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作品 - 20140703_672_7518p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


黄色の憧憬

  前田ふむふむ


 

   1

蒸し暑い夜がつづいている
わたしは 嬉々として 猿を殺している夢を 夜ごと見ては
目覚める度に 硝子が砕けるように 怯えていた
か細い手を伸ばすと
地味な窓から
裏庭の空き地越しに見える マッチ箱の家のつらなりは
指先から朝焼けになって 赤く血の色に染まっていた

少年のわたしは
母と二人しかいない時間に
震える手で 母の手を握りながら
秘密を語りはじめると
やがて わたしの身体は 母のやわらかい胸に溶けていった
 

     
    2

そこは
風がない 月がまったく出ていない暗闇の夜である
石づくりの侘びた橋から望むと
一面 白い睡蓮の花が 鮮やかに咲き誇っている
そのなかを数匹の猿をひきつれた 大きな一頭の黄色い猿が
父母に襲いかかっているのである
鋭い爪で 母の衣服を剥ごうとしている
父は母を守ろうとして 大声で懸命に懇願しているが
猿は 激しい威嚇の叫び声をあげている
衝動的に
わたしは 鋭利なナイフをもって
背後から 黄色い猿を刺した
何度刺したのだろう 
わたしは 粘っこい汗をかいて 眼を覚ますのだ
その度に
母は 猿の腹部の肉をきざんで
大きな鍋に入れた
母が調理する猿は 純白な皿に盛られていて
鮮やかな黄色をした猿を わたしは ためらいもなく食べた
海鳴りのように 街の背中から 猿たちの苦悶の顔が
押し寄せてくる

   3

仄暗い待合室に 窓から 黄色い閃光がさしている
「暖炉のような家庭」と書かれた夥しい貼り紙が
壁一面に貼られていて 通気孔の風にゆれている
病人で熱気を帯びた朽ちかけた天井は 罅がはいっていて
間断なく水滴が床に砕けている
出来た水たまりは 流れになり 
すこしずつ地下への階段におちている
待合室には 一枚の絵画が掛けてある
絵の中央には 多くの葉をみずに浮かべた 
一輪の白い睡蓮の花が咲いている
花は錐のような視線で わたしを じっと見ている
部屋を照らす蛍光灯は 節電のためか 異様に暗い

なぜか
わたしたちは 一列に並んでいる
出来た長い行列の 最後部にいた わたしの 
すぐ前には
この世に未練はなく
死を待ち焦がれて愛おしむ老人がいる
八月十五日の安らぎと亡霊の日々を認めず
洗っても落ちない鮮血の手を頬にあてている
すでに事業に失敗し 家族は離散してしまっているのだ
その前には
受付のテーブルに置いてある
鋭利なカッターを一点に見据えて 顔を凍らせる少女がいる
禁断の花が 渇いた手首に何本も咲いている
その前には
遠い学生の記憶をなつかしんで饒舌に語るが 
麻薬常習者で ときに幻覚を見て 
老人のような衰えた膚を晒した
一度死んだ男がいる
三度の堕胎を繰り返して 子を産めなくなった 
一度死んだ妻が
その男のために 死んだ子供の名前を 
お題目のように唱えている
その前にいる
多くの病人は 首はうなだれて 猿のように奇声をあげたり
意味不明な言葉を ぼそぼそと呟いている
わたしは いったい何の病気なのだろう
身体からケモノの臭いがはっしているような気がする

傍では はり紙が激しくゆれている

病人のつぶやきが
ひとつひとつの断片になり 水滴のにおいを帯びて
うな垂れた雨音のような足もとから 流れていく
やがて 看護師が来て 患者たちの名前の確認を済ませると
死人のような病人の列は 待合室の奥にある
螺旋階段を昇っていく
わたしは、階段を昇れば昇るほど 口は 砂地の渇きを感じ
黄色い受付券を握りしめては 
意識は 泥に浸かる鳥のように沈んでいった

なぜだろうか
薄ら笑いを浮かべる病人の前を 薄い靄が滾々と湧きあげている
灰色の空に映る葬祭場の煙のように
掴めない救済の霧のように
わたしの手足は 卵のような滑らかな治癒を渇望しているのに
どこまでも続く歩みの列は
いまだに見えてこない診察室から 漂うエタノール液の臭いに
実験用の猿のように顔をひたしている

この列の前の方から伝わってくる話によれば
診察を受けた人は 必ず 首を絞められて猿のような叫び声をあげるという
それから 鉈のようなもので肉を切っている音がするという
そして 彼らは 戻ってきたことがない
わたしは怖くなったが 誰も帰ろうとしない
むしろ 嬉々としているのだ
怯えながら待っていると 
とうとう わたしの番が来たのだ 
頑丈そうな診察室のドアを開けると
そこは
広々とした平原のようだった
一面 白い睡蓮の花が咲いている
風がない 月も出ていない暗闇の夜である


    4

ものに掴まりながら
杖を使わないと
もうひとりで歩くことが叶わない母は
介護ベットで就寝をしている
8時になり
目が覚めたのか
起き上がって髪を梳かしている

今日も
母に食べやすいように
御粥でできた
朝食を出さなければならないと思う
支度をしていると
ざわざわと音がするので
振り替えると
壁付の大きな鏡越しに
一頭の黄色い猿がすわっている
もう弱々しいが
神々しいほどの聡明な視線だ

文学極道

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