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作品 - 20121027_239_6438p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


In The Real World。/どこからも同じくらい遠い場所。

  田中宏輔




 濫読の時期は過ぎた、といえるのかどうか、それはわからないけれど、少なくとも、一日に一冊は読むという習慣はなくなってしまった。ヘミングウェイの作品のタイトルではないが、何を見ても何かを思い出す、とまではいかなくとも、本を読んでいると、だいたい、二、三ページもいかないうちに、まあ、ときには、数行ごとに、まれには、数語ごとに、本を伏せて、あるいは、栞をはさんで本を閉じ、思い出そうとしているものの正体がはっきりするまで、しばしのあいだ、思いをめぐらすことが多くなってきたのである。このとき、目を閉じていることはあまりなくて、おおかたは、目のまえにあるパソコン二台を見つめながらのことが多いのである。手前のパソコンはネットにつねに接続してあって、自分のものや他人のもののブログやツイッターやミクシィやfacebookや文学極道の詩投稿掲示板や文学極道のフォーラムなどのページを開けていることが多く、後ろのパソコンはDVDやCDを再生させるために開けていて、つねに映像か音楽が流れている。起きているあいだに、この二台のパソコンのスイッチが切られることは、まずなくて、寝るまえに、精神安定剤と睡眠導入剤を服用するまでつきっぱなしである。ここ五、六年ばかりのあいだ、処方されるクスリは同じもので、ラボナ、ロヒプノール、ピーゼットシー、ワイパックス、ハルシオンの五錠である。きょうの夜から一錠、ロゼレムが増える。このクスリは大丈夫だろうか。薬局のひとの話では、このロゼレムというクスリは、一年まえに開発されたクスリで、睡眠のリズムを整えるものらしく、ほかの五錠のクスリのように、脳に直接アタックするものではないとのことだった。そうか、ほかの五錠のクスリは、脳に直接アタックするのか、怖い話だなと思ったのだが、六、七年ほどまえのあるときに、睡眠障害がひどくなって、そのとき服用していたクスリでは眠れなくなったので、かかりつけの神経科の医師に相談すると、ジプロヘキサというクスリを処方されてのんでみたのだが、十六時間昏睡してしまった。十六時間も眠っていると、体調がおかしくなるのだとはじめて知った。目がさめたとき、ものすごくしんどくて、まったく身体を動かすこともできず、手でさえ動かすこともむずかしくて、指先に力も入らず、これはどうしたことだろうと思って、さらにはっきり目がさめるまで、おそらくはそれほど時間は経っていなかったのであろうが、自分の感覚的な時間では、一時間以上ものあいだ、指をふるわせて、正常な感覚が戻るのを待っていたのであった。しばらくたって、ようやく指の感覚が戻ってきたときでも、身体はまったく動かせなかった。まるで一挙に体重を何十倍ほども増したかのような感じで、身体が重たくて重たくて仕方なかったのである。じょじょに身体の感覚が戻るのに要した時間がどれほどだったのか、正確にはわからないが、目がさめてから、現実時間で一時間以上は経っていただろう。自分の感覚では、数時間以上だった。ようやく時計を見ることができたときには、驚かされた。眠っていた時間は、どう計算しても、十六時間以上あったのである。新しく処方されたジプロヘキサのせいだと思い、その日のうちに、通っている神経科医院に行き、処方してもらった先生に、この症状を報告すると、先生は、「クスリが合わなかったみたいですね。」とおっしゃるだけで、「あのう、このクスリ、こわいので、捨てておきます。」と、ぼくの方から言わなければならなかった。万が一、変な気を起こして、ぼくがそれを大量にのむことができないようにである。まあ、医院に行くまえに、捨てていたのだけれど。大量のジプロヘキサを服用したら、簡単に死ねるからである。医院に行くまえに、パソコンでジプロヘキサのことを調べたら、血糖値の高い患者が服用すると死ぬことがあって、死亡例が十二例ほどあったのである。ぼくも血糖値が高くて、境界性の糖尿病なのだが、神経科の医師には、ぼくの血糖値が高いことは話してなかったのである。ときどき、捨てなかったらよかったなと思うことがある。いつでも死にたいときに死ねるからだけど、いや、やはり、どんなに身体が痛いときにでも(心臓のあたりがキリキリ痛むことがあるのだ)、神経がピリピリするときにでも(側頭部やこめかみの尋常でない痛みに涙が出ることがあるのだ)、膝が痛くて脚を引きずっているときにも、また、いま嗅覚障害でにおいがほとんどわからないのだが、そういったことにも、意味があると思って、思い直して、自ら死ぬんだなんて、なんていうことを考えるのだろう、この痛みから見えるものの豊かさに思いを馳せろと自分に言うのだが、言い聞かせるのだが、それでも、ときどき揺れ戻しがあるのである。そういうときには、こころが元気になるように、本棚から適当に本を選んで抜き取り、それを読むことにしている。けさ選んで抜き取って手にした本は、岩波文庫から出ているボルヘスの「伝奇集」というタイトルのものだった。買ったときの伝票の裏に、つぎのようなメモをしたためていた。1999年8月14日、土曜日、午後12時27分購入、と。ぼくは、手にしたボルヘスを読むことにして、BGMに、ピンクフロイドの WISH YOU WERE HERE のCDを、後ろのパソコンに入れて再生させた。読みはじめてすぐに、本の2ページ目、プロローグの最後の行、というよりも、そのプロローグが、ボルヘスによって書かれた、つまり、書き終えられた、という、いや、もっと正確に言えば、ボルヘスが書き終えた、と書きつけている日付に目が引きつけられたのであるが、引きつけられて、はた、と思い至り、読んでいたボルヘスの「伝奇集」を伏せた。


一九四一年一月十日、ブエノスアイレスにて


 ぼくの誕生日が、一九六一年の一月十日であることは、以前に、「オラクル」という同人誌に発表した詩のなかに書いたことなので繰り返すのははばかれるのだが、発表される場が違うこと、また、発表される媒体そのものが異なることから、ふたたび、ここで取り上げることにする。ぼくが、ぼくの第一詩集の奥付に書きつけた、ぼくの誕生日の日付が、一九六一年一月十二日であるのは、ぼくの父が、ぼくの出生届を出しに役所に行った際に、その提出した書類に、ぼくが生まれた日付ではなくて、ぼくが生まれた日付を書く欄に、その書類を提出したその日の日付を書いて出したからなのだが、このいきさつについては、何年か前に、実母からぼくに連絡があるようになって、はじめて知ったものであるが、それは、すなわち、ぼくの父が、ぼくを長いあいだ、ずっと欺いてきたということである。そのときには、強い憤りのようなものを感じたものの、その父も少し前に亡くなり、いまぼくも五十一歳になって、あらためて考え直してみると、父が自分の過ちを訂正することなく、そのまま放置していたおいたことも、父が父自身の人生に対して持っていた特別な感情、これをぼくは何と名づければよいのかまだよくわからないのであるが、何か、「あきらめ」といった言葉で表せられるような気がするのであるが、かといって、「あきらめ」という、ただ一つの言葉だけでは書き表わせられないところもあるような気もする父のこころの在り方を思い起こすと、当時、ぼくの胸のなかに噴き上げた、あの怒りの塊は、いまはもう、二度と噴き上げることはない。なくなっている。もしかしたら、ぼく自身のこころの在り方が、いまのぼくのこころの在り方が、生きていたころの、とくに晩年の父のこころの在り方に近づいているからなのかもしれない。いや、きっと、そうなのであろう。いまになって、そう思われるのである。不思議なものだ。ボルヘスの本を取り上げなければ、こんなことなど考えもしなかったであろうに。
 伏せたボルヘスの本に目をやると、それをひっくり返して、ふたたび目を落とした。


一九四一年十一月十日、ブエノスアイレスにて


 一月十日ではなかったのだった。いったい何が、ぼくに、一月十日だと読み誤らせたのであろうか。無意識層のぼくだろうか。それとも、父の霊か、ボルヘスの霊だろうか。まさか。だとすると、ボルヘスの言葉は、霊的に強力なものであることになる。そういう作品をいくつも書いているボルヘスではあるが。
 ふと気がつくと、スピーカーからは、 Shine on Crazy Diamond の Part I の出だしが流れていた、ピンクフロイドのこのアルバムのなかで、ぼくがいちばん好きなところが流れていた。





 きょうは、何だか、あさから、気がそわそわしていた。気持ちが落ち着かなかった。きのう、ことし出す詩集の「The Wasteless Land.VII」の二回目の校正を終えて、出版社に郵送したからかもしれない。やるべきことはやった、という思いからだろうか。読んでいたボルヘスの本に革製のブックカヴァーをかけて、リュックのなかに入れて、出かける用意をした。
 阪急電車のなかで、ボルヘスのつづきを読んでいると、42ページから43ページにかけて、つぎのような文章が書かれていた。


不敬にも彼は父祖伝来のイスラム教を信じていないが、しかし陰暦一月十日の夜も明けるころ、イスラム教徒とヒンズー教徒との争いに巻きこまれる。


 またしても、一月十日である。いや、プロローグのところでは、十一月十日であったので、またしても一月十日ではなかったのであるが、しかし、またしても一月十日である、と思われたのである。プロローグのところでは、はじめに見たときに、一月十日と、見誤っていたのであった。そのため、まるで胸のなかに、ものすごく重たいものが吊り下がったかのように感じられたのであった。
 西院駅から阪急電車に乗り、梅田駅に向かっていたのだが、桂駅を越えてしばらくしたころ、ふたたび、「一月十日」という記述を目にした。


一月十日の二枚の絵が


「一月十日」という言葉がある42ページと50ページの、ページの耳を折り、リュックのなかにしまうと、腕を組んで、すこしのあいだ、眠ることにした。幼いころから、乗り物に乗ると、すぐに居眠りする癖があったあのだが、ただ、子どものころのように、完全に熟睡するということはめったになくなっていて、いまでは、半分眠っていて、半分起きている、といった感じで居眠りすることが多くて、本能的なものなのか、それとも、ただ単に生理的なものなのか、その区別はよくわからないのであるが、目的の駅に着く直前に目が覚めるのである。不思議といえば、不思議なことであるが、このことについては、あまり深く考えたことはない。が、もしかしたら、意識領域のものではなくて、無意識領域のものが関与しているのかもしれない。あるいは、意識領域と無意識領域との遷移状態といったものがあるとすれば、その状態にあるところのものと関与しているのかもしれない。
 電車の揺れは、ほんとうにここちよい。すぐにうとうとしはじめた。





 廊下に立っている連中のなかには、ぼくのタイプはいなかった。体格のいい青年もいたが、好みではなかった。ぽっちゃりとした若い男の子もいたが、やはり好みではなかった。ミックスルームと呼ばれる大部屋に入って、カップルになった男たちがセックスしているところを眺めることにした。二十畳ぐらいの部屋に十四、五組の布団が敷いてあって、その半分くらいの布団のうえで、ほとんど全裸の男たちが絡み合っていた。ほとんど全裸のというのは、ごく少数の者は腰にタオルを巻いていたからである。以前にも目にしたことのある、二十歳過ぎぐらいのマッチョな青年が、中年のハゲデブと、一つの布団のうえで抱き合っていた。あぐらをかいて、じっと見ていると、肩先に触れてくる、かたい指があった。首を曲げて見上げると、背の低い貧弱な身体つきをしたブサイクなおっさんが、薄暗闇のなかで、いやらしそうな笑顔を浮かべていた。ぼくは、おっさんの手を(ニヤニヤしながら、そのおっさんは、ぼくの肩の肉を、エイリアンの幼虫のように骨張った堅い指でつかんでいたのだ)まるで汚らわしいものが触れたかのような感じで振り払うと、立ち上がって、足元で、はげしく抱擁し合うマッチョな青年と中年のハゲデブの二人のそばから離れた。二日前に、友だちのシンちゃんに髪を切ってもらって、短髪にしていたせいもあって、この日も、ぼくはよくモテた。いつだって、ぼくはモテるのだが、髪を切ったばかりのときは、格別なのである。しかも、この日は、ぼくと同じような、短髪のガッチリデブという、自分の好きなタイプとばかりだった。二週間前の土曜日にも、ここに来て、すごくタイプなヤツとデキて、つきあう約束をしたのだが、きょうは、そいつが仕事で会えないというので、ぼくも実家に戻っているよと嘘をついて、連絡をし合わないようにしていた。多少の罪悪感もあるにはあったが、そんなものは、すぐにも吹き飛んで、フロントに行き、券売機で宿泊の券を買って、従業員に手渡した。来たときには、泊まることなど考えてはいなかった。サウナだけのつもりだったのである。
 十年前ほどまえに、同人誌の「オラクル」に、ノブユキとはじめて出会ったときのことを書いた。


ノブユキとは、河原町にある丸善で出会った。二人は同じ本に手を伸ばそうとしたのだ。


 こんな文章を書いていたのだが、じっさいのところは、ここ、梅田にある北欧館というゲイ・サウナのなかで出会っていたのである。「オラクル」を読んだ人のなかには、ノブユキとぼくが丸善で出会って、同じ本に手を伸ばそうとしていた、などという、まるで少女マンガのなかに出てくるような、ぼくの作り話を信じた人もいるかもしれない。祖母は、よく、嘘をついちゃいけないよ、と言っていた。嘘をつくと、死んだら地獄に行くことになると。地獄に行くと、鬼に、長い長い棒を、くちのなかに入れられるよ、とよく言われていた。つぎからつぎにセックスの相手が現われた。夜中の二時をまわっても、部屋だけではなくて、廊下にまであふれて、腰にタオルを巻いただけのほとんど全裸の男たちがたむろしていた。遅くなると、土曜日だからか、酒気を帯びた男たちの割合が増えるのだが、ゲイ・バーによった帰りにでも来たのだろう、ぼくが出会った青年も酒くさかった。廊下に並べて置いてある椅子に座っていたその青年のすぐ隣に腰かけ、股をすこしずつ開いていって、自分の膝が相手の膝に触れるようにしていった。彼は、ぼくの膝が彼の膝に近づいていくのを、眠たそうな目で追っていた。ぼくの膝が彼の膝に触れる直前に、彼は、ぼくの顔を見て、コクリとうなずいて見せた。ためらう必要がなくなったぼくは、彼の膝に自分の膝を強く押しつけながら、彼が伸ばしてきた手をギュッと握った。彼の方もまた、ぼくの手をギュッと握り返してきた。ぼくと同じぐらいに彼も背が高くて、体格もガッチリしていた。訊くと、学生時代にラグビーをやっていたらしくて、いまでも会社のクラブでつづけているという。ぼくたちは、空いている布団を探しに、大部屋のなかに入って行った。土曜の深夜は、愛し合う男たちで、いっぱいだった。布団は、一つも空いていなかった。ぼくたちは、部屋の隅に立って、抱き合いながらキッスをした。セックスが終わってシャワーを浴びに行くカップルが布団から出て行くのを待ちながら。ぼくは青年とキッスした。キッスは、セックスぐらいに、いや、セックスよりも、もしかすると、キッスの方が好きかもしれない。キッスしてるから、すぐに布団が空かなくてもいいと、ぼくは思っていた。しばらくすると、そばにあった一組の布団が空いた。セックスが終わると、身体をパッと離して、タオルを巻きながら薄暗い部屋を出て行く若い二人を見送っていると、彼がぼくの手を引っ張った。彼の方が布団に近かったからであろう。ぼくたちはタオルケットをかぶって抱き合った。主よ、名前はツトムといって、二十四歳だという。年下の彼の方が積極的で、ぼくをリードしようとするので、そのことをヘンだと言って、不満そうな顔をして見せると、主よ、わたしの言葉に耳を傾け、年下とか、年上とか、そんなん関係ないやろ、と言って、ぼくの両手をつかんで、それをぼくの頭の上にやって、押さえつけると、主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、御心をとめてください。わが王、わが神よ、ぼくの口のなかに右の手の人差し指と中指を入れ、主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、御心をとめてください、わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください、ぼくの両足首を持って、ぼくの身体を二つに折るようにして、ぼくの足を持ち上げると、主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、御心をとめてください、わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください、わたしはあなたに祈っています、これまでなかに出されたことなんかないんだけど、ツトムくんならいいよ、と言うと、主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、御心をとめてください、わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください、わたしはあなたに祈っています、主よ、オレ、そんなん聞いたら、メチャクチャうれしいやん。えっ、そう? あっ、ああっ、ちょっと痛くなってきた、主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、御心をとめてください、わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください、わたしはあなたに祈っています、主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます、もうちょっとでイクから、がまんしてくれよ、おっ、おっ、おおっ、主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、御心をとめてください、わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください、私はあなたに祈っています、主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます、わたしは朝ごとにあなたのために、あっ、あっ、いてっ、ててっ、あっ、あっ、あぁ、主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、御心をとめてください、わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください、わたしはあなたに祈っています、主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます、わたしは朝ごとにあなたのためにいけにえを備えて待ち望みます、あっ、あっ、ああ、あっ、あぁ、主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、御心をとめてください、わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください、わたしはあなたに祈っています、主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます、わたしは朝ごとにあなたのためにいけにえを備えて待ち望みます、あなたは悪しき事を喜ばれる神ではない、悪人はあなたのもとに身を寄せることはできない、高ぶる者はあなたの目の前に立つことはできない、あなたはすべて悪を行う者を憎まれる、あなたは偽りを言う者を滅ぼされる、主は血を流す者と、人をだます者を忌みきらわれる、しかし、わたしはあなたの豊かないつくしみによって、あなたの家に入り、聖なる宮にむかって、かしこみ伏し拝みます、主よ、わたしのあだのゆえに、あなたの義をもってわたしを導き、わたしの前にあなたの道をまっすぐにしてください、主よ、……






[注記] 終わりに挿入された聖句は、旧約聖書の詩篇・第五篇・第一節─第八節の日本聖書協会の共同訳より引用した。

文学極道

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