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作品 - 20110910_571_5526p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


でたらめ

  泉ムジ

 猫のにゃん太郎は鳴いた。不愉快である、と。ひっきりなしにベランダに降りこむ雨に、
ではない。彼は、ひなたぼっこなどというお遊戯に興味がない。彼のもっぱらの楽しみは
のぞきである。向かいのアパートでは、最近越してきたばかりの若い男が一心不乱にポエ
ムを書いていて、それがまったく気に入らないのだった。前に住んでいた女はよかった。
昼間は仕事でほとんどいなかったが、夜は一人暮らしの孤独を慰めようと必死になって、
安いワインに溺れてみたり、だれかれ構わず電話をかけてみたり、時には名前も知らない
男を引きずりこんでみたり、あげくの果てには風呂場で手首を切ってみたり。それでも、
次の朝になれば平気な顔で仕事に出かけた。のぞく楽しみに満ちあふれていた。ところが
今のヤツときたらどうしようもない。邪魔っけだったレースのカーテンがなくなったのは
いいが、何の起伏もなく馬鹿みたいなスピードでポエムを書き続けている。ただそれだけ
である。いや、ポエムかどうかはわからないが、どうせ気づかれまいと、いちど近くまで
忍びよってみたら、でたらめを書きつけているだけだったので、こんなものはおそらくポ
エムに違いないと判断したのだった。しかしこの男、飯も食わずに眠りもせず、トイレに
立つことさえせずに、朝から晩までもう3日間こんな生活を続けている。不思議と言えば
不思議だ。こっちだって限界すれすれまで生理的欲求を抑制して、ほとんど看守のような
気分で見張っているし、まさかそれに気づいてこっそり済ますことなどできるはずがない。
そこまで考えて、彼ははたと気づいた。そして顔をゆがめ、鳴いた。不愉快である、と。
途端に降りしきる雨が雨でなくなり、みにくい文字列となって、次第に消滅していった。
あわてて彼がベランダから跳躍すると、間一髪でベランダがラベンダーにならび変わり、
落ちついた芳香を漂わせながら消滅していった。空中を落下しながら、彼は鳴いていた。
私はにゃん太郎である。どうかイメージして欲しい。一点の曇りもないつややかな黒毛、
サファイアのように冷徹に透きとおる青い瞳、かたくぴんと尖った元気いっぱいの短い耳、
それと対照をなす、やわらかく気品のある長い尻尾。こんなでたらめは許せない。にゃあ。
男はポエムを書き終えた。息を詰まらせながら伸びをすれば、もう3日くらい書き続けて
いたような気がした。無精ひげをさする手のひらが心地いい。いつの間にか雨はすっかり
止んでおり、今年の梅雨はもう明けてしまったかねえ、などと凡庸な感慨をつぶやきつつ
窓を開けると、猫が飛びこんできた。うわあ、なんだ、かわいい黒猫じゃないか。よし、
お前は今日からにゃん太郎だ。にゃん太郎、何か食べるか。愉快きわまりないという顔で、
男は笑った。にゃん太郎と名付けられた黒猫は、目を細め、ごろごろとのどを鳴らした。

文学極道

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