「絵の中には図書館があったのよ」「絵の中に? 猫の瞳の中にじゃなくて? 」「じゃあ絵の中にいた猫の瞳の中にあったんだよ」「猫の瞳の中にある絵の中の図書館じゃなくて?」「私はどっちでもいいけど」「俺も同じ意見かもしれない」「かもしれない?」「 俺はね、実は何かが何かの中にあって欲しくない」「なに?」「何かの中に何かがあるとすると、もう狭くって狭くって仕方ないんだよ」「わからないよ」「俺もわからないけど、俺は何も信じていない」「何も?」「 何かが何かの中にあって、その何かが別の何かの中にあって、連鎖して最後には、最初の景色が何かを入れたものの中にある」。・・・作り話のように、僕はどこにいるのでもよかったのだと思う。どうでもよかった。あとそのときは目の前に喋る玉虫色がいることが普通だった。君が彼でも、彼が君でも、男でも女でも、わからないけど玉虫色。僕は長い間、そんなふうだった。やがて僕と話していた玉虫色はいなくなった。人間をこじらせて不治の病にかかってしまったのかもしれない。玉虫色、いまはどこかの図書館に挟まれている。本に挟まれた、玉虫色のしおり。可哀想なしおりへ。「いまとなって誤ります。間違いでした。何かの冗談だったんです。人生は冗談です。真剣な冗談です。たんなる真剣だとしてもいい。見方によってはどんな見方でもできるんだと、わかりました。あなたをもっと大切にするべきだったと、わかりました」。人生は玉虫に映った薄っぺらいもののことだったのだ。わからない。口癖だ。僕が知っているのは、嘘と、たくさんの信じられないこと、人生とは玉虫色になることであること、それから、僕は思いやりにかけた悪いやつだということ。僕は唯々、誠実に誠実に、玉虫色に会いたいわけで、君たちには見えない社会へ行き、土下座外交していた。干からびた「しおり」は僕の将来を心配しているはずだ。本当は玉虫色に会いたいだけなのに、「玉虫色になりたい。玉虫色になりたい」と口走っていた。僕が話したのはきっと「死」に会いたいだけなのに「死にたい」と言ってしまう誤謬と同じ、皮膚のない言葉だった。皮膚を持たずに心が外出することは精神医学的には公然猥褻罪だった。文学的にも罪だった。漠然とした何年間、ゆっくり、心は分割していった。一つ一つが孵化して散った。小さな心が玉虫たちに盗まれた。玉虫たちに僕の心が宿った。心が世界へ散らばった。僕は狂っていたかもしれないし、文学的にも重傷で、だから僕が喋ることにも書くことにも中身がないということだった。なんだ? 僕や誰かの中身がないことが確定することで何が解決しているのかわからない。裁判も行われず、未解決のまま物事が進んで行くことを僕は不思議に思った。それがこの社会と、その中の人間関係のの制度なのかもしれない。すべてを解決しないままでもどうにかやり過ごすルーティンの蓄積。問題だと思っているものが保留にされたままそこが詰まって時間の流れが止まってしまうことはなく、あるいは面倒なことはどこかに押し込んで過剰な量の薬の処方箋を書き、とにかく進んでしまっている。生きたものは、きりがない側に立っているように見える。何もかもが完成するということがない。きりがないところでどうにかやり過ごす術で生きている。きりがある側に立って何かをやり遂げるためにそこへ行き、もとの位置へ戻る。きりがない世界が僕たちの立ち位置だ。そこでは何の成果もない。僕は生きている。耐えられない。毎夜、昔しおりと話していたあの図書館へ通う。あれは絵の中の図書館だった。僕の仕事はそこでしおりを探すことに決まった。絵を描いている。絵の中の世界が僕が主張できる成果だ。少なくとも、僕の考え方では、絵は、区切りがあって切り取ることができて、それを持ち出して何をやり遂げたと主張するためのシンボルなのである。自分が何かを完成させた、それを所持する権利があるのは僕である、ときりがない世界で主張するための根拠だ。最近よく夢を見る。僕は、玉虫色のしおりがはさまっているページを図書館で探している。そこで僕は玉虫になって一瞬に死に会いに行く。別の夢、僕はボルヘスのより少しだけ小さい図書館に行く。日本作家、外国人作家、数学関係、生物、哲学・・・本がジャンル分けされている。僕は毎日その秩序をバラバラにする。すべての本を対象にしてランダムに選び部屋中に本を撒き散らす。図書館という機能を停止させる。その場所の使い道がわからないようにする。その場所の検索機能が完全に破綻するまでやる。その場所の目的がわからなくなったら、そこから新たな探求をはじめる。秩序を再構築する。最初、人々は本を探しにやってくる。やがて人々はただ何かを探しにやってくるようになる。自分が何を探しているかはわからない。何かを探すために僕が描いた絵の中の図書館を眺めるようになる。僕がつくった秩序には目的不明で重要なものを検索するための玉虫色の機能があるはずなんだって。
最新情報
選出作品
作品 - 20140501_723_7429p
- [優] 玉虫色のしおり - お化け (2014-05)
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