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作品 - 20140211_539_7309p

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岸壁のまま母

  MANITOU

どんよりとした曇り空の下、遥かな海の沖合いから陸地へと、黒々とした波が絶え間なく打ち寄せて来る。陸地のウォーターフロントでは、東西にどこまでも続く岸壁が、打ち寄せる黒い波を堰き止めている。岸壁に係留されている船は少なく、ここからは西方向にも東方向にも、遠くに数隻の貨物船が接岸しているのが見えるだけだ。対照的に、陸地には岸壁に並行して沢山の倉庫が立ち並び、コンテナや資材があちこちに積まれている。コンクリート舗装された岸壁のエプロンには、夥しい数の父子連れが釣具を持って来ていて、ある父親は簡易な折りたたみチェアに座り、ある男の子は岸壁の端の車止めに座って海の方へ足を垂らし、ある女の子は母指を曲げたような形の、先っぽの丸い繋船柱に跨って、海へ向けて繰り返し釣竿を振り、釣り糸を垂らしている。彼らが使用する餌はたいていエビかゴカイだ。狙いはタイやギザミやメバル、チヌやカサゴやウマヅラハギ、そしてコチやサヨリなど、親子で釣りを楽しむには手頃な小・中型の魚である。刺されると大人でも泣くと言われるオコゼや、強力な毒を持つフグなどは必ずしも歓迎されないが、しかしそれら要注意の魚も、子供に自然のちょっとした恐さを教える材料としての意義はある。あいにく天気は快晴とはいなかったが、またラッシュと言えるくらい多い人出ではあるが、もう一時間もすれば満潮を迎える岸壁には、釣りを楽しむ父親と子供達の、のどかで微笑ましい光景が広がっている。しかし、何も知らない子供達はともかく、岸壁にやって来た父親達の真の狙いは、海のもっと沖の方にある。どういうことか? 遥かな沖合いに目をやり、しばらく眺めていると、やがて水平線近くの海のあちこちに、ポツリ、ポツリと小さな膨隆が出現し始める。それらは時間が経つに連れて増えてゆき、やがて水平線近くの海は、西から東までそれら小さな膨隆でいっぱいになった。のみならずそれらはみな、この岸壁に向かって近付いて来ているようだ。初めは小さく見えていた海の膨隆は、こちらに近付くに連れて一つ一つが相当に大きく、スピードも速いことが分かってくる。寄せ来る波を後ろから押しのけて、それぞれが小さな丘のような海の盛り上がりが、大挙して岸壁の近くまで迫るのにそう時間はかからなかった。遂にその先陣が岸壁に襲い掛かると思われたその時、海の盛り上がりは次々にザッバアーッ!ザッバアーッ!ザッバアーッ!と大きな水飛沫を上げて破裂し、その中から巨大な裸体のまま母が立ち現われた。全身から流れ落ちる海水をブルブルッと振り払い、エプロンに足を掛けて上陸して来た彼女らの数は東西に渡り数百体。体長はおしなべて100メートル強。女性らしからぬ電子音混じりの重低音で、「ちち」「ちち、ちち」「ちち、ちち、ちち吸わせえ〜」「ちち、ちち、ちち吸わせ〜」と口々に呟いている。巨大なまま母達の体重を受け止め、彼女らの音声が含む超低周波振動に曝されて、打ち震え、のたうつ岸壁。しかしながら岸壁は崩壊することなく、よくその長大な構造を持ちこたえている。「ちち、ちち、ちち吸わせえ〜〜」「ちち、ちち、ちちゅ吸わせえ〜〜」まま母達はドズン!ドズン!と腹に響く足音を立てて岸壁のエプロンをのし歩いている。かと思うと中腰になり、パニック状態の父子達に向けて大口を開けると、「ゴォホオオオオオーーーーッ」と吸気し始める。父親達は釣竿を放り投げて逃げる間もなく、いや、子供を置き去りにして逃げるわけにもいかないのであろう、まま母達の吸気と同時に次々に宙に浮かび、彼女らの口腔内に吸われてゆく。「ちち、ちち、ちちゅ吸わせえ〜〜」「ちち、ちち、ちちゅう吸わせぇ〜〜」「ゴォホオオオオオーーーーッ」もとより父親達の狙いは自身の胸の両側、つまりちち毛の処理など一切していないが、慎ましいことこの上ない左右の乳頭を、まま母達のイソギンチャクめいた唇で吸ってもらうことにあったのだが、いかんせん相手が想定を遥かに超えて巨大過ぎた。まさか彼女らのほんの一息、と言うかひと吸気で、自らのちちどころか全身丸ごと吸引されてしまうとは、父親達には想像だにできない事態だったのである。「ちち、ちち、ちちゅう吸わせえ〜〜」「ちち、ちち、ちちゅう吸わせえちちゅう〜〜」「ゴォホオオオオオーーーーッ」父子入り乱れる中で子供達を残し、父親だけを選択的に吸い込むことが、まま母と父と子の、どのような生物物理学的&家族機能論的&ハイパーエディプス説的機序で可能となっているのかは不明だが、まま母達はたちまちの内にすべての父親を吸い込んでしまった。ところで、まま母達の口腔内に入った父親は、その後は胃袋に続く食道ではなく、肺胞に続く喉頭から声門、そして気管というルートを辿ったらしい。やがて岸壁のあちこちから、まま母達の気道の異変を知らせる音声が聴こえ始めた。「エグッ」「ハグッ」「アガッ」「ホガッ」初めはやや強くむせる程度だったが、次第にそれはより深刻なものに変わっていった。「ハグアッ、ガフウッ」「ゴァフッ、ガゴーッ」「アガゴッ、ガゴゴゴグゥアーッ」そして終いには「グアゴガガガゴガゴガガガガガゴオォーーーーッンぺペッぺッんナラぁーーッ!!!!」と、大地を揺るがし海洋をひっくり返しかねない大音響と共に、彼女らに吸い込まれていた父親達が、口からバラバラバラバラ吐き出されたのである。今や岸壁の至る所に、瀕死の父親達が横たわっている。意識不明状態の彼らの全身は、まま母達の痰と唾液と鼻水にまみれてベットベトだ。すると、これまたDNAのどこらへんに書き込まれた遺伝情報によるのかは不明だが、事の一部始終を目撃していた子供達が、一斉に自分の父親の元に駆け寄ると、衣服に手を掛けて胸を肌けるやいなや、その乳頭をちゅぱちゅぱ吸い始めたのだ。これは一体どういうことか。赤ん坊の吸啜反射とはだいぶ異なるようだが、ともかく、子供達が可愛らしい音を立ててちちのちちをちゅぱちゅぱしている間に、父親達は一人また一人と意識を回復していったのである。一方、気道内異物を超ど派手に吐き出したまま母達は、これはまたどうしたことであろう、その巨大な図体に似合わぬ脆弱性を見せ、なんと、誤飲性ショックによりあっさりと絶命していったのである。ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッドドドドドドドドッズズズーーーーンンン!!!! 沢山の倉庫とコンテナ群、そして父子連れが乗って来たワゴン車や乗用車を下敷きにして、まま母達が倒れ込む音響が、岸壁の全域にこだましていった。彼女らの頭部は、倉庫より更に内陸側の空き地にまで達しているようだ。そしてまま母達の身体は、あたかも引き潮時の砂浜に打ち上げられた巨大クラゲのように、空き地のセイタカアワダチソウを揺らしている潮風に晒されて、速やかに干涸らびていったのである。その頃には、岸壁の父親達はすっかり体力を回復し、全身に付着していた痰や唾液や鼻水もパリパリに乾いて、再び海に向かって釣竿を振り始めていた。子供達はと言えば、子供が何事にも飽きっぽいことは洋の東西を問わず共通である。せっかく魚のよく釣れるこの岸壁に来ているのに、また、干涸らびたまま母達の残骸や、破壊された倉庫やコンテナ群は、彼らにとって絶好の遊び場となるだろうに、もはや父親のスマホでゲームをして遊ぶことしか、興味が無くなっていたのである。父親がどや顔でウマヅラハギを釣り上げても、それには見向きもせず、子供達はスマホゲームに夢中になっている。どんよりと曇った空の下、そこら中からゲームの効果音が聴こえて来る岸壁に、黒々とした波が打ち寄せている。

文学極道

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