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作品 - 20110815_743_5450p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


LET THE MUSIC PLAY。

  田中宏輔



ヘミングウェイが入ってきた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』32、清水俊二訳)

元気そうじゃないか。
(チャールズ・ウェッブ『卒業』1、佐和 誠訳、句点加筆)

プルーストは
(コクトー『阿片』堀口大學訳)

いつものきまりの席で、原稿を書いているところだった。
(ボリス・ヴィアン『日々の泡』56、曾根元吉訳)

君がよく引用した文句は何だったっけ?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』14、木村 浩・松永緑彌訳)

ひとは他人の経験からなにも学びはしない。
(エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)

いや、まったく同感だ。──さしあたりはね。
(コレット『牝猫』工藤庸子訳、読点及び句点加筆)

まさに詩人のいうとおりだ。
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)

しかし、このことをほんとうに信じ、実際そうだと思うのは難しいね。
(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)

コーヒーが運ばれてきた。
(トーマス・マン『ブッデンブローグ家の人びと』第一部・第八章、望月市恵訳)

それにしても、
(モンテルラン『独身者たち』第I部・2、渡辺一民訳)

いまだにみんながきみの愛について語ることをしないのは、いったいどうしたことなのだろう。
(リルケ『マルテの手記』高安国世訳)

誰もが持っていることさえ拒むような考えを暴き出すのが詩人の務めだ
(ダン・シモンズ『大いなる恋人』嶋田洋一訳)

しかし、
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第四部・18、山西英一訳)

世間の普通の人は詩など読まない
(ノサック『ドロテーア』神品義雄訳)

誰も詩人のものなんて読みやしない。
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)

もちろんそうさ。
(テリー・ビッスン『時間どおりに教会へ』3、中村 融訳)

もう詩を書く人間はひとりもいない。
(J・G・バラード『スターズのスタジオ5号』浅倉久志訳)

詩作なんかはすべきでない。
(ホラティウス『書簡詩』第一巻・七、鈴木一郎訳)

じゃ
(サバト『英雄たちと墓』第I部・12、安藤哲行訳)

いったいなんのために書くのか?
(ノサック『弟』4、中野孝次訳)

 詩人の不幸ほど甚だしいものはないでしょう。さまざまな災悪によりいっそう深く苦しめられるばかりでなく、それらを解明するという義務も負うているからです
(レイナルド・アレナス『めくるめく世界』34、鼓 直・杉山 晃訳)

詩とは認識への焦慮なのです、それが詩の願いです、
(ブロッホ『ウェルギリウスの死』第III部、川村二郎訳)

やれやれ、何ぢやいこの気違ひは!
(ヴィリエ・ド・リラダン『ハルリドンヒル博士の英雄的行為』齋藤磯雄訳)

詩人を理解する者とては、詩人をおいてないのです。
(ボードレールの書簡、1863年10月10日付、A・C・スィンバーン宛、阿部良雄訳)

確かかね?
(J・G・バラード『地球帰還の問題』永井 淳訳)

どんな霊感が働いたのかね?
(フリッツ・ライバー『空飛ぶパン始末記』島岡潤平訳)

ともすれば、悲しみが喜び、喜びが悲しむ。
(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第二場、市河三喜・松浦嘉一訳)

いちばん深く隠れているものが真っ先に見つかってしまう
(エミリ・ディキンスンの詩・八九四番、新倉俊一・鵜野ひろ子訳)

ああ、あの別の関連の中へ
(リルケ『ドゥイノの悲歌』第九の歌、高安国世訳)

新たな知覚は新たな語彙を必要とする。
(デイヴィッド・ブリン『キルン・ピープル』下・第三部・53、酒井昭伸訳)

ぼくは詩が書きたかった。
(ロジャー・ゼラズニイ『伝道の書に薔薇を』2、大谷圭二訳)

詩作は一種のわがままである
(ゲーテ『粗野に 逞しく』小牧健夫訳)

今ではわたしも、他人のこころを犠牲にして得たこころの願望がいかなるものか、
(ゼナ・ヘンダースン『なんでも箱』深町眞理子訳)

それを知っている
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)

私という病気にかかっていることがようやくわかった。
(エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友人へ』8、佐宗鈴夫訳)

私というのは、空虚な場所、
(ジンメル『日々の断想』66、清水幾太郎訳)

世界という世界が豊饒な虚空の中に形作られるのだ。
(R・A・ラファティ『空(スカイ)』大野万紀訳)

詩は優雅で空虚な欺瞞だった。
(ルーシャス・シェパード『緑の瞳』4、友枝康子訳)

やっぱり芸術は、それを作り出す芸術家に対してしか意味がないんだなあ
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』8、井上一夫訳)

でも、
(ポール・アンダースン『生贄(いけにえ)の王』吉田誠一訳)

詩のために身を滅ぼしてしまうなんて名誉だよ。
(ワイルド『ドリアン・グレイの画像』第四章、西村孝次訳)

そんなことは少しも新しいことじゃないよ
(スタニスワフ・レム『砂漠の惑星』6、飯田規和訳)

人生をむだにややこしくして
(ダグラス・アダムス『さようなら、いままで魚をありがとう』34、安原和見訳)

ばかばかしい。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』13、宇佐川晶子訳)

そうだ、
(原 民喜『心願の国』)

君はどう思う、戦争なんてものも、いい思い出になるものなのかな?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

どうかしてるよ、
(コクトー『怖るべき子供たち』一、東郷青児訳)

アーネスト。
(ワイルド『まじめが肝心』第二幕、西村孝次訳)

戦争がいいなんていえるのは、
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳)

気が狂っている。
(使徒行伝二六・二四)

なんだよ、そのいいがかりは?
(ハーラン・エリスン『ガラスの小鬼が砕けるように』伊藤典夫訳)

まあいいさ。
(ジュリアス・レスター『すばらしいバスケットボール』第一部・1、石井清子訳)

で、これからどうするんだ?
(ギュンター・グラス『猫と鼠』XIII、高本研一訳)

道楽者のアーネストは、どうするつもりだい?
(ワイルド『まじめが肝心』第一幕、西村孝次訳)

あ、
(ジョン・ダン『遺贈』篠田綾子訳)

そうだ。
(ミラン・クンデラ『ジャックとその主人』第一幕・第五場、近藤真理訳)

ブーローニュの森へ散歩に行ってみたら?
(ボリス・ヴィアン『日々の泡』13、曾根元吉訳、疑問符加筆)

気に入ったことを言うじゃないか。
(モリエール『人間ぎらい』第三幕・第一場、内藤 濯訳)

ポケットには、何がはいっている?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』32、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

ヘミングウェイは嬉しそうに笑って見せた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

そこには
(ハーラン・エリスン『満員御礼』浅倉久志訳)

コンドームの包みがあったからである。
(ギュンター・グラス『猫と鼠』VII、高本研一訳、句点加筆)

二人は
(ラーゲルクヴィスト『バラバ』尾崎 義訳)

少し離れたバスの停留所へ向かった。
(カミュ『異邦人』第一部・5、窪田啓作訳)

バス停には、ごたごたと行列がいくつも並んでいた。
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』34、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

うしろで、もそもそやってるのは、だれの禿頭(はげあたま)だ?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

そう言いながら、
(サリンジャー『フラニーとゾーイー』フラニー、野崎 孝訳)

ヘミングウェイはポケットからハンケチを出して、顔を拭いた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

バスがやってきて、彼の前でドアがあいた。
(トム・リーミイ『サンディエゴ・ライトフット・スー』井辻朱美訳)

マルセルは
(バタイユ『眼球譚』第一部・物語・衣装箪笥、生田耕作訳)

そのハンケチほど汚いハンケチをみたことがなかった。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』5、清水俊二訳)

バスはいつもと違うコースをとった。
(リサ・タトル『きず』幹 遙子訳)

どこでもいい ここでさえなければ!
(ロバート・ロウエル『日曜の朝はやく目がさめて』金関寿夫訳)

ただ、この世界の外でさえあるならば!
(ボードレール『どこへでも此世の外へ』三好達治訳)

定義し理解するためには定義され理解されるものの外にいなければならない
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

ハンカチだ。もちろん、ハンカチがいる。
(エドモンド・ハミルトン『虚空の遺産』11、安田 均訳)

まるで金魚のようだ
(グレッグ・ベア『永劫』下・57、酒井昭伸訳)

それ、どういう意味?
(J・G・バラード『逃がしどめ』永井 淳訳)

一匹の魚にとって自分の養魚鉢を見るのはたやすいことではありませんね
(マルロー『アルテンブルクのくるみの木』第二部・三、橋本一明訳)

ぼくも以前は金魚鉢が大好きでした。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・27、土岐恒二訳)

それ以来、幾年かが流れすぎた。
(シュトルム『大学時代』大学にて、高橋義孝訳、読点加筆)

さて、そのハンカチは、いまどこにあるだろう?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』84、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

ありあまるほどの平和。
(ハーラン・エリスン『眠れ、安らかに』浅倉久志訳)

自殺がいっぱい。
(ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』25、井上 勇訳、句点加筆)

自殺が。
(三島由紀夫『禁色』第四章、句点加筆)

僕タチハ、ミンナ森ニイル。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳、読点加筆)

僕タチハ、ミンナ森ニイル。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳、読点加筆)



*



一ぴきのウサギが、小さな薮のかげから飛び出した。
(ロジャー・ゼラズニイ『ドリームマスター』3、浅倉久志訳)

 兎は、われわれを怯えさせはしない。しかし、兎が、思いがけず、だし抜けに飛び出して来ると、われわれも逃げ出しかねない。
 われわれに取って抜き打ちだったために、われわれを驚嘆させたり、熱狂させたりする観念についても、同じことが言える。
(ヴァレリー『倫理的考察』川口 篤訳)

人間の通性が不意に稀有なものとなる。
(ジェフリー・ヒル『小黙示録』富士川義之訳)

慣れ親しんでいるためにかえってその深さが見えにくかったその単語の下に、突然過去の深淵が口を開ける
(プルースト『美の教師』吉田 城訳)

何もかもがとてもなじみ深く見えながら、しかもとても見慣れないものに思えるのだ。
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第三部・11、大西 憲訳)

たましい全体が単純なひとことのまわりにたわむ
(イーヴ・ボンヌフォア『苦悩と欲求との対話』2、安藤元雄訳)

quum res animum occupavere, verba ambiunt.
物(内容)が精神を占有するとき、言葉は蝟集す。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』より、セネカの言葉)

わたしの世界の何十という断片が結びつきはじめる。
(グレッグ・イーガン『貸金庫』山岸 真訳)

断片はそれぞれに、そうしたものの性質に従って形を求めた。
(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』36、黒丸 尚訳)

記憶が、各瞬間に、それぞれの言葉(、、)を介して参加する。
(ヴァレリー『詩学序説』コレージュ・ド・フランスにおける詩学の教授について、河盛好蔵訳)

きみの中で眠っていたもの、潜んでいたもののすべてが現われるのだ
(フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳)

言葉はもはや彼をつなぎとめてはいないのだ。
(ブルース・スターリング『スキズマトリックス』第三部、小川 隆訳)

そして風景が整えられる。(……)ひとつの言葉のまわりに。
(ジャック・デュパン『燃えさしの薪・距たり』多田智満子訳)

すべてのものを新たにする。
(『ヨハネの黙示録』二一・五)

すべてが新しくなったのである。
(『コリント人への第二の手紙』五・一七)

家造りらの捨てた石は
隅のかしら石となった。
(詩篇』一一八・二二─二三)

「比喩」metaphora は、ギリシア語の「別の所に移す」を意味する動詞metaphereinに由来する。そこから、或る語をその本来の意味から移して、それと何らかの類似性を有する別の意味を表すように用いられた語をメタフォラという。
(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第I門・第九項・訳註、山田 晶訳)

新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

森はどこにあるのか。
(ホフマンスタール『帰国者の手紙』第二の手紙、檜山哲彦訳)

一匹の兎が
(ランボー『大洪水後』小林秀雄訳)

一つの言葉が
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)

森だ
(ノサック『滅亡』神品芳夫訳)

あらゆるものがあらゆるものとともにある
(ホルヘ・ギリェン『ローマの猫』荒井正道訳)

あらゆる事が生ずる土地である
(プルースト『ギュスタヴ・モローの神秘的世界についての覚書』粟津則雄訳)

なぜならこの場所こそ(……)さまざまな想いを、かくも長く、かくも静かに、
散逸させずに保っていたところなのだ。
(フィリップ・アーサー・ラーキン『寺院を訪ねる』澤崎順之助訳)

あらゆるものの発端、効能、胚種が、一つ残らず収まっている。
(ホイットマン『草の葉』さまざまな胚種、酒本雅之訳)

森が待っている。
(フィリップ・K・ディック『報酬』浅倉久志訳)

森じゅうが待っている。
(ジュール・シュペルヴィエル『昨日と今日』飯島耕一訳)



*



ヘミングウェイが入ってきた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』32、清水俊二訳)

元気そうじゃないか。
(チャールズ・ウェッブ『卒業』1、佐和 誠訳、句点加筆)

プルーストは
(コクトー『阿片』堀口大學訳)

いつものきまりの席で、原稿を書いているところだった。
(ボリス・ヴィアン『日々の泡』56、曾根元吉訳)

君がよく引用した文句は何だったっけ?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』14、木村 浩・松永緑彌訳)

ひとは他人の経験からなにも学びはしない。
(エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)

いや、まったく同感だ。──さしあたりはね。
(コレット『牝猫』工藤庸子訳、読点及び句点加筆)

まさに詩人のいうとおりだ。
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)

しかし、このことをほんとうに信じ、実際そうだと思うのは難しいね。
(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)

コーヒーが運ばれてきた。
(トーマス・マン『ブッデンブローグ家の人びと』第一部・第八章、望月市恵訳)

こつこつ
(トーマス・マン『ブッデンブローク家の人びと』第八部・第二章、望月市恵訳)

あ、
(ジョン・ダン『遺贈』篠田綾子訳)

上の人また叩いたわ
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

二つ三つ。
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』プロローグ、大島 豊訳)

このつぎで四度目になるが、
(デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』下・第十部・125、酒井昭伸訳)

きみにいたずらをした男かい?
(ルーシャス・シェパード『緑の瞳』3、友枝康子訳)

よく覚えているよ。
(ロッド・サーリング『ミステリーゾーン』機械に脅迫された男、小菅正夫訳)

なにもかもがわたしに告げる
(ホルヘ・ギリェン『一足の靴の死』荒井正道訳)

神がそこにいる。
(ベルナール・ウェルベル『蟻の時代』第2部、小中陽太郎・森山 隆訳)

と、
(アルフレッド・ベスター『願い星、叶い星』中村 融訳)

神だって?
(ロバート・シルヴァーバーグ『ガラスの塔』31、岡部宏之訳)

神を持ち出すなよ。話がこんぐらがってくる
(キース・ロバーツ『ボールダーのカナリア』中村 融訳)

そうだ、
(原 民喜『心願の国』)

君はどう思う、戦争なんてものも、いい思い出になるものなのかな?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

どうかしてるよ、
(コクトー『怖るべき子供たち』一、東郷青児訳)

アーネスト。
(ワイルド『まじめが肝心』第二幕、西村孝次訳)

戦争がいいなんていえるのは、
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳)

気が狂っている。
(使徒行伝二六・二四)

なんだよ、そのいいがかりは?
(ハーラン・エリスン『ガラスの小鬼が砕けるように』伊藤典夫訳)

まあいいさ。
(ジュリアス・レスター『すばらしいバスケットボール』第一部・1、石井清子訳)

で、これからどうするんだ?
(ギュンター・グラス『猫と鼠』XIII、高本研一訳)

道楽者のアーネストは、どうするつもりだい?
(ワイルド『まじめが肝心』第一幕、西村孝次訳)

こつこつ
(トーマス・マン『ブッデンブローク家の人びと』第八部・第二章、望月市恵訳)

あ、
(ジョン・ダン『遺贈』篠田綾子訳)

上の人また叩いたわ
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

二つ三つ。
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』プロローグ、大島 豊訳)

このつぎで四度目になるが、
(デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』下・第十部・125、酒井昭伸訳)

きみにいたずらをした男かい?
(ルーシャス・シェパード『緑の瞳』3、友枝康子訳)

よく覚えているよ。
(ロッド・サーリング『ミステリーゾーン』機械に脅迫された男、小菅正夫訳)

過去はただ単にたちまち消えてゆくわけではないどころか、いつまでもその場に残っているものだ。
(プルースト『失われた時を求めて』ゲルマントの方II・第二章、鈴木道彦訳)

一つ一つのものは自分の意味を持っている。
(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳) 
 
その時々、それぞれの場所はその意味を保っている。
(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳) 

おかしいわ。
(ウィリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト』プロローグ、宇野利泰訳)

どうしてこんなところに?
(コードウェイナー・スミス『西欧科学はすばらしい』伊藤典夫訳)

新しい石を手に入れる。
(R・A・ラファティ『つぎの岩につづく』浅倉久志訳)

それをならべかえる
(カール・ジャコビ『水槽』中村能三訳)

人間というものは、いつも同じ方法で考える。
(ベルナール・ウェルベル『蟻』第2部、小中陽太郎・森山 隆訳)

個性は思い出と習慣によって作られる
(ヴァレリー全集カイエ篇6『自我と個性』滝田文彦訳)

霊はすべておのれの家を作る。だがやがて家が霊を閉じこめるようになる。
(エマソン『運命』酒本雅之訳)

存在を作り出すリズム
(アーシュラ・K・ル・グィン『踊ってガナムへ』小尾芙佐訳)

人間ひとりひとりを永遠と偏在に参与せしめるリズム
(アーシュラ・K・ル・グィン『踊ってガナムへ』小尾芙佐訳)

あらゆる言語的現象の奥には、リズムがある。
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』詩・リズム、牛島信明訳)

I would define the Poetry of words as The Rhythmical of Beauty.
私は、詩の定義をリヅムをもって美を作り出したものとしたい。
(E.A.Poe:The Poetic Principle. 齋藤 勇訳)

リズムはわれわれのあらゆる創造の泉である。
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』詩・リズム、牛島信明訳)

言葉の詩とはつまり「美の韻律的創造」だと言えよう。
(ポオ『詩の原理』篠田一士訳)

論理的には全世界が自分の名前になるということが理解できるか?
(イアン・ワトスン『乳のごとききみの血潮』野村芳夫訳)

ほかにいかなるしるしありや?
(コードウェイナー・スミス『スキャナーに生きがいはない』朝倉久志訳)

言葉以外の何を使って、嫌悪する世界を消しさり、愛しうる世界を創りだせるというのか?
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

具体的な形はわれわれがつくりだすのだ
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』28、三田村 裕訳)

創造者であるとともに被創造物でもある
(ブライアン・W・オールディス『讃美歌百番』浅倉久志訳)

形と意味を与えられた苦しみ。
(サミュエル・R・ディレイニー『コロナ』酒井昭伸訳)

きみはこれになるか?
(ロバート・シルヴァーバーグ『旅』2、岡部宏之訳)

認識する主体と客体は一体となる。
(プロティノス『自然、観照、一者について』8、田之頭安彦訳)

どちらが原因でどちらが結果なのか、
(アラン・ライトマン『アインシュタインの夢』一九〇五年六月十日、浅倉久志訳)

原因と結果の同時生起
(ブロッホ『夢遊の人々』第三部・七、菊盛英夫訳)

人間とは、言語を創造することによって自己を創造した存在である。
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』詩・言語、牛島信明訳)

詩人は詩による創造であり、詩は詩人による創造である。
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』詩的啓示・インスピレーション、牛島信明訳)

窮迫と夜は人を鍛える。
(ヘルダーリン『パンと酒』川村二郎訳)

孤独、偉大な内面的孤独。
(リルケ『若い詩人への手紙』高安国世訳)

おそらく、最も優れたものは孤独の中で作られるものであるらしい。
(ヴァージニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

作家は文学を破壊するためでなかったらいったい何のために奉仕するんだい?
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)

きみはそれを知っている人間のひとりかね?
(ノーマン・メーラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)

そのとおりであることを祈るよ。
(アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』第一部・4、福島正実訳)

それが傑作でないというのなら、本など書いていったい何になろう?
(エルヴェ・ギベール『楽園』野崎歓訳)

本が、知識のあらゆる部門に亙って激増したことは、近代の悪弊の一つである。
(ポオ『覚書(マルジナリア)』本の濫造、吉田健一訳)

mediocres poetas nemo novit; bonos pauci.
平凡なる詩人を何人も知らず、良き詩人を少數者のみが知る。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』より、タキトゥスの言葉)

人間は見かけ通りであるべきです。
(シェイクスピア『オセロウ』第三幕・第三場、菅 泰男訳)

まさか見える通りの、そのままの人間ではあるまい。
(シェイクスピア『ヘンリー四世 第一部』第五幕・第四場、中野好夫訳)

あるいは、その逆かもしれない。
(アヴラム・デイヴィッドスン『眠れる美女ポリー・チャームズ』古屋美登里訳)

そうだ。
(ミラン・クンデラ『ジャックとその主人』第一幕・第五場、近藤真理訳)

ブーローニュの森へ散歩に行ってみたら?
(ボリス・ヴィアン『日々の泡』13、曾根元吉訳、疑問符加筆)

気に入ったことを言うじゃないか。
(モリエール『人間ぎらい』第三幕・第一場、内藤 濯訳)

ポケットには、何がはいっている?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』32、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

ヘミングウェイは嬉しそうに笑って見せた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

そこには
(ハーラン・エリスン『満員御礼』浅倉久志訳)

コンドームの包みがあったからである。
(ギュンター・グラス『猫と鼠』VII、高本研一訳、句点加筆)

二人は
(ラーゲルクヴィスト『バラバ』尾崎 義訳)

少し離れたバスの停留所へ向かった。
(カミュ『異邦人』第一部・5、窪田啓作訳)

バス停には、ごたごたと行列がいくつも並んでいた。
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』34、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

うしろで、もそもそやってるのは、だれの禿頭(はげあたま)だ?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

そう言いながら、
(サリンジャー『フラニーとゾーイー』フラニー、野崎 孝訳)

ヘミングウェイはポケットからハンケチを出して、顔を拭いた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

バスがやってきて、彼の前でドアがあいた。
(トム・リーミイ『サンディエゴ・ライトフット・スー』井辻朱美訳)

マルセルは
(バタイユ『眼球譚』第一部・物語・衣装箪笥、生田耕作訳)

そのハンケチほど汚いハンケチをみたことがなかった。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』5、清水俊二訳)

バスはいつもと違うコースをとった。
(リサ・タトル『きず』幹 遙子訳)

どこでもいい ここでさえなければ!
(ロバート・ロウエル『日曜の朝はやく目がさめて』金関寿夫訳)

ただ、この世界の外でさえあるならば!
(ボードレール『どこへでも此世の外へ』三好達治訳)

定義し理解するためには定義され理解されるものの外にいなければならない
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

ハンカチだ。もちろん、ハンカチがいる。
(エドモンド・ハミルトン『虚空の遺産』11、安田 均訳)

それ以来、幾年かが流れすぎた。
(シュトルム『大学時代』大学にて、高橋義孝訳、読点加筆)

さて、そのハンカチは、いまどこにあるだろう?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』84、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

ありあまるほどの平和。
(ハーラン・エリスン『眠れ、安らかに』浅倉久志訳)

自殺がいっぱい。
(ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』25、井上 勇訳、句点加筆)

自殺が。
(三島由紀夫『禁色』第四章、句点加筆)

僕タチハ、ミンナ森ニイル。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳、読点加筆)

僕タチハ、ミンナ森ニイル。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳、読点加筆)

やがて思い出に変わる この
瞬間とは何だろう
(ヒメーネス『石と空』第一部・石と空・8・思い出・1、荒井正道訳)

一切がことばになりうるわけではない。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第三部・日の出前、手塚富雄)

われわれは、自分のすべての回想を、自分に所有している、ただそれの全部を思いだす能力をもっていないだけだ、
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラII、井上究一郎訳)

もみの樹はひとりでに位置をかえる。
(ジュネ『葬儀』生田耕作訳)

いち早く過ぎる日々こそ最も美しい
(L・M・モンゴメリ『麒麟草の咲く日に』吉川道夫・柴田恭子訳)

美しい?
(J・G・バラード『希望の海、復讐の帆』浅倉久志訳)

マベル、恋をすることよりも美しいことがあるなんて言わないでね
(プイグ『赤い唇』第二部・第十三回、野谷文昭訳)

おお
(ボードレール『黄昏』三好達治訳)

愛よ
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第九章、青山隆夫訳)

愛の与える知識の深さよ!
(ホフマンスタール『世界の秘密』川村二郎訳)

お前は苦痛が何を受け継いだかを知っている。
(ジェフリー・ヒル『受胎告知』2、富士川義之訳)

それ自身の新しい言葉を持たない恋がどこにあるだろう?
(シオドア・スタージョン『めぐりあい』川村哲郎訳)

ことばはわれわれ自身の存在である。
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』詩的啓示・インスピレーション、牛島信明訳)

深い森のなかで孤独を楽しもうとしたって、無駄な話さ。
(ポオ『マリー・ロジェの謎』丸谷才一訳)

ubinam gentium sumus?
我々は世界の何處にゐるか。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』より、キケロの言葉)

恋をするにふさわしい場所。
(ペトロニウス『サテュリコン』131、国原吉之助訳)

人生には、恋をしている人々が常に心待ちにしているような奇跡がばらまかれているものだ。
(プルースト『失われた時を求めて』第二篇・花咲く乙女たちのかげに・I・第一部、鈴木道彦訳)

きれいな花ね。
(ジョン・ウィンダム『野の花』大西尹明訳)

花がなんだというのかね。
(ホラティウス『歌集』第三巻・八、鈴木一郎訳)

花じゃないの?
(ブライアン・W・オールディス『唾の樹』中村 融訳)

かつてはこれも人間だったのだ。
(ハーラン・エリスン『キャット・マン』池 央耿訳)

過ぎ去ったことがどのように空間のなかに収まることか、
──草地になり、樹になり、あるいは
空の一部となり……蝶(ちょう)も
花もそこにあって、何ひとつ欺くものはない
(リルケ『明日が逝くと……』高安国世訳)

凄いわ
(サバト『英雄たちと墓』第I部・9、安藤哲行訳)

花だ。
(ネルヴァル『火の娘たち』アンジェリック・第十の手紙、入沢康夫訳)

すごく大きいわね!
(ブライアン・W・オールディス『唾の樹』中村 融訳)

だまっててよ、ママ。
(フリッツ・ライバー『冬の蠅』大谷圭二訳)

なにがいけないっていうの?
(ジャネット・フォックス『従僕』山岸 真訳)

もうたくさん
(ジェイン・ヨーレン『死の姉妹』宮脇孝雄訳)

こつこつ
(トーマス・マン『ブッデンブローク家の人びと』第八部・第二章、望月市恵訳)

あ、
(ジョン・ダン『遺贈』篠田綾子訳)

上の人また叩いたわ
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

二つ三つ。
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』プロローグ、大島 豊訳)

このつぎで四度目になるが、
(デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』下・第十部・125、酒井昭伸訳)

きみにいたずらをした男かい?
(ルーシャス・シェパード『緑の瞳』3、友枝康子訳)

よく覚えているよ。
(ロッド・サーリング『ミステリーゾーン』機械に脅迫された男、小菅正夫訳)

どんなものでも、人間の思考の焦点に入ると、魂を持つようになる。
(ナボコフ『賜物』第4章、沼野充義訳)

完璧だからこそ横柄なこれらの幻像は
純粋な精神のなかで育った。だが、もともとそれは
何であったか? 屑物(くずもの)の山、街路の塵芥(ちりあくた)、
古い薬缶(やかん)、古い空瓶(あきびん)、ひしゃげたブリキ缶、
古い火のし、古い骨、ぼろ布、銭箱にしがみついて
喚(わめ)き立てるあの売女(ばいた)。
(イエイツ『サーカスの動物たちは逃げた』III、高松雄一訳)

皆ちりから出て、皆ちりに帰る。
(伝道の書三・二〇)

あとは卑猥な文句ばかりがつづいているが、
(ボリス・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』II・第10編・4、江川 卓訳)

こうしてアリスはとっかえひっかえ、一人二役で話をつづけていた。
(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』4、矢川澄子訳、句点加筆)



*



きみはわれわれがどうも間違った兎を追いかけているような気はしないかね?
(J・G・バラード『マイナス 1』伊藤 哲訳)

もちろんちがうさ。
(ゼナ・ヘンダースン『月のシャドウ』宇佐川晶子訳)

そんなことはありえない。
(フランク・ハーバート『ドサディ実験星』12、岡部宏之訳)

いいかい?
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

そもそも
(ウィリアム・ブラウニング・スペンサー『真夜中をダウンロード』内田昌之訳)

現実とはなにかね?
(ソムトウ・スチャリトクル『スターシップと俳句』第三部・19、冬川 亘訳)

なにを彼が見つめていたか?
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』20、菅野昭正訳)

このできごとのどこまでが現実にあったことだ?
(グレッグ・ベア『女王天使』下・第二部・54、酒井昭伸訳)

人間はいったい何を確実に知っているといえるだろう?
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』6、山田和子訳)

言葉とは何か?
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳)

いったい、御言(ロゴス)とは何なのだ?
(フロベール『聖アントワヌの誘惑』第四章、渡辺一夫訳)

以前知らなかった一つの存在を認識したために思考が豊かになっているので、
(ノサック『滅亡』神品芳夫訳)

 すべていままで私の精神に統一なしにはいってきた要素が、ことごとく理解されるものとなり、明瞭な姿をあらわしてきた、
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラ、井上究一郎訳)

今こそわたしにも、世界がなんでできあがっているかがわかった。人間とはどんなものかがわかった。
(フィリップ・K・ディック『あなたをつくります』13、佐藤龍雄訳)

なぜそれに気づかなかったのだろう?
(ワイルド『ドリアン・グレイの画像』第二章、西村孝次訳)

 心は、実のところ、忘れるのがとても上手だ。それも単にどうでもいいことを忘れるだけでなく、すばらしく貴重な感覚を忘れて、それを再発見させるほどの知恵を備えている。
(ブライアン・ステイブルフォード『地を継ぐ者』第一部・1、嶋田洋一訳)

天は汝等を招き、その永遠(とこしえ)に美しき物を示しつゝ汝等をめぐる、
(ダンテ『神曲』淨火・第十四曲、山川丙三郎訳)

濃い緑と青
(ランボー『飾画』平凡な夜曲、小林秀雄訳)

眼下に広がるのは、生命に満ちあふれた世界だった。
(アーサー・C・クラーク『3001年終局への旅』プロローグ、伊藤典夫訳)

有限なものとなったのは無限のものだった。
(イヴ・ボヌフォワ『大地の終るところで』II、清水 茂訳)

魂だけが魂を理解する
(ホイットマン『草の葉』完全な者たち、酒本雅之訳)

愛の道は
愛だけが通れる
(カルロス・ドルモン・ジ・アンドラージ『食卓』ナヲエ・タケイ・ダ・シルバ訳)

愛を理解し得るのは愛だけ
(ポオの書簡より、一八四八年十月十八日付、セアラ・ウィットマン宛、坂本和男訳)

 芸術のただ一つの起源は、イデアの認識である。そして芸術のただ一つの目標は、この認識の伝達ということに外ならない。
(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』第三巻・第三十六節、西尾幹二訳)

兄弟よ。しかするなかれ、汝も魂、汝の見る者も魂なれば。
(ダンテ『神曲』淨火・第二十一曲、山川丙三郎訳、読点加筆)

 作品とはけっしてさまざまな特殊な資質を見せびらかしたものではなく、われわれの生のなかにあるもっとも内的なもの、事物のなかにあるもっとも奥深いものの表現
(プルースト『シャルダンとレンブラント』粟津則夫訳)

われわれは事物の精神を、魂を、特徴をつかまえなくてはならない。
(バルザック『知られざる傑作』一、水野 亮訳)

古びてゆく屋根の縁さえ
空の明るみを映して、──
感じるものとなり、国となり、
答えとなり、世界となる。
(リルケ『かつて人間がけさほど……』高安国世訳)

自然の事実はすべて何かの精神的事実の象徴だ。
(エマソン『自然』四、酒本雅之訳)」

わたしたちの言葉の中に それはひそんでいる
(ホフマンスタール『世界の秘密』川村二郎訳)

言葉は現実を表わしているのではない。言葉こそ現実なのだ。
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳)

言葉はそれが表示している対象物以上に現実的な存在なのだ。
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳)



*



ヘミングウェイが入ってきた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』32、清水俊二訳)

元気そうじゃないか。
(チャールズ・ウェッブ『卒業』1、佐和 誠訳、句点加筆)

プルーストは
(コクトー『阿片』堀口大學訳)

いつものきまりの席で、原稿を書いているところだった。
(ボリス・ヴィアン『日々の泡』56、曾根元吉訳)

君がよく引用した文句は何だったっけ?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』14、木村 浩・松永緑彌訳)

ひとは他人の経験からなにも学びはしない。
(エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)

いや、まったく同感だ。──さしあたりはね。
(コレット『牝猫』工藤庸子訳、読点及び句点加筆)

まさに詩人のいうとおりだ。
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)

しかし、このことをほんとうに信じ、実際そうだと思うのは難しいね。
(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)

コーヒーが運ばれてきた。
(トーマス・マン『ブッデンブローグ家の人びと』第一部・第八章、望月市恵訳)

 男にもし膣と乳房があれば、世の中の男はひとり残らずホモになっているだろう、とシルビア・リゴールは口癖のように言っていた。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』変容の館、木村榮一訳)

ヤコービは、彼の数学上の発見の秘密を問われて「つねに逆転させなければならない」といった。
(E・T・ベル『数学をつくった人びとII』21、田中 勇・銀林 浩訳)

みるものが変われば心も変わる。
(シェイクスピア『トライラスとクレシダ』V・ii、玉泉八州男訳)

心のなかに起っているものをめったに知ることはできないものではあるが、
(ノーマン・メーラー『鹿の園』第三部・10、山西英一訳)

隠れているもので、知られてこないものはない。
(『マタイによる福音書』一〇・二六)

そのような実在は、それがわれわれの思考によって再創造されなければわれわれに存在するものではない
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラI、井上究一郎訳)

一体どのようにして、だれがわたしたちを目覚ますことができるというのか。
(ノサック『滅亡』神品芳夫訳)

だれがぼくらを目覚ませたのか、
(ギュンター・グラス『ブリキの音楽』高本研一訳)

ことば、ことば、ことば。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)

言葉と精神とのあいだの内奥の合一の感をわれわれに与えるのが、詩人の仕事なのであり
(ヴァレリー『詩と抽象的思考』佐藤正彰訳)

これらはことばである
(オクタビオ・パス『白』鼓 直訳)

 実際に見たものよりも、欺瞞、神秘、死に彩られた物語に書かれた月のほうが印象に残っているのはどういうわけだろう。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』世界一の美少女、木村榮一訳)

言葉は虚偽だ。
(ヴァージニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

芸術作品はすべて美しい嘘である。
(スタンダール『ウォルター・スコットと『クレーヴの奥方』』小林 正訳)

詩は優雅で空虚な欺瞞だった。
(ルーシャス・シェパード『緑の瞳』4、友枝康子訳)

といってもそこにはなんらかの真実がある。
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラI、井上究一郎訳)

どんな巧妙な嘘にも、真実は含まれている
(A・E・ヴァン・ヴォクト『スラン』10、浅倉久志訳)

このうえなく深い虚偽からかがやくような新しい真実が生まれるにちがいない、
(ブロッホ『ウェルギリウスの死』第III部、川村二郎訳)

どんな人間の言葉も真実ではない。
(ペール・ラーゲルクヴィスト『星空の下で』山室 静訳)

ぼくだってどこに真実があるかなんて知っちゃいないさ。
(コルターサル『石蹴り遊び』41、土岐恒二訳)

そも人間の愛にそれほど真実がこもっているのだろうか。
(エミリ・ブロンテ『いざ、ともに歩もう』松村達雄訳)

単純な答えなどない。
(アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』第二部・14、中田耕治訳)

人間はいったい何を確実に知っているといえるだろう?
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』6、山田和子訳)

そもそもこの世の中で、他人のことを気にかけている人間がいるのだろうか?
(P・D・ジェイムズ『ナイチンゲールの屍衣』第四章・2、隅田たけ子訳)

愛情深い人間なんてほんとうにいるのでしょうか。
(モーリヤック『ホテルでのテレーズ』藤井史郎訳)

人間が真実の相において愛することができるのは、自分自身なのであり
(三島由紀夫『告白するなかれ』)

愛とはそれを媒体としてごくたまに自分自身を享受することのできる一つの感情にすぎない。
(E・M・フォースター『モーリス』第四部・44、片岡しのぶ訳)

 おまえはいつも愚かな頭のなかで、ありもしない人間の間の絆を実在するかのように考えてしまうらしいな。それがおまえのすべての不幸のもとなんだ。
(マルキ・ド・サド『新ジェスティーヌ』澁澤龍彦訳)

つきつめて分析すれば、人はみな他人とは隔絶されている。
(フィリップ・K・ディック『ジョーンズの世界』10、白石 朗訳)

自分の皮膚のなかに、独りきりでいる。
(D・H・ロレンス『死んだ男』I、幾野 宏訳)

何事も頭脳の中で起こる。
(ワイルド『獄中記』田部重治訳)

すべては主観である。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第二章・一五、神谷美恵子訳)

 われわれは孤独に存在している。人間は自己から抜けだせない存在であり、自己のなかでしか他人を知らない存在である、
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

私はふいに、はっきりした理由はわからないけれども、十年の間、自分を欺いていたことを知ったのである。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

われわれにもっとも暴威をふるう情熱は、その起原についてわれわれが自分を欺いている情熱なのである。
(ワイルド『ドリアン・グレイの画像』第四章、西村孝次訳)

愛は何物でもない、苦悩がすべてだ
(ラーゲルクヴィスト『愛は何物でもない……』山室 静訳)

苦しみをこそ、ぼくは愛している。
(デュラス『北の愛人』清水 徹訳)

わたしの神よ、わたしの苦痛よ、
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第四部、手塚富雄訳)

不幸は俺の神であった。
(ランボー『地獄の季節』小林秀雄訳)

不幸は情熱の糧なのだ。
(ターハル・ベン=ジェルーン『聖なる夜』9、菊地有子訳)

情熱こそは人間性の全部である。
(バルザック『人間喜劇』序、中島健蔵訳)

魂の他のどんな状態にもまして、悲しみは、人間の性格や運命を深く洞察させる。
(スタール夫人『北方文学と南方文学』加藤晴久訳)

増大する苦痛が苦痛の観察を強いるのです。
(ヴァレリー『テスト氏』テスト氏との一夜、村松 剛・菅野昭正訳)

地上の人生、それは試練にほかならないのではないでしょうか。だれが苦痛や困難を欲する者がありましょう。
(アウグスティヌス『告白』第十巻・第二十八章・三九、山田 晶訳)

人間がときとして、おそろしいほど苦痛を愛し、夢中にさえなることがあるのも、間違いなく事実である。
(ドストエフスキー『地下室の手記』I・9、江川 卓訳)

たしかに
(ジョン・ブラナー『木偶(でく)』吉田誠一訳)

あらゆる出会いが苦しい試練だ。
(フィリップ・K・ディック『ユービック : スクリーンプレイ』34、浅倉久志訳)

その傷によって
(ヨシフ・ブロツキー『主の迎接祭(スレーチエニエ)』小平 武訳)

違った状態になる
(チャールズ・オルソン『かわせみ』4、出淵 博訳)

何もかも
(ロバート・A・ハインライン『悪徳なんかこわくない』上・1、矢野 徹訳)

 悲しみは、一回ごとに一つの法則をわれわれにあかすわけではないにしても、そのたびにわれわれを真実のなかにひきもどし、物事を真剣に解釈するようにさせる
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、井上究一郎訳)

苦しみは人生で出会いうる最良のものである
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

世界はすべての人間を痛めつけるが、のちには多くの人がその痛めつけられた場所で、かえって強くなることもある。
(ヘミングウェイ『武器よさらば』第三四章、鈴木幸夫訳)

苦悩(くるしみ)は祝福されるのだ。
(フロベール『聖アントワヌの誘惑』第三章、渡辺一夫訳)

苦痛の深部を経て、人は神秘に、真髄に達するのだ。
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

愛することもまたいいことです。なぜなら愛は困難だからです。
(リルケ『若い詩人への手紙』高安国世訳)

多感な心と肉体を捻じり合わせて愛に変えうるのは苦しみだけ
(E・M・フォースター『モーリス』第四部・42、片岡しのぶ訳)

おそらく、苦悩はつねに最強のものなのだ。
(マルロー『アルテンブルクのくるみの木』シャルトル捕虜収容所、橋本一明訳)

不幸はしばしばもっと大きな苦しみによって報いられる。
(ルネ・シャール『砕けやすい年(抄)』水田喜一朗訳)

もっとも多く愛する者は敗者である、そして苦しまねばならぬ──
(トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳)

 愛が單なる可能性にすぎない以上、それはしばしば躓きやすいものだ。いや寧ろ、躓くことによつて愛は意識されやすいのだ。
(福永武彦『愛の試み愛の終り』愛の試み・情熱)

愛していなければ悲しみを感じることはできない
(フィリップ・K・ディック『流れよわが涙、と警官は言った』第二部・11、友枝康子訳)

現実とは、愛の現実よりほかにないのだ!
(ブロッホ『ウェルギリウスの死』第III部、川村二郎訳)

人間であることはじつに困難だよ、
(マルロー『希望』第二編・第一部・7、小松 清訳)

おお、ソクラテスよ、なんの障害もあなたの進行を妨げないとすると、そもそも進行そのものが不可能になる。
(ヴァレリー『ユーパリノス あるいは建築家』佐藤昭夫訳)

いかなる行動も営為も思惟(しい)も、ひたすら人を生により深くまきこむためにのみあるのだ。
(フィリップ・K・ディック『あなたをつくります』7、佐藤龍雄訳)

そもそも苦しむことなく生きようとするそのこと自体に一つの完全な矛盾があるのだ、と言ってもよいくらいである。
(ショーペンハウアー『意思と表象としての世界』第一巻・第十六節、西尾幹二訳)

苦悩はいとも永い一つの瞬間である。
(ワイルド『獄中記』田部重治訳)

ひとは、幸福でしかも孤独でいることができるだろうか?
(カミュ『手帖』第四部、高畠正明訳)

窮迫と夜は人を鍛える。
(ヘルダーリン『パンと酒』川村二郎訳)

孤独、偉大な内面的孤独。
(リルケ『若い詩人への手紙』高安国世訳)

おそらく、最も優れたものは孤独の中で作られるものであるらしい。
(ヴァージニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

苦しみは焦点を現在にしぼり、懸命(、、、)な闘いを要求する。
(カミュ『手帖』第四部、高畠正明訳)

苦しむこと、教えられること、変化すること。
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』不幸、田辺 保訳)

創造する者が生まれ出るために、苦悩と多くの変身が必要なのである。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)

変身は偽りではない……
(リルケ『月日が逝くと……』高安国世訳)

意志と思惟はいっさいを変容させた。
(アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』第二部・15、中田耕治訳)

おれは変わった……「おれ」の意味が変わった……
(シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』23、鈴木 晶訳)

人間であるというのは、いつもいつも変化しているということなんだ。
(ソムトウ・スチャリトクル『しばし天の祝福より』6、伊藤典夫訳)

そうだ、
(原 民喜『心願の国』)

君はどう思う、戦争なんてものも、いい思い出になるものなのかな?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

どうかしてるよ、
(コクトー『怖るべき子供たち』一、東郷青児訳)

アーネスト。
(ワイルド『まじめが肝心』第二幕、西村孝次訳)

戦争がいいなんていえるのは、
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳)

気が狂っている。
(使徒行伝二六・二四)

なんだよ、そのいいがかりは?
(ハーラン・エリスン『ガラスの小鬼が砕けるように』伊藤典夫訳)

まあいいさ。
(ジュリアス・レスター『すばらしいバスケットボール』第一部・1、石井清子訳)

で、これからどうするんだ?
(ギュンター・グラス『猫と鼠』XIII、高本研一訳)

道楽者のアーネストは、どうするつもりだい?
(ワイルド『まじめが肝心』第一幕、西村孝次訳)

あ、
(ジョン・ダン『遺贈』篠田綾子訳)

そうだ。
(ミラン・クンデラ『ジャックとその主人』第一幕・第五場、近藤真理訳)

ブーローニュの森へ散歩に行ってみたら?
(ボリス・ヴィアン『日々の泡』13、曾根元吉訳、疑問符加筆)

気に入ったことを言うじゃないか。
(モリエール『人間ぎらい』第三幕・第一場、内藤 濯訳)

ポケットには、何がはいっている?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』32、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

ヘミングウェイは嬉しそうに笑って見せた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

そこには
(ハーラン・エリスン『満員御礼』浅倉久志訳)

コンドームの包みがあったからである。
(ギュンター・グラス『猫と鼠』VII、高本研一訳、句点加筆)

二人は
(ラーゲルクヴィスト『バラバ』尾崎 義訳)

少し離れたバスの停留所へ向かった。
(カミュ『異邦人』第一部・5、窪田啓作訳)

バス停には、ごたごたと行列がいくつも並んでいた。
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』34、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

うしろで、もそもそやってるのは、だれの禿頭(はげあたま)だ?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

そう言いながら、
(サリンジャー『フラニーとゾーイー』フラニー、野崎 孝訳)

ヘミングウェイはポケットからハンケチを出して、顔を拭いた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

バスがやってきて、彼の前でドアがあいた。
(トム・リーミイ『サンディエゴ・ライトフット・スー』井辻朱美訳)

マルセルは
(バタイユ『眼球譚』第一部・物語・衣装箪笥、生田耕作訳)

そのハンケチほど汚いハンケチをみたことがなかった。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』5、清水俊二訳)

バスはいつもと違うコースをとった。
(リサ・タトル『きず』幹 遙子訳)

どこでもいい ここでさえなければ!
(ロバート・ロウエル『日曜の朝はやく目がさめて』金関寿夫訳)

ただ、この世界の外でさえあるならば!
(ボードレール『どこへでも此世の外へ』三好達治訳)

定義し理解するためには定義され理解されるものの外にいなければならない
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

ハンカチだ。もちろん、ハンカチがいる。
(エドモンド・ハミルトン『虚空の遺産』11、安田 均訳)

まるで金魚のようだ
(グレッグ・ベア『永劫』下・57、酒井昭伸訳)

それ、どういう意味?
(J・G・バラード『逃がしどめ』永井 淳訳)

一匹の魚にとって自分の養魚鉢を見るのはたやすいことではありませんね
(マルロー『アルテンブルクのくるみの木』第二部・三、橋本一明訳)

ぼくも以前は金魚鉢が大好きでした。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・27、土岐恒二訳)

それ以来、幾年かが流れすぎた。
(シュトルム『大学時代』大学にて、高橋義孝訳、読点加筆)

さて、そのハンカチは、いまどこにあるだろう?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』84、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

ありあまるほどの平和。
(ハーラン・エリスン『眠れ、安らかに』浅倉久志訳)

自殺がいっぱい。
(ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』25、井上 勇訳、句点加筆)

自殺が。
(三島由紀夫『禁色』第四章、句点加筆)

僕タチハ、ミンナ森ニイル。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳、読点加筆)

僕タチハ、ミンナ森ニイル。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳、読点加筆)



*



またウサギかな?
(ジェイムズ・アラン・ガードナー『プラネット・ハザード』上・5、関口幸男訳)

兎が三羽、用心深くぴょんと出てきた。
(トマス・M・ディッシュ『キャンプ・コンセントレーション』一冊目・六月十六日、野口幸夫訳)

誰にも永遠を手にする権利はない。だが、ぼくたちの行為の一つ一つが永遠を求める
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

というのは、瞬間というものしか存在してはいないからであり、そして瞬間はすぐに消え失せてしまうものだからだ
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』25、菅野昭正訳)

きみが生きている限り、きみはまさに瞬間だ、
(H・G・ウェルズ『解放された世界』第三章・3、浜野 輝訳)

一切は過ぎ去る。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)

愛はたった一度しか訪れない、
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

自分自身のものではない記憶と感情 (……) から成る、めまいのするような渦巻き
(エドモンド・ハミルトン『太陽の炎』中村 融訳)

突然の認識
(テリー・ビッスン『英国航行中』中村 融訳)

それはほんの一瞬だった。
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『一瞬(ひととき)のいのちの味わい』3、友枝康子訳)

ばらばらな声が、ひとつにまとまり
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

すべての場所が一つになる
(ロバート・シルヴァーバーグ『旅』2、岡部宏之訳)

すべてがひとときに起ること。
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)

それこそが永遠
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)

一たびなされたことは永遠に消え去ることはない。
(エミリ・ブロンテ『ゴールダインの牢獄の洞窟にあってA・G・Aに寄せる』松村達雄訳)

いちど気がつくと、なぜ今まで見逃していたのか、ふしぎでならない。
(ドナルド・モフィット『第二創世記』第二部・7、小野田和子訳)

一度見つけた場所には、いつでも行けるのだった。
(ジェイムズ・ホワイト『クリスマスの反乱』吉田誠一訳)

瞬間は永遠に繰り返す。
(イアン・ワトスン『バビロンの記憶』佐藤高子訳)

かつて存在したものは、現在も存在し、これからも永久に存在するのだ。
(ロバート・A・ハインライン『愛に時間を』3、矢野 徹訳)

人間は永遠に生きられる。
(ドナルド・モフィット『創世伝説』下・第二部・12、小野田和子訳)

人間こそがすべてなのだ。
(エマソン『償い』酒本雅之訳)

愛は僕らをひきよせる。
(ジョン・ダン『砕かれた心』高松雄一訳)

in omnibus caritas.
萬事において愛。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

omnia vincit amor.
愛は一切を征服す。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』より、ウェルギリウスの言葉)

愛することは持続することだ。
(リルケ『マルテの手記』高安国世訳)

生きのこるものは愛だけである、と。
(フィリップ・アーサー・ラーキン『アーンデルの墓』澤崎順之助訳)

幸福も不幸も、魂に属すること。
(デモクリトス断片一七〇、廣川洋一訳)

自分の魂など、どうにでも作り変えられるものさ。
(マルキ・ド・サド『新ジェスティーヌ』澁澤龍彦訳)

もはや存在しないようにさせることも可能なのだ。
(ジュネ『葬儀』生田耕作訳)

おまえの幸福はここにあるのだろうか、
(リルケ『レース』I、高安国世訳)

単純な答えなどない。
(アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』第二部・14、中田耕治訳)

人間はいったい何を確実に知っているといえるだろう?
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』6、山田和子訳)

しかし、わたしは幸福を感じていた。
(シャルル・プリニエ『醜女の日記』一九三七年一月二十四日、関 義訳)

ubinam gentium sumus?
我々は世界の何處にゐるか。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』より、キケロの言葉)

恋をするにふさわしい場所。
(ペトロニウス『サテュリコン』131、国原吉之助訳)

深い森のなかで孤独を楽しもうとしたって、無駄な話さ。
(ポオ『マリー・ロジェの謎』丸谷才一訳)



*



ヘミングウェイが入ってきた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』32、清水俊二訳)

ヘミングウェイが入ってきた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』32、清水俊二訳)

ヘミングウェイが入ってきた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』32、清水俊二訳)

元気そうじゃないか。
(チャールズ・ウェッブ『卒業』1、佐和 誠訳、句点加筆)

元気そうじゃないか。
(チャールズ・ウェッブ『卒業』1、佐和 誠訳、句点加筆)

元気そうじゃないか。
(チャールズ・ウェッブ『卒業』1、佐和 誠訳、句点加筆)

プルーストは
(コクトー『阿片』堀口大學訳)

いつものきまりの席で、原稿を書いているところだった。
(ボリス・ヴィアン『日々の泡』56、曾根元吉訳)

君がよく引用した文句は何だったっけ?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』14、木村 浩・松永緑彌訳)

君がよく引用した文句は何だったっけ?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』14、木村 浩・松永緑彌訳)

君がよく引用した文句は何だったっけ?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』14、木村 浩・松永緑彌訳)

ひとは他人の経験からなにも学びはしない。
(エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)

いや、まったく同感だ。──さしあたりはね。
(コレット『牝猫』工藤庸子訳、読点及び句点加筆)

いや、まったく同感だ。──さしあたりはね。
(コレット『牝猫』工藤庸子訳、読点及び句点加筆)

いや、まったく同感だ。──さしあたりはね。
(コレット『牝猫』工藤庸子訳、読点及び句点加筆)

まさに詩人のいうとおりだ。
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)

しかし、このことをほんとうに信じ、実際そうだと思うのは難しいね。
(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)

コーヒーが運ばれてきた。
(トーマス・マン『ブッデンブローグ家の人びと』第一部・第八章、望月市恵訳)

光とは何だろうか。
(イヴ・ボヌフォワ『エロス城のまえのプシュケー』清水 茂訳)

光?
(アレクサンドル・A・ボグダーノフ『技師メンニ』第IV章・2、深見 弾訳)

あの待ち伏せをしている光
(エミリ・ディキンスンの詩・一五八一番、新倉俊一・鵜野ひろ子訳)

すべて真の詩、すべての真の芸術の起源は無意識にある。
(コリン・ウィルソン『ユング』4、安田一郎訳)

自分であり自分でないもの
(シェイクスピア『ロミオとジューリエット』第一幕・第一場、平井正穂訳)

ことばを介して、人間は自らの隠喩となる。
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』詩・言語、牛島信明訳)

ことばは誰に呼ばれなくても、やって来て結びつく。
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』詩・リズム、牛島信明訳)

真の原動力とは、快楽なのだよ
(デイヴィッド・ブリン『キルン・ピープル』下・第三部・50、酒井昭伸訳)

事物や存在を支える偶然
(イヴ・ボヌフォワ『詩の行為と場所(抄)』宮川 淳訳)

芸術は偶然の終るところに始まる。しかし芸術を富ませるのは偶然が芸術にもたらすすべてのものなのだ
(ピエール・ルヴェルディ『私の航海日誌』高橋彦明訳)

世界は花でいっぱいだ。
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・スペース』8、金子 司訳)

すべての花がそろってる
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・スペース』23、金子 司訳)

詩人はテーマを選ばない、テーマの方が詩人を選ぶのだ
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第五章・36、青木久恵訳)

内容は形式として生まれてくるほかない
(オスカー・レルケ『詩の冒険』神品芳夫訳)

重要なのは形式なのである。
(P・D・ジェイムズ『ナイチンゲールの屍衣』第四章・8、隅田たけ子訳)

ひょっとして、文体のことですか?
(ナボコフ『賜物』第1章、沼野充義訳)

言語はその本質上、対話である。
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』詩的啓示・インスピレーション、牛島信明訳)

引用だけで会話を組み立てられると思いこんでいるんだがね
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第三部・10、小川 隆訳)

コラージュを作っていた
(P・D・ジェイムズ『正義』第三部・37、青木久恵訳)

詩なんだ
(P・D・ジェイムズ『神学校の死』第一部・3、青木久恵訳)

その詩なら知っている
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』2・4、小泉喜美子訳)

'Tis better to have loved and lost
Than never to have loved at all.
愛せしことかつてなきよりは、
愛して失えるこそまだしもなれ。
(Tennyson:In Memoriam,xxvii, 齋藤 勇訳)

人生なんて何があったところでジョークでしかないのさ。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・6、小川 隆訳)

諦観は、それが苦痛に対する自覚に変わるのでなければ卑劣である。
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』詩と歴史・英雄的世界、牛島信明訳)

いやいや
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

単純にして明快な事実だよ。
(チャールズ・プラット『バーチャライズド・マン』第一部・暗闇、大森 望訳)

 路傍の瓦礫の中から黄金をひろい出すというよりも、むしろ瓦礫そのものが黄金の仮装であったことを見破る者は詩人である。
(高村光太郎『生きた言葉』)

そうだ、
(原 民喜『心願の国』)

君はどう思う、戦争なんてものも、いい思い出になるものなのかな?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

君はどう思う、戦争なんてものも、いい思い出になるものなのかな?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

君はどう思う、戦争なんてものも、いい思い出になるものなのかな?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

どうかしてるよ、
(コクトー『怖るべき子供たち』一、東郷青児訳)

アーネスト。
(ワイルド『まじめが肝心』第二幕、西村孝次訳)

どうかしてるよ、
(コクトー『怖るべき子供たち』一、東郷青児訳)

アーネスト。
(ワイルド『まじめが肝心』第二幕、西村孝次訳)

どうかしてるよ、
(コクトー『怖るべき子供たち』一、東郷青児訳)

アーネスト。
(ワイルド『まじめが肝心』第二幕、西村孝次訳)

戦争がいいなんていえるのは、
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳)

戦争がいいなんていえるのは、
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳)

戦争がいいなんていえるのは、
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳)

気が狂っている。
(使徒行伝二六・二四)

気が狂っている。
(使徒行伝二六・二四)

気が狂っている。
(使徒行伝二六・二四)

なんだよ、そのいいがかりは?
(ハーラン・エリスン『ガラスの小鬼が砕けるように』伊藤典夫訳)

なんだよ、そのいいがかりは?
(ハーラン・エリスン『ガラスの小鬼が砕けるように』伊藤典夫訳)

なんだよ、そのいいがかりは?
(ハーラン・エリスン『ガラスの小鬼が砕けるように』伊藤典夫訳)

まあいいさ。
(ジュリアス・レスター『すばらしいバスケットボール』第一部・1、石井清子訳)

で、これからどうするんだ?
(ギュンター・グラス『猫と鼠』XIII、高本研一訳)

道楽者のアーネストは、どうするつもりだい?
(ワイルド『まじめが肝心』第一幕、西村孝次訳)

道楽者のアーネストは、どうするつもりだい?
(ワイルド『まじめが肝心』第一幕、西村孝次訳)

道楽者のアーネストは、どうするつもりだい?
(ワイルド『まじめが肝心』第一幕、西村孝次訳)

あ、
(ジョン・ダン『遺贈』篠田綾子訳)

そうだ。
(ミラン・クンデラ『ジャックとその主人』第一幕・第五場、近藤真理訳)

ブーローニュの森へ散歩に行ってみたら?
(ボリス・ヴィアン『日々の泡』13、曾根元吉訳、疑問符加筆)

気に入ったことを言うじゃないか。
(モリエール『人間ぎらい』第三幕・第一場、内藤 濯訳)

気に入ったことを言うじゃないか。
(モリエール『人間ぎらい』第三幕・第一場、内藤 濯訳)

気に入ったことを言うじゃないか。
(モリエール『人間ぎらい』第三幕・第一場、内藤 濯訳)

ポケットには、何がはいっている?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』32、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

ポケットには、何がはいっている?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』32、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

ポケットには、何がはいっている?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』32、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

ヘミングウェイは嬉しそうに笑って見せた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

ヘミングウェイは嬉しそうに笑って見せた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

ヘミングウェイは嬉しそうに笑って見せた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

そこには
(ハーラン・エリスン『満員御礼』浅倉久志訳)

コンドームの包みがあったからである。
(ギュンター・グラス『猫と鼠』VII、高本研一訳、句点加筆)

そこには
(ハーラン・エリスン『満員御礼』浅倉久志訳)

コンドームの包みがあったからである。
(ギュンター・グラス『猫と鼠』VII、高本研一訳、句点加筆)

そこには
(ハーラン・エリスン『満員御礼』浅倉久志訳)

コンドームの包みがあったからである。
(ギュンター・グラス『猫と鼠』VII、高本研一訳、句点加筆)

わたしたちは
(フリッツ・ライバー『ビッグ・タイム』3、青木日出夫訳)

少し離れたバスの停留所へ向かった。
(カミュ『異邦人』第一部・5、窪田啓作訳)

バス停には、ごたごたと行列がいくつも並んでいた。
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』34、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

うしろで、もそもそやってるのは、だれの禿頭(はげあたま)だ?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』7、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

そう言いながら、
(サリンジャー『フラニーとゾーイー』フラニー、野崎 孝訳)

ヘミングウェイはポケットからハンケチを出して、顔を拭いた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

ヘミングウェイはポケットからハンケチを出して、顔を拭いた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

ヘミングウェイはポケットからハンケチを出して、顔を拭いた。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』33、清水俊二訳)

バスがやってきて、彼の前でドアがあいた。
(トム・リーミイ『サンディエゴ・ライトフット・スー』井辻朱美訳)

バスがやってきて、彼の前でドアがあいた。
(トム・リーミイ『サンディエゴ・ライトフット・スー』井辻朱美訳)

バスがやってきて、彼の前でドアがあいた。
(トム・リーミイ『サンディエゴ・ライトフット・スー』井辻朱美訳)

マルセルは
(バタイユ『眼球譚』第一部・物語・衣装箪笥、生田耕作訳)

そのハンケチほど汚いハンケチをみたことがなかった。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』5、清水俊二訳)

そのハンケチほど汚いハンケチをみたことがなかった。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』5、清水俊二訳)

そのハンケチほど汚いハンケチをみたことがなかった。
(レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』5、清水俊二訳)

バスはいつもと違うコースをとった。
(リサ・タトル『きず』幹 遙子訳)

どこでもいい ここでさえなければ!
(ロバート・ロウエル『日曜の朝はやく目がさめて』金関寿夫訳)

ただ、この世界の外でさえあるならば!
(ボードレール『どこへでも此世の外へ』三好達治訳)

定義し理解するためには定義され理解されるものの外にいなければならない
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

ハンカチだ。もちろん、ハンカチがいる。
(エドモンド・ハミルトン『虚空の遺産』11、安田 均訳)

それ以来、幾年かが流れすぎた。
(シュトルム『大学時代』大学にて、高橋義孝訳、読点加筆)

さて、そのハンカチは、いまどこにあるだろう?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』84、木村 浩・松永緑彌訳、読点加筆)

ありあまるほどの平和。
(ハーラン・エリスン『眠れ、安らかに』浅倉久志訳)

自殺がいっぱい。
(ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』25、井上 勇訳、句点加筆)

自殺が。
(三島由紀夫『禁色』第四章、句点加筆)

僕タチハ、ミンナ森ニイル。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳、読点加筆)

僕タチハ、ミンナ森ニイル。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳、読点加筆)



*



ここにはもう一匹もウサギはいない
(ジョン・コリア『少女』村上哲夫訳)

どうして?
(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』5、矢川澄子訳)

認識は存在そのものとはなんの関係もないのだ。
(ロレンス『エドガー・アラン・ポオ』羽矢謙一訳)

まさかね。
(ガートルード・スタイン『アイダ』第二部、落石八月月訳)

人生のあらゆる瞬間はかならずなにかを物語っている、
(ジェイムズ・エルロイ『キラー・オン・ザ・ロード』四・16、小林宏明訳)

人生を楽しむ秘訣は、細部に注意を払うこと。
(シオドア・スタージョン『君微笑めば』大森 望訳)

ほんのちょっとした細部さえ、
(リチャード・マシスン『人生モンタージュ』吉田誠一訳)

ひとつぶの砂にも世界を
いちりんの野の花にも天国を見
きみのたなごころに無限を
そしてひとときのうちに永遠をとらえる
(ブレイク『無心のまえぶれ』寿岳文章訳)

魂は物質を通さずにはわれわれの物質的な眼に現われることがない、
(サバト『英雄たちと墓』第I部・2、安藤哲行訳)

われわれのあらゆる認識は感覚にはじまる。
(レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』人生論、杉浦明平訳)

われわれにとって自分の感じていることのみが存在している
(プルースト『一九一五年末ごろのプルーストによる小説続篇の解明』、鈴木道彦訳)

おそらく認識や知などはすべて、比較、相似に帰せられるだろう。
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

なにものにも似ていないものは存在しない。
(ヴァレリー『邪念その他』P、清水 徹訳)

明白な類似から出発して、あなたがたはさらに秘められた別の類似へとむかってゆく
(マルロオ『西欧の誘惑』小松 清・松浪信三郎訳)

自然界の万象は厳密に連関している
(ゲーテ『花崗岩について』小栗 浩訳)

一つの広大な類似が万物を結び合わせる
(ホイットマン『草の葉』夜の浜辺でひとり、酒本雅之訳)

あらゆるものがあらゆるものとともにある
(ホルヘ・ギリェン『ローマの猫』荒井正道訳)

たがいに与えあい、たがいに受け取りあう。
(ヴァレリー『ユーパリノス あるいは建築家』佐藤昭夫訳)

順序を入れかえたり、語をとりかえたりできるので、たえず内容を変える
(モンテーニュ『エセー』第II巻・第17章、荒木昭太郎訳)

res ipsa loquitur.
物そのものが語る。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

 そしてこの語りたいという言語衝動こそが、言葉に霊感がある徴(しるし)、わたしの身内で言葉が働いている徴だとしたら?
(ノヴァーリス『対話・独白』今泉文子訳)

万物は語るが、さあ、お前、人間よ、知っているか
何故万物が語るかを? 心して聞け、それは、風も、沼も、焔も、
樹々も蘆も岩根も、すべては生き、すべては魂に満ちているからだ。
(ユゴー『闇の口の語りしこと』入沢康夫訳)

 魂は万物をとおして生き、活動しようとひたむきに努力する。たったひとつの事実になろうとする。あらゆるものが魂の属性にならねばならぬ、──権力も、快楽も、知識も、美もだ。
(エマソン『償い』酒本雅之訳)

魂と無縁なものは何一つ、ただの一片だって存在しないことが分かっている。
(ホイットマン『草の葉』ポーマノクからの旅立ち・12、酒本雅之訳)

匂い同士は知りあいではない。
(ヴァレリー『残肴集(アナレクタ)』一〇〇、寺田 透訳)

煉瓦はひとりでは建物とはならない。
(E・T・ベル『数学をつくった人びとI』6、田中 勇・銀林 浩訳)

なぜ人間には心があり、物事を考えるのだろう?
(イアン・ワトスン『スロー・バード』佐藤高子訳)

心は心的表象像なしには、決して思惟しない。
(アリストテレス『こころとは』第三巻・第七章、桑子敏雄訳)

ああ、あの別の関連の中へ
(リルケ『ドゥイノの悲歌』第九の歌、高安国世訳)

物がいつ物でなくなるのだろうか?
(R・ゼラズニイ&F・セイバーヘーゲン『コイルズ』10、岡部宏之訳)

人間と結びつくと人間になる。
(川端康成『たんぽぽ』)

物質ではあるが、いつか精神に昇華するもの。
(ウィリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト』プロローグ、宇野利泰訳)

書きつけることによって、それが現実のものとなる
(エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』75、佐宗鈴夫訳)

言葉ができると、言葉にともなつて、その言葉を形や話にあらはすものが、いろいろ生まれて來る
(川端康成『たんぽぽ』)

ぼくは詩が書きたかった。
(ロジャー・ゼラズニイ『伝道の書に薔薇を』2、大谷圭二訳)

詩だって?
(ロジャー・ゼラズニイ『心は冷たい墓場』浅倉久志訳)

詩人のそばでは、詩がいたるところで湧き出てくる。
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第七章、青山隆夫訳)

すでにあるものを並び替えるだけで
(ロジャー・ゼラズニイ『わが名はレジオン』第三部、中俣真知子訳)

順序を入れかえたり、語をとりかえたりできるので、たえず内容を変える
(モンテーニュ『エセー』第II巻・第17章、荒木昭太郎訳)

新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

ふだん、存在は隠れている。存在はそこに、私たちの周囲に、また私たちの内部にある。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

 感情が絶頂に達するとき、人は無意識状態に近くなる。……なにを意識しなくなるのだ? それはもちろん自分以外のすべてをだ。自分自身をではない。
(シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』20、鈴木 晶訳)

無意識に存在する物のみが真の存在を保つ、
(トーマス・マン『ファウスト博士』一四、関 泰祐・関 楠生訳)

これがどういうことかわかるかね?
(ウォルター・M・ミラー・ジュニア『黙示録三一七四年』第III部・25、吉田誠一訳)

意識的なものの考え方が変わっても、意識出来ぬものの感じ方は容易に変わらない。
(小林秀雄『お月見』)

意識的に受け入れたわけでもないつながりを、自分自身の中にもってるから
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

 ぼくらがぼくらを知らぬ多くの事物によって作られているということが、ぼくにはたとえようもなく恐ろしいのです。ぼくらが自分を知らないのはそのためです。
(ヴァレリー『テスト氏』ある友人からの手紙、村松 剛・菅野昭正・清水 徹訳)

彼らは、人間ならだれでもやるように、知らぬことについて話しあった。
(アーシュラ・K・ル・グィン『ショービーズ・ストーリイ』小尾芙佐訳)

ぼくが語りそしてぼくが知らぬそのことがぼくを解放する。
(ジャック・デュパン『蘚苔類』3、多田智満子訳)

 まさに理解不能な世界こそ──その不合理な周縁ばかりでなく、おそらくその中心においても──意志が力を発揮すべき対象であり、成熟に至る力なのであった。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

今まで忘れていたことが思い出され、頭の中で次から次へと鎖の輪のようにつながっていく。
(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己訳)

わたしの世界の何十という断片が結びつきはじめる。
(グレッグ・イーガン『貸金庫』山岸 真訳)

あらゆるものがくっきりと、鮮明に見えるのだ。
(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己訳)

過去に見たときよりも、はっきりと
(シオドア・スタージョン『人間以上』第二章、矢野 徹訳)

なんという強い光!
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』昼夜入れ替えなしの興行、木村榮一訳)

さまざまな世界を同時に存在させることができる。
(イアン・ワトスン『知識のミルク』大森 望訳)

これは叫びだった。
(サミュエル・R・ディレイニー『アインシュタイン交点』伊藤典夫訳)

急にそれらの言葉がまったく新しい意味を帯びた。
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』34、大島 豊訳)

そのひと言でぼくの精神状態はもちろん、あたりの風景までが一変した。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』女戦死(アマゾネス)、木村榮一訳)

変身は偽りではない……
(リルケ『月日が逝くと……』高安国世訳)

ひとつの場がひとつの時間に
(R・A・ラファティ『草の日々、藁の日々』2、浅倉久志訳)

記憶は、うすれるにしたがって、相手との絆をゆるめる、
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

べつのなにかになってしまうのだ。
(E・M・フォースター『モーリス』第二部・24、片岡しのぶ訳)

時はわれわれの嘘を真実に変えると、わたしはいっただろうか?
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』18、岡部宏之訳)

詩によって花瓶は儀式となる。
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』下・第三部・18、大西 憲訳)

優れた比喩は比喩であることをやめ、
(シオドア・スタージョン『きみの血を』山本光伸訳)

真実となる。
(ディラン・トマス『嘆息のなかから』松田幸雄訳)

われわれはなぜ、自分で選んだ相手ではなく、稲妻に撃たれた相手を愛さなければならないのか?
(シオドア・スタージョン『たとえ世界を失っても』大森 望訳)

光はいずこから来るのか。
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第二幕・第五場、石川重俊訳)

わが恋は虹にもまして美しきいなづまにこそ似よと願ひぬ
(与謝野晶子)

ある時は隠し、ある時は露わに見せる一本のポプラの木の下の兎の足跡
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ぼくらは罠を作る。
(アゴタ・クリストフ『悪童日記』堀 茂樹訳)

自分が自分に仕掛けた罠に気づくだろうか?
(アルジス・バドリス『隠れ家』浅倉久志訳)

 人間はその生涯にむだなことで半分はその時間を潰(つぶ)している。それらのむだ事をしていなければいつも本物に近づいて行けないことを併せて感じた。
(室生犀星『杏っ子』家(第四章)・むだ事)

 いままでに精神も徳も、百千の試みをし、道にまよった。そうだ、人間は一つの試みだった。ああ、多くの無知とあやまちが、われわれの肉体となった。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部、手塚富雄)

われわれはつねに、好便にも、失敗作をもっとも美しいものに近づく一段階として考えることができる。
(ヴァレリー『ユーパリノス あるいは建築家』佐藤昭夫訳)

 不完全であればこそ、他から(、、、)の影響を受けることができる──そしてこの他からの影響こそ、生の目的なのだ。
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

彼はそのようなせまいまがりくねった道をたどったからこそ、愛の真実に近づいていたのである。
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、井上究一郎訳)

なんだいそれは?
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』12、藤井かよ訳)

ことばである、
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』エピローグ・回転する記号、牛島信明訳)

光と花とは おまへのためのものではない、
(テニスン『イン・メモリアム』2、入江直祐訳)

アリスは笑った。
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第六章・52、青木久恵訳)

愛ね。そんなに重要なものかしら。
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第二章・15、青木久恵訳)

詩人らしくロマンチックだこと。
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第二章・18、青木久恵訳)

花と
(テニスン『イン・メモリアム』39、入江直祐訳)

光だけがあればいいと思っているの?
(イヴ・ボヌフォワ『夢のざわめき』III、清水 茂訳)

好きな花は?
(ナボコフ『賜物』第3章、沼野充義訳)

愛には、たいして理由などいらない。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第三部・11、小川 隆訳)

意志の力で愛することはできない
(P・D・ジェイムズ『殺人展示室』第三部・7、青木久恵訳)

セックスは好きかい?
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・7、小川 隆訳)

性的なことだけが全部じゃないわ。
(ナボコフ『青白い炎』詩章第二篇、富士川義之訳)

あんなの現実じゃない。ほんとにあったことじゃないもん。
(オーエン・コルファー『新銀河ヒッチハイク・ガイド』下・第10章、安原和見訳)

欲しいのはただ、ほんのささやかな、人間らしい人生よ
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』3・4、小泉喜美子訳)

一瞬がある、それはいままで存在していなかった。つぎの瞬間には、もう存在しないかもしれない。
(イヴ・ボヌフォワ『大地の終るところで』IV、清水 茂訳)

やっぱり、電話してみようかな?
(ナボコフ『賜物』第3章、沼野充義訳)

置いてあったサンドイッチに手を伸ばした。
(ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペイン』5、金子 司訳)

今日のサンドイッチの具はなに?
(オーエン・コルファー『新銀河ヒッチハイク・ガイド』下・第12章、安原和見訳)

言葉、言葉、言葉。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、野島秀勝訳)

いろいろ私が書き並べた、言葉の数々は何であつたか。
(テニスン『イン・メモリアム』16、入江直祐訳)

いったい何に駆り立てられてぼくは詩作をしているのだろうか。
(ナボコフ『賜物』第1章、沼野充義訳)

そんなことに一体どんな意味があるのか?
(カミラ・レックバリ『氷姫』V、原那史朗訳)

書くことに意味などない
(ナボコフ『賜物』第1章、沼野充義訳)

意味のあるものはない。ということは意味のあるものは無なのだ。
(ジェフ・ヌーン『未来少女アリス』風間賢二訳)

無常も情である。
(紫 式部『源氏物語』竹河、与謝野晶子訳)

でもね、真実かどうかは誰にも分からない
(カミラ・レックバリ『氷姫』V、原那史朗訳)

ぼくだってどこに真実があるかなんて知っちゃいないさ。
(コルターサル『石蹴り遊び』41、土岐恒二訳)

まあ、そういったようなこと
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』8・1、小泉喜美子訳)

あなたは人生をその手からこぼしてるのよ。こぼしちゃってるのよ。
(T・S・エリオット『J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌』岩崎宗治訳)

そうだ、
(イヴ・ボヌフォワ『別れ』清水 茂訳)

人間にとって大切なことはなにか。
生きること、生きつづけることであり、幸せに生きることである。
(フランシス・ポンジュ『プロエーム(抄)』VII、平岡篤頼訳)

もはや詩が具現されるのはことばにおいてではなく、生きることにおいてである。
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』詩と歴史・小説の曖昧性、牛島信明訳)

指一本で花にさわってみる。
(ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペイン』2、金子 司訳)

アリスは声を上げて笑った。
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第六章・52、青木久恵訳)

この花がいちばんいいのね
(紫 式部『源氏物語』竹河、与謝野晶子訳)

あなたは本物よ。
(ヘンリー・ジェイムズ『エドマンド・オーム卿』平井呈一訳)

もちろんさ。
(アイザック・アシモフ『ミクロの決死圏』5、高橋泰邦訳)

もちろんよ。
(ヘンリー・ジェイムズ『エドマンド・オーム卿』平井呈一訳)

でも
(ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』1、米川和夫訳)

わたしには、どっちだって変わりはないわ
(アイザック・アシモフ『ミクロの決死圏』5、高橋泰邦訳)

私の過去はすべて虚構だもの。これも一つの新しい話、
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第一部・4、青木久恵訳)

たぶんバスでまた会えるわね
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第一部・10、青木久恵訳)

アリスはいない。
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第六章・52、青木久恵訳)

花はなかった。
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』7・1、小泉喜美子訳)

バスもなかった。
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』7・2、小泉喜美子訳)

それで、そのあとは?
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・スペース』15、金子 司訳)

物事はそんなに単純じゃないさ。
(カミラ・レックバリ『氷姫』III、原邦史朗訳)

どの真実が?
(デイヴィッド・ブリン『キルン・ピープル』下・第四部・72、酒井昭伸訳)

何もいうな、何もいうな、何もいうな
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・スペース』7、金子 司訳)

人間はことばである、
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』エピローグ・回転する記号、牛島信明訳)

Verba volant,scripta manent.(言葉は消え、書けるものは残る)
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

The rest is silence.
このほかは無言。
(Shakespeare:Hamlet,v.ii.369. 齋藤 勇訳)

さ、あの音楽をお聴き。
(シェイクスピア『ヴェニスの商人』第五幕・第一場、中野好夫訳)

言葉ではあるが、言葉でない
(シェイクスピア『ヴェニスの商人』第三幕・第二場、中野好夫訳)

あの音楽を。
(シェイクスピア『ヴェニスの商人』第五幕・第一場、中野好夫訳、句点加筆)

文学極道

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