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作品 - 20110601_422_5257p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


陽の埋葬

  田中宏輔




 よい父は、死んだ父だけだ。これが最初の言葉であった。父の死に顔に触れ、わたしの指が読んだ、
死んだ父の最初の言葉であった。息を引き取ってしばらくすると、顔面に点字が浮かび上がる。それ
は、父方の一族に特有の体質であった。傍らにいる母には読めなかった。読むことができるのは、父
方の直系の血脈に限られていた。母の目は、父の死に顔に触れるわたしの指と、点字を翻訳していく
わたしの口元とのあいだを往還していた。父は懺悔していた。ひたすら、わたしたちに許しを請うて
いた。母は、死んだ父の手をとって泣いた。──なにも、首を吊らなくってもねえ──。叔母の言葉
を耳にして、母は、いっそう激しく泣き出した。

 わたしは、幼い従弟妹たちと外に出た。叔母の膝にしがみついて泣く母の姿を見ていると、いった
い、いつ笑い出してしまうか、わからなかったからである。親戚のだれもが、かつて、わたしが優等
生であったことを知っている。いまでも、その印象は変わっていないはずだ。死んだ父も、ずっと、
わたしのことを、おとなしくて、よい息子だと思っていたに違いない。もっとはやく死んでくれれば
よかったのに。もしも、父が、ふつうに臨終を迎えてくれていたら、わたしは、死に際の父の耳に、
きっと、そう囁いていたであろう。自販機のまえで、従弟妹たちがジュースを欲しがった。

 どんな夜も通夜にふさわしい。橋の袂のところにまで来ると、昼のあいだに目にした鳩の群れが、
灯かりに照らされた河川敷の石畳のうえを、脚だけになって下りて行くのが見えた。階段にすると、
二、三段ほどのゆるやかな傾斜を、小刻みに下りて行く、その姿は滑稽だった。

 従弟妹たちを裸にすると、水に返してやった。死んだ父は、夜の打ち網が趣味だった。よくついて
行かされた。いやいやだったのだが、父のことが怖くて、わたしには拒めなかった。岸辺で待ってい
るあいだ、わたしは魚籠のなかに手を突っ込み、父が獲った魚たちを取り出して遊んだ。剥がした鱗
を、手の甲にまぶし、月の光に照らして眺めていた。

 気配がしたので振り返った。脚の群れが、すぐそばにまで来ていた。踏みつけると、籤細工のよう
に、ポキポキ折れていった。


*


死んだものたちの魂が集まって/ひとつの声となる/わたしは神を吐き出した/神は罅割れた指先で
/日割れた地面を引っ掻いた/川原の石で頭を叩き潰された小魚たち/小魚たち/シジミも/ツブも
/死んだものたちの魂が集まって/ひとつの声となる/わたしは神を吐き出した/罅割れた指先は川
となり/死んだものたちの囁き声が満ちていく/せせらぎに耳を澄ます水辺で枯れた葦/きらきらと
光り輝く神の指/神の指/神の指先に光る黄金の川/死んだものたちの魂が集まって/ひとつの声と
なる/わたしは神を吐き出した/神は分裂し/ひとりは死んだ/神は分裂し/ひとりは精霊となった
/死んだ神は少年の姿となって川を遡る/川を遡っていく/右の手に巨大なシャモジを持った精霊が
後を追う/後を追って行く/


enema/浣腸器


/美しい/少年は服を剥ぎ取られ/美しい/少年は後ろ手に腕を縛られ/美しい/少年は尻を突き出
し/美しい/巨大なシャモジが振り下ろされる/美しい/巨大なシャモジが振り下ろされる/美しい
/少年の喘ぎ声/美しい/少年の喘ぎ声/美しい/川原の石が叫ぶ/美しい/川原の石が叫ぶ/美し
い/その縛めをほどけ/美しい/その縛めをほどけ/と/美しい/川原の石が叫ぶ/美しい


/enema/浣腸器


肛門に挿入された浣腸器/川原に響き渡る喘ぎ声/肛門に挿入された浣腸器/川原に響き渡る喘ぎ声
/波打つ身体/激しく震える少年の身体/足を開いて四つん這いになった少年は/身体を震わせなが
ら脱糞する/ブブッブブッ/ブッブッ/シャー/シャー/と/激しく身体を震わせながら脱糞する/
きらきらと光り輝く神の指/神の指/神の指先に光る黄金の川/神の指先は黄金の川に輝いていた/
少年はジャムパンを頬張りながら/ゴクゴクと牛乳を飲んでいる/川原に向かって/ゴクゴクと牛乳
を飲んでいる/棒を飲んで死んだヒキガエル/ヒキガエルは棒を飲んで死んでいた/toad/Tod/ヒ
キガエル/死/シッ/toad/Tod/ヒキガエル/死/シッ/


*


 月の夜だった。欠けるところのない、うつくしい月が、雲ひとつない空に、きらきらと輝いていた。
また来てしまった。また、ぼくは、ここに来てしまった。もう、よそう、もう、よしてしまおう、と、
何度も思ったのだけれど、夜になると、来たくなる。夜になると、また来てしまう。さびしかったの
だ。たまらなく、さびしかったのだ。
 橋の袂にある、小さな公園。葵公園と呼ばれる、ここには、夜になると、男を求める男たちがやっ
て来る。ぼくが来たときには、まだ、それほど来ていなかったけれど、月のうつくしい夜には、たく
さんの男たちがやって来る。公衆トイレで小便をすませると、ぼくは、トイレのすぐそばのベンチに
坐って、煙草に火をつけた。
 目のまえを通り過ぎる男たちを見ていると、みんな、どこか、ぼくに似たところがあった。ぼくよ
り齢が上だったり、背が高かったり、あるいは、太っていたりと、姿、形はずいぶんと違っていたの
だが、みんな、ぼくに似ていた。しかし、それにしても、いったい何が、そう思わせるのだろうか。
月明かりの道を行き交う男たちは、みんな、ぼくに似て、瓜ふたつ、そっくり同じだった。
 樹の蔭から、スーツ姿の男が出てきた。まだらに落ちた影を踏みながら、ぼくの方に近づいてきた。
「よかったら、話でもさせてもらえないかな?」
 うなずくと、男は、ぼくの隣に腰掛けてきて、ぼくの膝の上に自分の手を載せた。
「こんなものを見たことがあるかい?」
 手渡された写真に目を落とすと、翼をたたんだ、真裸の天使が微笑んでいた。
「これを、きみにあげよう。」
 胡桃ぐらいの大きさの白い球根が、ぼくの手のひらの上に置かれた。男の話では、今夜のようなう
つくしい満月の夜に、この球根を植えると、一週間もしないうちに、写真のような天使になるという。
ただし、天使が目をあけるまでは、けっして手で触れたりはしないように、とのことだった。
「また会えれば、いいね。」
 男は、ぼくのものをしまいながら、そう言うと、出てきた方とは反対側にある樹の蔭に向かって歩
き去って行った。

 瞳もまだ閉じていたし、翼も殻を抜け出たばかりの蝉の翅のように透けていて、白くて、しわくち
ゃだったけれど、六日もすると、鉢植えの天使は、ほぼ完全な姿を見せていた。眺めていると、その
やわらかそうな額に、頬に、唇に、肩に、胸に、翼に、腰に、太腿に、この手で触れたい、この手で
触れてみたい、この手で触りたい、この手で触ってみたいと思わせられた。そのうち、とうとう、そ
の衝動を抑え切れなくなって、舌の先で、唇の先で、天使の頬に、唇に、その片方の翼の縁に触れて
みた。味はしなかった。冷たくはなかったけれど、生き物のようには思えなかった。血の流れている
生き物の温かさは感じ取れなかった。舌の先に異物感があったので、指先に取ってみると、うっすら
とした小さな羽毛が、二、三枚、指先に張りついていた。鉢植えの上に目をやると、瞳を閉じた天使
の顔が、苦悶の表情に変っていた。ぼくの舌や唇が触れたところが、傷んだ玉葱のように、半透明の
茶褐色に変色していた。目を開けるまでは、けっして触れないこと……。あの男の言葉が思い出され
た。
 机の引き出しから、カッター・ナイフを取り出して、片方の翼を切り落とした。すると、その翼の
切り落としたところから、いちじくを枝からもぎ取ったときのような、白い液体がしたたり落ちた。

 その後、何度も公園に足を運んだけれど、あの男には、二度と出会うことはなかった。

文学極道

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