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作品 - 20091116_481_3948p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


THE THINGS WE DO FOR LOVE。

  田中宏輔




文化の日で

休日やというのに

大学では授業があったみたいで

文化の日の前の日に集まりたいって連絡すると

つぎの日に授業がありますので

というので

じゃあ、授業が終わってから集まろうよ

とメールで連絡して

あらちゃんと、湊くんと3人での

言語実験工房のひさびさの会合。

3時半に

ぼくの部屋に。

ということで、まず3時40分くらいに、あらちゃんだけ到着。

手には

ビールや、お菓子や、パンを持って。

「湊くんは?」

「ああ、

 4時くらいになるって言うてはりました。」

「そっ、

 あっ、

 ぼく、なんも買ってないんよ。

「お多福」に行こうよ。」

「お多福」というのは、前まで「大国屋」という名前だったスーパーね。

名前だけ変えたの。

改装で1週間近く工事してたんだけど

見た目

ほとんど同じだし

働いてるひとたちもいっしょ。

ぼくに好意を持っている、みたいな女のひともいるし

メガネ女史と、ひそかに呼んでるんだけど

リスカの男の子

たぶん学生だと思うんだけど

二十歳くらいかな

短髪

あごひげ

がっちりの、かわいい青年



あらちゃんと買い物に出たんだけど

大国屋に



お多福に入る前に

その前を通り過ぎて

タバコの自販機のところまで行くと

湊くんが横断歩道を渡ってこちらにきたところだった。

鉢合わせっちゅうやつやね。



タバコを買って

3人でお多福へ。

「お疲れさま〜。

 休日でも大学って、授業してるんや。」

「ええ、

 年に、かならず15時間してくれって。

 このあいだの台風で

 一日つぶれたでしょう?

 土曜日にもやりましたよ。」

前の日に、あらちゃんから

「さいきんでは、休日でも授業があるんですよ。」

って聞いてたから

ほんと、びっくり。

学生もたいへんじゃない?

先生もたいへんだけどさ。



逆かな?

先生もたいへんじゃない?

学生もたいへんだけどさ。

いっしょかな、笑。

「ぼくは昼ごはん食べたから

 ふたりは、まず、お弁当でも買って、腹ごしらえでもしたら?」

ってことで

ふたりは弁当も買って。

それぞれ

飲みたいものや

食べたいお菓子を選んでレジへ。

ぼくは、ヱビスの黒ビール2本とお茶と

お菓子はなんだったっけ?

忘れた。

湊くんは、違うメーカーのビールと、お菓子。

あらちゃんは、ノンアルコールのビール持ってきてたから

なにも買わず。

さあ、きょうは、決めることが2つ。

そして、ひさびさの3人そろっての会合で

ぼくも少々、興奮ぎみ。

ブハー。

湊くんが

ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を持ってきていて

岩波文庫のね。

「あっ、ぼくも持ってるよ。」

と言って、部屋の岩波文庫のある棚を指差した。



しばらくのあいだ、『論理哲学論考』について話をした。

ぼくが

「ヴィトゲンシュタインって

 文学作品って、なに読んでたんだろ?」

と聞くと

「それはわかりません。」

湊くんが

坐ってるところから見える

部屋の本棚に置かれたSF文庫の表紙を見てから

「SFとか読んでましたかね?」

「当時はまだ、SFはなかったんじゃない?

 あ

 でも、ウエルズは読んでたかもしれないね。

 あれは、当時、みんなに読まれてたって書いてあったから。」

ほんとのことは、わかんないけどね〜。

湊くんが

台所の換気扇のところでタバコを吸っているあらちゃんに向かって



ぼくの部屋では禁煙なの。

本にタバコのヤニがついちゃうのがヤだから。

まっ

と言っても

部屋と台所はつづいてるんだけどね〜。

カーテンで仕切ってるだけで。

そのカーテンも半分開けてるし、笑。

換気扇だけが頼りね。

「荒木さん、日記も読んでるんですよね?」

あらちゃんが、タバコをフーと吐き出してから

「読んでますよ〜。」

「ヴィトゲンシュタインが、なに読んでたか書いてありましたか?」

「なに読んでたの?」

と、ぼくも追い討ち。

「さあ、わかりませんね〜。

 それは書いてありませんでしたね。

 まだぜんぶ読んでないんで

 もしかしたら、あとで出てくるかもしれませんけど。」

と、ぼくと湊くんの、ぼくたちふたりに向かって。

ぼくが

「なにも読まなかったのかもね。」

と言うと

「『論理哲学論考』でも、ラッセルとホワイトヘッドについてしか言及してませんからね。」

と湊くん。

このあと

さいきん、『論語』や荘子の本を読みはじめた湊くんの話を聞きながら

3人で

西洋と東洋の思想や哲学の話をしていた。

湊くんが

「ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』にも神が出てきますね。」

って



ほとんどすべての西洋の人間には、

あの「神概念」がどうしても抜けないらしくって

って言うから

ぼくが

「当時は仕方がないんじゃないの?」

と言うと

「いまもですよ。」

と湊くん、



つづけて

「ぼくたち、日本の詩人にとっては

 アッシュベリーの詩って、難解でもなんでもないじゃないですか?」

「そだよね〜。」

あらちゃんは、アッシュベリーはまだ読んでなかったのか

ここでは聞いてるだけ〜、笑。

「そだね〜。」

と、もう一度。

「でも、アメリカ人にとっては難解なんですよ。」

話の流れから言えば、当然、こうだわな。

「神概念が抜け落ちてるから?」

「そうです。

 だから

 日本の現代詩からすれば

 ふつうによくある抒情詩ですけど

 アメリカ人から見たら

 難解なんですよ。」

「神概念の欠如ねえ。

 もちろん、キリスト教の神概念だろうけど。

 それで

 日本人のぼくらには、よくわかって

 アメリカ人には、よくわからないんや。」

ふ〜ん。

なるほど〜

と、腑に落ちかのように

うなずいた。

ほんとは、それほど腑に落ちなかったのだけれど。

クリスチャンじゃないぼくだって

聖書には、ずいぶん影響されてるからね。

「いまでも、アメリカ人って、神概念に拘束されてるの?」

「そうですよ。」

「へえ〜。」

そうなのかな〜

学生時代に読んだ本では

ドイツでは教会離れが急速に進んでるって書いてあったんだけどなあ

って思った。



これって

さっき考えたことと矛盾するか、

でも、まあ、現実に

アメリカ人やオーストラリア人といった外国人と頻繁に会っている

湊くんの話だから、そうなんだろうね。

まあ、ぼくはキリスト教系の大学の付属高校に勤めてて

ネイティヴの先生も多いし

聖書の時間も授業にあって

また毎朝、チャペルで礼拝もあるし

特別に宗教の時間がもたれることもある学校なので

聖書が職員室のそこらじゅうの机の上にあるのがふつうの光景で

とくべつ、アメリカ人の先生たちがクリスチャンかどうか

また、クリスチャンでなくっても

聖書的な神概念に精神が拘束されているのかどうかなんて

とくに考えたこともなかったけれど

湊くんの話を聞いて、そうかもしれないなあ、と思った。

湊くんが

『論理哲学論考』を開いて見せてくれた。

これですけど

と言って

「われわれは事実の像をつくる。」

ってところを

指差して示してくれた。

イメージと像について話をしているときだった。

ヴィトゲンシュタインは

ドイツ語と英語で

イメージについて書いているけれど

ドイツ語では

イメージのニュアンスと、

じっさいに見えるものという意味の

両方の意味に使える単語 Bild を採用しているけれど

英語ではそれを picture と訳しているので



しかも

ヴィトゲンシュタイン自身が英訳にかかわっていたので

ヴィトゲンシュタインにおけるイメージは

picture だったわけで

って話のフリがあって



ぼくが

湊くんが見せてくれた言葉を見て

「事実は、われわれの像である。

 事実は、われわれの像をつくる。

 って、どう?」

と言うと

「ヴィトゲンシュタインも同じようなことを書いてますね。

 これ、書き換えが多いですから。」

と湊くん。

「そうやったかな。

 読んだの、ずいぶん前やから、わすれた〜。

 そいえば、パウンドも、詩論で

 イメージこそ大事で、って書いてたけど

 ヴィトちゃんも、イメージかあ。」



なんで

大学やめて

田舎で看護仕なんかしてたんだろうね。

またケンブリッジに戻りますけどね。

ラッセルが推薦してねえ。

とかとか

ヴィトゲンシュタインの話がしばらくつづいて

3人で盛り上がった。

ぼくが坐っていた右横に

ダンボール箱があって

それはこのあいだ、プロバイダーを替えたんだけど

モデムとかが入っていたヤツね

いまは古いほうのモデムなんかを入れて返送用の箱待ちぃ〜



その上に

いまお風呂場で読んでる『源氏物語』の「薄雲」のところがあって

これって

ホッチキスで読む分だけを、とめてあるやつなんだけど

それを渡して

ぼくがオレンジ色の蛍光ペンで印をつけたところを指差した。

「夢の渡りの浮橋か」(うち渡しつつ物をこそ思へ)

って、ところね。

「いいでしょ?

 このフレーズ。」

「これ、だれの訳ですか?」

「与謝野晶子。」

「これ、もと歌がありますね。」

「あるんじゃない?

 ぼくも似た表現、見た記憶があるもん。

 物をこそ思へ

 って、なんだか、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの言葉みたい。

 事物こそ、なんとか、かんとか〜だったっけ?

 具体的なものこそ、なんとか、かんとか〜だったっけ?

 パウンドも書いてたかな〜。」

「いや、よくありますよ。」

俳句や短歌にも詳しい湊くんだった。

「いま、うちのそばに

 夢の浮橋のあとがありますよ。」

「えっ?

 あっ、

 引っ越したんだっけ。

 いま、どこらへんに住んでるの?」

「東福寺のそばですよ。」

「橋があるの?」

「いえ、なにもありませんよ。

 なにもありません。

 よくある史跡ですよ。

 あったということだけがわかっている

 場所を示す立て札があるだけです。

 これが『源氏物語』で有名な浮橋で、

 とかという説明が書かれた立て札があるだけです。」

そいえば

アポリネールの

「ミラボー橋」も

詩はあんなに有名なのに

シャンソンにもあるらしいのだけれど

橋自体は

ちっぽけなものだって

どこかに書かれてるの読んだことがあるなあ。

夢の浮橋かあ。

夢に

なにを渡すのだろう。

夢から

なにを渡されるのだろう。



それとも

夢自体が

渡すものそのもの

橋なのかな。

夢の浮橋。

どこが、どこに通じてるんだろう。

どこと、どこがつながってるんだろう。

なにが、なにを渡すのだろう。

なにから、なにが渡されるのだろう。

なにを、なにに渡すのだろう。

物をこそ思え。

今回の言語実験工房で話し合わなければならないことは2つあって

1つは

関根くんをメンバーに迎えるかどうか。

もう1つは

今年の言語実験工房賞は、だれに?

さいしょのことは、関根くん自体が消極的なので

じゃあ、これからも言語実験工房は3人でやりつづけましょうということで

これは30秒くらいで決定。

言語実験工房賞も

まえに、湊くんと日知庵で飲んでたときに

話していた詩人の詩集に

とのことで、あらちゃんも同じ意見だったので

数十秒で話し終わった。

ひゃはは。

1分くらいで

会合の目的は果たして

ぼくたちは

お酒と、お菓子を、手に手にして

まだまだ

右に

左に

縦に

横に

縦、縦、前、横、横、後ろ、前、右、左、斜めに

話しつづけていたのであった。

前から、みんなで見ようねって話をしていた

ぼくがいま夢中に好きな

キングオブコメディのDVDを見ることになった。

ぼくの好きなコントをいくつか見たあとで

ドッキリっていうか

ドキュメントなのかなあ

盗み撮りで

2人が楽屋で

中華料理屋から出前をとって

ご飯を食べてるシーンがあって

コンビの相方のひとりが

もうひとりのほうの食べ物をねらって、とってばかりいるという

食い意地の汚さをメインに人間模様が浮かび上がるシロモノだったんだけど

ぼくが

「中学のとき、お弁当のおかず

 とってくヤツっていなかった?

 いたでしょう?」

と言うと

「いたいた。」

と、あらちゃん。

湊くんが

「ぼくは中学のとき、給食でしたから

 なかったですよ。」

「名古屋だったら

 うぃろうが出てきたりして。

 あ、

 湊くんってさあ、

 大阪だったよね。」

「そうですよ。

 ですから

 タコ焼き出てきたのかって

 よく言われます。

 出てきませんでしたけど。

 いまだったら出てくるかもしれませんけどねえ。」

「京都だったら

 おたべだよねえ。

 出てきてほしいなあ。

 おいしいもんね。」

ふたりも、好き好き、と。

「いろんな種類

 出てますよね。

 ぼくは、抹茶味が好きぃ。」

と、あらちゃん。

「カラフルなものがいっぱい出てるものね。」

黒胡麻かな。

真っ黒なものもあった。

ピンクや

黄色もあった。

なに味か、わかんないけど。



あらちゃんの好きなグリーンのもね。

それは、抹茶味か。

そいえば

一語が入ってるのもあったかなあ。



イチゴね、笑。

すると

湊くんが

「清水寺をのぼっていく道があるじゃないですか?

 あの細い狭い坂道

 あそこ通ると

 試食で

 お腹がいっぱいになります。」

「ししょく」って

すぐには、わからない、ぼくだった。

音になじみがなかったので。



「いろんな食べ物が試食できますよ。

 甘いものに飽きたら

 漬物の試食すれば味が変わりますからね。

 デート・コースには、うってつけですよ。」

このへんで、ようやく

「ししょく」の意味がわかったぼくだった。

このあいだ、文学極道に投稿した詩の

わかんないところを

湊くんに教えてもらった。

詩をプリントアウトしたものに

あらかじめ、赤いペンで

わからないところに矢印をしておいたのね。

チェックしてもらっているあいだ

DVD見てたぼくだけど。

ごめんちゃい。



つぎの点を、書き込んでもらった。

rejection slip

詩人

ジョン・ベリマン

レオポルド・ブルーム

rejection slip

ってのは

編集者が、作者に雑誌掲載できない原稿だっていう返事を書いたものね。

「スリップって、小さい紙ってことだっけ?」

「そうですよ」

詩人っていうのは

このあいだ文学極道に投稿した作品で

rejection slip

ってのを受け取っても

それを机の見えるところに貼って

執筆しつづけて

編集者に作品を送りつづけた作者のことだけど

ぼく

忘れてたからね〜。



それが

だれかってのも忘れてたんだけど

それは

ジョン・ベリマンだとのことでした。

湊くんが笑いながら

「だから、あとで

 ジョン・ベリマンの話になったんじゃないですか。」

ぼくも、自分で自分のこと笑っちゃった。

「そだったね。

 忘れてた〜。」

ぼくって

あの長篇詩『ブラッドストリート夫人賛歌』

何度も引用してるのにね。

ギャフンだわ。

レオポルド・ブルーム

ってのは

ジョイスの『ユリシーズ』の主人公の名前ね。

これも忘れてたのね。

「文学極道でさ、

 いま、ぼく、投稿してるじゃない?

 そこに粘着質のひとがいるんだけど。」

そう言うと

湊くんが

「見ましたよ。

 相手にしたら、いけませんよ。」

「うん。

 わかってるよ。

 相手にしてないよ。
 
 でも、なんだか、そのひとのことを考えてたら

 ぼくまで

 粘着質っぽく思えてきちゃってさあ。

 ぼくって、粘着質かなあ?」



台所に立って換気扇の下で、タバコを吹かしてた

あらちゃんに近づきながら、そうきいた。

ぼくも、タバコが吸いたくなったのだった。

「あつすけさん、

 粘着質と違いますよ。

 あつすけさんは

 スキゾでしょ。」

「スキゾって、なに?」



ぼくが言うと

湊くんが

「スキゾは分裂症型ってことですよ。」

って、



「粘着質のひとって

 見て

 すぐわかりますよ。」

って。

すると

あらちゃんも

「見たら

 わかります。」

とのこと。

「へえ〜

 そなの?」

「あつすけさんは、粘着質と違いますよ。」



湊くんまで

そう言ってくれたので、安心した。

ぼくは

いままで、ずっと

自分のことを、粘着質で

執念深い性質だと思ってきたから。

「実母がさ。

 精神病じゃない?

 精神分裂のほうの。

 いま統合失調症って言うみたいだけど。

 だから、遺伝してるのかな?」

ふたりの顔を見ながら

そう言ったら

湊くんが

「分裂症型と

 分裂病とは違いますからね。」

「えっ?

 あっ

 そうなんや。

 ああ

 そうやったね。

 症と病じゃ、違うもんね。

 よかった〜。」

と言いながら

ぼくの頭のなかでは

狂っている母親の姿が思い浮かんでいた。

話をしていると

突然

鳥になって、鳥の鳴く声で鳴き出したり

突然

狂ったように

いや、

狂ってるんだけど

狂ったように

ケタケタと

大声で笑い出したり

突然

物になったかのように無反応になったりする母親のことが

ぼくの頭のなかをよぎった。

ふたりは

そんな映像を頭に思い浮かべることもなかったと思う。

おそらくね。

っていうか

思い浮かべたら

おかしいね。

湊くんが

「ふたりとも

 そこに立ってたら

 ぼく、さびしいじゃないですか。

 ぼくも、そっち行こうかな?」

「いやいや

 そっち戻る、そっち戻る。」

ぼくは、あわてて

吸っていたタバコをもみ消して

パソコンの前の

自分の坐っていた場所に腰を下ろした。

「このつぎのやつ。

 だじゃれのVTRなんだけど

 ぼくって

 よく

 だじゃれ使うじゃない?

 齢いくと

 そうなるって言うけど

 さいきん、めっちゃ使ってるような気がするわ〜。」

リモコンで、スピーカーの音量をあげた。

キングオブコメディの今野くんが

「ダジャレンジャー」

って役で

まあ

マトリックスのエージェントのような服装で

サングラスは

はずしてね

出てくるVTRなんだけど

あらちゃんもタバコを吸い終わって

はじめに腰を下ろしてたところ

テーブルをはさんで

ぼくとは対面の場所に坐った。

湊くんは

パソコンの画面の正面

3人の位置は

ぼく

湊くん

あらちゃんの順に





西

うん?

そうだね。

3人の背中は

それぞれ

東向き

南向き

西向きだった。

湊くんが笑いながら

「やっぱり

 メリルは貸してもらえませんか?」

ぼくも笑いながら

「ごめんね〜。」

早朝の豆腐売りの

ファ〜フウ、ファ〜フウ

って音が

映像となって通り過ぎていったかのような錯覚がした。

音が

動く画像になって

目の前を通り過ぎてくような感じかな。

「ごめんね〜。」



もう一度

笑い顔をして

念を押しておく。

「やっぱ、ぼく

 けちなんだわ〜。」

すると

湊くんが

あらちゃんから返してもらった詩集を手にしながら

「ぼくは

 多少、傷んでても平気なんですけどね。」

すると

あらちゃんが、

遠慮がちに

自分のリュックからもう1冊

湊くんから借りていた本を返しながら

「これ、ごめんなさい。

 帯がちょっと破れました。」

あらちゃん

笑ってないし

でも

湊くんは

「大丈夫ですよ。

 ぜんぜん平気ですよ。

 そりゃ、さすがに

 めちゃくちゃ汚されてたら

 ううううん

 って思いますけど。」

笑いながら。

ぼくは、笑わなかった。

考え込んじゃった。

「ぼく、やっぱり

 けちなんやろか?」

「あつすけさんは

 とくべつ敏感なだけでしょ。」



湊くん

笑いながら。

ぼくは

笑えなかった。

神経質なんやろなあ。

おんなじ本を5冊も買って

付き合ってた恋人に

これ以上、おんなじ本を買うたら

別れるで

とまで言われたもんなあ。

『シティー5からの脱出』やったかな。

J・バリトン・ベイリーの。

あの表紙が、かわいいんやもん。

ちょっとでも

ええ状態のもんが欲しかっただけやのに。

ぼく

笑ってないし。

ぜんぜん

笑ってないし。

笑ったけど。

「北見工大の専任講師に応募してみたら

 って話がきましたけど、応募しませんでした。」

「へえ、

 ぼくやったら応募するわ〜。」

「あつすけさん、

 ぜったいあきませんよ。

 京都から出たことないから

 想像つかないんとちゃいます?」

「そうですよ。

 どんなところか

 ぜんぜんわかってないでしょう?」

「えっ?

 どこなの?」

「北海道の東のほうで、網走のすぐ西ですよ。」

「網走?

 だけど

 たしか、北川透って

 九州の田舎の大学じゃなかった?」

「そんなの比べものになりませんよ。

 冬なんて

 ふつうの寒さじゃないんですよ。

 ストーブ、ガンガンにつけてても寒いんですからね。」

「そっか。

 それって

 雪まみれってこと?

 部屋のなかまで〜?」

「セントラルヒーティングしたうえで

 ストーブ、ガンガンにつけてても

 寒いんですよ。

 ウェブで見たんですけれど

 特別な暖房がいるから

 地元の電器屋にご相談を

 なんて書いてありました。」

「それに

 こっちに戻ってくるのに

 5万円はかかるでしょう。」

「えっ?

 でも、専任だったら

 年収500万円とか、600万円はあるんじゃない?

 だったら

 100万円くらい

 旅費に使ったっていいんじゃない?」

「ありますかねえ。」

「あるよ、ぜったい。」

と、よく知らないくせに、ぼく。

「ありますよ。」

と、あらちゃんも。

あらちゃんが言うから、あると思った。

確信した。

「ううううん。」

湊くんが笑いながら。

「それに、学会とかあるやろうし。

 大学がいろいろお金出してくれるんじゃない?」

と、ぼく。

「いや〜、あつすけさん。

 最近、出ませんよ。」

とまた、あらちゃん。

「公立だから?

 ふうん。

 ぜんたいに不景気なのね〜」

「それに

 工大でしょう。

 専門が…」

「えっ?

 だって

 あのひと

 あの

 ほら

 言語実験工房に作品送ってきてくれたひと

 京都で会ったじゃない。

 あのひとって

 医学部じゃん。

 教えてるの。

 医学部出身じゃないけど。」

「高野さんですか?」

「そうそう。

 高野さん。」

「そういえば

 そうですねえ。

 あ

 2週間前に会いましたよ。

 同志社であった the Japan Writers Conference で。」

「それって、学会?」

「ええ。

 学会みたいなものですね。

 イベントって言ったほうが適切でしょうけれど。」

「ふうん。

 元気にしてはった?」

「元気でしたよ。」

元気なのか。

そだ。

キングオブコメディの「ダジャレンジャー」で

今野くんが

電器屋さんの店頭で

「デンキですか〜!」

って叫んでた。

アントニオ猪木のマネしながらね。

「でも

 北見工大って有名なんじゃない?

 北見工大付属って

 甲子園に出てない?」

「出てましたかね?」

「出てるかもしれませんねえ。」

ぼくら3人とも

野球には詳しくなかったのだった。

でも

「ぼくの耳が

 知ってるような気がする。

 音の記憶があるもん。

 北見工大付属って。」

どこかと間違ってる可能性はあるけどね〜、笑。

「でも、専任になったら

 書類がたいへんですよ。」

「そうなんや。」

「はんぱじゃないですよ。」

「そういえば

 日本って、アメリカとかと比べて

 会社で書かされる書類の数がぜんぜん違うって

 なんかで読んだ記憶があるなあ。」

「このあいだなんて

 研究室の安全確認の書類を書いてました。」

「えっ?

 そんなの事務員がすればいいんじゃないの?」

「研究室の配線とかのことで

 それは、ぼくたちがやらなきゃならないんです。」

「そうなんや。

 まあ、そうなるのかもしれないね。」

「授業計画書とかも書かなきゃなんないでしょ。」

「あっ、そうだよね。

 國文學の編集長やった牧野さんから

 授業計画書を見せてもらったことがある。

 いま

 大学で教えてはるのね。」

「とにかく書く書類が増えるってことですね。」

「日本人って

 不安なんだろうね。

 書類がないと。」

じゃあ。

一日じゅう

書類書いとけばいいじゃん

っとか思った。

一日じゅう

書いて

書いて

書きまくるのね。



たしかに安心するのかもしれない。

ぼくが詩を書くように

書いて

書いて

書きまくるのね。

いや

違うかな。

ぼくは

書いても

書いても

いくら書きまくっても

いつまでたっても

安心できない。

なんでなんやろ?

わからん。

フィリピン人のコメディアン greenpinoy の チューブで

One Year of Friendship!

ってタイトルのものがあって

それって

greenpinoy が

1年のあいだに

友だちたちといっしょに撮った写真を

スライドショーっぽく

画像をコマ送りしながら

スティーヴィー・ワンダーが参加して歌ってる

RENTの主題歌を流してるんだけど

そのRENTの歌って

1年という期間を

およそ、525600分と計算して

そこに、525000の瞬間の出来事があって

っていうふうに歌ってて

そこに

日没があり

そこに

愛があり

そこに

人生がある

とかとか言ってるのだけれど

ぼく

ふと思っちゃった。

1日のうちに

1年があるんじゃないのって。

1日のうちに1年があって

1時間のうちに10年があって

1分のうちに、生きているときのすべての時間があるんじゃないのって。

すると

やっぱり

ノーナ・リーヴスの西寺豪太ちゃんがブログに書いてたように

一瞬のなかに永遠があるんだよね。

豪太ちゃんは

「一瞬のなかにしか永遠なんてものはないのさ。」

だったかな。

いや

もっと短く

「一瞬のなかに永遠はある。」

だったかな。

そんなこと書いてたけど

ぼくも、そんな気がする。

気がした〜。

豪太ちゃんの言葉を見たときにね。

その言葉、見たの

ずいぶん前のことだけど。



そのときにも思ったの。

一瞬のなかにこそ、永遠というものがあり

なおかつ

永遠というものも、一瞬のものであるということを。

ひとまばたき。

「目を閉じて、目を開ける」

ただひとまばたきの

時間のあいだに

永遠があるのだということを。

アハッ。

じつは

さっきね。

「一瞬のなかにこそ、永遠はある。」って、書いたとき

キーを打ち間違えて

「一蹴のなかにこそ、永遠はある。」

ってしてたんだけど

一蹴

おもしろいから

そのままにしてやろうか

な〜んて

思っちゃった〜。

「ヴィトゲンシュタインって

 この『論理哲学論考』では

 よく「対象」っていう言葉を使ってますね。」

「ぼくなら「対象」と「観察者」をはっきり分けたりできないけど。」

「ヴィトゲンシュタインは、はっきりさせようとしています。」

「はっきり分けようとすると

 矛盾がでてくるんじゃない?

 分けられないでしょ?

 じっさい。」

「後期のヴィトゲンシュタインは、それを反省してますけどね。」

「言語ゲームですね。」

と、あらちゃん。

「とにかく

 『論考』では、はっきり分けて考えるようにしていますね。」

アリストテレスの二項対立みたいに

なんでも分けて考えるのね。

西洋人って。

いや、考えること is equal to 分けること

なのかな。

「ぼくなんか

 いつも

 なにか考えるときは

 考えてるものと

 その考えてる自分というものとは不可分だってこと

 考えちゃうんだよね〜。

 それに

 ときどき

 その考えてるものが

 自分のことを考えてる

 な〜んてことも考えちゃうしね〜。」

はっきり分けられないと

いつまでも

ぐずぐず食い下がるぼくであった。

「あなたの友だちの息は、とっても臭いです。」

Useful Japanese

って、英語のタイトルだった

greenpinoy のチューブを見た。

「わたしのおじさんは、ホモだと思います。」

これも面白かったなあ。

「あなたは中国人ですか?

 日本人ですか?

 それとも、韓国人ですか?

 どっち?」

ってのもあって。

「日本では

 2つのうちの1つを選ぶときにしか

 「どっち」って使わないよね?」

と言うと、

「英語では

 3つ以上のものから1つのものを選ぶときも

 2つのときからと同じで

 which ですよ。」

と湊くん。



このチューブを見たあとで

これ感動したんだよ

と言っておいて

トップの静止画像だけ

ちらっと

見せておいて

先に

この「日本語の勉強」ね、

Useful Japanese のチューブを見てもらって

あとから見た

「これ感動したんだよ

 『RENT』の主題歌ね。

 スティーヴィー・ワンダーが歌に参加してるけど

 スティーヴィー・ワンダーの詩なのかな?」



「ぼく、この単純な詩にめっちゃ感動したんだけど。」

って言って



「これ、

 似てる詩をゲーリー・スナイダーが書いてたよ。」

と言って

『ビート読本』を出して

スナイダーのところを捜したら

なかった。

そしたら

頭が

ピリピリと

頭の横のところが

ピリピリと

痛かった。

また記憶がまちがっていたのかって思って



本のどこかで引用してたはず

と思って捜しつづけたら

見つかった!

なにが?

ナナオササキの詩が。

ナナオササキの詩だったのだ。

「そんなこと、ぼくもありますよ。」

と湊くん。

フォローが絶妙、笑。



おとつい

日知庵に行ったあと

大黒に行ったら

マスターが

ぼくの耳のうしろから息を吹きかけるから

「やめてよ。

 感じやすいんだから。

 ぼく

 耳がいちばん感じるんだから。」

「あつすけさんって

 全身性感帯みたい。

 乳首も感じるの?」

そう言って、手をのばそうとするから

すかさず、ぼくは、両手で自分の胸をおさえた、笑。

「やめて!

 感じちゃうから。」

「感じれば、いいじゃない。」

「だめなの。

 いま、飲んでるでしょ。」

「まあね。

 あいかわらず、わがままね。」

「はっ?

 なに、それ?」

「まあ、まあ。

 いいわ。

 飲みなさい。」

なんか

憮然としちゃった。

かさぶたができるぐらい

ギュー

って

乳首をつままれた

いや

ひねられただな

記憶がよみがえっちゃって

一気に

ジョッキの生ビールをあおっちゃった。

「ぼくの乳首って小さいけど。」

と自分の胸を何度も手のひらでなでるマスター。

「あつすけさんの乳首って大きそうね。」

「おかわりぃ〜。」

「は〜い。

 あっちゃん

 ビール入りま〜す。」

バイトの男の子が伝票にチェック。

西寺豪太に似たガッチリデブのブスカワの子。

このあいだ

ノーナ・リーヴスの最新アルバム『GO』を大黒に持ってきて

かけてもらったときに



湊くんときたときね。

「きみってさあ。

 ブスカワじゃん?

 このボーカルの子に似てるよ。

 ぼくの目にはソックリ。」

湊くんが

カウンターの上でライナー・ノーツを拡げて見せてた

ぼくの手のひらの上の

西寺豪太の写真の顔をのぞき込んでから

顔を上げて、目の前に立ってたバイトの子の顔を見た。

「似てますね。」

「似てますか?」

と、そのバイトの子ものぞき込む。

「似てないことはないと思いますけど

 そんに似てますかね。」

「ブスカワなとこも

 いっしょじゃん。」

と、ぼく。

「ええっ?

 そんなん言われても。

 ブスカワですか?

 ぼく。」

「ハンサムじゃないね。

 男前でもないし。

 もちろん、カッコよくもないし。

 でも、いいじゃん。

 ブサイクでカワイイんだから。

 ぼくなんか

 愛嬌なくって

 ぜんぜん

 ひとに好かれないもん。

 ぼくも、ブサイクでカワイイ

 ブスカワに生まれたかったな。

 ブスカワだと

 ぜったい

 人生ちがってた〜。」

ここで、おとついに時間を戻す。

ぼくがひとりで飲みにきてたときにね。

「ぼくも、あんなジジイになりたい。」

映画のなかに出てきたチョー・ブサイクな白人のジジイを指差した。

「あれ、あのジジイね。」

「ぼくは、かわいいと思うけど」

「ぼくは、マスターとちがって

 年上はダメなの。」

「あの俳優さん、かわいいと思うけど。」

「ジジイじゃん。

 ぼくもジジイだけど。

 でも、あんなにブサイクなジジイになったら

 もう恋をしなくても、すむじゃん。

 期待しなくても、すむじゃん。

 はやく、あんな汚いジジイになりたいっ!」

「それって、きのうも話してたんだけど

 きのう

 お店が暇だったから

 みんなで、ラウンド1 に行ったのよ。

 そこで、そんな話が出たわ。

 むかしモテタひとって

 よくそんなこと言うわねって。」

「ふううん。」

「あつすけさん、

 年上とはないの?」

「あるよ。

 2、3人だけだけど。

 それに

 年上って言っても

 1つか2つくらい上だっただけだけどね。

 とにかく

 ぼくは

 ぼくより齢が上で

 ぼくよりバカなひとって

 大っ嫌いなの。

 ぼくより長く生きてて

 ぼくよりバカって

 考えられへんわ。」

「ぼくは、だらしない年上も好きだし

 しっかりした年下も好きよ。」

「じゃあ、ぼく、ぴったしじゃん。

 ぼく、だらしないよ。

 頼りないし

 貧乏だし

 部屋も汚いしぃ。」

横に立ってたマスターの分厚い胸に

頭をくっつけて甘える

ぼくぅ。

「部屋が汚いのは、いや〜ね。」

「えいちゃんも、よくそう言ってた。」

頭をマスターの胸から離した。

「片付けられないのね。」

「片付けるよ。

 ひとがくるときだけだけど。」

ほんと

そうなんだよね。

今回の言語実験工房の集まりでも

ぼくの部屋

掃除しはじめたのって

約束の時間の1時間くらい前からだもんね。

そいでもって

約束の時間ギリギリまで掃除してたもんね。

ぼくは

シャツの上に浮き出たマスターの乳首の形を見つめた。

ぼくの乳首

大きくないし。

「あっちゃん、

 アプリって知ってる?」

「知らない。」

「マイミクになったら

 教えてあげる。」

「ならない。」

「ほれほれ、この漢字読める?」

箇所

って漢字を、携帯で読ませようとするマスターに

「読めない。」

「あらあら、

 あっちゃん、

 詩を書いてるのに漢字が読めないのね。」

「漢字はパソコンが書くから

 ぼくが知らなくってもいいの。」

「まあ。

 あっちゃん、

 もっと漢字、知らなきゃ

 詩を書けないでしょ?」

「べつに。」

ぼくは

シャツの上に浮き出たマスターの乳首の形を見つめた。

ぼくの乳首

大きくないし。

ぜったい大きくないし。

文学極道

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