彼らに接吻し、ただ愛に浸る。身体の部分(性器)を、そこに含ませてくれたとき、安堵して、もう胸が張り裂けそうになっていたのを、散々、ぶちまけていた(射精、繰り返される前後運動、ないしは排泄)。その後の記憶は、未来でできている。生き物たちが見ているのは未来ばかり。希望と恐怖に満ちた未来を経て、死に向かって生きているのだと、思ったとき、何かであることをやめていた。何であるかは覚えていない。

文学極道

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