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作品 - 20100216_816_4179p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


おんみ

  鈴屋


壁の日めくり、二月某日
さしこむ西日に侘助は明るみ
すきま風に追われては、紅ひとつ方丈にくずれる

おんみは綿にくるまれ熱に饐えて、ほしがる水は口うつし
されば世の男のはしくれとてふれた唇そのままに
やわらに舌を吸いあげ、乳房に顔をうずめ
うつせみの世の隅そのまた一隅
侘しくあればこそのいちずな色の行い

  
 「小宮さん、先日亡くなった瀬木さんは末期癌だったんですよ」 
 「刑事さん、どうしてわたくしがその瀬木さんと組んで堂島さんを殺さなければならないのです?」
 「復讐ですよ」
 「復讐?まあまあまあ、なんと興味深いお話」

 
枯れがれの檜葉の梢の夕月に
そのあたり風すさび、おんみのおえつ笛のごと鳴る
肌身を捨てても心をすてても、おんみの瞳は空をさすらい
海と陸
日と月
雲と波浪
見えるかぎりの果ての果てまで
こうしてひたすら見わたしているのだから
ああ、なんという愉楽
生まれなければよかった、からだなど
こころなど、なお
生まれなければよかった

波打つ胸の起伏をはじらい、あえぎを呑みこみ息をととのえ
おんみはうっすら瞼をひらく、そのいとしさあいらしさ
洩れる吐息の香味を惜しむあまり
息を絡ませまた口づける

 
 「瀬木さんが二階の堂島さんの居室で凶行に及んだあと、凶器のナイフと血のついた上着を窓から落とした、それをあなたが拾って松円寺公園の藪に捨てにいった、こうして瀬木さんのアリバイはつくられたのです」
 「ほんとにまあ、よく出来たお話だこと、でも、再三再四申し上げていますように、なぜわたくしが人殺しの、おお、なんという怖ろしい言葉、そんな手助けなどしなければならないのでしょう」
 「手助けをしたのは瀬木さんのほうですよ、小宮さん、あなたが二十年このかた胸に秘めていた復讐のね」


顔の幅に窓をあけて苗圃をぬける小道を見やれば
夕日は蕭々として、去り行くおんみのうしろを照らし
道にならぶ立木の影がつと起きては倒れ、つと起きては倒れ
これがおんみの見おさめ、まさか
まさかそんなはずはなどと危惧するのは
わずかに手をふった別れぎわの
笑まいのさびしさのせい


 
  
 注、次のように修正しました。  榧→檜葉。 木立→立木

文学極道

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