今日だって俺は、情緒的な隣人に適当な同情を寄せながら、横目で株価の値動きばかり気にしている。
「どういった物をお求めで?」
俺は、並んだ品の一から十までを念入りにチェックし、物に溢れた世界の端から端を値踏みしながら歩く。そうやって、『価格.com』で性能と価格を比較し、検討に検討を重ねる、標準化団体で策定されたカレンダー通りの日々を送っていた。
俺はお前のことが大好きで、思わずモーターが稼働するんだ。触れ合っていたくて、ふと規格からはみ出るんだ。それがはがゆいんだ。
しかし、来る日来る日も、互いの期待する答えは返ってこない。読み取れない唇から、やがて催促の声が飛ぶ。
「どういった物をお求めで?」
これを推し量るバロメーターを、俺は持たない。絶えず売り子にめくばせしながら、執拗に求めるのだけれど、どうも出力がうまくいかないらしい。文字にしても、これはJIS規格で定められていないらしく、エラーになるばかりだ。意思が溢れるほどに文字化けするのだ。UTF-8にしてみても同じだ。
「どういった物をお求めで?」
お前に伝えたいこと、望みのすべては音にしかならなくて、各量販店をはしごするも肝心の内容がすっとんで、店内に不細工な騒音となって放たれるだけだっだ。
“ここに来て、口付けをしてよ”
たったこれだけのことなんだ。なんてことない簡単な話だったんだ。
「あんた、家電を探しにきたわけ?」
また今日もお前を怒らせてしまう。そして、いつもお前は呆れたように去っていく。当然だろう。いつも俺は、導入後にランニングコストで回収することしか考えていなかった。
心はまるで掃除機だ。吸い込んだ空気を本体内部で旋回し、感情と理性を遠心力で分離するサイクロン集塵式だよ。やや騒音が大きいのがデメリットさ。
俺はことあるごとに、感情にまかせて喋るお前に対し、「何が望みか」と説明を促していたけれど、今まさに、俺はそれと同じ課題を突き付けられているわけだ。
日ごと加速しながら遠ざかっていく背中に、俺は、しだいに強弱コントロールが効かなくなる。『待って、違うんだよ。まてちう、ここにきて、テュッテュして、まてちうよ、ここにててし、ここててし…』
「ここてて!」
そこで俺はようやく気付いたんだ。上手に喋れないのは俺だったんだと。そう、俺こそが情緒にめっぽう弱い生き物だったんだとね。
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選出作品
作品 - 20120405_818_5991p
- [佳] ここてて - 便所虫 (2012-04)
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ここてて
便所虫