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作品 - 20131019_647_7083p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


おばけのはなし

  熊谷


おばけとは、この世から消えることを意味するから
おばけになりたいわたしは
いつでもばいばいする準備はできていた





目を覚ましたら
落とし穴におちていた
見上げると上の上のはるか遠くに
見覚えのある顔がにこにこしていた
ここ最近では
そんな顔をしなくなっていたから
出会ったころのような気持ちが
おなかの底からじんわり湧いてきて
思わず名前を呼ぼうとしたら
それがどうしてもうまく思い出せなかった
なぜかその前に付き合ってたひとの名前ばかりが頭に浮かんで
口をあんぐりさせていたら
そのまま光がどんどん小さくなって
ぽっかり上に開いていた
穴の入り口を
堅くて重い何かで
ふさがれてしまった
最後くらいばいばいって言って欲しかった
蓋をされてしまったあなたを好きだったわたし
まっくらになって
目をつむって
出会いから別れを
もう一度頭の中で巡り始める





おばけになりたかった
地に足がつかず
人が人として生きていくなかで
当然のようにともなう
欲求や義務をすべてひっくり返した
あの宙に浮いた存在に
ものごころついたころから
その願望が途切れることはなかったから
もう足は透明になるところまできていた

あなたと会うときには
ちゃんと人間に
ちゃんとかわいらしい女の子に
ならないといけなかったから
前の日にはアロマオイルで足をマッサージして
明日いちにちだけ我慢してねって
右足と左足にやさしく声をかけていた


おばけになりたいことは秘密だった
足が透明になりかけていることも
女の子らしく無理して振舞っていることも
あたかも最初から
ただしい人間として
生活しているように見せかけていた





答えはでていた
計算をする必要も
えんぴつを転がす必要もなかった
あのとき名前を思い出せなかったことが
何もかもを象徴していた


穴に落ちた瞬間から
わたしは人間であることを
思い知った
ぐしゃぐしゃになった前髪や
ニキビだらけのほっぺたや
とまらない涙が
いかにも人間らしかった
もうおばけになんて
ならなくてよかった
ただあなたに好かれたかった
好かれたかったわたしは
どこかの穴に閉じ込められて
出れなくなっていた
ばいばいする準備を
あれだけしてきたのに
どうやってばいばいすればいいのか
わからなくなっていた
閉じられた蓋は
誰かが開けてくれるのか
自分で開けなくてはいけないのか
地に足がついたままで
あんな上まで手は届くはずがなかった





おばけとは、この世から消えることを意味するから
おばけになりたいわたしは
ありもしない抜け道を
必死で探していたのかもしれない





穴のなかで泣きながら
いろいろ考えを巡らせた
ここはどこなのか
出口はどこなのか
外の世界では
朝と夜はちゃんと来ているのか
都会にはサラリーマンがいて仕事をしているのか
田舎にはおばあちゃんが夕飯の準備をしているのか
そのうちちゃんとお腹がすいて
温かいふとんで眠れるのか
おばけは本当に存在してるのか
そんな無駄なことばかりを考えていたら
一度だけ蓋があいた


久しぶりのまぶしい光
外の新しい空気
お日様がこちらを向いていたから
今は昼間のようだった
世界はちゃんとまわっていた

ようやく光に目が慣れたころ
大好きな声が上から聞こえてきた
“会いたくなったら困るから
もうこれでおしまいね”
そうしていつも繋いでいてくれた
ごつごつしたあの左手が
宙にゆらゆら揺れているのが見えた





デートがなくなって
休みの日が真っ白になったから
東北に行くことにした
津波に襲われた地域は
何にもなくなってしまっていて
何だかとても大きな穴を抱えているように思えた
わたしには霊感がないから
残念ながらそこには
何の気配も感じられなかった


絆を失ったばかりのわたしが
復興のために
植物の苗を植えることに
何の意味があるかは
今のところ分からなかった
何ヶ月後にはいちごの実ができると
地元のおじさんが笑顔で話してくれた
そうしたら穴のなかにいる自分に
いちごを食べさせてあげよう
食欲が無いなりにでも
少しずつ食べるだろう
それでもしかしたら
また恋をする気になるかもしれない


東京に帰ったら
今までそばにいてくれた
おばけになりたかった自分に
さようならをする
前向きに生きることの大切さを
説教することもなく
ただただ慰めのために
そばにいてくれた
透明な存在にばいばいをする
今すぐおばけにならなくても
きっといつかはおばけになるのだ
いちごが大好きで
あなたを大好きだったおばけに

文学極道

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