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作品 - 20120420_238_6038p

  • [優]  無題 - zero  (2012-04)

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無題

  zero

海はどこに隠れた? こんなにも空は涼しく、こんなにも山は遠慮しているのに。/それが教授と愛人との踏みならされた日々の果実のような疑問だった。/僕は居てはいけない人間なんです。あらゆる部屋、階段、交差点、肉体、それが僕を許してくれないのです。それは羞恥と言ってもいい。あるいは、執着、焦慮。/学生は低いソファーに居心地悪そうに座りながら、ふと天井のさらに上部の構造の、その隙間に圧倒されて転倒。/教授の研究室の本棚は金属製で、木製であることと決闘したかった夜に運び込まれた。本棚に次から次へと並べられる数学の本たちの体温に、蛍光灯の光はそっと思いを寄せた。/私、私の感情を見失ってしまったの。愛と憎しみだけではなくて、名前のない感情をいくつも貴方に抱いているわ。/愛人は少し汚れた窓のそばにそっと立って、そして船は? 貿易は? 風は?/教授は試験の採点に様々な定理との確執を詰め込んだ。答案用紙の罫線の上を滑る血の粒子たちの嗚咽、衝突。/私はねえ、生まれたときから革命を繰り返してきたのだよ。歩くという革命、しゃべるという革命、その他。え? それは滅亡だって? 君はなかなか優秀だ。/教授は短く刈り込んだ清潔な髪形をしていて、学生はそれと競うようにだらしなく長髪を鍛え続けた。/そして、やはり、海は? 海流は? 海溝は? 疑問のとばりは濃く三人を彩った。/僕が思うには、人生なんて一個のリンゴの実よりも柔らかい。人生なんて星明かりの残滓のような淡いものなんです。だがやけに鉄分を含んでいる。僕の中では砂利と化す鉄分です。/学生は愛人が自分にも好意を寄せていることを知っていた。だが学生から愛人へと向かう小道にはいくつもの放置自動車やがれきや廃墟や丘が据え付けられていた。学生には愛される資格もなければ適格もなかった。

三人は海へと向かった。海と言ってもむしろ講堂だった。むしろ市街地だった。むしろ衛星だった。むしろ山林だった。それらの存在が織りなす液体の集積、それが海だった。/潮風の匂いの中には、いくつもの輝き続ける死が整列しているようで、私は子供の頃の記憶に誘拐されてしまうわ。/コンクリートの崖の上で、微細な波が寄せては返すのを、教授はその力学に思いをはせながら、愛人はその光彩に思いをはせながら、学生はその下の深淵に思いをはせながら、/海に向かって修辞を投げてみようじゃないか。海が滝や湯気や川や氷や宇宙に変換される、その変換の速度を記述しようじゃないか。/僕は海に苛立つんです。まず大きさに嫉妬する。冷たさが怖くて腹が立つ。そして、何でいつまでも存在し続けるんだ。海よ、死ね!/遠くの空のふもとに固着されたかのような小さな船たちの抒情が、学生の眼鏡には降り積もっていた。/美佐ちゃん、昨日と今日と、一年前と、すべてが何でこんなに膨らんでいるんだろう。君と会ってから、私は一つの公理に追い抜かれた気がしている。/先生でも振り向くことがあるんですね。私はいつも先生の背中ばかり見ていた気がしていますよ。その背中にいくつもの地図を刺繍しました。悲しみとか絶望とかありとあらゆるものを。/先生と美佐さんは一つの行動だったと僕は思っています。いつも動き続けていて、僕みたいな静止してしまっている人間からすると、台風のようにかっこよかった。/三人とも海底に身を沈めたかった。教授はその意志の発狂ゆえに、愛人はその言葉の失踪ゆえに、学生はその存在の浅さゆえに。

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