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作品 - 20101206_550_4878p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


存在の下痢。

  田中宏輔




って

どうよ!

下痢をしているわたしの部屋に

ジミーちゃんがたずねてきて

唐突に言ったの

最近

猫を尊敬するの

だって

猫って

あんなに小さくて命が短いのに

気にもとめない様子で

悠然と

昼間からただ寝てばかりいる

きっと悟っているに違いない

ですって

わたしは下痢で

おなかが痛いって言って

きてもらったんだけど

きのう、恋人にひどいことを言われて

ショックで

ひどい下痢になったわたしの部屋で

いろいろお話をしてくれてるんだけど

ジミーちゃんの話には猫がよく出てくる

ぼくは動物がダメで

猫がかわいいとか思ったこと

一度もないんだけど

ジミーちゃんの話を聞いて

猫の存在から

存在というものそのものについて

すこし考えた

たしかに猫の存在は

ぼくにはどうってことのないものだけれど

ぼくにとってどうってことのないものが

まわりまわって

どうってことのないものではないものになって

ぼくそのものの存在を



ここまで書いたところで

ジミーちゃんが口をさしはさんだ

「そんな自分についての話でどうどうめぐりになってないで

 猫のように悟るべきっ!」

だって



この文章のタイトルをどうしようって言ったら

「恋人に気持ち悪いって言われて

 とても悲しいの」

にしたらって言われたので

わたしが

「気持ち悪いって言われてないわよ

 けがらわしいって言われたのよ」

と言って

ジミーちゃんのほうに向かって

声を張り上げたら

ジミーちゃんが大笑いをしだして

涙を流した

存在って不思議ね

わたしの下痢もとまらないし

存在の意味についても

あんまり深く考えられないし

ここらでやめとくわ

そんなこんな言ってるあいだ

Dave Brubeck のピアノと

ベースとドラムが

ここちよいジャズを

のんびり奏でてた

そうよ

のんびり奏でてたのよ

下痢をしているわたしの部屋で

ゲーリー・クーパーが

ヘアーをたわしで櫛どいていたら

あるいは櫛どいているときに

ネコがコネをつかって

詩集の賞をねらって

詩を書いているのかと思いきや

ねらっているのは

じつは鰹節であった

ってのは

どうよ

当たり前すぎるかしら

存在の下痢について

きょう

ジミーちゃんと酔っ払いながら

話していたのだけれど

ジミーちゃんは

存在の下痢以前に

下痢の存在について

自我の存在を疑っていた

デカルトに訊いてみないと

とか言い出した

あの近代合理主義哲学のそ

そ?



はじめのひとの「祖」ね

育毛剤のコマーシャルで

むかし

シェーン、カミング・バック

っていうのがあったけど

おそ松くんのイヤミは

ただ

シェー

とだけ言っていた



クッパを食べて

ゲリゲリになった

ゲーリー・クーパーが

芸名を

ゲリゲリ・クッパに変えようとしたら

良識ある周囲の人たちに

猛反対にあった

っていう夢を見たと嘘をつけ



わたしにうるさくせっつくのよ

どうすりゃいいのさ

こ〜の わぁ〜たぁ〜しぃ〜

ってか

ブヒッ

存在が下痢をするなら

存在はちびりもするだろう

包皮も擦るし



放屁もするし

脱糞もするだろう

存在は骨折もするかもしれないし

病に倒れて重態に陥ることもあるだろう

存在はあてこすりもするだろうし

嫌味を言うかもしれない

足を踏むことだってあるだろう

あらゆる存在がさまざまな存在様式で存在する

実在の存在だけではなく

仮定の存在も下痢をするし

ちびりもする

放屁もするし

脱糞もする

そのほか

ごにゃごにゃもするのだ

実在と仮定のほかに

可能性の存在というものもある

これもまた

下痢もするし

ちびりもする

って書いてきて

あれ

下痢をすると

ちびりもするって

同じことじゃないかなって

いま気がついた

あちゃ〜

この文章

書き直さなきゃならないかも

いや

下痢をするからって

ちびるとは言えないから

まあ

いいか

このままで

せっかく書いたんだし、笑。

ゲーリー・スナイダーを

山にひきこもった詩人のジジイだと思っているのは

わたしだけかしら

高村光太郎も山にひきこもっちゃったし

そういえば

山頭火だって

そう言えなくもない感じがする

都会生活をしていて

都会生活者の存在の下痢を描写する詩人っていないのかな

ぶひひ

それじゃあ

おれっちがひりだしてやろうかい

存在の

ブリッ

ブリブリブリブリブリッ

って

ひゃ〜

って言って

自分でスカートをまくるちひろちゃん

きゃっわいい!

おっちゃんは

存在の下痢をする

存在を下痢するのだ

存在もまた下痢をする

存在自体が存在の下痢をするのだ

存在が嘔吐する

だったら

哲学的な感じがするかな

ありきたりだけど

存在が下痢をする

だと

やっぱり、くだらん

って言われるかな

ほんとにくだってるんだけどね、笑。

うううん

存在が嘔吐する

のほうがいいかな



でも

ゲリグソちびっちゃうみたいに

存在が

シャーッ

シャーッ

って下痢ってるほうがすてき

嘔吐だと

床の上に

べちゃって感じで

存在がはりついちゃうような気がするけど

下痢だと

シャーッ

シャーッ

って感じで

存在が

はなち

ひりだされるってイメージで

なんだか

きらきらとかわいらしい



きょうは

ぼくも

じゃなかった

ぼくは

きょうも

下痢がとまらず

でも

腸にいいようにって

バランスアップっていうビスケットのなかに

食物繊維が入ってるものを食べたんだけど

しかも繊維質が一番多い

一袋3枚・食物繊維6グラム入りのものを

朝9時50分から

昼の1時すぎまで

ちょっとずつかじっては

緑の野菜ジュースをちびりちびり

ちょっとずつかじっては

緑の野菜ジュースをちびりちびり

口のなかでゆっくりと、じっくりと

シカシカと、ジルジルと

唾液と混ぜながら

緑の野菜ジュースでビスケットをとかして

合計6袋18枚も食べたのだけれど

ビスケットをかじって

5分から10分もすると

うううう

おなか

いたたたたた

って感じで

トイレで

シャーシャー

トイレで

シャーシャー

してたのね

食べてすぐって

生理的にっていうか

肉体的にっていうか

ぜったい

直で出てたんじゃないと思うけど

食べてないときにはシャーシャーあまりしなかったから

直で出てたのかもしれない



シンちゃんが前に言ってたけど

からだが反応して

食べてすぐシャーシャーしてるんじゃなくて

神経が反応してシャーシャーさせてるんだよって

あらま

そうかもしんない

存在は魂を通して

生成し、消滅する

時間として

場所として

出来事として

精神や物質といったものも

ただ単なる存在の一様式にしか過ぎず

存在は魂を通して

生成し、消滅する

時間として

場所として

出来事として

そして

存在が生成するものであるがゆえに

存在は消滅するものなのであり

存在が消滅するものであるがゆえに

存在は生成するものなのである

存在が生成しなければ

存在は消滅しないのであり

存在が消滅しなければ

存在は生成しないのである

ぼくは

きょうも、ひどい下痢をして

ようやく存在というものが

どういうものなのか

その一端をうかがい知れたような気がする

ビスケットをかじりかじり

シャーシャー

シャーシャー

ゲリグソちびりながら

ぷへぇ〜

おなか痛かったべぇ〜

もう一週間近くも下痢ってる



存在の下痢

というかさ

存在は下痢

なのね



ぼくのいま住んでるマンションで

もう一年以上も前のことになるのだけど

真夜中のものすごい「アヘ声」に目を覚まさせられたことがあって

それから

それが数分間もつづいたので

よけいに驚かされたのだけれど

個人的な経験という回路をめぐらせる詩句について

あるいは

そういった詩句の創出について考察できないか考えた

語感がひとによって違うように

どの詩句で

それが起こるのかわからない

偶然の賜物なのだろうか

書くほうにとっても

読むほうにとっても

死んだ父親に横腹をコチョコチョされて

目が覚めたのが

朝の3時46分

寝たのが

1時頃だから

3時間弱の睡眠

あと

いままで寝床で

目を覚ましながら横になっていた

dioの印刷が終わったあと

百万遍にある、リンゴという

ビートルズの曲しかかからない店で

食事をしながらお酒を飲んで

打ち上げをしていたのだけれど

そのときに着ていた服が

父親の形見のコートだったので

「このコート

 死んだ父親のなんだよね」

って言って

「父親の死んだのって

 今年の平成19年4月19日だったから

 逝くよ

 逝く

 なんだよね」

って言うと

斎藤さんが

「わたしの誕生日も4月19日なんです」

って言うから

びっくりして

「ごめんね

 気を悪くさせるようなこと言って」

って、あやまったんだけど

まあ

彼女もべつに機嫌を悪くするわけでもなく

ふつうにしていてくれたから

ぼくも気がやすまって

そのこと忘れていたんだけど

きのう

詩集の校正を書肆山田に送ることができたので

河原町六角にある日知庵に行って

その話をして

酔っ払って帰ってきたから

そんな夢を見たのかもしれない

文学極道

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