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作品 - 20100324_717_4269p

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How not to pray

  岩尾忍

祈ったら終りだとまだ思っているよ。そこはまだ持ちこたえているよ。約束は私と私との間に

交わしたのがすべてだ。ちぎられたレシートの菫色の印字の、それでも私には十分な余白に、「失敗です。けれど

あなたの失敗じゃ決してないのです。」と

記したのが第一日だった。今ここではじめて、生れたことにした。私から私が。このひとの神経の瞬きである私、あのひとの神経の戦きである私が。そして骨だとか灰だとかの中には、もういないことにした。手に取れるものの中には。抱けるものの中には。「骨」の中、「灰」の中、私たちの大脳の中の

すくいがたく儚いものの、
中にしか「私」はいない、

と。(ならばどうやって存在を続けよう? 瞬いたり戦いたりを。どうやって?)それは、

硬貨をまっすぐに投げ上げてみることだ。街に降らせることだ。たとえ総額九〇〇円ばかりの、五円玉一円玉の、哀しくも輝かしい混淆であろうと、

誰かを驚かせることだ。苦笑や嘲笑とともに、しかしいくつかはその手で拾わせることだ。異なる肌により隔てられた誰かに。そしてその指の湿りで、今一度錆を吹くことだ。純潔を保たないことだ。

そしてうつむいて口にしてみることだ。「これには一片の聖性もないです。人々の技術が造り、人々の手垢が汚し、人々の妄想がこれに価値を与えた。美しいわけもないです。五円玉一円玉に

魅入られた私とは人間の屑です。」と。

そうだろう? でもそれはこう言うのと同じだ。天上から何が降ろうが、

いつもあの角に百均スーパーがあって、雨傘を買えるなら私はそれでいい。時給九〇〇円の悪くない今日の仕事が、明日も明後日もあるなら。部屋に帰れるなら。部屋には朝に出た時のままに、脱ぎ捨てた靴下と文庫本が絡まり、どの神も来なかった、いかなる奇跡も起きなかったのだとわかり、そしてまさにそのことの自負と自由とをこうして、

言葉にできるなら。

「私」くらい私が
養ってやれるさ、

と。だからもう口には出さないけれど、眼をあげてあなたとはこのように別れる。「私に黙祷を求めないでください。祈りは言葉じゃない。地に墜ちない一円玉は。」それはまた街に出て空を見て、

その誰の姿もない空から、奇跡のように降りおちる硬貨を、銀色のアルミの硬貨、金色の真鍮の硬貨、その輝きを掌に受けとめ、数グラムの誇りにかけて、こう言うのと同じだ。

ね、こう言うのと同じなんだよ。「私はこの光、今走った震え、だから私にはもはや

聖なるものはいらない。

ただでくれたっていらない。
ティッシュとクーポン券を
一緒に手渡されたっていらない。」

文学極道

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