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作品 - 20140130_180_7266p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


隅田川ランドスケープ

  NORANEKO

 東京スカイツリー、その、白い人工の鉄塔を睨み付けるような天工の単眼は、陽炎のように揺らぎ、瞳を黒く満たす。金環の輪郭、錯乱してふるえる、厳かな黙示が、(二羽目を弔った、)あの、半鐘の残響のように、胸のなかで鳴り響いて止まない。
 日蝕に翳る、薄曇りの空を、片目の濁った隼が旋回する。それもやがては癒えるだろう。雷門前の交差点の、まさに「交差点」といえる中心、その◇形の空間に、卵がひとつ、置かれていた。殻が罅割れ、中から、あたらしい鴇の雛鳥が生まれる。
 四方八方から沸き起こる熱気。「私が産婆だ!」という意味の、歓声。雷門前通り、雷おこしのほうからロシア人が、向かい側からは中国人が、神谷バーと、向かいの富士そばの方からはアメリカ人が、各々の言語で異口同音に言祝ぎしながら鴇の前に殺到し、輪になって囲んだ。
 三羽目の嬰児の、新しい暦を告げるひと鳴きを、聴きにきたんだ。

「東方の三博士っぽい」

 ロシア人にぶつかって肩を痛めた俺はぼやきながら、トインビーの論文が収められた文庫本を鞄にしまって、神谷バー方面へ歩き、通り過ぎ、そのまま東武線浅草駅前の横断歩道を渡る。日蝕の瞳が剥がれて、人々の足は営みに赴く。



 朱色の街灯と欄干が目に映える吾妻橋の描く、滑らかな弧に沿って歩く。灰色の正方形を縫うようにはしる白い長方形の描く敷石の模様(パターン)を靴底で叩く。遠くには、首都高速六号線があり、トラックや乗用車が走り抜け、その向こうにアサヒビールの社屋がある。その、墓石のように黒く滑らかな台形の逆立。その頂で尾をたなびかせる、黄金の人魂のような灯火のオブジェ。一体、この意匠は死への叛逆か?



 雨が降りはじめる。



 雨の中、朱に塗られた吾妻橋の欄干から身を投げる女、一人。釵の花飾りが橘で、目に焼き付いてしまう。川面には、待ち受けたかのように鉛の棺があって、女を口に入れてから蓋が閉じ、重く鍵の回る音がして、沈んでいった。
 雨は止んだ。俺は傘を閉じた。



 橋を渡り終えて、左に折れるとそこには、すみだ地蔵尊の御姿が彫り刻まれた碑がある。脇に置かれた賽銭箱に十円玉を放り込むと、鐘のような音がぼんやりと足元を、ほの白く染め上げてゆく。手を合わせる。地蔵様の背には関東大震災の犠牲者と、都内の戦没者を供養する卒塔婆が四本、立て掛けてある。



 スターバックスの「本日のコーヒー」をホットのまま啜りながら、言問橋方面へと歩いている最中、勝海舟に出くわす。石になったままの奴とにらめっこしていると、浦賀の港のさざ波と、一羽目の鴇の声が聞こえてくるようだ。実際には、隅田川のせせらぎと、カモメの鳴き声ばかりなんだが。



 例えば、俺が移動する点に過ぎないとして、軌跡とは点の連続にほかならない。
 俺が言問橋の、桜の絵が描いてあるモザイクを革靴の底でカツカツやっているあいだ、軌跡は滞るだろう。線分の突端で、点描が歪に丸く、濃さを増すだろう。だが、奴らには、そんな暇はなかった。
 俺は水色の欄干と、緑色の、まるい鱗を立てて流れる隅田川の間にある断絶を凝視し続けている。俺の視線をいま、ポイントライトのように色づけして照射したとすれば、それは、昭和20年の(俺たちの暦では1945年の、)3月10日に途切れた無数の人々の軌跡、その幾人ぶんかの消失点と重なっているだろう。(2羽目の鴇の産声が、街に響くのは、そのしばらく後のこと。)
 川の飛沫を孕んだ風が頬を撫でる。俺の頬を焼かない風が。
 

 
 言問橋を撫でる影がある。カモメが悠々と空を飛んでいるのだ。その折、老婆とすれ違う。雀色の半纏を羽織る、丸やかな背筋を伸ばして「あれ、都鳥が飛んでるねぇ」などと一人呟いている。粋な婆ちゃんだ。
 数秒が経ち、背後で沸き起こる悲鳴がある。婆ちゃんだ。駆けつけると、うずくまっている。耳元で、ハエが飛んでいる。払っても、払っても、また、耳元に。「やめてくれぇ〜! もうやめてくれよう〜!」婆ちゃんが頭を激しく振り乱して泣きわめく。目じりを皺くちゃに、顔を真っ赤にして、黄色い歯を口一杯にひん剥いて。叫ぶ。
 俺は蠅を掴み、そのまま潰した。もう片方の手で、婆ちゃんの背中をさすり、耳元で言い聞かせる。「大丈夫だよ。もう終わったよ。終わったからね」
 婆ちゃんが、両肩にしがみついた、あの感触が今も、貼り付いて消えない。


 
 駒形橋付近の観音堂でよく目撃されるそうだが、青白い顔をした三つ目の馬の面を被った男が斧を持って走っている。俺も今まさに遭遇しているが、鼻息が荒い。被り物ではないのか? 右手には、何枚もの写真。一枚が落ちて、見てみると、無人の街中で対峙する、一匹のダチョウと、三匹の柴犬が写っていた。
 青白い馬は怒っている。



「ブンメイコウサロ?」
「ええ。文明交差路なんだそうです。日本って」
「へえ」
「だから、新しい時代の思想ないし、宗教は日本から生まれるのだと、教授が」
「なんか、すごいね」
「ええ、いまいち、実感が湧かないというか」
「ちょっと、大袈裟だいね」
「そんな気はしますね。ただ、条件を満たしているのは確かですが」
「まあ、ほんとにそうなったら面白いやね」
「面白いですね……あっ、」
「青木くん、どうしたん?」
「飛んでる……夜空を、カモメが飛んでるんです。何羽も、ぐるぐる」
「俺、宮沢賢治で読んだことあるわ。銀河鉄道の夜で」
「賢治にも、カモメ?」
「うん。あれでも、輪を描いて飛んでた。」
「なんか、文学ですね」
「いいね、俺らを祝福してるみたいで」
「ええ、外灯に、白い羽毛を光らせて」
「夜も、飛ぶんだね」
「私も今日知りました」
「何mSv/h?」
「えっ」
「カモメを運ぶ夜風は何mSv/h?」
「……」
「今、どこにいるの?」
「駒形橋ですよ。センパイもよく通る、」
「青木くんの頬を撫でる風は、」
「川の飛沫を孕んで優しい、この風は、」
「何mSv/hだろうね」
「今は、やめませんか」
「そうだね……なんかごめん」
「いえ。私もよく、考えますから」
「考えちゃうよね、ふとしたときに」
「雨に濡れて歩く幸せを忘れました、最近」
「俺もだよ」
「復興、できますかね」
「東北は、だいぶ良くなってきたみたいだよ。怪しい話だけどね。」
「東北もそうなんですけど、これからの被災が」
「ああ、そっちの」
「東北が、日本になる」
「あと、何十年後だろうね」
「僕らの骨に、」
「魚たちの内臓に、」
「時限性の花が、」
「復興、できるかね」
「備えるしか、ないですね」
「お金、たくさん貯蓄しないと」
「賠償、ふっかけられるよね」
「購うのは、僕らですからね」
「悔しいやいね」
「悔しいですね」
「でも、文明交差路」
「ええ、ここは文明交差路」
「新しい暦と叡智が、」
「夜を朝に運ぶ風が、」
「吹くね、きっと」
「信じましょう、吹くのを」
「青木君、スカイツリーはどうだい?」
「優しく輝いてますよ。内側は水色で、白い光の繭に包まれて」
「いいねぇ」
「あの辺では、みんな見上げてますよ。老いも若きも」
「みんなの祈りだね」
「ええ、地上から、空へ」
「突き上げて、空には?」
「月が、大きな月が」
「きっと、黄色いんだろうね」
「ええ、ふっくら大きな月が、お饅頭みたいに優しい」
「祝福だね」
「どうでしょうね」
「えっ」
「樹は土の養分を吸い上げて伸びますよね。同じことですよ」
「よくわかんないけど」
「真下の通りに構えてる店、どこも暇そうですよ」
「そういうことね」
「でも」
「そうだね」
「名づけられない暦の鴇が」
「生まれたんだね、三羽目が」
「ええ、僕らの鴇が」
「天上の黙示と」
「地上の祈りが」
「拮抗してるね、この交差点で」
「歩く場所を決めないといけませんね、私も」
「僕も、」
「じゃあ、そろそろ切りますね」
「また、いろいろ話そうね」
「ええ。では、また」
「はい、じゃあね」

文学極道

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