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作品 - 20121208_225_6538p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


石・草・虫など、その概念と考察

  山人

1.石
石には普通、感情はないと考える。しかしある。石はほぼ性別は♂である。しかし、生殖はしない。無機質なものには♂という性別があるものだ。石は考えることが好きである。ひたすら考える、それも延々と。むしろ考えると言うよりも瞑想である。ただ、瞑想はするが行動はしない。出来ないからである。しかし、母なる大地が活動を始めると、幾分ぼんやりと目を覚ますことがある。よって、感情はある。


2.草
草は、考えることすら出来ず、何かを感じるだけの皮膚を持つ。
おだやかな季節に虫をはべらせ、しなやかな体躯と、美しい花弁をもった横顔で風を感じ陽光を待ち望む。
 草はとにかく良く伸びる、そして自分がどれだけ伸びたのかは知らないようだ。


3.虫
喜びも悲しみも、その硬い羽根に埋め込んで、どんよりとした複眼で曇天の空を仰ぎ見る。微風に楚々と関節を動かせば、触角も俄かに揺れる。
人から嫌われ罵られても表情を変えることがない。害虫として生まれて害虫として叩かれ、殺されてもなお誠実な生き様がある。静かに殺されていくのだ。
秋、虫は少し触角を動かし、季節の変わり目を感じている。


4.鳥
自由な象徴として鳥は認められている。
人々が吐き出す、曇天の重いため息のかたまりを刻むようにトレースし、さえずりながら一掃する。鳥の羽毛の中に希望がある。強大な胸肉でその沈殿した重みを掴まえ、空へと立ち上がる。
鳥は知っていた、人々の希望は空にあるのだと。


5.蛇
神は究極の語彙を思い立った。その形に四肢はなく、念じたもののひとつの流れ、その思いの果てが一本の信念であり、蛇である。
人の肌のような角質はなく、ぬめりに覆われた、皮膚。突起物という突起物はすべて取り除かれ、一本の棒のみが存在する。
体全体が足であり手であり、すべてである。そして、体そのものが一本の生殖器であり、四肢そのものである。


6.ヒラメ
その昔、ヒラメはこのような形ではなかった。
 恋に破れたヒラメのかなしみが塩辛い海水となって、体を圧し、たいらになった。深海の砂粒に頬をこすり、見られたくないから、同じ方向に涙が流れていった。ため息があわぶくとなって海面にたどり着くとき、静かに砂になって獲物を狙うのだ。


7.土
語れば長くなる、そう言いたげに土は寝そべっている。
はるか昔、そもそも土などあろうはずもなく、世の中はすべて無で出来ていて、命の欠片さえもそこにはなかった。たまたま神がそこをとおり、いがらっぽいな、と痰を吐き、神の屁から弾き出された大腸菌が発芽して、命の根源が生まれ出た。
さて、無は、果てない年月を指折り数え、一匹のゾウリムシを生み出し、そこから性欲をひねり出し、多くの生き物を世に送り出した。カイワレのような貧弱な草が芽吹くと種は真似をして色んな草をつくった。
一枚の葉が地に落ち、奥万の菌が大口を開き、食われ、脱糞し、その蹂躙されつくした葉が再び目をあけると土になっていたのだった。



8.地蔵
かさかさと黄金色の枯葉が舞い、山道に差し掛かると石の地蔵がいる。傍らに虫を携え、坊主頭で秋の空気にさらされている。遠くの山々は夕焼けで赤く燃えている。地蔵は何も言わない。枯葉が一枚、通り過ぎただけの山道。
ピーヨウゥ、鳶は高く、空を蹂躙し、捌いた空間を秋に晒し砕けて沈む。モザイクな秋が地表にばら撒かれている。
そのとき地蔵は、「私は石である」、そう思っていた。


9.便所
その部屋で人は白い臀部を曝け出す。つまり、ここでは何かに襲われることがない環境でなければならない。
脱糞の最中、ナイフが胸に刺さる恐れがあるとすれば、そこは個室でなければならない。
その排泄物を受け止める容器がある。便器と呼ばれ、人はその容器の口めがけて脱糞するのである。
人が自分の底にたどり着く場所、それが便所だ。


10.壁
とかく人は壁をつくりたがる。むしろ壁があるからこそ、壁によってすべては支えられ、人が生きていると言ってもよい。
人類の誰一つ拝んだことがない宇宙の端にすら、壁があると言う。それは何もない壁なのかもしれないし、あるのかも解らないとも言われ、解らないことにすら壁の存在を主張する。皆が、壁を売り、壁を買い、壁を夢想する。
壁は人にとって大切であるが、見たままのところにしか壁はない。壁は取り払われるのを待っているだけなのに。


11.銃
命を奪おうとする器具があるとすればそれは銃だ。
生き物をこの世から葬り去る器具、死の温度は冷たいのか、死後は冷たいのか。その世界観をそのまま金属的に造形した、器具。
発砲の原理、それに沿い、銃器は爆発の力に拠る弾丸の発射、そして空気の摩擦を突破し目的物に着弾、生命を奪うべく破壊。命を維持するべく臓器の破砕、命を守るエネルギーを循環させる血液管の破砕、それらによる致命的な損壊。
血液臭はどこか金属臭と似ている。


12.ラーメン
人が何かを決めるとき、そして、何か変化を求めるとき、その臓腑を充足させる食べ物がラーメンである。
近代、中華そばと命名され、しなちくとかん水の芳香が界隈を漂い暖簾に染み付いている。笑顔のない、高圧的な店主の声は、互いのこれからの戦いの前の効果的な精神戦である。
 洋食がテーマパークなら、ラーメンは自分で作り上げるテーマパークである。スープの表面に適度が脂液が漂い、トッピングはその沼を彩る食欲の蓮である。
麺は小麦臭を残し、歯の圧力を俄かに跳ね返す弾力ではなく、ほどよく包み込む肉布団のような性格を保っている。
スープをすすり、麺を噛み締め、胃に落とし込んだとき、頭の切っ先に一つの光りのようなものが浮かび上がり、その瞬間、店主は教祖となり、あなたは信者となる。


13.手すり
彼らの一日は凡庸だ。たとえば都心の歩道橋の手すりはほとんど触られることがない。人々の関心は行き交う女や男であったり、耳に押し込まれた念仏と、スマホを操作しているフォームを装うことに終始している。
手すりは見られることもなく、錆び付き、強度が落ちるまで長い年月を持ち続けている。
彼らがあらゆる場所からすべて取り払われたとき、人は少し足を止め、それを画像に撮りこむだろう。そして、それを糾弾し、問題視し、訴えることだろう。


14.工場
その片隅に名もない薄い繊維のような体躯を持つ蜘蛛が生活している。工員たちの声と構内拡声器の音が氾濫し、その音から染み出した口臭のようなものを巣に詰め込み、時折工員たちを眺めに巣から出てくる。工員の吐息とその蜘蛛たちの徘徊する空間の暗さと寒さが工場である。


あとがき
物事に真実があるとすれば、それは自らの考えに他ならない。その人が思い込む事柄がその人にとっての真実であり、有益なのではないか。考えはひとしきりそこに停滞するが、いずれ変わり、飛翔してゆく。考えられない考え方も存在し、何も考えず前に進むことも多々あり、大切な何かを忘れてしまっている場合もあろう。
 現実は一つ、それが仮に致命的な物や事象であっても、何かを想像し思う心は多く存在する。

文学極道

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