私たち逃走していた。かすりきずに錆びついたボディーは、夕日の射光に身包みをはがれ、匂いがするようなレモンの色にそまってしまい、塗装が晴れてしまった下地の部分の、心臓みたいな銀のフレームがばれて、わたしは少し恥ずかしいのだけど、ときどきいたましげな光を散らし、青い草原のコントラストになって、わたしと山とか街とかを、おきざる風でもって、逃がしてていくのは、やっぱり、レモンの色のバイバイ、11月がどうしようもなく似合ってしまうわたしたちの自家用車、その鋭角なウィングでそのまま空をとんでしまおうか、というと、ダッシュボードのなかの虹いろ味のメントスが、かろろ、ころがって、ふきこむ風と唱和し、赤土の地平線をこえるまでもなく、わたしたちは鳥のたぐいで、いわば無敵だった。そんな風物をたたえた、きせつのまなざしを、ねえ、あなたの心臓を、いま停めることで、表現してみようか?排気ガスとすなぼこりがまじった煙幕が魔法みたいにわたしたちの旅路の幕をあけるから、ヘンゼル、わたしたちが向かうばしょでは、水中を遊泳する、ぷらんくとんの大家族みたいに、ちいさな絶望たちが空にわだかまっているのかもしれないけど、光跡を辿ってゆけばわたしたち、故郷にいつでも帰れるんだよね?いじわるな鳥たちは色や光を啄むことはできないんだし。
作文の最後に、おしまい、なんて書いてはいけません、幼稚なことですよ、って先生に言われたのはどれくらい昔のことだったか覚えてないんだけど、そのときの原稿用紙いっぱいにつけられたバツじるし、斜線を引かれた題名はいつでも、わたし覚えていて、それからというもの、わたしはその思想をいつも胸ボタンに掛けていて、おしまい、と言うべきときや書くべきとき、それにふさわしい仕草なんてものの、おしまいのやり方を忘れてしまったので、誕生日とか、夕暮れとか、映画が始まるひと呼吸まえの暗やみ、わざと手放した風船とかを、うまく発音できなくて、たぶん英語が苦手なのも、それが理由で、単語帳にはたくさんの空白があって、綴りがそこにあるだけで、意味が剥落していたから、わたしはいろんなことに絶句で、あるいみ、おしまい、ジ、エンド、ハッピリー、エバー、アフター、なんだろうか、関係ないんだけど、えくすらめーしょん、って呪文みたいだけどいつとなえればいいの?
峠道を追いこしたら、西の海のあたまがみえて、わたしは、落陽のまぶしさをかばったあとに、手のひらで魚をつくり、影絵が水平と夕空のあわいを泳いでいくのです。あれが国だよ、と指した先をみると、レゴで埋めたてた島に、りっばな観覧車があるだけで、王様なんてそこにはいない、きがしたんだけど、だんだん近づくにつれて、橋を超えたり、手づくりのパスポートを提示したりしてるうちに、楽しいテーマソングがながれてきて、わたしたちはわりといろんなことがどうでもよくなって、まばゆい光で、ゆっくりと、夕暮れを攪拌しながら、わたしたちに手をふる、観覧車へ、続く道のりに、情景が吸い込まれていって、あ、わたし、こんなときになんていえばいいんだっけ、って、ウィンドウを下げながらおもったんだけど、変な綴りがたくさん思い浮かぶだけで、まあ、いいや、窓から頭をだして、それをひとつのこらず、ちからいっぱい叫んだのだった。
ていねいにならされた波のうえにいるように、観覧車の箱はゆるやか、スロウに揺すれて、遠い海中に沈んだ電灯の群れ、夕日を手に入れられない海中生物の街に同情している。そしてわたしたちこれからここで暮らしてゆく、って、ちゃんとわかってしまった。王族はシフト制だから、とあなたはいった。これからぼくたちは昇ってゆくのだから高貴に振舞おうよ、たとえ、そののちに逃れられない、下降があろうとも。エンドレスワルツっていうんでしょう、わたくし知っておりましたわ、というと、ちょっと傷ついたように、あなた、わらって、めにみえない王冠をわたしの頭のうえにそうっと載せたので。わたしの、綴れない、あたまの、剥落の中から、ビックリマークが、たくさん、発火、ぷらんくとんみたいに、わたしたちの王室をおよいで、きらきら、きらきら、拍手していた。そんな戴冠式でした。
最新情報
選出作品
作品 - 20111125_955_5722p
- [優] 観覧車に亡命 - コーリャ (2011-11)
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観覧車に亡命
コーリャ