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作品 - 20100424_242_4346p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ひとりごと

  岩尾忍

を、言ってしまうのですね。こんなふうにひとりでいると、ひとりごとを、声に出して。それで隣の部屋の人に聞かれる。いやもちろん聞かれたくはないので、隣の部屋の人がいない時にだけこうして、ひとりごとを言うように心がけてはいますが、しかし往々にしていないと思ったらいたり、いると思ってもこうしてひとりごとを言わずに、いられなかったりします。

これは昔からそうでして、もう死んだ人なのですが、留守中に、戸の隙間から、手紙を入れられたことがあります。××さん、頼むからひとりごとやめてくださいよ。私もこのとおり神経質なほうで、落ちこんでる時も多くて、そんな時いんうつなひとりごとが、あなたのひとりごとが隣から聞こえると、ますます気がめいるんだ。本当に、頼むから。この人は私のまあ友人といえば友人で高校の同級生で、同じ年に同じ大学に入って、私の住み始めたアパートの二階の、ちょうど隣室が空いていたのでそこへ、引越してきていたのでしたが、十二月、

二十一日、だったか、卒業の年、首を吊って死にました。私が見つけたのですがどんなふうに見つけたかといえば、そうですね、風で戸があいていた。鍵をかけないで死んでいたわけです。木造アパートの板一枚の戸で、窓から風が吹き込んだらひらく。私が出かけた時、もうひらいていて、部屋の奥にその人がこちらに背を向けて、立っているらしいのが見えました。ああいるな、ともたぶん思わなかった。見ただけで、そのまま階段を降りて出かけて、半日ほど外にいて、帰ってきて階段を昇って、見たら、部屋の奥にその人がこちらに背を向けて、

立っているらしいのが見えた。ずっと、立っていたわけか、半日、あ、

と声をかけたところもちろん、振り向きませんでした。返事はしませんでした。それからまあいろいろ、言うまでもないようなことがありましたが、ええと、延長コード、でしたよ。使っていたのはね。二つの本棚の間に、伸縮物干し竿、白い丸い棒一本渡して、そのままじゃ転がるからガムテープで両端を留めて、つまり本棚の天板にくっつけて、動かないようにして、そこに4メートルくらいの、延長コードを引っかけて巻きつけて、そうやって死んだわけです。左の耳元に、コンセント、と呼んでいいのかな、三個口の、あの四角いのが、ぶらん、と垂れさがっていました。顔は不思議にきれいだったのですが、まあ、やりかたは

美意識のかけらもなかった。着ていたセーターの袖口のほつれの、糸の青、それだけが何だか眼に沁みましたが、そんなの私の感傷にすぎません。遺書もありましたがノートの切っ端に鉛筆で汚い字で、雑な文章で、美意識のかけらもなかった。たぶん知らなかったんだな。私が知りすぎているほどにはきっと、知らなかったんだな。美しいものがどれだけ人間を騙して、

騙して、生きさせるものかを。

おまけにそのあと部屋の片付けをしていたら、なにやら荷造り用ビニール紐を十本くらい束ねて、せっせと編みかけてやめたようなのが出てきて、たぶんこの紐使おうとして、太さとか強さとか足りないと思って、こんなことしてみたんだろうけれど、もう、呆れるしかなかった。お前なあ、縄くらい買えよ。部屋は少しも整理されていなくて、荒れていた、と言ってもいいほどで、それでも机には人から借りた本がそれぞれ、輪ゴムでくくられて名札をつけられて、揃えて置かれていました。私のも二冊ほど。そういうの、律儀でしたね。

このへん現実にあったことなんですが、ところであなた、信じるんですか、こう言われたら。いくらでも言えますよ、これは現実にあったことなのです、なんて。



それはまあいいのですけれど、もう少し、言うまでもないようなことを言うなら、警察の調書ね、あれ、穴埋めなんですね。「二十一日」、「延長コード」、と穴を埋めてゆく。つまらない出来事の穴を埋めてそうして、完全につまらない出来事にしてゆく。埋めながら、警官のおっさんが、頼みもしないのにあれこれ話すのですよ。線が、きれいに出とりましたわ。首吊りの場合はね、こう、上の方へ赤く、線が出るんですわ。それが下から、無理に引っぱったりしたらね、きれいに出よらんのです。きれいに出とりましたから、これはもう、他殺ではないと。はあ、そうですか。うちにもね、似たような年頃の娘がおりまして。もう、なんともいえんですねえ。はあ。

それからこんなのも今、ふと思い出しましたが、その後まもない頃、道で、とある知り合いに会って、まあ、詩なんか書いている病気っぽい奴ですが、立ち話していたら、ほら、また切っちゃった、なんて、頼みもしないのに見せようとするわけだ。私はね、人を殴りたいとかね、めったに思わないんですけれど、あの時は、

あの時はぶんなぐってやろうかと思った。しかしいきなりぶんなぐったってあっちは、私の隣の人のことも知らない、何があったかも知らない、どうして殴られるかわからないだろうし、だいたい人を殴ったりするのはね、日頃からやっていて、やりなれて、練習してなかったらできないわけですよ。だからその時も私は、少しも殴ったりできずに、ふうん、と返事して見せられたものを見て、話の続きをして、そのまま別れたのでしたが。歩きながら考えました。これだから詩なんか、書くような奴はと。死ぬこともようせんのか、詩なんか、書くような馬鹿はと。私は、

詩なんかもう書かないで
生きられるはずだと、
愚かにも思っていた頃のことです。そして

それから一年ほど経って、隣の部屋には別の、知らない人が住み始めたのですが、その前に大家のおばさんが階段を昇ってきて、こんなこと言いました。××さん、隣な、この前うちの息子に言うて、方除けの神さんのお札もろてな、おはらいしてもらいましたさかいに、もう、大丈夫でっせ。はあ。大丈夫なのか、とぼんやり思いながら聞きましたが、視界が、すうっと、チラシ一枚の厚みになって見えた。ああ、こんなものか、この世は。

要するにこうですね。教訓を言うならね。一人だけ早く死んだら、こんなことされますよと。こんなふうにおもしろおかしく、語られてしまったりしますよ。詩にされてしまったりしますよと。何をどう語られようと書かれようとあなたには、もう訂正ができない、反論もできない、それでもいいんですかと、問いかけたらきっと、いい、と言うのだろうなあ、死んでゆく人たちは。けれど

私はそれだけはたえがたかったのです。私が私を語り終えるより先に、あいつらに、私を語らせてなるものかと思った。いつだったか、あれは、たしか十五の頃のことです。ようやく手に入れた、薄汚れた剃刀の刃を、量産の、安物の一人称を、それでもあいつらに手渡してなるものか。私が私を刻み尽くすより先に。



そしてそれからまた、かなり経ってから一度、一度だけその人の親の家に呼ばれて、行ったことがあります。葬式も法事も私は行きませんでしたが、一度だけ呼ばれて。二階の、仏壇のある部屋の壁に、その人の写真が、のっぺり引きのばされて、貼られてありました。どこかの山頂で、リュックサックしょって、へらへら笑っていた。へらへら、

へらへら笑ったまま、親の家の壁で、
と思ったら見ていられなかった。どこまで馬鹿なんだよお前は。そして

写真を見ながら涙ぐんでいる背中、その人のお母さんの背中、白いカーディガン着た、肩の狭い背中に、すみません、でも、言わずにはいられなかった。すいませんお母さん、酷いことを、でも、酷いことを言わせてください。聞こえないようにこうして、聞こえないように、言いますから、お母さん、

死んだ子は可愛いでしょう? たまらなく可愛いでしょう? そうやって見あげて、飽きもせず見つめて、そうやってとめどなく、やさしく、恍惚と涙ぐむことができるほど、それほど、死んだ子は可愛いでしょう? 可愛いにちがいない。可愛いはずなのだ。死んだ子は、

うらぎりませんから。さからいませんから。死んだ子は、

口応え一つしません。心配をさせません。警察沙汰訴訟沙汰、何一つ起こすことはないです。変な連中と関わりあうこともない、世間にご迷惑おかけすることもない、親の恥さらすこともないです。こんなに良い子はいない、可愛い子はいない、そうでしょう、お母さん、

私は、

あいにく生きていまして、

死んでくれ生むんじゃなかった、と、わめかれたことがあります。ちょうど二十の誕生日の頃です。あれは心地よかった。こんな日のために生きてきたんだと、思えるほど、ほんとうに、ほんとうに心地よかったです。ああやっと、こういう人間になれた。二十年生きてきて、やっと。死んだら、ねえ、

死んだら、こういう人間であることができません。もう誰も、裏切ることができない。傷つけることができない。私たちを生んだ者への、復讐を、もう何も為すことができません。為そうとして為しえずにこうして、泣くことができません。その悲哀、その屈辱をこうして、言葉にしつづけてゆくことができません。こうして語りつぐことが。こうして

ひとりごとを言いつづけることが。



あの時、留守中に手紙を入れられて、私はそれを読みましたが、そしてしばらくはなるべく、ひとりごとを言わないように、心がけてみましたがそれでも、結局のところ私は、ひとりごとを言わずに、いられなかったのです。隣であの人が十本のビニール紐を、せっせと編みかけてやめかけていたのかもしれない、その時にもきっと、私は一枚の壁のこちらで、こうしていんうつなひとりごとを言っていた。もちろんあの人に聞かせたくはなかった、なかったけれどそれでも、言わずにはいられなかった。聞こえたのでますます気がめいって死にたく、なったかもしれないですね。もちろん私のひとりごとのせいで死んだとは、もちろんそうは思いませんけれど、しかし私にはさらさらと降る砂が見える。角のない細かい、吹けば舞うほどに軽い砂がさらさら、さらさらと降りそそぎ降りつもってある時、その底に埋もれた一つの

雲雀の卵が音もなく砕ける。そのように

時として人は死にますから。私がひとりごとを言いつづけたことも、私が生きていてそこにいたことも、そして結局のところ私が、こうして生きていてここにいるほどには、あの死んだ人のようには、死んでいった人たちのようには、あんなには弱くなかった、まさにそのことがさらさらと降る砂の、そのひとすくいでなかったとは言えない。四月、

一羽の雲雀が空にあがり囀る。踏み砕いた千の卵の、血に濡れて輝く声で。あの声が美しく聞こえるならそれは、

それは、砕かれた卵の

血が美しいのだ。



ぶきみですいません。暗くて。でも、

それでも私はひとりごとを言いたい。こうして隣の部屋の人に聞かれて、あなたにも聞かれて、あなたも私より弱い人で神経質なほうで、落ちこんでいる時も多くて、私のいんうつなひとりごとが聞こえるとますます気がめいって十二月二十一日に、延長コードで首を吊るのかもしれない。そうやって私の住む部屋の隣では次々と人が死に、方除けの神さんのお札が次々と貼られてははがされ、やさしい母親が一人また一人と、写真を引きのばしその写真を見あげて、とめどなく涙ぐみつづけるかもしれない。詩なんか書くような馬鹿野郎がこうして、好きなようにおもしろおかしく書いて、あることないこと書いて、自分の作品にしてしまうかもしれない。くだらない言葉の山に、してしまうかもしれない。あなたがもう何も、ひとことも言えなくなった後に。それでも、

それでも私はひとりごとを言いたい。だからひとりごとを、

ひとりごとを言わせてください。生きさせてください。言いたくてひとりごとを言うのではないと、思っていましたけれど今は、こう言わなければいけない、私は、

ひとりごとを言いたいのだと。ひとりごとを言いながらこうして生きたいのだと。私がこれまでのどの冬の十二月にも、どの二十一日にも延長コードで物干し竿でガムテープで、首を吊らなかったのがなぜだろうと考えてみるならばもしかしたらそれは私がこうして、ひとりごとを言いつづけていたからかもしれない。こうしてひとりでいる時にひとりごとを、ひとりで。だから私は言わなければいけない。声に出して今はこうして、言わなければいけません。言わなければいけないのです、こうして。あなたを何度殺そうとも何人殺そうとも私は、ひとりごとを言いたいのだと。ひとりごとを言いながらこうして、私は生きたいのだと。だから言わせてください、ひとりごとを、こうして言いながらひとりごとをこうして、生きさせてください。ひとりごとを言うために、生きさせてください、ひとりごとを、こうして。こうして生きさせて、言わせて、ください、ひとりごとを、言ってこうして、言って、ひとりごとを、ひとりごとを、ひとりごとを、生きて、こうして、

文学極道

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