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作品 - 20100715_097_4551p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ばあちゃんのこと

  ヒダリテ

 ばあちゃんちは漬け物くさいから「僕は行かないよ」って僕は言った。けれどママは僕の言う事なんかちっとも聞いてくれた試しはなくて、漬け物くさいばあちゃんちまでの果てしなく遠い道のりを僕とママは車で走り、僕は山道で二回ゲロを吐いた。

 そもそも毎年、夏はばあちゃんちの漬け物くさい家で僕らは漬け物くさくなるばかりなのだ。家族三人、漬け物くさい話をし、漬け物くさいご飯を食べて……、そうやって僕ら自身、漬け物くさくなるばかりなので僕はとても退屈で、だいたいばあちゃんだって、せっかく僕らが見に来てやったのだから、タップを踏んだり、炎の輪っかをくぐったりして僕らを楽しませてくれればいいものを、最近のばあちゃんときたら、できる事と言ったら、せいぜい仏壇に線香をあげるか漬け物くさい漬け物を漬けるくらいで、年々ばあちゃんは動かなくなるし、話もしなくなる一方なので僕はママに「ママ、ばあちゃんという生き物には人生に対する積極性やユーモアの精神というものが著しく欠落しているよ!」と激しく非難してみたのだけれどママは鏡台の前で厚化粧をぺたぺた塗りたくりながら「ママは今日、同窓会で遅くなるから」と言って猛烈なスピードでよそ行きに着替えると重力も軽くトンでった。
 つまりママは同窓会で新しいパパを見つけてくるつもりなのだ。僕にはどうしてもなじめない香水の匂いを残して玄関を出ていくよそ行きのママは、いつもなんだか他人みたいに見えた。

 庭に面した縁側で僕はアイスを食べながらアリの行進を見つけては、そこにつばを垂らす、ということを何度も繰り返して長い午後を過ごしたのは僕がそれ以外の方法を知らなかったからだけれど障子の開け放たれた縁側に接した部屋では、ばあちゃんがまた仏壇の前に正座して線香をたてようとしていた。僕はその様子を眺めながら「ばあちゃんは亀の一種かもしれないぞ」なんてことを思ったりした。けれどちょうどその時、空から、ぶわわわっと、やって来たでっかいアブラゼミが一匹ばあちゃんの肩に、ぴたっと留まって、僕は驚いて、あ、と思った。僕は叫んだ。
「ストップばあちゃん、動かないで! アミ持ってくるから、動かないで!」
 線香をたてようとした右手を高く上げたまま正座して、そのままの格好で静止するばあちゃんをそこに残して僕は大急ぎで虫取りアミを取りに裏の納屋に回った。この夏一番の大物だ、って僕は思った。そして納屋の入り口に立てかけてあった虫取りアミを手にして、ばっと駈けだして行こうとしたんだけれど、そのとき塀の向こう側に知らない顔を見つけて、また僕は、あ、と思って足を止めた。

「あ、……知らない子。」
 って思った。塀の向こう側に知らない子の丸い顔があった。
 知らない子は青白い顔した河童みたいな奴だった。
「誰? 河童?」
 僕が声をかけると知らない子はにこりと笑った。

 帰り道、「世の中はもの凄いスピードで進化しているのだ。」って僕は思った。その日、僕は知らない子の家で、初めてファミコンに触れた。
「テクノロヂィの進歩によって、そのうち僕らは機械の体を手に入れるのだ。」
 僕は知らない子の家で知らない子とファミコンをやったり、知らない子の弟を泣かして遊んだ。知らない子の弟はとても弱くできていて、僕は弟の腹をグーでドォンってやる事によって三回も泣かす事に成功した。
 ばあちゃんちに帰った頃にはもう日は暮れかかっていた。ママはまだ帰っていなかった。僕はばあちゃんにファミコンのすばらしさを伝えようと思って仏壇のある部屋を覗いた。けれど驚いた事に、ばあちゃんはコッチコチだった。ばあちゃんはばあちゃんの肩にセミが留まった時の姿勢のままコッチコチに固まっていた。本当の本当に、カッチカチの、コッチコチだった。線香を持った右手を高く前に突き出して、ばあちゃんは静かに悶える亀みたいな格好で、コッチコチで、ぴくりとも動かなかった。
「大変だ。ばあちゃんがコッチコチだ。」
 って僕は思った。

 夏の夜は静かで、蛙のお腹みたいにひんやりしていて、なんだかそれ自体が死んでいるみたいに思えた。僕は隣の台所でテレビも点けずに静かにママの帰りを待った。冷蔵庫から麦茶を取り出して、飲みながら、僕はちょっと思い出して「ごめん、ばあちゃん、もう動いて良いよ。」と言ったけれど、ばあちゃんは動かなかった。

 ほとんど真夜中になろうとしていた頃、真っ赤な顔したママが帰ってきた。僕は眠くってしょうがなかったから簡単に説明した。
「仏壇に線香を上げようとしたばあちゃんの肩にでっかいセミが留まって、そんで、それから、……ばあちゃん、死んだ。」
 けれどそう簡単に説明してみると、なんだか自分がものすごく本当の事を言ってしまったような気がして僕はちょっと興奮した。だから僕は何度も繰り返した。
「仏壇に線香を上げようとしたばあちゃんの肩にでっかいセミが留まって、そんで、それから、……ばあちゃん、死んだ。……仏壇に、線香の、ばあちゃんの肩、セミが留まって、……ばあちゃん死んだ。仏壇のばあちゃん……、線香、セミで、……ばあちゃん死んだ。仏壇のばあちゃん……。」
「分かったから!」
 突然ママはわっと泣きだして、そのまましばらく泣き続けた。僕はやる事がなくなってしまったので布団に入って眠った。

 その後あまりにも何度もたくさんの大人たちが、ばあちゃんの事を聞いてくるので、だんだん面倒になった僕は「でっかいセミで、ばあちゃん、死んだ。」と言ったり、「ばあちゃん死んだ。でっかいセミが。」などと言ったりした。大人たちは一様に「ああ」なんて言った後で、気の毒そうな顔で僕を見たけれど、僕は「これが夏休みじゃなくて冬休みだったら、僕はたくさんのお年玉を貰ったに違いない。」と思った。「そしたらお年玉でファミコン買えるのに。」と。その夏、僕はたくさんの大人に会った。

 ばあちゃんの肩に留まったでっかいセミがどこへ行ったか僕は知らないし、ばあちゃんの魂がどこへ行ったかも僕は知らない。ママは「ばあちゃんは天国へ行ったのよ」って言ってたから、たぶん僕もそうだと思う。セミの命は短いらしいから、あのセミもすぐに死んで天国へ行ってしまったんだと思う。そんで今頃、あのセミは天国の空をぶわわわって飛んでいて、ばあちゃんは天国で相変わらず仏壇に線香を上げていているんだと思う。そんでまた天国のばあちゃんの肩に天国のセミがピタって留まったりしてるのかもしれない。だけどそしたら天国のばあちゃんはまたコッチコチになってしまうかもしれないぞって僕は心配になったけれど、ママが言うには「一度死んだ人間がそれ以上死ぬ事はない」らしく、だから「天国のばあちゃんが、またコッチコチになる事もない」んだそうだ。僕がママに「一度死んだら、それ以上死なないって良い事だよね。」って言うと、ママは「よく分からないわね。」って言ったけれど、僕はそれ以上死なないってのは、やっぱり良いことなんだと思う。ばあちゃんだって僕だって何度も死にたくないはずなのだ。

 長い夏も終わってしまったある朝、「ちょっとこっちに、いらっしゃい。」と僕を呼ぶママの声が聞こえて、寝ぼけまなこの僕が玄関口へ行くと、「この人が新しいパパよ。」とママが言って、ママの隣には変な色の背広を着込んだでっかいアブラセミが立っていて、「よろしく」とか言いながら、僕に向かってガシャガシャとお辞儀をした後、力一杯、僕のお腹をグーでドォーンってやった。
 そんないやな夢を見たりした。何度も。

文学極道

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