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作品 - 20111116_719_5702p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


スロープタウン

  debaser



この街は、スロープだらけだ、スロープをいくつか通らないとどこにも行けない仕組みになっている、たとえば、スロープを五つ通らないと街のどの場所からも市役所には行くことが出来ないし、市外へ出る駅の中には、百を超えるスロープがあった、だけども五つのスロープを通って市役所に行って、職員になぜこの街にこんなにもスロープがたくさんあるのかを尋ねても明確な答えは得られないだろう、市役所には、市史の編纂室があり、そこは月に一度、市民に公開されている、しかし、そこにはスロープに関する記述を持つ資料はひとつもなかった、市民に公開される編纂室とは別に市役所の建物の地下にも部屋があった、そこに市民には決して公開できない街の秘密が隠されている、スロープもその秘密のひとつだ、という噂もあったが、それを真剣に考えるものはいなかった、なぜなら、この街では、スロープに手すりをつけることが主な市民の仕事であり、市民の生活はスロープの上で成り立っている、日々、市の職員によってスロープは、いたるところに作られる、十分ほど街を歩けば、その間に少なくとも二箇所か三箇所のスロープの工事現場を見ることになるだろう、職員は、白のヘルメットを被り、黙々とスロープを作っている、しかし彼らが作るスロープには手すりがない、手すりをつけるのは、市民の仕事だ、



私の父は、この街で一番腕の立つスロープに手すりをつける技師だった、むろん、腕の立つ技師は父以外にも何人もいたが、わたしの家には父の仕事に対する市からの感謝状がいくつも飾られていた、父は家では無口な人だったが、夕食後、機嫌のいい時などは、わたしに仕事の話をしてくれた、父は自分の仕事に誇りを持っているようだった、わたしの知っているスロープの手すりの多くは、父によって作られていたことを知ったまだ幼かったわたしは、実際にそのスロープを通るたびに、手すりにつかまりながら、いつもよりゆっくりと歩くことにした、そんな仕事熱心な父だったが、家庭のことは母にまかせきりで、それに愛想をつかした母は、他の技師と恋に落ち、家を出て行った、母が出て行く日、父は仕事で留守だったが、家の軒先から表の通りまで緩やかに伸びる父が作ったスロープの手すりを母は一度も触れなかった、わたしは、その時の様子を鮮明に覚えている、



わたしは、市の大学の建築学部に入った、勉強のほとんどはスロープに関するもので、スロープの構造の専門研究はもちろん、都市学におけるスロープ、文学におけるスロープ、教養として多岐にわたるスロープのことをたくさん学んだ、四年生になって初めて、手すりに関する授業が開始する、前期は、教科書を使った座学がほとんどだが、後期になると、学生は、建設会社の研修生として、実際に本物のスロープに手すりをつける作業に携わる、実際の技師の指示を仰ぎ、朝から晩まで働く過酷な研修だが、ここで挫折してしまうと、この街では生きていけないことをみんなわかっているから、誰もが黙々と作業をこなす、作業中に私語を交わすものはいないし、昼の休憩の間も各自、教科書の復習で休む暇もないほどだ、わたしは入学時から、父のせいもあって、気のせいかもしれないが、先生から特別扱いを受けていた、成績は悪くなかったが、研修先は、街で一番大きな建設会社を指定された、そこには成績上位の学生があつまり、技師もみな優秀だった、わたしは、鈴木さんのもとで手すりに関する基本的な実務作業を教わった、鈴木さんはとても優秀な技師だった、わたしが父の娘であることは、事前に聞かされていたらしく、何度か一緒に働いた時の父の仕事ぶりを懐かしそうに話してくれた、父がいなくなってから、父のことを考えることはあまりなくなっていたけど、鈴木さんが話してくれる父のことはもっと聞きたいと思った、



二月になると、卒業制作で学生は忙しくなる、わたしも例外ではなかった、卒業制作は一人でスロープの手すりをつけなければいけない、いくつか建設予定のスロープの中から、わたしは、市の郊外にある個人の邸宅から通りに伸びるそんなに規模の大きくないスロープを選んだ、老夫婦の住む小さな家だったが、今使っている西側にあるスロープの勾配が年老いた体には少しきつくなったという理由で、新しいスロープを東側に作ることになっていた、作業前日の夜、わたしは興奮したのかあまり眠ることができなかった、テレビをつけてスロープに関する映画を途中まで観て、それから有名技師がスロープに関してざっくばらんに語り合うラジオ番組を途中まで聴いて、それでもやはり眠れそうにないので家の外に出た、わたしの家は、高い丘の上に建てられていて、街の様子がくまなく見渡せることができた、わたしがまだ幼いころ、家族三人で時折ここから街を見下ろして、街のスロープに張り巡らされた手すりを眺めていたことを思い出した、わたしは父と母の真ん中で、手すりがなんのためにあって、そしてスロープに呪われてしまったようなこの街の特異について、なにひとつ了解せず、普通の街の普通の家族がそうするように、ただ街を眺めていた、



時計を見ると、朝の四時だった、まだ空は明けていないが、このまま眠ることはもうないだろうと思った、前日、卒業制作に取り掛かることを電話で鈴木さんに報告すると、鈴木さんは、頑張れよ、と言った、電話の向こうから子供の声が聞こえた、この家は、わたし一人には広すぎるし、スロープだってもう今となってはひとつあれば充分だ、部屋に戻って、スロープの教科書をぺらぺらとめくった、頭には何も残らなかった、いや、わたしの頭の中は、他に余計なものが入り込む隙がないほどにスロープのことでいっぱいだった、シャワーを浴び、この街の誰もがそうするようにわたしは黒いヘルメットを被った、新聞配達員がスロープをいきおいよく駆け上ってくる音が聞こえる、わたしは家の外に出た、わたしの目の前に広がるスロープ、父がとりつけた手すり、母がいなくなった日、そして父がいなくなった日、わたしは、なにごともないようにスロープを駆け下りた、朝の日差しが、スロープの半分に影を作った、この街は、スロープだらけだ、スロープをいくつ通っても、どこにも行けない

文学極道

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