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作品 - 20110802_323_5415p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


青空のある朝に

  泉ムジ

 医者は、手がないからいけない、そう言った。途端、電話が切れ、二度と繋がらなくな
った。たとえ手がなくとも、医者なのだから、僕の手でよければ、さしあげても構わない
から、呼んでこよう、そう決意した。

 必ず、医者を連れてくる、彼女にそう言うと、どこにもいかないで欲しい、彼女はそう
こたえた。彼女の手は、まだあるが、弱々しく透きとおり、かわりに、肩甲骨の隆起した
あたりが、パジャマをつき破り、やわらかい羽毛につつまれ始めていた。

 まっ暗な通りをゆく人は、誰もおらず、まっ暗なのは、飛翔する人たちが、膨大な数の
感染者たちが、ひかりを遮っているからだ。そして、未だ手を持つ人たちは、誰もが感染
をおそれ、ひかりさえ漏らさぬよう、戸をかたく閉ざしているのだ。

 医者もまた、例外ではなかった。病院の戸を激しく叩き、僕の手は、金具をこすり、血
を流した。あわれんでくれたのか、若い看護士が一人、細く戸を開き、残念ですが手がな
いんです、そう言って、ほとんど見えなくなった手で、消毒液と、包帯を渡してくれた。

 駆け戻るあいだ、ぎゃあぎゃあと、まるで年老いた、赤子のなくような声が、何千何万
と降りそそぎ、建物に、地面にこだまし、通りに充溢し、空へかえっていった。耳をふさ
いでも、その声は、僕の内側で反響し、僕の口をついて、漏れた。ぎゃあぎゃあと、なき
ながら、僕の手がなくなっていく、透きとおっていく。

 転ぶように飛びこんだ、部屋には、もう、彼女はいなかった。薄いカーテンが、無数の
羽ばたきが巻き起こす風に、ちぎれそうに揺れ、ベッドの上で、彼女から抜け落ちた羽毛
が、くるくると舞っていた。消毒液が、床板にはねてこぼれ、包帯が、開いた窓から外へ、
どうしようもなく、流れていった。

文学極道

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