ぱぱぱ・らららと呼ばれる男がいた。今もいるのかも知れない。彼は詩を書いていた。生きるべきか死ぬべきか、そんなことどうでもいいのだろう。と彼は言った。
ぱぱぱ・らららはE・シオランという人の本を読み漁った。十七歳の頃だった。絶望のきわみで。僕はこの時に生まれたんだ。と彼は言った。
愛が恐いの?
と十七歳の女の子は尋ねる。
恐い。
と二十四歳のぱぱぱ・らららは答えることが出来ない。
これ以上、僕に近づかないでくれ。
とぱぱぱ・らららは言う。
カラッポなのを隠したいのだ。彼は。
では、ぱぱぱ・らららのことを彼と呼ぶ僕は一体誰なんだ?
僕は誰だ?
僕はなんだ?
僕は僕を隠す。
僕は進谷ではない。
僕はぱぱぱ・らららではない。
僕は二十四歳ではない。
僕は僕ではない。
もっと早く、強く、隠せ。
と僕の虚無的で悲観的な心が言う。
心?
僕は心を信じているのか?
生きるべきか、死ぬべきか。
生きるべきか、死ぬべきか。
寒い。
眠い。
冬の夜だ。
誰かと映画の話でもして、カラッポを共有したいのだ。
ぱぱぱ・らららは詩が何か分かった、と叫んだ。
「詩とは共有するものだ。いや詩だけじゃない。すべては共有することで、初めて存在することが出来るんだ。愛も絶望も虚無も主義も社会も人々すらもすべてはフィクションなんだ。真実ではない。でも、もし僕が全くのほら話をしても、それを君が信じたなら、それは真実になるんだ。良いことも悪いことも。認識の問題さ。たとえ、ここに十全な愛なんて無くても、フィクションの世界の中で愛を作り出し、それを共有することが出来れば、僕たちは愛を手に入れることができるんだ。言うまでもないことだけれど。僕はその為に詩を書くんだ」
そう言った後、彼は僕の元から姿を消した。精神病院に入ったとか、キューバに亡命したとか、風の噂ではそんなことを聞いた。
でも僕はどちらの噂も信じちゃいない。彼はたとえどんなに貧しかろうと、孤独だろうと、なにより自由を求めていたから。
「セックスする前にこれ使えば生でやっても平気なのよ」
と言った女の子は十四歳だった。
「考えられますか?」
とカート・ヴォネガットなら言っただろうか。
素晴らしき自由。
認識についての話をもうひとつ。ゴダールの『アワーミュジック』という映画に出てくる女の子。彼女は映画館でひとりでテロを起こす。動かないで、鞄にはピストルが入ってるのよ。と彼女は叫ぶ。でも鞄にピストルは入っていない。鞄に入っているのは本だけだ。彼女は取り出そうとする。想像上のピストルを。その瞬間、彼女は撃たれる。本物のピストルで。
ねぇ、想像してみなよ。
と三十歳のジョン・レノンは歌う。
彼も本物のピストルで撃たれる。
僕は塗り替える。もっと早く、もっと物語らないと。追い付かれてしまう。
ねぇ、君はまだ詩を書いてるのかい?
最後に、ぱぱぱ・らららの今の生活についてもう少しだけ。断っておくが僕は彼が今なにをしているのか、全く知らない。生きてるのかどうかすら。つまり、これから僕が書くぱぱぱ・らららの生活については、全くの作り話、ほら話である。
彼は今、茨城県にある小さな町で暮らしている。空の色が綺麗な町だ。青い時は青く、赤い時は赤く、黒い時は黒い空の下、彼は風呂無し、トイレ共同の古いアパートに住んでいる。週に三日だけ日雇いの肉体労働の仕事をしている。それで十分生きていける。最低でも人生の半分は自分のものにしておきたい。と彼はよく言っていた。休みの日は自炊をして、掃除をして、洗濯をして、それから詩を書いている。たまに鹿島アントラーズの試合を観に行き、頻繁に女の子を抱いた。古いアパートで。簡単なことだよ。君はパーフェクトな女の子だ、って言ってあげたらいい。そう思わせるように行動してあげたらいい。そうしたら受け入れてくれる。と彼は言っていた。彼はセックスの後に女の子に詩を見せる。よく分からない、と女の子は言う。でも彼はそれで良かった。彼は詩を女の子にしか見せない。彼の詩は彼と女の子の為に書いたものだから。明け方、二人はまだ暗い街を歩く。無駄に広く、車も人もいない道を二人は黙って歩く。そこではまるで永遠のようにゆっくり時間が流れている。二人はどこへも向かっていない。ただ歩いているだけだ。空は黒から紫へ、紫から青へと、少しずつ変わっていく。一日が始まろうとしている。代わり映えしない日。その中で、彼はきっと新しい詩を書くのだろう。
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選出作品
作品 - 20101213_681_4892p
- [優] ぱぱぱ・ららら - 進谷 (2010-12)
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ぱぱぱ・ららら
進谷