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作品 - 20121105_372_6451p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


Still Falls The Rain。 後篇  ──わが姉、ヤリタミサコに捧ぐ。

  田中宏輔




つぎつぎと観客が増えていき、店のなかが立ち見でもいっぱいで
ぼくと湊くんがいるテーブルのすぐそばまで、ひとが立ち見で
女性に連れられた子どもが、まだ5、6歳だろうか、女の子が
赤い子ども用のバッグを肩から提げて、クマの人形、パディントンって
言ったかな、それのグリーンと茶色のチェックのチョッキを着た
クマの人形を手にしていた女の子がそばにきたとき、店主の女性が
椅子をもってきた。その椅子は前述した、大きい中央のテーブルのもので
そのテーブルを壁に片側をくっつけたためにあまったものであった。
女の子がその椅子に腰かけた。まだまだ客は入ってきて、
しかもそれが圧倒的に女性が多くて、いろいろな香水の匂いがした。
ぼくは湊くんに
「なんで、こんなに女性が多いんだろうね。」
「さあ、なんででしょうかね。」
「ビートゆかり人たちの朗読って書いてあったと思うけど。
 ビートって、そんなに女性に人気だったっけ?」
「いやあ、そんなことないですよ。
 どうしてでしょうね。」
このときには、ぼくはまだ、この夜の朗読会の趣旨と
朗読するメンバーのことについて、ヤリタさん以外
ひとりのことも知らないのだった。
湊くんは、佐藤わこさんの詩集を東京ポエケットで買っていて
彼女のことは、間接的にだが、詩のうえでは知っていて
また、その詩集を出している佐藤由美子さんのことも見たことがあると
東京ポエケットでその詩集を売っていたのが佐藤ゆみこさんだったからだが
話をしたということもなくて、ただ詩集を買っただけというので
湊くんもまた、ヤリタさん以外、直接知っているひとはいなかったようだった。
佐藤由美子さんが、イーディさんの本のことを話される前に
佐藤わこさんが、詩の朗読をした。
いただいた詩集の『ゴスペル』を読まれたのかな。
ぼくは、朗読されていく声を耳で追いながら
彼女の詩集の言葉を、目で追っていった。
とてもスマートな詩句で、耳も、目も、ここちよかった。


専門の言葉や常套句を放棄したあとには、何ものも芸術作品の誕生をさまたげはしない。
(トンマーゾ・ランドルフィ『無限大体系対話』和田忠彦訳)


朗読会の途中で扉を開けて入ってくる人たちの様子に目をとめた。


I looked out the window.
(Jack kerouac, On the Road, PART THREE-2, p.183)


窓の薄いレースのカーテンに手を触れ、そっと
押し上げて、窓の外の夜を見ようとするが、真っ暗に近くて
雨が降っているかどうかわからなかったが、


It started to rain harder.
(Jack Kerouac, On the Road, PART ONE-3, p.22)


入ってくる人の手に傘が握られ、それがすぼめられているところから、
とうとう、雨が本格的に降り出したことに気がついた。


思い出された事実には重要なことなど何もない、大切なのは思い出すという行為それ自体なのだ。
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)


むかしというのはいろんな出来事がよく迷子になるところでね
(ロバート・ホールドストック『アースウインド』4、島岡潤平訳)


ぼくらは人生に迷子となるが、人生はぼくらの居所を知っている。
(ジョン・アッシュベリー『更に快い冒険』佐藤紘彰訳)


ダイヤモンド・シティーで
迷子になって、嗚咽を漏らしながら
階段を
手すりを伝いおりて来た
あの小さな男の子は
あれからあと、ぼくのことを夢に見ただろうか?
高校生の男の子や女の子たちは
まったく知らない顔と顔をして
階段に腰を下ろして
しゃべくりあっていた。
ハンカチーフをしくこともなく
じかに坐り込んでいた
制服姿の何人もの高校生たち。
お菓子の包みを、そこらじゅうにまいて。
カラフルな包み紙たちは
なぜかしらん、なきがらのようだった。
ぼくらが偶然、階段を使って下りたからよかった。
ぼくは、迷子になっていた男の子のそばにゆき
安心するように
自然な笑顔になれ

自分に呪文をかけて
その男の子に話しかけ
いっしょにいたジミーちゃんが、スーパーの店員を呼びに行った
迷子になった
きみは、ぼくのことを、いつか夢に見るのだろうか?
バスのなかで、母親に抱かれながら
顔をぼくのほうに向けて
ぼくの目をじっと見つめていたあの赤ちゃんも
いつか、ぼくのことを夢に見るだろうか?
ぼくがこれまで出会ったひとたちは
ぼくのことを夢に見たことがあるのだろうか?
ぼくのことを夢に見てくれただろうか?


What will you dream with us?
(Robert Silverberg, Son of Man, chap.15, p.122)


六条院の玉鬘。


What do you want out of life?
(Jack Kerouac, On the Road, PART THREE-11, p.243)


夢の浮橋


What will you dream ?
(Robert Silverberg, Son of Man, chap.15, p.122)


ものをこそおもへ。


See and die.
(Robert Silverberg, Son of Man, chap.15, p.120)


We all will die. We all will see.
(Robert Silverberg, Son of Man, chap.15, p.120)


タカヒロ
ノブユキ
ヒロくん
エイジくん
あの名前をきくことのなかった中国人青年よ
みんな、ぼくを去って
ぼくは、みんなから去って
いま
ここには
だれもいない。
いま
ここには
だれもいない


となると僕の握っているこの手は誰の手か?
(ジェイムズ・メリル『イーフレイムの書』H,志村正雄訳)


あの白い靴下も感じていただろうか?
ぼくもくやしさを。
ぼくのあこがれを。
ぼくの、ぼくの、ぼくの。
また会えるよね。
きっと、また会えるよね。
まだ会えるよね。
さもあらば、あれ。
ぼくの目に、きみの姿がよみがえる。
高校でも遠足ってあったんだよね。
遠足で、帰りに、ぼくはきみの斜め前の座席に坐ってた。
ちょっと眠かったから
ちょっと寝てたら
「あつすけ寝てるん?」
って、声がして
ぼくは、目が覚めてしまったけど
寝てるん?
っていう
山本くんの声が、そのまま、ぼくに寝たふりをさせてた。
きみは両足をあげてた。
それを甲斐くんが、自分の手のひらの上に載せて
あのガリ勉ガリ男の甲斐くんは
ぼくよりずっと頭がよかった
秀英塾でも、成績がトップだった甲斐くんが
きみの足を持って。
きみの両方の足を持って。
ぼくはきみのことが好きだったから
すごく甲斐くんのことが、うらやましかった。
すごく甲斐くんのことが、嫌いになった。
きみの
「あつすけ」と呼んでくれてたときの声がよみがえる。
声も感じてくれていたのだろうか。
ぼくのくやしさを。
ぼくのあこがれを。
きみの声が直線となって
ぼくの足もとに突き刺さる。
あのときの真っ白い靴下も直線となって
ぼくの足もとに突き刺さる。
あのときの列車といっしょに走っていた窓も
甲斐くんも、先生も、みんな直線となって
ずぶずぶと、ぼくの足もとに突き刺さる。
突き刺さる。
突き刺さるたびに
ぼくの足は後ずさる。
きみは野球部だった。
ぼくはデブだったけど
きみは、デブのぼくより、身体が大きくて
あの白い靴下を
きみの足を持った甲斐くんの声も憶えてるよ。
「しめってる。」
思い出されていく
声が、姿が、風景が
つぎつぎと直線となって
ぼくの足もとに突き刺さっていく。
ずぶずぶと、ぼくの足もとに突き刺さってゆく。
突き刺さる。
突き刺さるたびに
ぼくの足は後ずさる。
さもあらばあれ。
過去の光景が
つぎつぎと直線となって
ずぶずぶと斜めに突き刺さってゆく。
突き刺さる。
突き刺さるたびに
ぼくの足は後ずさる。
あの白い靴下も
階段に座り込んでいた高校生たちも
迷子の男の子も
あの夜の朗読会のヤリタさんの声も
パパも
ママも
タカヒロも
ノブユキも
ヒロくんも
エイジくんも
あの名前をきかなかった中国人青年も
みんな
つぎつぎと直線となって
ずぶずぶと斜めに突き刺さってゆく。
突き刺さる。
突き刺さるたびに
ぼくの足は後ずさる。


認識するとは、現実に対し然り(ヤー)を言うことだ
(ニーチェ『この人を見よ』なぜかくも私は良い本を書くのか・悲劇の誕生・二、西尾幹二訳)


「存在」は広大な肯定であって、否定を峻拒(しゅんきょ)し、みずから均衡を保ち、関係、部分、時間をことごとくおのれ自身の内部に吸収しつくす。
(エマソン『償い』酒本雅之訳)


Dream lover, won't you come to me?
Dream lover, won't you be my darling?
It's not too late or too early.
Dream lover, won't you kiss me and hold me?
Dream lover, won't you miss me and mold me?
(John Ashbery, Girls on the Run. XII, pp.28-9)


夢がまちがってることだってあるのよ
(チャールズ・ブコウスキー『狂った生きもの』青野 總訳)


間違っているかどうかなんて、そんなことが問題じゃないんだ、絶対に間違いのないようにするなんてことは、何の役にも立ちはしない、
(トンマーゾ・ランドルフィ『幽霊』米川良夫訳)


何が「きょう」を作るのか
(ジェイムズ・メリル『ページェントの台本』下・NO、志村正雄訳)


誰がお前をつくったか
(ブレイク『仔羊』土居光知訳)


だれがぼくらを目覚まさせたのか
(ギュンター・グラス『ブリキの音楽』高本研一訳)


ぼくらを待ちうけ、ぼくらを満たす夜、
(ジャック・デュパン『蘚苔類』4、多田智満子訳)


眠っているあいだも、頭ははたらいている。
(ロバート・ブロック『死の収穫者』白石 朗訳)


多くの名前が人間の夜をつぶやく
(ウィリアム・S・バロウズ『爆発した切符』シャッフル・カット、飯田隆昭訳)


ぼくらは夢と同じ生地で織られている
(ホフマンスタール『三韻詩(てるつぃーね)』川村二郎訳)


夢はきみのために来たのだ
(ホフマンスタール『冷え冷えと夏の朝が……』川村二郎訳)


「ころころところがるから
 こころって言うんだよ。」


誰が公立図書館を必要とする? それに誰がエズラ・パウンドなんかを?
(チャールズ・ブコウスキー『さよならワトソン』青野 聰訳)


ぼくは、ボードレールが書き損じて捨てた詩句のメモみたいなものが
見てみたい!


愛とは驚愕のことではないか。
(ジョン・ダン『綴り換え』湯浅信之訳)


体験に勝る教えなし。


苦しみによって喜びを知ること
(エミリ・ディキンスンの詩 一六七番、新倉俊一・鵜野ひろ子訳)


人生を知るためには、何度も何度も
天国と地獄のあいだを往復しなければならないのだ。


努力を伴わない望みは愚かしい
(エズラ・パウンド『詩篇』第五十三篇、新倉俊一訳)


理解は愛から生じ、愛は理解によって深まる。


交わりは光りを生む
(エズラ・パウンド『詩篇』第七十四篇、新倉俊一訳)


野球部だった。
キャプテンは
もうひとりの山本くんだったよね。
ぼくの山本くんは、いつもほがらかに
ニコニコしてた
家は、呉服屋さんだったかな
そいえば
着物が、とってもよく似合いそうだったね。
きみも
ぼくも
おなか
出てたもんね。
なのに
あの日
あのとき
ぼくらは
高校一年生だった
きみは
「あつすけ。
 おれな。
 双子の弟がおってな。
 そいつ
 生まれたときから、ずっと
 寝たままやねん。
 ずっと寝たまま
 目、さましたこと、ないねん。」
とても真剣な
思いつめたようなきみの顔は
なんだか
とても怖かった。
なんで、ふたりっきりになったのか
おぼえてへんけど
そのこと聞いた、ぼくが、どう思ったか
とても怖かったってことしかおぼえてないんやけど
ふだんは
ニコニコして
明るく笑ってた
ぼくの山本くんじゃなかったから
怖かった。
あのときのぼくらは
もうどこにもいないけど
「あのとき」に貼りついたまま
どこかで
いや、
「あのとき」の教室に、いるんやろうなあ。
しょっちゅう
肩を抱かれてたような気がする。
ぼくもデブだったし
きみもデブだったのに
なんだか、ふたりして、ころころしてたね。
きみの顔が
きみが怖かったのは
一度だけだったけど
その一度が
ものすごく大きい一度だった。
あのときのきみも
あのときの顔も
あのときのぼくも
あのときの話も
あのとき、きみが語った双子の弟くんも
あのときの教室も
あのとき、きみがぼくに話した理由も
その理由を、ぼくは知らないけど
理由がなくって
話をするような、きみじゃなかったから
きっと理由はあって
ぼくも
あえて、きみの顔を見て
その理由を見つけようともしなくって
その理由や
なんかも
つぎつぎと直線になって
ぼくの足もとに
突き刺さる。
ずぶずぶと突き刺さる。
突き刺さってくる。
ぼくは
後ずさりする。
そのたびに後ずさりする。


なぜ人は自分を傷つけるのが好きなんだろう?
(J・ティプトリー・ジュニア『ヴィヴィアンの安息』伊藤典夫訳)


白い靴下の山本くんも
双子の弟のことを、ぼくに言ったのは、
自分を傷つけるためだったのだろうか?


Worse, it was traditional to feel this way.
(John Ashbery, Girls on the Run. IV, p.11)


何のための生か? 何のための芸術か?
(ホフマンスタール『一人の死者の影が……』川村二郎訳)


イメージのないところには、愛は生まれない。
イメージのないところには、憎しみは生まれない。
イメージのないところには、悲しみは生まれない。
イメージのないところには、喜びは生まれない。
イメージのないところには、いかなる感情も生まれない。
イメージのないところには、いかなる現実も生まれない。
イメージのないところには、いかなる事物・事象も生まれない。
イメージのないところには、世界は生まれない。


イメージは、われわれが直接にそれを知っているものだから本モノである。
(エズラ・パウンド『ヴォーティシズム』新倉俊一訳)


においがするまで、そこに空気があることさえ気がつかないぼくだ。
突然の認識が、なにによってもたらされたのか、考えてみよう。 ひと
晩かかったのだ、この認識に達するまで。ひと晩? そうだ。夜のあい
だに、脳が働いていたに違いない。夜のあいだに、潜在意識が働いてい
てくれたのだろう。記憶にはないが、きっと、あの朗読会のことを夢に
見ていたのだろう。だから、こうして、朝、通勤電車のなかで、突然、思
い至ったのだ。くやしさが、ひとつになった。朗読会に来ていた人たち
のこころがひとつになったのだった。そこでは、くやしさというものが、
共通のもので、みんなをひとつに束ねるロープの役目を果たしていたの
であろう。ひとりひとり、みんな違ったくやしさだったと思うけれど、
くやしいという思いは共通していて、それが共感の嵐となって、あの朗
読会場を包んだのだろう。


詩はなんらかの現実を表現することを職能としない。
詩そのものがひとつの現実である。
(トリスタン・ツァラ『詩の堰』シュルレアリスムと戦後、宮原庸太郎訳)


表現においては、個人の死は個性の死ではない。個性の死が個人の死である。


具体性こそが基本である。現実を生き生きとさせ、「リアル」たらしめ、個人的に意味のあるものにするのは「具体性」なのである。
(オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』第四部、高見幸郎・金沢泰子訳)


ぼくは愚かだった。いまでも愚かで浅ましい人間だ。しかし、ときに
は、いや、まれには、それは一瞬に過ぎなかったかもしれないが、ぼく
は、やさしい気持ちでひとに接したことがあるのだ。ぼくのためにでは
なく。そんな一瞬でもないようなら、たとえどれほど物質的に恵まれて
いても、とことんみじめな人生なのではなかろうか?


Look long and try to see.
(Jack Kerouac, On the Road, PART FOUR-1, p.250)


もみの樹はひとりでに位置をかえる。
(ジャン・ジュネ『葬儀』生田耕作訳)   


変身は偽りではない
(リルケ『月日が逝くと……』高安国世訳)


事物というものは、見たあとで、見えてくるものである。


ひとつの書き言葉はひとつのイメージ、映像であり、いくつかの書き言葉は連続性をもつイメージである、すなわち動く絵(ムービング・ピクチャー)
(ウィリアム・S・バロウズ『言霊の書』飯田隆昭訳)


イメージが言葉をさがしていたのか、言葉がイメージをさがしていたのか。


Just as a good pianist will adjust the piano stool
before his recital,by turning the knobs on either side of it
until he feels he is at a proper distance from the keyboard,
so did our friends plan their day.
(John Ashbery, Girls on the Run. V, p.11)


好きな形になってくれる雲のように、もしも、ぼくたちの思い出を、
ぼくが好きなようにつくりかえることができるものならば、ぼくは、き
っと苦しまなかっただろう。けれど、きっと愛しもしなかっただろう。
星たちは、天体の法則など知らないけれど、従うべきものに従って動
いているのである。ひとのこころや気持ちもまた、理由が何であるかを
知らずに、従うべきものに従って動いているのである。と、こう考えて
やることもできる。


Lacrimoso, we can't get anything done!
Lacrimoso,t he bear has gone after the honey!
Lacrimoso, the honey drips incessantly
from the bough of a tree.
(John Ashbery, Girls on the Run. IV, pp.10-1)


 ファミレスや喫茶店などで、あるいは、居酒屋などで友だちとしゃべ
っていると、近くの席で会話している客たちのあいだでたまたま交わさ
れた言葉が、自分の口から、何気なく、ぽんと出てくることがある。無
意識のうちに取り込んでいたのであろう。しかも、その取り込んだ言葉
には不自然なところがなく、こちらが話していた内容にまったく違和感
もなく、ぴったり合っていたりするのである。異なる文脈で使用された
同じ言葉。このような経験は、一度や二度ではない。しょっちゅうある
のである。さらに驚くことには、もしも、そのとき、その言葉を耳にし
なかったら、その言葉を使うことなどなかったであろうし、そうなれば、
自分たちの会話の流れも違ったものになっていたかもしれないのであ
る。このことは、また、近くの席で交わされている会話についてだけで
はなく、たまたま偶然に、目にしたものや、耳にしたものなどが、思考
というものに、いかに影響しているのか、ぼくに具体的に考えさせる出
来事であったのだが、ほんとうに、思考というものは、身近にあるもの
を、すばやく貪欲に利用するものである。あるいは、いかに、身近にあ
るものが、すばやく貪欲に思考になろうとしているのか。


This was that day's learning.
(John Ashbery, Girls on the Run. VII ,p.15)


 蚕を思い出させる。蚕を飼っていたことがある。小学生のときのこと
だった。学校で渡された教材のひとつだったと思う。持ち帰った蚕に、
買ってきた色紙を細かく切り刻んだものや、母親にもらったさまざまな
色の毛糸を短く切り刻んだものを与えてやったら、蚕がそれを使って繭
をこしらえたのである。色紙の端切れと糸くずで、見事にきれいな繭を
こしらえたのである。それらの色紙の切れっ端や毛糸のくずを、言葉や
状況や環境に、蚕の分泌した糊のような粘液とその作業工程を、自我と
か無意識、あるいは、潜在意識とかいったものに見立てることができる
のではないだろうか。もちろん、ここでは、蚕を飼っていた箱の大きさ
とか、その箱の置かれた状態、温度や湿度、動静や、適切な明暗の
光線照射時間といった、蚕が繭をつくるのに適した状態があってこそ
のものでもあるが、これらは、自我がつねに 外界の状況とインタラク
ティヴな状態にあることを思い起こさせるものである。


Look long and try to see.
(Jack Kerouac, On the Road, PART FOUR-1, p.250)


すべては見ること
(ジョン・ベリマン『73 カレサンスイ リョウアンジ』澤崎順之助訳)


事物を離れて観念はない。
(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ『パターソン』第一巻・巨人の輪郭・I、沢崎順之助訳)


人間精神の現実的存在を構成する最初のものは、現実に存在するある個物の観念にほかならない。
(スピノザ『エチカ』第二部・定理一一、工藤喜作・斎藤 博訳)


すべての物が非常な注意をこめて一瞬一瞬を見つめている
(ジャン・ジュネ『葬儀』生田耕作訳)


事物は事物そのものが織り出した
呪文からのように僕らを見つめる。
(ジェイムズ・メリル『ミラベルの数の書』9.2、志村正雄訳)


幸運は続かないことをすべてのものが語っている
(エズラ・パウンド『詩篇』第七十六篇、新倉俊一訳)   


地上の人生、それは試練にほかならない
(アウグスティヌス『告白』第十巻・第二十八章・三九、山田 晶訳)


すべてのものにこの世の苦痛が混ざりあっている。
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)


あらゆる出会いが苦しい試練だ。
(フィリップ・K・ディック『ユービック:スクリーンプレイ』34、浅倉久志訳)


願望の虐む芸術家は幸いなるかな!
(ボードレール『描かんとする願望』三好達治訳)


 自分の心を苛むものを書き記すこともできれば、そうすることによってそれに耐えることもできるひと、その上さらに、そんなふうにして後代の人間の心を動かしたい、自らの苦痛に後代の人間の関心を惹きつけたいと望むことができるひとは幸いなるかな
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』18、菅野昭正訳)


これまで世界には多くの苦しみが生まれなければならなかった、その苦しみがこうした音楽になった
(サバト『英雄たちと墓』第I部・9、安藤哲行訳)


苦悩(くるしみ)は祝福されるのだ。
(フロベール『聖アントワヌの誘惑』第三章、渡辺一夫訳)


創造する者が生まれ出るために、苦悩と多くの変身が必要なのである。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)


そもそも苦しむことなく生きようとするそのこと自体に一つの完全な矛盾があるのだ
(ショーペンハウアー『意思と表象としての世界』第一巻・第十六節、西尾幹二訳)


苦しみは人生で出会いうる最良のものである
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)


私は自分を活気づける人たちを愛し、又自分が活気づける人たちを愛する。
われわれの敵はわれわれを活気づける。
(ヴァレリー『文学』佐藤正彰訳


わたしの敵たちもわたしの至福の一部なのだ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)


多感な心と肉体を捻じり合わせて愛に変えうるのは苦しみだけ
(E・M・フォースター『モーリス』第四部・42、片岡しのぶ訳)


苦痛が苦痛の観察を強いる
(ヴァレリー『テスト氏』テスト氏との一夜、村松 剛・菅野昭正訳)


苦しむこと、教えられること、変化すること。
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』不幸、田辺 保訳)


苦痛の深さを通して人は神秘的なものに、本質にと、達するのである。
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・消え去ったアルベルチーヌ、鈴木道彦訳)


人間には魂を鍛えるために、死と苦悩が必要なのだ!
(グレッグ・イーガン『ボーダー・ガード』山岸 真訳)


See and die.
(Robert Silverberg, Son of Man, chap.15, p.120)


聖なる魂等よ、まづ火に噛まれざればこゝよりさきに行くをえず
(ダンテ『神曲』浄火・第二十七曲、山川丙三郎訳)


すべては見ること
(ジョン・ベリマン『73 カレサンスイ リョウアンジ』澤崎順之助訳)


だれかがノイズになっているよ。
こくりと、マシーンがうなずいた。
それは、言葉ではなく、言葉と言葉をつなぐもののなかに吸収されていった。


創造性とは、関係の存在しないところに関係を見出す能力にほかならない。
(トマス・M・ディッシュ『334』ソクラテスの死・4、増田まもる訳)


なにそれ?
(ケリー・リンク『飛行訓練』七、金子ゆき子訳)


それ、ほんと?
(ジョン・クリストファー『トリポッド 2 脱出』2、中村 融訳)


ほんとに?
(ジェイムズ・メリル『ミラベルの数の書』1.9、志村正雄訳)


もしも視界を広げたら、ものはすべて似たものばかりだ。
(エマソン『霊の法則』酒本雅之訳)


なにものにも似ていないものは存在しない。
(ヴァレリー『邪念その他』P,清水徹訳)


自然界の万障は厳密に連関している
(ゲーテ『花崗岩について』小栗 浩訳)


一つの広大な類似が万物を結び合わせる、
(ホイットマン『草の葉』夜の浜辺でひとり、酒本雅之訳)


類似関係(アナロジー)を感知する
(ボードレール『エドガー・ポーに関する新たな覚書』阿部良雄訳)


類似の本能だけが、不自然ならざる唯一の行動指針である。
(ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)


類似の対象を全体的に、また側面から観察すること
(ゲーテ『『プロピュレーエン』への助言』小栗 浩訳)


明白な類似から出発して、あなたがたはさらに秘められた別の類似へとむかってゆく
(マルロー『西欧の誘惑』小松 清・松浪信三郎訳)


流れは源を示すもの。
(ジョン・ダン『聖なるソネット』17、湯浅信之訳)


木の葉はいつ落ちたのだろう?
(マイケル・スワンウィック『大潮の道』12、小川 隆訳)


 物質ないし因果性──この二つは同一であるから──が主観の側において相関的に対応しているものは、悟性(ヽヽ)である。悟性はそれ以外のなにものでもない。因果性を認識すること、これが悟性の唯一の機能であり、また悟性にのみある力である。
(ショーペンハウアー『意思と表徴としての世界』第一巻・第四節、西尾幹二訳)


観念の秩序と連結は、ものの秩序と連結と同じである。
(スピノザ『エチカ』第二部・定理七、工藤喜作・斎藤 博訳)


 万物はいかにして互いに変化し合うか。これを観察する方法を自分ののにし、耐えざる注意をもってこの分野における習練を積むがよい。実にこれほど精神を偉大にするものはないのである。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第一〇章・一一、神谷美恵子訳)


人間には自分の環境の特徴を身につける傾向がある。
(イアン・ワトスン『寒冷の女王』黒丸 尚訳)


めぐりのものがみな涙を流すとき──おまえもまた涙をながす──そうでないはずはない。
おまえがため息をついているとき、風もまたため息をもらす。
(エミリ・ブロンテ『共感』村松達雄訳)


いままでに精神も徳も、百千の試みをし、道にまよった。そうだ、人間は一つの試みだった。ああ、多くの無知とあやまちが、われわれの肉体となった。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部、手塚富雄訳)


およそ世に存在するもので、除去してよいものなど一つとしてない。無くてもよいものなど一つとしてない。
(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも良い本を書くのか・悲劇の誕生・二、西尾幹二訳)


魂と無縁なものは何一つ、ただの一片だって存在しない
(ホイットマン『草の葉』ポートマクからの旅立ち・12、酒本雅之訳)


万物は語るが、さあ、お前、人間よ、知っているか
何故万物が語るかを? 心して聞け、それは、風も、沼も、焔も、
樹々も蘆も岩根も、すべては生き、すべては魂に満ちているからだ。
(ユゴー『闇の口の語り資子と』入沢康夫訳)


兄弟よ! しかするなかれ、汝も魂汝の見る者も魂なれば。
(ダンテ『神曲』浄火・第二十一曲、山川丙三郎訳)


愛の道は
愛だけが通れるのです。
(カルロス・ドルモン・ジ・アンドラージ『食卓』ナヲエ・タケイ・ダ・シルバ訳)


魂だけが魂を理解するように
(ホイットマン『草の葉』完全な者たち、酒本雅之訳)


詩人を理解する者とては、詩人をおいてないのです。
(ボードレールの書簡、1863年10月10日付、A・C・スィンバーン宛、阿部良雄訳)


日知庵で飲んでいると
作家の先生と、奥さまがいらっしゃって
それでいっしょに飲むことになって
いっしょに飲んでいたのだけれど
その先生の言葉で
いちばん印象的だったのは
「過去のことを書いていても
 それは単なる思い出ではなくってね。
 いまのことにつながるものなんですよ。」
というものだった。
ぼくがすかさず
「いまのことにつながることというよりも
 いま、そのものですね。
 作家に過去などないでしょう。
 詩人にも過去などありませんから。
 あるいは、すべてが過去。
 いまも過去。
 おそらくは未来も過去でしょう。
 作家や詩人にとっては
 いまのこの瞬間すらも、すでにして過去なのですから。」
と言うと
「さすが理論家のあっちゃんやね。」
というお言葉が。
しかし、ぼくは理論家ではなく
むしろ、いかなる理論にも懐疑的な立場で考えている者と
自分のことを思っていたので
「いや、理論家じゃないですよ。
 先生と同じく、きわめて抒情的な人間です。」
と返事した。
いまはむかし。
むかしはいま。
って、大岡 信さんの詩句にあったけど。
もとは古典にもあったような気がする。
なんやったか忘れたけど。
きなこ。
稀な子。
「あっちゃん、好きやわあ。」
先生にそう言われて、とても恐縮したのだけれど
「ありがとうございます。」
という硬い口調でしか返答できない自分に、ちょっと傷つく。
自分でつけた傷で、鈍い痛みではあったのだけれど
生まれ持った性格に起因するものでもあるように思い
こころのなかで、しゅんとなった。
表情には出していなかったつもりだが、たぶん、出ていただろう。
きなこ。
稀な子。
勝ちゃんの言葉が何度もよみがえる。
しじゅう聞こえる。
「ぼく、疑り深いんやで。」
ぼくは疑り深くない。
むしろ信じやすいような性格のような気がする。
「ぼく、疑り深いんやで。」
勝ちゃんは何度もそう口にした。
なんで何度もそう言うんやろうと思うた。
一ヶ月以上も前のことやけど
日知庵で飲んでたら
来てくれて
それから二人はじゃんじゃん飲んで
酔っぱらって
大黒に行って
飲んで
笑って
さらに酔っぱらって

タクシーで帰ろうと思って
木屋町通りにとまってるタクシーのところに近づくと
勝ちゃんが
「もう少しいっしょにいたいんや。
 歩こ。」
と言うので
ぼくもうれしくなって
もちろん
つぎの日
二人とも仕事があったのだけれど
真夜中の2時ごろ
勝ちゃんと
四条通りを東から西へ
木屋町通りから
大宮通りか中新道通りまで
ふたりで
手をつなぎながら歩いた記憶が
ぼくには宝物。
大宮の交差点で
手をつないでるぼくらに
不良っぽい二人の青年に
「このへんに何々家ってないですか?」
とたずねられた。
不良の二人はいい笑顔やった。
何々がなにか、忘れちゃったけれど
勝ちゃんが
「わからへんわ。
 すまん。」
とか大きな声で言った記憶がある。
大きな声で、というところが
ぼくは大好きだ。
ぼくら、二人ともヨッパのおじさんやったけど
不良の二人に、さわやかに
「ありがとうございます。
 すいませんでした。」
って言われて、面白かった。
なんせ、ぼくら二人とも
ヨッパのおじさんで
大声で笑いながら手をつないで
また歩き出したんやもんな。
べつの日
はじめて二人でいっしょに飲みに行った日
西院の「情熱ホルモン!」やったけど
あんなに、ドキドキして
食べたり飲んだりしたのは
たぶん、生まれてはじめて。
お店いっぱいで
30分くらい
嵐電の路面電車の停留所のところで
タバコして店からの電話を待ってるあいだも
初デートや
と思うて
ぼくはドキドキしてた。
勝ちゃんも、ドキドキしてくれてたかな。
してくれてたと思う。
ほんとに楽しかった。
また行こうね。
きなこ。
稀な子。
ぼくたちは
間違い?
間違ってないよね。
このあいだ
エレベーターのなかで
ふたりっきりのとき
チューしたことも
めっちゃドキドキやったけど
ぼくは
勝ちゃん
ぼくの父が死んだのが
平成19年の4月19日だから
逝くよ
逝く
になるって、前に言ったやんか

それが
朝の5時13分だったのね
あと2分だけ違ってたら
ゴー・逝こう
5時15分でゴロがよかったんだけど
そういえば
ぼく
家族の誕生日
ひとりも知らない。
前恋人の誕生日だったら覚えてるのに
バチあたりやなあ。
まるで太鼓やわ。
太鼓といえば
子どものとき
よく
自分のおなかをパチパチたたいてた
たたきながら
歌を歌ってたなあ
ハト・ポッポーとか
千本中立売通りの角に
お酒も出す
タコジャズってタコ焼き屋さんがあって
30代には
そこでよくお酒を飲んでゲラゲラ笑ってた。
よく酔っぱらって
店の前の道にひっくり返ったりして
ゲラゲラ笑ってた。
お客さんも知り合いばっかりやったし
だれかが笑うと
ほかのだれかが笑って
けっきょく、みんなが笑って
笑い顔で店がいっぱいになって
みんなの笑い声が
夜中の道路の
そこらじゅうを走ってた。
店は夜の7時から夜中の3時くらいまでやってた。
朝までやってることもしばしば。
そこには
アメリカにしばらくいたママがいて
ジャズをかけて
「イエイ!」
って叫んで
陽気に笑ってた。
ぼくたちの大好きな店だった。
4、5年前かなあ。
店がとつぜん閉まった。
1ヶ月後に
激太りしたママが
店をあけた。
その晩は、ぼくは
恋人といっしょにドライブをしていて
ぐうぜん店の前を通ったときに
ママが店をあけてたところやった。
なんで休んでたのかきいたら
ママのもと恋人がガンで入院してて
その看病してたらしい。
ママには旦那さんがいて
旦那さんは別の店をしてはったんやけど
旦那さんには内緒で
もと恋人の看病をしていたらしい。
でも
その恋人が1週間ほど前に亡くなったという。
陽気なママが泣いた。
ぼくも泣いた。
ぼくの恋人も泣いた。
10年ぐらい通ってた店やった。
タコ焼きがおいしかった。
そこでいっぱい笑った。
そこでいっぱいええ曲を知った。
そこでいっぱいええ時間を過ごした。
陽気なママは
いまも陽気で
元気な顔を見せてくれる。
ぼくも元気やし
笑ってる。
ぼくらは
笑ったり
泣いたり
泣いたり
笑ったり
なんやかんや言うて
その繰り返しばっかりやんか
人間て
へんな生きもんなんやなあ。
ニーナ・シモンの
Here Comes the Sun
タコジャズに来てた
東京の代議士の息子が持ってきてたCDで
はじめて、ぼくは聴いたんやけど
ビートルズが、こんなんなるんかって
びっくりした。
親に反発してた彼は
肉体労働者してて
いっつもニコニコして
ジャズの大好きな青年やった。
いっぱい
いろんな人と出会えたし
別れた
タコジャズ。
ぼく以外のだれかも
タコジャズのこと書いてへんやろか。
書いてたらええなあ。
ビッグボーイにも思い出があるし
ザックバランもええとこやったなあ。
まだまだいっぱい書けるな。
いっぱい生きてきたもんなあ


There's so many things to do, so many things to write!
(Jack Kerouac, On the Road, PART ONE-1, p.7)


No ideas but in things
事物を離れて観念はない
(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ『パターソン」第一巻・巨人の輪郭 I、沢崎順之助訳)


「物」をじかに扱うこと。
(エズラ・パウンド『回想』新倉俊一訳)


何年前か忘れたけれど
マクドナルドで
100円じゃなく
80円でバーガーを売ってたときかな
1個だけ注文したら
「それだけか?」
って、バイトの男の子に言われて
しばし
きょとんとした。

何も聞こえなかったふりをしてあげた。
その男の子も
何も言ってないふりをしてオーダーを通した。
このことは
むかし
詩に書いたけれど
いま読んでる『ドクター・フー』の第4巻で
「それだけか?」
って台詞が出てきたので
思い出した。
きのう、帰りの電車の窓から眺めた空がめっちゃきれいやった。
あんまりきれいやから笑ってしもうた。
きれいなもの見て笑ったんは
たぶん、生まれてはじめて。
いや、もしかすると
ちっちゃいガキんちょのころには
そうやったんかもしれへんなあ。
そんな気もする。
いや、きっと、そうやな。
いっつも笑っとったもんなあ。
そや。
オーデコロンの話のあとで
頭につけるものって話が出て
いまはジェルやけど
むかしはチックとかいうのがあってな
父親が頭に塗ってたなあ
チックからポマードに
ポマードからジェルに
だんだん液体化しとるんや。
やわらかなっとるんや。


「知っている」とは、ひとつの度合いに他ならない。
──存在せんがための度合いに。
(ヴァレリー『残肴集(アナレクタ)』八七、寺田 透訳)


すべては見ること
(ジョン・ベリマン『73 カレサンスイ リョウアンジ』澤崎順之助訳)


吉岡 実 の『薬玉』を
湊くんが東京の神田で見つけてくれました
いま、湊くんから電話があって
神田の神保町に来てるんですけど
『薬玉』
きれいな状態で、3500円ですけど、どうしましょうって。
即答した。
買って、買って、買って。
と言った。
うれしい。
日本人の書いた詩集で
ぼくがいちばん欲しかったもの。


問うのは答を得るためだ。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラット諸君を求む』14、那岐 大訳)


そなの?
そだったの?
詩人の役目は、
ありふれた問いに対して、新たな切り口で問いかけ直すことじゃないの?
答え自体が、新たな問いかけになっているのよ。


There were plenty of queers.
(Jack Kerouac, On the Road, PART ONE-11, p.73)


どうだろう、ゲイに転向するというのは?
(J・ティプトリー・ジュニア『大きいけれども遊び好き』伊藤典夫訳)


夜には昼に教えることがたくさんあるというし、
(レイ・ブラッドベリ『趣味の問題』中村 融訳)


ぼくはいま詩を生きている。夜はぼくのものだ。
(ティム・パワーズ『石の夢』下・第二部・第十八章、浅井 修訳)


だれかがノイズになっているよ。
マシーンが、こくりとうなずいた。
それは言葉ではなく、言葉と言葉をつなぐものに吸収されてしまった。


ウサギがいるよ。
(ジェイムズ・P・ブレイロック『魔法の眼鏡』第三章、中村 融訳)


弟の夢を見た。
部屋の隅にいて
お茶のペットボトルと
シュークリームのいくつか入った袋を目の前に置いて
弟が座っていた。
まだ小さな子どもだった。
かわいらしい弟を抱きしめて齢をきいた。
「いくつになったの?」
「ななつ」
ぼくは、かわいい弟を抱きしめた。
弟は写真を持っていた。
ぼくが付き合っていた男の子の写真だった。
ただにっこりと笑っている顔だったけれど。
無垢な弟は、ただその小さな手に写真を持っていただけだった。
「あっちゃんのお友だちやで」
弟が笑った。
天使のようにかわいらしい弟だった。
目が覚めた。
弟を発狂させた継母のことを思った。
地獄に落ちて死ねばいいと。
はやく地獄に落ちて死ねばいいと。
いま喘息で苦しんで生きているけれど
もっと苦しんで死ねばいいのだ。
父親は、平成19年に死んだ。
ぼくがこころから憎んでいた人間は
2人しかいない。
第一番目の父親はガンで死んだ。
十分に苦しんだだろうか。
そして弟は
無垢な子どものときの姿にもどって
幸せになって欲しい。
ノドに包丁を突きつけたり
自分の体に傷をつけたり
そんなことは忘れて
かわいらしい子供のときの姿に戻って
天国に行って欲しい。
こんな願いを聞き届けてくれる神さまなんていないだろうけど
ぼくは、こころから願っている。
無垢でかわいらしい弟を抱きしめて
ぼくは泣いた。
自動カメラ。
ヒロくんが
自動カメラをセットして
ぼくの横にすわって
ニコ。
ぼくの横腹をもって
ぼくの身体を抱き寄せて
フラッシュがまぶしくって
終わったら、ヒロくんが顔を寄せてきた
ぼくは立ち上ろうとした
ヒロくんは人前でも平気でキッスするから
イノセント
なにもかもがイノセントだった
写真に写っているふたりよりも
賀茂川の向こう側の河川敷に
暮れかけた空の色のほうが
なんだか、かなしい。
恋人たち
えいちゃんと、ぼく。
「宇宙人みたい」
「えっ?」
ぼくは、えいちゃんの顔をさかさまに見て
そう言った。
「目を見てみて」
「ほんまや、こわっ!」
「まるで人間ちゃうみたいやね」
よく映像で
恋人たちが
お互いの顔をさかさに見てる
男の子が膝まくらしてる彼女の顔をのぞき込んでたり
女の子が膝まくらしてる彼氏の顔をのぞき込んでたりしてるけど
まっさかさまに見たら
まるで宇宙人みたい
「ねっ、目をパチパチしてみて。
 もっと宇宙人みたいになる」
「ほんまや」
もっと宇宙人!
ふたりで爆笑した。
数年前のことだった。
もうふたりのあいだにセックスもキスもなくなってた。
ちょっとした、おさわりぐらいかな。
「やめろよ。
 きっしょいなあ」
「なんでや?
 恋人ちゃうん? ぼくら」
「もう、恋人ちゃうで」
「えっ?
 ほんま?」
「うそやで。
うそやなかった。
それでも、ぼくは
i think of you
i cannot stop thinking of you
なんもなくなってからも
1年以上も
恋人やと思っとった。
土曜日たち。
はなやかに着飾った土曜日たちにまじって
金曜日や日曜日たちが談笑している。
ぼくのたくさんの土曜日のうち
とびきり美しかった土曜日と
嘘ばかりついて
ぼくを喜ばせ
ぼくを泣かせた土曜日が
カウンターに腰かけていた。
ほかの土曜日たちの目線をさけながら
ぼくはお目当ての土曜日のそばに近づいて
その肩に手を置いた。
その瞬間
耳元に息を吹きかけられた。
ぼくは
びくっとして振り返った。
このあいだの土曜日が微笑んでいた。
お目当ての土曜日は
ぼくたちを見て
コースターの裏に
さっとペンを走らせると
ぼくの手に渡して
ぼくたちから離れていった。
期末テスト前だから
放課後に補習をしているのだけれど
そこで、ぼくの板書についての話になって
それから、その板書を消すときの話にうつって
「数学の先生って
 黒板の消し方
 みんないっしょやわ。」
「えっ? 
 そなの?
 ぼくは、ほかの先生がどう消してらっしゃるのか
 見たことないから知らないけど。」
「横にまっすぐいって
 すぐ下にいくの。
 それから反対の方向に
 またまっすぐ横にすべらせていくの。
 だから、さいごには
 黒板に横線がいっぱいできるのよ。」
「ほかの教科の先生は
 横に消していかれないの?」
「英語の先生は斜めに消さはるひとが多いわ。」
「でも、国語だったら、縦が合理的じゃないかなあ?」
なんて話をしていました。
ごくふつうにある話なんだろうけれど
ぼくにはおもしろかった。
「数学の先生が、みんないっしょ」というところが、笑。
100円オババは、道行くひとに
「100円、いただけませんか?」
と言って歩いていたのだけれど
まあ、早い話が
歩く女コジキってとこだけど
あるとき、父親と、すぐ下の弟と
祇園の石段下にあった(いまもあるのかな)
初音という店に入って
それぞれ好きなものを注文して食べていると
その100円オババが、店のなかに入ってきて
すぐそばのテーブルに坐って
財布から100円硬貨をつぎつぎに取り出して
お金を数えていったので
びっくりした。
「あれも、仕事になるんやなあ。」
 と父親がつぶやいてたけど
ぼくは
ぜんぜん腑に落ちなかった。
顔を寄せる3人のものたち。
12時半に寝て
2時半に起き
パソコンを起動し
文学極道をのぞいて
だれか見てくれていたかチェックして
会話のところが
一段行頭落としをしていなかったから
それを直して
またパソコンを切って
部屋を暗くしていたら
うとうとしていたら
さっき
3人くらいのものたちが
部屋にはいってきて
顔を寄せてきたので
わっと思って
照明のスイッチを入れた。
3人の姿はなかった。
怖かった。
むかしはデンキをつけたまま寝てた。
消すと、よくひとの気配がして怖かったからだ。
ひさしぶりである。
しかし、3人は多すぎる。
いままで、もう、何度も、何度も
飛翔する夢を見てきた。
けさも、街のうえを飛んでいた。
きのう寝る前に1錠よけいに精神安定剤を服用したせいか
眠りがここちよかった。
おとつい、テーブルの上においていたクスリが1錠すくなかったのだが
そのときには見つからず
4錠で眠りについたのだった。
おとついの眠りは浅かった。
12時すぎに飲んで3時過ぎに目が覚めたのだった。
しかし、けさは、一度目に目がさめたときは5時くらいで
もう一度、横になっているときに
飛翔する夢を見ていたのだった。
街のうえでは、わりとスピードがはやかったのだが
いつのまにか、砂地のうえを
砂地のつづく地面のうえを飛んでいた。
ゆっくりとスピードが落ちていき
地面すれすれになると
ぼくは手を胸の前にだして
とまる準備をした。
ぼくが地面のうえを浮かんで
地面のほうが動いているような感じに思えた。
手が地面についた
そこで目が覚めた。
そして、ようやく、ぼくは気がついたのだった。
いままで、ぼくが飛翔していたと思っていたのだけれど
ぼくは地面のうえに浮かんでいただけで
街のほうが
砂地の地面のほうが動いていたのだった。
まさしく、そういった感じだったのだ。
これも、ゆっくりとスピードが落ちていき
ぼくが徐々に地面に近づいていったから
わかったことだと思うのだけれど
スピードが異なると解釈が異なるという体験は
おそらく初めてのことだと思う。
少なくとも夢のなかでの出来事を観察してのことでは。
これから、夢も、起きているあいだのことも
より示唆に観察しなければならないと思った。
スピードが、着目する点になることがあるとは
ほんとに意外だった。
紙くずを屑入れにほうり投げた。
丸めた紙くずが屑入れの端っこにあたって転がった。
ぼくは転がらなかった。
しかし、ぼくは、まるで自分が落ちて転がったかのように感じたのであった。
あらちゃんが、ぼくのことを心配して部屋に来てくれたとき
朗読会の帰り、自転車で戻ってくる途中で、西大路丸太町のバス停のベンチの上に
ちょうど切断された頭のような形の風呂敷包みが置かれていたことを話した。
ずいぶん、むかし、ゲイ・スナックにきてた
花屋の店員が言ったことだったか
それとも、本で読んだことだったのか
忘れてしまったのだけれど
切花を生き生きとさせたいために
わざと、切り口を水につけないで
何日か、ほっぽっておいて、かわかしておくんだって。
それから、切り口を水にさらすんだって。
すると、茎が急に目を醒ましたように水を吸って
花を生き生きと咲かせるんですって。
さいしょから
たっぷりと水をやったりしてはいけないんですって。
そうね。
花に水をやるって感じじゃなくって
あくまでも、花のほうから水を求めるって感じで
って。
なるほどね。
ぼくが作品をつくるときにも
さあ、つくるぞって感じじゃなくて
自然に、言葉と言葉がくっついていくのを待つことが多いもんね。
あるいは、さいきん多いんだけど
偶然の出会いとか、会話がもとに
いろいろな思い出や言葉が自動的に結びついていくっていうね。
ああ
なんだか
いまは、なにもかもが、詩論になっちゃうって感じかな。


Other dreams.
(John Ashbery, Girls on the Run. XII, p.28)


You can go.
(John Ashbery,Girls on the Run. VIII, p.17)


まだなにか新しいものがある。
(スティーヴン・バクスター『時間的無限大』16、小野田和子訳)


兎の隣には鹿がいる。
(クリフォード・D・シマック『中継ステーション』7、船戸牧子訳)


きみはまたぼくと会うことになる
(ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』5、友枝康子訳)


こんどは何を知ることになるだろう?
(クリフォード・D・シマック『中継ステーション』5、船戸牧子訳)

文学極道

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