入山蛇さんの論文「科学と哲学と経済と教育と家庭と芸術と人」はアカデミックなものの対に位置しているなどと酷評されましたが、やはり、各方面から非常に評価されている。ということに対し先日「お前ら!どうしたって無視できない筈だろ!!」とコメントを発表。社会に対するさらなる衝撃をお与えになった。
その、入山蛇さんのある意味非常に反抗的な姿勢、というか、いつも喧嘩腰なご様子を拝見しておりますと僕のような凡人には到底わからない。と、盲目に信じてきた「どん底のいろ」の噴出のようなものを、しかし否応なく感じてしまうのですが、その部分は意識しておられますか?
いやべつに。
はては血圧大将などとおかしなニックネームまでつけられる現状は?
好きだね。
哲学者である入山蛇さんですが、喧嘩腰の哲学者というのは、どうも、まずい、とお思いにはなりませんか?
そうかな。
そうですよ。
まぁ、しかたがないね。
で、こうしてお会いしていると、おそろしいという印象が全く微塵もない。
温和に見えるのは私が気の小さい男だからです。
え?
ええ、そうです。
はぁ。
たとえば、わたしは年をとってもうすぐ死ぬんですけれど、わたしがいない世界というものは決して抽象ではないので、そちらとまったく逆をゆくなら永遠であるということなんです。それならば時間と呼ばれる軸はまったく基準にならなくなってくる。時間の始まりの地点である0を誰も証明できないというのはそこに体験がなかったということです。具体的に言うならば海で溺れて死にかけた時に海底に体を叩き付けられたら記憶となるが、それを共有することは出来ません。正義のおそろしさの裂け目はそんなところに存在しているように思います。その場所にいない人間がわかったような知ったかぶりをするのは罪だと思います。思想や言論や運動などのさまざまな行為はテーゼをふりかざさなくてはいけないという硬さもやはりもろいのではないかと感じています。それは―陥りやすい危険―という意味でですが、集団のモチベーションのためだけにあるのなら小学校の運動会のスローガンでいいのです。そういう視点を知ってしまったので、わたしは、自身のドブをさらうようにして探してゆくしか方法がないだけなんです。気が弱いので、残酷になるのが恐ろしいのです。はじめて書いた論文が「批判と防御 その趣向と三時の菓子について」ですからね。
三時の菓子ですか。
そうだよ。
甘いものはよく召し上がりますか?
そうだねマロングラッセなんか好きだね。
入山蛇さん、本日は素晴らしいお話をありがとうございました。シリーズ人、第三回目は入山蛇 艶(いりやまだ えん)さんでした。来週は春賀 美知太郎(はるか みちたろう)さんをお招きします。それではみなさまごきげんよう。
最新情報
選出作品
作品 - 20101129_412_4860p
- [佳] Une serie de l'homme 3〜En Iriyamada - はなび (2010-11)
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Une serie de l'homme 3〜En Iriyamada
はなび