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作品 - 20131012_528_7072p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


They talk of my drinking but never my thirst

  浅井康浩

温めたグラスにコーヒーを入れる。そこに泡立てたホイップクリームを浮かべ
て、さて、「一頭立て馬車の御者」が出来上がる。19世紀の冬の夜、恩寵として
降る雪を見上げ、御者たちが啜った飲み物をおぼえているだろうか。今の僕な
ら、アイリッシュ・ウイスキーを30ml、加える。幼かったわたしたちの身体に、
あたたかで繊細な時間が流れますよう。淡いブラウンのまなざしに、そっけな
いグレーの空。あかるくてやさしいばかりの空間を無為にするためでなく、た
だ、あの頃とひとつの境界線をしるすため。


ひとつの修道会が生まれ、それとおなじ世紀にひとつの蒸留所が生まれる。ア
イルランドにとって、12世紀とはそのような世紀となる。いくつもの戒律が修
道士に課され、多くの若者が掟を守る。ひとつ挙げるならば、沈黙。修道院の
流儀として、余計なことは言わず、寡黙に過ごす。言葉を交わすことは許され
ないなかで、修道士は幾重もの指文字の文法を洗練させてゆく。傍らで、あり
がちなように、ひとりの半端ものが蒸留酒に手を出し、のめり込んでゆく。そ
して数世紀のち、ひとつの半端な王国が蒸留技術に手を出してしまう。


主要生産品が蒸留酒である王国で、ひとりの男が密輸に手を出す。東に湾が突
き出し、西に岬がそびえるこの地では、洞窟だけが密造と密売の舞台にふさわ
しい。寡黙な密輸仲介者が、輸入、輸出、製造、交換取引すべてに実入りを求
め組織同士が情け容赦なく殺し合う世紀まで時間はある。一世紀以上のうさん
くさい噂をブレンドし、荷揚げされた時点で、ギャンブルとアルコールに溺れ
る男たちの喉に流れるという単調なプロセスのために男は土地の流儀をわきま
え、粛々と荷詰めをこなす。


この土地の文学は繰り返し語る。母語を失うことと別種の痛みを。過去を現在
形で語り、過去から現在に戻った者が過去をよみがえらせつつ未来を告げる物
語は、幾重にも過去と現在を折り重ねた果てに循環させようとする洗練された
リトルネッロとなり、だが、わたしたちの発する言葉はもはや、正確に翻訳さ
れることもないまま無気味なものへと転化する。あなたなら、1900年、泥炭が
暖炉にくべられていた頃の物語を思い描いてみることもできるかもしれない。
さまざまな蒸留所の物語。いくつもの聖パトリックの奇跡。聞き取ることさえ
できないゲール語のさざめき。ひそやかに沈澱されてゆく時間に身をよせあい、
過去の時間の流れに交差するように、いくつかの時間が流れだすこともあるか
もしれない。あるいは、その声は、聴こえない。よどみなく連なる発音が、あ
なたを言葉そのもののなかに閉じこめてしまい、ときおり訪れる息継ぎの不思
議さから語り手の魅惑的なくちびるをあらぬ方に想像してしまうように、入り
混じり飛び交う言葉のあかるさが、うしなう意味をことほぐだろう。だが、あ
なたは知っている。この島嶼の書物が、しあわせな死者を描くことがなかった
ことを。ひとすじにつらなるこの土地の歴史をながめ、そこから死者がひっそ
りと消えてゆくあいだ、この土地の曝されてゆくもののなかに―キリスト教の
伝播、大英帝国の支配―死ぬことと蘇ることの感覚が停止して死の世界から生
の世界へ回帰してくる幾篇かの物語を読みとろうと努めているだろう。


スコッチが衰退へとシフトしてゆく、そのような戸惑いの感覚はいずれにせよ、
ロマンティシズムとして、あるいはダンディズムとして埠頭のビストロの内側
に溶け込み、旅人の一杯のグラスのなかへ沈んでゆかざるをえない。島で生き
ざるをえず、時間の満ち引きのなかで減衰を受け入れるとき、島嶼の記憶へと
刷りこまれてゆく際に、たえず復誦される二つの記憶がある。ひとつはすべて
の住民がウイスキーの密造業者となり、もちろん羊泥棒でもありつづけ、治安
判事裁判所に持ちこまれた密造事件が4201件にのぼる1819年、そこではロバ
ート・バーンズが「最も哀れな酒」とよんだ蒸留時間のきわめて短いウイスキ
ーさながら不道徳な年であり、島に腐敗のシステムの基礎を築く。この場面に
続くように別のイメージが現れる。スコッチの歴史を諳んじる人があれば、わ
かるだろう。蒸留所の樽からわずかながらバタースコッチの匂いが浸みだし、
モルトを嗅げば、果実臭と甘い香りが立ちのぼってきたあとで、燻蒸した麦芽
からくるピート香が開きはじめる記憶。それはセント・アンドリュー・クロス
を白馬が掲げるには早すぎた当時でさえ甘すぎる反復であり、島の歴史を記述
する際に必要な勅令や禁令、刑の執行、生産物や貨幣の公定価格が濃密に流れ
てくるトゥイード川の南をスコティシュ・ボーダーズはどうしようもなく酔い
つぶれながらしか、見ることができなかったのである。琥珀色のなかには亡霊
のように現れ出でた過去のさまざまな物語があるだけだ。川を越え国境をへだ
てたどんな町にでも行くことができ、そのどこでも樽という樽が、この場所よ
りも高い湿度や気温に埋め尽くされ、呼吸するように揮発成分が樽の外へ蒸散
し、明るく輝くような色を帯びてゆくのを眺めることができる、そのような物
語はいっさい存在しないのだ。


ノルマンディー・コーヒーのレシピが、世界大戦さなかのアイルランドの港町
フォインズで生まれたことを憶えている人であれば、飛行艇が水上で給油する
間、コクピットに忘れ去られたままの沿岸測量部発行の大西洋横断航空図に曳
かれた数々の線をなつかしく思い浮かべることもできるだろう。そして、カル
バドスをめぐる記憶は、さらにささやかなものとなるだろう。たとえば原料と
なる林檎の貯蔵法のような。あるいは発酵させた果実の蒸留法のような。だが、
「飲む」ということ以上に、その土地への、あるいは時間への関わり方がある
だろうか。その土地がもたらすもの、大地に密植させることで栽培される樹木、
受粉する蜜蜂の飛行、雨とともに訪れる6月の降雨量と昼夜の温度差、あるい
はオーク材の樽における蒸留から熟成までの流れをそのまま受け取るように、
記憶するように関わることは。気候、土壌、日照。そのどれもが肥沃であるが
ゆえに葡萄の、そしてブランデーの製造に適さずにいたこの平野部が、穏やか
な湿気と粘土質の土をもって「アップル・ブランデー」カルバドスをつくりあ
げた16世紀には、聖パトリックの島嶼においてさえ、果実酒へと発酵してゆ
くための繊細でおおらかな時間が流れはじめる。爪先にまでしみる寒さのなか、
ただ待つだけの空隙をなぐさめることになるささやかなレシピを整える準備が、
じんわりと人々の気持ちに行きとどいてゆく

文学極道

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