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作品 - 20111017_851_5616p

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拝島界隈

  鈴屋

あなたは行方不明をくりかえす。あなたが食べ残したポテトチップスの塩味に指をしゃぶりながら、さて、わたしは遅まきの恋愛に悩み、ウォトカをすすり、あなたの臍の右上7cm、臙脂色の痣をサハリンに見立てて一人、夜の旅に出る。駅前を右へ、やや行って左へ、坂を下って軒と軒の隙間、こめかみあたりに十一月の月は高く、身と心の由来をとおに忘れたあなたは、帰化植物が繁茂するこの街に擬態しているので見つけることができない。そうだよ、あなたもわたしも民族の子ではなかった。

サハリンの火はいまなお消えず、と鼻唄まじりにそぞろ歩いていくはずが、いつしか声もあがらず酔いも醒めて、見つからないあなた、あなたはわたしの知らない男達のせいでいつも湿っていたから、薬臭い水が追いかけてくる路上に、カーテンが破れている仕舞屋に、瞳を見開いている道路鏡に、股のあたりから饐えてとろけて菌のようなものをなすりつけていくから、ほらあんなふうに闇の奥のどこまでも青錆色に光る点々をあとづけて。

この世で一番うまいものは水と塩だ。あとは幅の問題にすぎない。引き戸一枚、小窓一枚、風が帯のようにすり抜ける小部屋のベッドで、うつ伏せの背中に耳をあてると川が鳴っていたあなた。仰向ければ投げ出した二本の脚のつけ根から額まで海峡のように裂けていたあなた。肉と草はいらない、水と塩にあなたを漬けて、タバコをくわえながら窓から見える電柱の2個の碍子をひどく欲しがっていた遅い秋の一日。雪よ降れ、屋根という屋根に雪よ降れ、雪が降れば当節に馴染めることもあるかと、わけもなくおもっていた初冬の一日。

夜が明けていく。立ち枯れたオオアレチノギクの空き地の向こう、国道16号拝島橋を渡っていく大型トラックのテールランプが、あなたのふたつの瞳の奥で遠ざかる。あなたには心なんて贅沢すぎる、かなしいだの、うれしいだのは身のほど知らず、とついこのあいだ悪態ついたばかりで、それでもこのミルク色の薄明はいくらかでもあなたに安らぎを与えているだろうか。あなたの手をひき、枯れ草を踏みしだき、工場跡地を抜け、その先の角を曲がり、長い万年塀に沿って行くとき、近づいてくる踏み切りの向こうのいまだ眠っている街、あれが社会なのだとわかる。

文学極道

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