もう十年もタバコを吸っていない。
健康のためだったか、タバコを吸う自分との決別であったか、確かそんな理由だった。
今ではタバコも高価な代物となり、止めて良かったんだ、そう思うようにしている。
エアーギターならぬ、エアータバコをしてみようと外に出る。
散歩は良くする。犬がいるからだが、でも犬は連れて行きたくない。
夕焼けはたしかに美しかった。
これから生まれ変わることができるなら、犬は連れて行かない、そう考えることにした。
県道の脇には、本来初夏に花をつける雑草が花をつけている。もう、本格的な秋が来るというのに。
その草たちは、初夏の頃、一度刈られ、苦い汁をこぼし車道の横にしなだれた。そしてまた二度目の花をつけようとしている。洋々と秋の風を浴び、草はみずみずしい体に露をたくわえ揺れている。
あるはずもない、胸ポケットに手をやる。懐かしいセブンスターズのパッケージを取り出し、銀色の帯を解き、香り立つ乾燥葉の甘い匂いと真新しい巻紙の匂いをかぐ。
ゆらゆら揺れる透明な百円ライターの液体燃料が秋の風景を灯す。
呼吸を止め、口の中に息を吸引しながらライターの火をつける。七割の煙をそのまま吐き出し、残りの三割を静かに慎重に肺に送る。
たしか、タバコを止めたのは二〇〇二年五月二十三日・・・だった。
一度目の煙を吐き出すとその年の事柄を思い出していた。二度目の煙はその次の年のこと、三度目、四度目、久しく吸っていなかった薬物が体内に注入され、顔面が蒼白になるとともに、あらゆる内臓がすべて呼気とともに外に押し出され、ただの薄い皮と空間だけの体になってしまったようだ。
オニヤンマはしきりに周りをホバリングし、ジジジジッと顔の前で一旦静止し、顔色をうかがうと、すぐさまびゅるりと向きを変え、茜の向こうへと立ち上がっていった。
夕刻に散歩に出たのだが、日が翳り、闇が訪れるのはすごく早くなった。
フィルター近くまでタバコを吸うと、アスファルトの白線の外側に捨て、サンダルで擦りつけながら踏み潰した。昔は普通にタバコを捨てて踏み潰していた。今はゴミ一つ捨てたりはしない。
ありもしない残像を踏み潰したのだからゴミにはならない。
すると、川の音がし、そこにカワガラスの単発的な声が混ざり、いつしか、草も、草を取り巻く空間と静けさも、すべてが一緒くたに僕の体に再び内臓のように分け入ってくる。
ヤニのついた黄色いはずの指は白く、胸ポケットは失せ、口の中のタールの匂いはなくなっていた。
もしかすると、あの時にタバコをやめていなかったらどうなっていたんだろう。健康を害し死んでいただろうか。でも、僕はあの時、タバコを吸う自分との決別をし、まるで勢いのなくなったこの秋の夕闇の風のようにもう一つの自分を失ってしまったのかもしれない。
ふと、ポケットから人差し指と中指を暗くなった闇にかかげてみた。
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作品 - 20121029_267_6441p
- [佳] あれから - 山人 (2012-10)
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あれから
山人