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作品 - 20091030_807_3897p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


点の、ゴボゴボ。

  田中宏輔



あたしんちの横断歩道では

いつも

ナオミが

間違った文法で

ごろごろ寝っころがっています。

まわりでは

あたしたちのことを

レズだとか

イモだとか

好き言ってます。

はっきりいって

まわりはクズです。

クズなので

どんなこと言われたって平気だけど

ナオミは傷つきやすいみたいで

しょっちゅう

病んでます。

あたしたちふたりだけが世界だと

世界はあたしたちでいっぱいなのだけれど

世界は

あたしたちでできているんじゃなかった

あたしは

自分が正しいと思ってるけれど

あたしの横で

いつか

車に轢かれるのを夢見ながら

幸せそうな顔で

寝っころがってるナオミのことを

すこし憎んだりもしています。

ジャガイモを選ばなければならなかったのに

トマト2個100円を選んでしまったのだった。

勘違いのアヒルだったってわけ?

静止画とまらない。

もはや、マッハの速さでも

よくわからない春巻きはあたたかい。

あたしんちの横断歩道で

いつか

あたしも

間違った文法で

ごろごろ寝っころがったりするんだろうか?



よい詩は、よい目をこしらえる。

よい詩は、よい耳をこしらえる。

よい詩は、よい口をこしらえる。



具体的なもので量るしかないだろう。

空間が

ギャッと叫んで

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

時間が

耳を澄まして

見ている。

出来事は

微動だにしない。

先週の日曜日

西大路御池のところにあるラーメン屋で

指から血が出た。

新聞紙を

ホッチキスというのかな

あの



の形の

鉄の

鉄かな

鉄の

ねじれた

ちぢんだ

ふくらんだ

もので

とめてあったのだけれど

はずれてて

はずれかけてて

だれかが



の形に

してて

指に鉄の針先が

皮膚から侵入して

血が

ドボドボと

ではないけど

チュン

って

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ

めっちゃ

痛かった。

ラーメン屋のオヤジが臭かったけれど

客が企画した計画の一部だった可能性もあるので

ラーメンを食べながら

指が痛かったのだ。

ふるえるラーメンを

ふるえる割り箸で

ふるえる歯で

噛み千切りながら

舞台の上にのぼった詩人のように

恥ずかしいのだった。

スキンを買っておかないといけないなって思って

いたのだけれど

ふるえる眉毛が

ふるえるラーメンの汁のうえで

何だって言った?

涙っていた。

タカヒロが半年振りにメールをくれた。

携帯を水に落としてって

水って

どこの水かな。

ぼくのふるえるラーメンの知るのなかだ

知ることと

汁粉は違う。

空間が

ギャッ

と叫んで

ぼくのラーメンの汁のなかで

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ

携帯にスキンを被せたら

よかったんだ

ボッキした携帯は

フッキして

二つに折れた



ぼくが23歳のとき

2歳したの子と付き合おうと思ったのだけれど

かわいい子だったけれど

彼のチンポコ

真ん中で

折れてて

「なんで、チンポコ折れてるの?」

「ボッキしたときに

 折ったら

 そのまま

 もとに戻らへんねん。」

空間が

ギャッって叫んで

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

その子は

恥ずかしいと思ったのか

ぼくとは

もう会わへんと言った。

「チンポコ折れてても

 関係ないで。

 顔がかわいいから

 いっしょにいてくれたらいいだけやで。」

ラーメン屋のオヤジの目つきが気持ち悪かった。

ぼくの指から

血が

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

その子のチンポコも

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

タカヒロの携帯も

スキンを被ったまま

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

指には

ホッチキスの針の先が侵入したままだった。

乳首が

はみだしてる。

乳首も

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

抜きどころやないですか。

30才くらいのときに

めずらしく

年上のガタイのいいひとに出会って

ラブホにつれていかれて

乳首をつままれた

というより

きつくひねられた。

乳首は

あとで

かさぶたができるくらい痛かった。

「気持ちよくなるから、ガマンしろよな。」

って言われたのだけれど

涙が出た。

痛かっただけや。

「ごめんなさい。

 痛いから、やめて。」

って、なんべん言っても

ギューってひねりつづけて

それでも

乳首は

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

タカヒロの携帯が

スキンを被ったまま

ラーメンの汁のなかにダイブ

ダイブ

ダイジョウブ

タカヒロ

高野川の

じゃなくて

野球青年のほう。

また同じ名前や。

同じ場所。

同じ時間。

同じ出来事。

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

気に入ったな

このフレーズ。

「おれ、付き合ってるヤツがいるねん。

 3人で付き合わへんか?」

このひと、バカ?

って思った。

考えられなかった。

歯科技工士で

体育会系のひとだった。

なんで

歯科技工士が

体育会系か

わからんけど

ぼくの乳首は

あの痛みを覚えてる。

ようやく

指からホッチキスの針を抜いて

タカヒロのボッキした携帯に被せるスキンを買いに

ラーメン屋を出て

自転車に乗って

スーパーのような薬局屋に向かった。

具体的なもので量るしかないだろう。



死んだ父親にまた脇をコチョコチョされて目が覚める。

部屋はいまのぼくの部屋と似てるが

微妙に違うような感じで

エクトプラズムが壁や天井を覆っている。

明かりをつけると消えた。



Between A and A 







のあいだに

はさまれたわたくし。







をつなぐ

わたくし

a(エイ)

n(エヌ)

d(ディー)

a は another の a

n は nought の n

d は discord の d

わたくしAは、もうひとつべつのAであり

わたくしAは、AではないAであり

わたくしAは、Aとは不一致のAである。

=(等号)

イコールではないわたくしは

あのはじだぶすこになあれ。

オケ専て、かわいそうやわあ。

ヨボ専て、どう?

ヨボヨボ歩くから?

そう。

じゃあ、

ヒョコ専とかさあ

ぺく専とかさあ

ぷぺこぽこぺこひけこぺこ専とかさあ

いくらでもあるじゃん。

だるじゅるげるぶべばべごお。

たすけて〜!

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

三代つづいて自転車なのよ。

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

そして、最期には、自転車になって終わるっていうわけやね。

わだば、自転車になるぅ〜!



きょう

烏丸御池の大垣書店で

外国文学の棚のところで

たくさんの翻訳本を手にとって

ペラペラしてたのだけれど

ふと、気配がして

前を見ると

本棚のところに

10センチくらいの大きさの小人がいた。

紺のスーツ姿で

白いカッターにネクタイをして

まんまサラリーマンって感じのメガネをした

さえない中年男で

お決まりの黒い革鞄まで手に持って

ぼくのことを見てたのね。

ひゃ〜、スゲー

って思ってたら

そいつが

怪獣映画で見たことがある

あの

ビルの窓から窓へと移動するような感じで

棚から棚へと

移動していったんだよ。

びっくらこいた〜。

本の背表紙に手をつきながら

そのダッサイ小人のおっさんは

本棚から本棚へと

移動していったんだ。

ぼくは、すぐに追いかけたよ。

でも、そいつ

すばしっこくてね。

見失わないように

目で追いかけながら

ぼくも

外国文学の棚を

アメリカからイギリスへ

イギリスからフランスへ

フランスからドイツへ

ドイツからその他の外国へと移動していったんだ。

そしたら、そいつの姿が一瞬消えて

裏を見たら

そいつ

日本文学から

日本古典

教育

哲学

宗教の棚へと

つぎつぎ移っていったんだ。

で、また姿が消えたと思ったら

そいつ

すっごいジャンプ力持っててさあ

向かい側の俳句・短歌・詩のところに跳んでさ。

ぼく、びっくらこいちゃったよ。

なんぼ、すごい、小人のおっさんなんじゃと。

小人の姿を追いかけて

大垣書店のなかを

あっちへ行ったり

こっちに戻ってきたり

あちこち、うろうろしてたら

ふと、気がついた。

ぼくのこと見てた

書店の店員のメガネをかけた若い男の子も

店のなかを

あっちへ行ったり

こっちに戻ったり

あちこち、うろうろしてたんだなって。



ぼくのこと、監視してたのかな。

ふへ〜。

まいりまちた〜。



a flower asks me why i have been there but i do not have an answer

a bird asks me why i have been there but i do not have an answer

my room asks me why i have been there but i do not have an answer

what i see asks me why i have been there but i do not have an answer

what i feel asks me why i have been there but i do not have an answer

what i smell asks me why i have been there but i do not have an answer

what i taste asks me why i have been there but i do not have an answer

what i touch asks me why i have been there but i do not have an answer



不幸の扉。

扉自体が不幸なのか

扉を開く者が不幸なのか

それは、

どっちでもいいんじゃない。

だって

入れ替わり立ち代わり

扉が人間になったり

人間が扉になったりしてるんだもん。

そうして

そのうちに

扉と人間の見分けもつかなくなって

たすけて〜!

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

三代つづいて自転車なのよ。

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

そして、最期には、自転車になって終わるっていうわけやね。

わだば、自転車になるぅ〜!



ユリイカの編集長が民主党の小沢で

詩はもう掲載しないという。

映像作品を掲載するという。

ページをめくると

枠のなかで

映像が流れている。

セイタカアワダチ草が風に揺れている。

電車が走っている。

阪急電車だった。

このあいだ見た景色の再現だった。

ぼくは詩の原稿を

編集長の小沢からつき返されて

とてもいやな思いをする。

とてもいやな思いをして目が覚めた。



全身すること。

10月の月末は学校が休みなので

ここでは

ハロウィンっていつあるんですか?

って

前からきいてた

隣の先生に

きょう

「11月10日みたいですよ」

と言われて

「そうですか、ありがとうございます」

と言って

机の引き出しをあけた。

「ぼくは、お菓子といっしょに

 これ、あげようと思っているんですよ」

すると

後ろにすわってられた先生が

その本のタイトルを見られて

「ええ、これですか?

 降伏の儀式とか

 死者の代弁者とか

 そのタイトルのものですか?」

と、おっしゃった。

常識をおもちで

個人的にもお話をさせてもらっている先生なので

不快な気分にさせてはならないと思って

「いや、やめます。

 持って帰ります。

 子どもたちには

 やっぱり、お菓子だけのほうがいいですね」

と言ったのだが

夕方

部屋に帰って

近くのスーパー「お多福」に寄って買ってきた

麒麟・淡麗<生>と

156円の唐揚げをたいらげて

そのまま眠ってしまったのだけれど



半分覚醒状態ね

それで

夢を見た。

自衛隊のジェット機が

ミサイルをぼくの部屋に打ち込んだよって

むかし勤めていた予備校の女の先生にそっくりな

女装の知り合いに

でも

そんな知り合い

じっさいにはいてないのだけれど

ああ

なんてへんな夢なの?

って思いながら

半分おきて

半分寝てる状態の夢だった。



ぼくは

なぜか一軒家に住んでいて

そこで空中に浮かんで

自分の部屋の屋根の上から

空を見ると

ジェット機が近づいてくるのが見えて

飛び起きたのだ。



学校での出来事を思い出したのだった。

こんなものは読ませちゃいけない。

というふうに子どもを育てるって、どういうことなんだろうって

でも、うちの学校には、ジュネ全集が置いてあるんだよね。

ロリポップ

ロリポップ

ロリ、ポップ!

日本では

いや

外国でもそうだな。

去年

オーストラリアの詩人が

この詩人は有名なんですか?

って

コーディネートしていた湊くんに

きいていたものね。

ぼくのこと。

湊くん、ちょっと困っていた。

京都にくる前に

東京で「名前の知られた詩人たち」に

会っていたからかもしれないけれど

しょうもないこときく詩人だなって思って

それで、ぼくのこころのなかでは

その外国人の詩人は二流以下の詩人になったのだった。

そりゃね

じっさい

名前が知られていないと

芸術家や詩人なんて

自称芸術家

自称詩人

なんてものだし

ぼくみたいな齢で詩を書いているなんてことは

ただ、笑いものになるだけだし

でも

でも

信念は持ってるつもりだけど

「そのタイトルのものですか?」

と、おっしゃった先生を傷つけたくなくて

言わないつもりだけど。

子どもが食べるものから

すべての毒を抜いて与えることは

毒そのものを与えることと

なんら変わらないのだよって。

ああ

この詩のタイトル

さいしょは

「全身すること。」

だったのだけれど

それって

さっき

飛び起きたときに

きょうの学校でのヒトコマを思い出して

「全身で、ぼくは詩人なのに」

「全身しなければならないのに」

といった言葉が頭に思い浮かんだので

そのままつけた。

でも、これはブログには貼り付けられないかも。

いいタイトルなんだけど。

その先生がごらんになったら

きっと傷ついちゃうだろうから。

ぼくは傷つけるつもりはぜんぜんなくって

ただ

芸術とか文学に関する思いが違うだけのことなのだけど

ひとって

自分の考えてることを

他人が「違うんじゃないですか?」

って言うのを耳にすると

まるで自分が否定されてるみたいに感じちゃうところがあるからね。

難しいわ。

どうでもいいひとには気をつかわないでいられるのだけど。

ふう。

ふふう。



疑似雨

雨に似せてつくられたもので

これによって

人々がカサを持って家を出るはめになるシロモノ。



このあいだ

彼女といっしょに映画館を食べて

食事を見に行った。



アメリカに原爆を落とさなければならないだろう。

アメリカに原爆を落とす。

アメリカに原爆を落とした。

アメリカに原爆を落とさなければならなかった。

まあ、どの表現でもいいのだけれど

日本が第二次世界大戦で

日本が、じゃないな

枢軸国側が勝つためには

アメリカに原爆を落とす必要がある。

ドイツの原爆開発を遅らせるために

アメリカの工作員たちが

ドイツに潜入して

東欧のどこか忘れたけれど

原爆開発に不可欠な重水素を

ドイツの研究所が手にいれられないように工作するところを

ホーガンのSF小説で読んだことがある。

アメリカからきた工作員たちが

つぎつぎとドイツの秘密警察に捕まるんだけど

その理由が

レストランでのナイフとフォークの使い方の違いだった。

アメリカ人とドイツ人では

ナイフとフォークの使い方が違っていたのだ。



ぼくの舞姫の設定では

ドイツ側に勝利させなければならないので

原爆開発に重要な役割をしたアインシュタインを

ドイツからアメリカに亡命させてはならない。

よって

ナチスによるユダヤ人迫害もなかったことにしなければならない。

かな。

うううううん。

やっぱり難しい。

けど、書いてみたい気もする。

きょう、烏丸御池の大垣書店で

ウンベルト・サバの詩集を手にとって

パラパラとページをめくっていた。

これまで、そんなに胸に響かなかったけれど

きょう読んでみたら

涙が落ちそうになって

「ああ、こころに原爆が」

と思ってしまった。

広島のひと、ごめんなさい。

長崎のひと、ごめんなさい。

かんにんしてください。

こんな表現は

とんでもないのやろうけれど

ほんまに、そう思うたんで

ほんまに、そう思ったことを

書いてます。



で、3000円だったのだけれど

消費税を入れると、3150円だったのだけれど

内容がよかったので

ぜんぜん高い感じはしなかった。

やっぱ、内容だよね。

雑誌のコーナーでもうろついて

いろいろ眺めて異端火傷

デザインとか

アートも



大学への数学も、笑。

言葉についての特集をしている大きい雑誌があって

海亀のことが写真つきで詳しく載っていた。

海亀は、ぼくも大好きで

陽の埋葬のモチーフに、いっぱい使うた。

海亀の一族。

海亀家の一族。

とか

頭に浮かんで、にやっとした。

帰りに

五条堀川のブックオフで

新倉俊一さんの「アメリカ詩入門」だったかな。

「アメリカ現代詩入門」だったかな。

定価2200円のものが

1150円で売っていた。

パラパラと読んでいたら

ジェイムズ・メリルの詩が載っていた。

やはりメリルの詩は、めっちゃ抒情的やった。

解説の最後のほうに引用してある詩の一節も、とても美しかった。

買おうかなって思って

もうすこしパラパラとめくると

赤いペンで、タイトルを囲い

その下に11月23日と書いてあった。

学生が使ったテキストやったんやね。

買うの、やめた。



帰りに

DVDのコーナーで

韓国ドラマのほうの「魔王」の



II

を手にとって眺めていた。

両方とも、7950円かな

7980円かな

そんな値段やったので

まだ買う気にならんかった。

まあ、そやけど、そのうちに。

安くなったらね。

ええドラマやったからね。

主人公のお姉ちゃんの出てくるシーンで

何度か泣いたもんなあ。

あの女優さん、あれでしか見たことないけど。

ジフンは捕まっちゃったね。

サバの詩集のカバー

さっそくつくらなきゃ。



善は急げ、悪はゆっくり。

どう急ぐのか

どうゆっくりするのかは

各自に任せられている。

善と

悪の双方に。



服役の記憶。

住んでいた近くのスーパー「大国屋」の



いまは

スーパー「お多福」と名前を替えているところでバイトしていた

リストカットの男の子のことを書いたせいで

10日間、冷蔵庫に服役させられた。

冷蔵庫の二段目の棚

袋詰めの「みそ」の横に

毛布をまとって、凍えていたのだった。

これは、なにかの間違い。

これは、なにかの間違い。

ぼくは、歯をガチガチいわせながら

凍えて、ブルブル震えていたのだった。

20代の半ばから

数年間

塾で講師をしていたのだけれど

27,8歳のときかな

ユリイカの投稿欄に載った「高野川」のページをコピーして

高校生の生徒たちに配ったら

ポイポイ

ゴミ箱に捨てられた。

冷蔵庫のなかだから

食べるものはいっぱいあった。

飲むものも入れておいてよかった。

ただ、明かりがついてなかったので

ぜんぶ手探りだったのだった。

立ち上がると

ケチャップのうえに倒れこんでしまって

トマトケチャップがギャッと叫び声をあげた。

ぼくは全身、ケチャップまみれになってしまった。

そのケチャップをなめながら

納豆のパックをあけて

納豆を一粒とった。

にゅちょっとねばって

ケチャップと納豆のねばりで

すごいことになった。

口を大きく開けて

フットボールぐらいの大きさの納豆にかじりついた。

ゴミ箱に捨てられた詩のことが

ずっとこころに残っていて

詩を子どもに見せるのが

とてもこわくなった。

それ以来

ひとに自分の詩は

ほとんど見せたことがない。

あのとき

子どものひとりが

自分の内臓を口から吐き出して

ベロンと裏返った。

ぼくも自分の真似をするのは大好きで

ボッキしたチンポコを握りながら

自分の肌を

つるんと脱いで脱皮した。

ああ、寒い、寒い。

こんなに寒いのにボッキするなんて

すごいだろ。

自己愛撫は得意なんだ。

いつも自分のことを慰めてるのさ。

痛々しいだろ?

生まれつきの才能なんだと思う。

でも、なんで、ぼくが冷蔵庫に入らなければならなかったのか。

どう考えても、わからない。

ああ、ねばねばも気持ちわるい。

飲み込んだ納豆も気持ち悪い。

こんなところにずっといたいっていう連中の気持ちがわからない。

でも、どうして缶詰まで、ぼくは冷蔵庫のなかにいれているんだろう?

お茶のペットボトルの栓をはずすのは、むずかしかった。

めっちゃ力がいった。

しかも飲むために

ぼくも、ふたのところに飛び降りて

ペットボトルを傾けなくちゃいけなかったのだ。

めんどくさかったし

めちゃくちゃしんどかった。

納豆のねばりで

つるっとすべって

頭からお茶をかぶってしまった。

そういえば

フトシくんは

ぼくが彼のマンションに遊びに行った夜に

「あっちゃんのお尻の穴が見たい」と言った。

ぼくははずかしくてダメだよと断ったのだけれど

あれは羞恥プレイやったんやろか。

「肛門見せてほしい」

だったかもしれない。

どっちだったかなあ。

「肛門見せてほしい」

ううううん。

「お尻の穴が見たい」というのは

ぼくの記憶の翻訳かな。

ぼくが20代の半ばころの思い出だから

記憶が、少しあいまいだ。

めんどくさい泥棒だ。

冷蔵庫にも心臓があって

つねにドクドク脈打っていた。

それとも、あれは

ぼく自身の鼓動だったのだろうか。

貧乏である。

日和見である。

ああ、こんなところで

ぼくは死んでしまうのか。

書いてはいけないことを書いてしまったからだろうか。

書いてはいけないことだったのだろうか。

ぼくは、見たこと

あったこと

事実をそのまま書いただけなのに。

ああ?

それにしても、寒かった。

冷たかった。

それでもなんとか冷蔵庫のなか

10日間の服役をすまして

出た。

肛門からも

うんちがつるんと出た。

ぼくの詩集には

序文も

後書きもない。

第一詩集は例外で

あれは

出版社にだまされた部分もあるから

ぼくのビブログラフィーからは外しておきたいくらいだ。

ピクルスを食べたあと

ピーナツバターをおなかいっぱい食べて

口のなかで

味覚が、すばらしい舞踏をしていた。

ピクルスっていえば

ぼくがはじめてピクルスを食べたのは

高校一年のときのことで

四条高倉のフジイ大丸の1階にできたマクドナルドだった。

そこで食べたハンバーガーに入ってたんだった。

変な味だなって思って

取り出して捨てたのだった。

それから何回か捨ててたんだけど

めんどくさくなったのかな。

捨てないで食べたのだ。

でも

最初は

やっぱり、あんまりおいしいとは思われなかった。

その味にだんだん慣れていくのだったけれど

味覚って、文化なんだね。

変化するんだね。

コーラも

小学校のときにはじめて飲んだときは

変な味だと思ったし

コーヒーなんて

中学に上がるまで飲ませられなかったから

はじめて飲んだときのこと

いまだにおぼえてる。

あまりにまずくて、シュガーをめちゃくちゃたくさんいれて飲んだのだ。

ブラックを飲んだのは

高校生になってからだった。

あれは子どもには、わかんない味なんじゃないかな。

ビールといっしょでね。

ビールも

二十歳を過ぎてから飲んだけど

最初はまずいと思った。

こんなもの

どこがいいんだろって思った。

そだ。

冷蔵庫のなかでも雨が降るのだということを知った。

まあ

霧のような細かい雨粒だけど。

毛布もびしょびしょになってしまって

よく風邪をひかなかったなあって思った。

睡眠薬をもって服役していなかったので

10日のあいだ

ずっと起きてたんだけど

冷蔵庫のなかでは

ときどきブーンって音がして

奥のほうに

明るい月が昇るようにして

光が放射する塊が出現して

そのなかから、ゴーストが現われた。

ゴーストは車に乗って現われることもあった。

何人ものゴーストたちがオープンカーに乗って

楽器を演奏しながら冷蔵庫の中を走り去ることもあった。

そんなとき

車のヘッドライトで

冷蔵庫の二段目のぼくのいる棚の惨状を目にすることができたのだった。

せめて、くちゃくちゃできるガムでも入れておけばよかった。

ガムさえあれば

気持ちも落ち着くし

自分のくちゃくちゃする音だったら

ぜんぜん平気だもんね。

ピー!

追いつかれそうになって

冷蔵庫の隅に隠れた。

乳状突起の痛みでひらかれた

意味のない「ひらがな」のこころと

股間にぶら下がった古いタイプの黒電話の受話器を通して

ぼくの冷蔵庫のなかの詩の朗読会に参加しませんか?

ぼくの詩を愛してやまない詩の愛読者に向けて

手紙を書いて

ぼくは冷蔵庫のなかから投函した。

かび臭い。

焼き払わなければならない。

めったにカーテンをあけることがなかった。

窓も。

とりつかれていたのだ。

今夜は月が出ない。

ぼくには罪はない。



あらゆる言葉には首がある。

音ではない。

音のない言葉はあるからね。

無音声言語って、数学記号では

集合の要素を書くときの縦の棒 | 

あらゆる言葉には首がある。

すべての言葉に首がある。

その首の後ろの皮をつかんで持ち上げてみせること。

まるで子猫のようにね。

言葉によっては

手が触れる前に、さっと逃げ去るものもあるし

喉のあたりをかるくさわってやったり

背中をやさしくなでてやると

言葉のほうから

こちらのほうに身を寄せるものもある。

まあ、しつけの問題ですけどね。

たすけて〜!

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

三代つづいて自転車なのよ。

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

そして、最期には、自転車になって終わるっていうわけやね。

わだば、自転車になるぅ〜!



自分のこころが、ある状態であるということを知るためには、

まず客観的に、こころがその状態であるということが

どういった事態であるのかを知る必要がある。

そして、もっとよく知るためには

こころが、その状態にないということが

どういった事態であるのかをも知っておく必要がある。



詩は、自分がどう書かれるのか

あらかじめ詩人より先に知っている。

なぜ書かれたのかは、作者も、詩も、だれも知らない。



不幸というものは、だれもが簡単に授かることのできるものだ。



時間や場所や出来事は同一を求める。

時間や場所や出来事は変化を求める。

時間や場所や出来事は合同を求める。

時間や場所や出来事は相似を求める。

それとも

同一が時間や場所や出来事を求めているのか。

変化が時間や場所や出来事を求めているのか。

合同が時間や場所や出来事を求めているのか。

相似が時間や場所や出来事を求めているのか。



人間というものは、いったん欲しくなると

とことん欲しくなるものだ。



人間は自分の皮膚の外で生きている。

人間は、ただ自分の皮膚の外でのみ生きているということを知ること。



このあいだ、すっごいエロイ夢を見た。

思い当たることなんて

なんにもないのに。

こころって、不思議。

高校時代の柔道部の先輩に

せまられたんだけど

その先輩は

じっさいにせまってきたほうの先輩じゃなくて

ぼくに

「手をもんでくれ」

と言って

手をもませただけの先輩だったんだよね。

まあ

それだけのほうが

妄想力をかきたてられたってことなのかもしれない。

めっちゃカッコいい先輩だったもん。

3年でキャプテンで

すぐにキャプテンをやめられて

つぎにキャプテンになった2年の先輩が

じっさいにせまってきた先輩で

いまから考えたら

すてきなひとだったなあ。

こたえちゃったらよかった。

社会の先生のデブにも

教員室に呼ばれて手を握られて

びっくりして逃げちゃったけど

いまから考えると

かわいいデブだったし。

もったいなかったなあ。



廊下に立たされる。

なんて経験は

いまの子たちには、ないんやろうなあ。

ぼくなんか

小学生のとき

ひとりが宿題を忘れたっていうので

もう一回同じ宿題を出すバカ教師がいて

「なんで? なんで?」

って言ったら

思いっきりビンタされて

耳がはれ上がった記憶があるけど

もちろん

ビンタなんて見たこともないんやろうなあ。

頭ぐりぐりとか

おでこガッツンとかもあった

廊下に立たされる。

なんて経験は、記憶のなかではないんやけど

立たされてもよかったかな。

そのときの気持ちとか

見たものとか

まあ

廊下そのものやろうけど、笑。

感じたことを思い出せるのになあって。

廊下に立たされる。

これって

どこが罰やったんやろうか。

教室のそとに行かされる。

いま

行かされる

って書いたけど

はじめは

「生かされる」やった。

共同体のそとに出されて

さびしい思いをしろってことなのかな。

共同体の外に出て

晴れ晴れとするようなぼくなんかだったら

罰にはならないなあ。

同じことがらで

ひとによって

罰になったり

うれしいことになったり

そか

いろんなことが

そなんや

罰も

さいしょは

変換が

「×」やった

しるしやね。

カインも

神さまに

しるしをつけられたけど

もしかしたら

うれしかったかもにょ

ひとにはない

しるしがあって。

でも

覚悟もいるんだよね

ひとと違うって

気持ちいいことなんだけど



両親が家に入れてくれない。

玄関から入ろうとしても

裏口から入ろうとしても

立ちふさがって

入れてくれようとしない。

ぼくは何度か

玄関と裏口を往復している。



あの隣の家の気の狂った花嫁の妄想でからっぽの頭を、

わたしの蹄が踏みつぶしたいって言っているわ。

はいと、いいえの前に、ダッチワイフ。

はいと、いいえの区別ができないのよ。

しょっちゅう、はいって言うべきときに、いいえと言うし

いいえと言うべきときに、はいって言っちゃうのよ。

まぎらわしいわ。

あの妄想でいっぱいの隣の家の嫁のからっぽの頭を踏みつぶしてやりたいわ。

蹄がうずうずしてるわ。

クロワッサンが好き。

とがりものつながりね。

「先生、だんだん身体が大きくなってる。

 太ってきたね」

太ったよ。

また90キロくらいになってるよ。

きのうも、えいちゃんに言われたよ。

また、はじめて会うたときみたいにデブるんかって。

きょうも、飲んで食べたわ



逆か

食べて飲んだわ

大きに

ありがとさん。

吹きこぼれている。

たくさん入れすぎやから。

フィーバーやね。

ぼく、パチンコせえへんし、わからん。

ライ麦パンのライが

歯のあいだにはさまって

ここちよい。

はさまるのは、ここちよい。

はさむのも、ここちよいけれど。

欲しい本が1冊。

このあいだまでジュンク堂にあったのに。

もう絶版。

しかも10000円近くになってるの。

なんでや!

ああ

あの妄想でいっぱいの隣の家の嫁のからっぽの頭を踏みつぶしてやりたいわ。

はさむのよ。

蹄と地面で。

グシャッて踏みつぶしてやるわ。

容赦なしよ。

ほら、はいと、いいえは?

はいはい、どうどうよ。

なんで同時に言えないのよ。

はい、いいえって言えばいいのよ。

そしたら

その空っぽの頭を踏んづけてやれるのに

キーッ!



点の父



点のおぞましさ



点のやさしさ



点のゴロツキ



点の誕生



点の歴史



点の死



点の点



点は点の上に点をつくり

点は点の下に点をつくり

点、点、点、、、、



はじめに点があった

点は点であった



よくわからない春巻きはあたたかい。

蒙古斑のように

肌の上でつるつるすべる

ツベルクリン

明石の源氏も

廊下に立たされて

ジャガイモを選ばなければならなかったのだ

教室は

先生の声に溺れて

じょじょに南下して行った。

台風のあとのきょうの京都は

午後は快晴だった

いつもそうしてくれる?

お百姓さんは困るかな、笑。

いつも思うんだけど

雲って

だれが持ってっちゃうんだろうなって

自転車で

空や建物の看板が映った水溜まりを

パシャンパシャンこわしながら

CDショップには

ノーナリーブズはなかった

通りのひなびたCDショップやったからね、笑。

こないだ

HMVには置いてあったな。

めっちゃオシャレやのにぃ。

でも最近のアルバムは買ってない。

ザックバランは

たしか木曜日にはライブをやってて

いまは知らないけど

ぼくが学生のときに

カルメン・マキがザックにきて

5Xのときのマキやから

ちょっとマキちゃん軌道修正してよ

って思ってたけど

ぼくがカルメン・マキの大ファンだって知ってた

ザックの店員の女の子が

ぼくに

とくべつに

0番のチケットをくれて



もちろん

買ったのだけれど、笑。

おぼえてる

この女の子の店員って

伝説があって

料理を

さっと置くから

あまりにも

はやく

さっと置くから

テーブルの上で

サラから

パイやピザが

すべって

ころんで

マキュロンちゃん



マキちゃんは

ライブのとき

「てめえら、もっとノレよ」

って叫んで

酒ビンの腹をもって

観客たちの頭に

お酒をぶっかけてたけど

あれ

透明なビンだったから

ジンだったのかなあ

それとも

グリーンだったかな

そら

マキちゃん

5Xはダメよ

いくらあこがれでも

やっぱり

OZよ

カルメン・マキ&OZ

もはや、マッハの速さでも

よくわからない春巻きはあたたかい。



ジャガイモを選ばなければならなかったのに。

トマトの傷んだものが

2個で100円だったから

トマトを選んだ。

ジャガイモを選ばなければならなかったのに。

痛んだトマトに齧りついて

ドボドボしるを落としたのだった。

もはや

ジャガイモを選ぶには遅く

痛んだトマトは

2個とも、ぼくの胃のなかにすべり落ちていったのだった。

廊下に立たされる。

阿部さんの詩集

パウンドの抒情や

ディラン・トマスの狂想を思い起こさせる。

ぼくに、言葉を吐き出させているのだ。

痛んだトマト2個100円が

どぼどぼ

ぼくを吐き出しているのだ。

阿部さんの詩集

パウンドの抒情や

ディラン・トマスの狂想を思い起こさせる。

知り合いたかった。

もっと若いときにね。

そしたら、ぼくの読むものも

ずっとマシなものになっていただろう。

SFはあかんわ〜。



でも

いまのぼくがいるのは

若いときに阿部さんと出会ってなかったからでもある。

廊下に立たされる。

ぼくのいとこの女の子は

いやもう40過ぎてるから

オバハンか

彼女は小学校の先生だったのだけれど

ある日

狂っちゃって

生徒の頭を

パンパンなぐり出しちゃって

精神病院に入院したのだけれど

治ったり

また病気になったり

いそがしい。

ギリギリのところに

人間って生かされているような気がする。

廊下に立たされる。

そんな記憶はなかったけれど

ジャガイモを選ばなければならなかったのに

痛んだトマト2個100円を買ったのだった。

そうだ

阿部さん

阿部さんの詩集を

ほかのひとが読んでいくってイベントなさったらどうでしょう。

阿部さんの声と

ほかのひとの声が混ざって

廊下に立たされる。

ジャガイモを選ばなければならなかったのに。

痛んだトマト2個100円を選んだのだった。

トマトの味とか

匂いって

どこか精子に似ているような気がする。

しいてあげるとすれば

じゃなくって

ちょくでね。

ジャガイモって

子どものときには

きらいだった。

カレーのなかのジャガイモが憎かった。

カレーは、ひたすらタマネギが好きだったのだ。

ジャガイモもタマネギも

ぼくと同性だけど

ぼくの口との相性は悪かった。

精子がとまらない。

静止画とまらない。

うん

手に本をもって

本は手をもって

動かしながら読んでもいいものなのだな。

動かされながら読んでもいいものなのだな。

トンカツ

買ってきて

パセリや

刻んだキャベツが

ちょこっとついてた

トンカツのおかず250円が

トマトでじゅくじゅくのぼくの口を

ご飯で一杯にしたのだけれど

ジャガイモを選ばなければならなかったのに。

葉っぱは人気がなかった。

学生時代によく行ったザックバランで

みんなが最後まで手をださなかったサラダは

ひとり変わり者の徳寺が

「葉っぱは、おれが食うたろか?」

いっしょに若狭に行ったなあ。

いっしょに風呂

はいって

何もなかったけど、笑。

ええヤツやった。

10人くらいで行ったけど

風呂は小さかったから2人ずつはいって

「あつすけと何もなかったん?」

って

あとで

卯本に言われても

笑ってた。

カラカラとよく笑う横断歩道。

ふだんからバカばっかり言ってるヤツだったから

大好きだった。

つねに安心しろ。

余所見しろ。

若狭には源氏も行ったっけ?

あれは明石だったっけ?

そだ

須磨だった

パウンドが書いてた

須磨の源氏って

廊下に立たされている。

本を手にすると

手が本になる

病気が流行っていませんか?

病気屋やってませんか?

精子がとまらない。

静止画とまらない。



指の関節が痛くなって

もう半年くらいかな

先のほうの関節だけど

第一関節って言うのかな

左手のね

そういえば

ぼくは

いつも左腕とか

左肩とかが痛いのだ。

40才を過ぎてからだけど

ジミーちゃんが

左は方向がいいから

左が痛いのはいいんだよって言ってたけれど

いくらいいって言っても

痛いのはイヤだ。

きょうは

王将でランチを食べた

とんこつラーメンと天津どん

その名前は

だれのサイズですか?

食べすぎだわ。

晩ご飯がトンカツなんですもの。

痛みが上陸してくるのは阻止できないようだ。

海岸線に

エムの

男の子と女の子たちが地雷になって

重なり合っている。

痛いのは確認。

爆発は自由意志。

砂浜から這い出てくる海亀の子らの

レクイエム

いたち?

たぬき?

なんだったっけ?

海亀の子らを食べにくる四ツ足の獣たちって。

卵のときにね。

それって

奇跡だわ!

奇跡だわ!

その名前は

だれのサイズですか?



じゃあ、また会おうねって言って

そのとおりになって

ヒロくんが

下鴨のぼくのアパートにきて



寝るときに

これって

渡されたのが

黄色いゴムみたいな

耳栓2個

「イビキすごいから耳栓してくれへんかったら

 寝れへんと思うし。」

ほんとにすごかったのだと思う。

当時のぼくは

いまと違って

すっと眠るタチだったのだけれど



セックスはタチではないのだけれど



寝てたら

ほんとにヒロくんのイビキで起きちゃって



じっさいに耳栓して寝ました。

なんでこんなこと思い出したんやろか。

20年ちかく前のことなのに

ヒロくんみたいに

まっすぐに愛してくれた子はいいひんかった

まあ

ちょっとSで

めちゃするとこもあったけど

もしも

もしも

もしも

いったい

ぼくたちは

どれぐらいの

もしもからできているのだろうか。

けさ

中学で

はじめてキッスした子の名字を思い出した。

詩を書きはじめて20年、笑

ずっと思いだせずにいた名前なのに



米倉って姓なんだけど

下の名前が

わからない

小学校から大学までの卒アルバム

ぜんぶ捨てたから

わからない

あだ名は

ジョンだった

これは

うちで飼ってた犬に似てたから

ぼくがそう呼んでたんだけど

チャウチャウ飼ってたんだけど

あと

時期は違うけど

ポインターや

ボクサーも飼ってたんだけど

ヤツはチャウチャウに似てた

米倉

ああ

下の名前は

いったい

いつ思いだすんやろうか

それとも

思いだせずに

いるんやろうか

エイジくんのこと

また書いた

2つ

でもまだまだ書くんやろうな

考えたら

ずっと

ぼくは恋のことを書いてた

「高野川」からはじまって

いや

ぼくの記憶のなかでは

「夏の思い出」がいちばん古いかな

きょう書いたエッセイは

もっと古い恋について書いた

ちょこっとだけど

2週間前には

ぜんぜんべつのこと書く予定やったけど

まあ

そんなもんか

さっき鏡を見たら

死んだ父親にますます似てきていて

ぞっとした

ノブユキのつぎに付き合ったのがヒロくんなんやけど

ノブユキは

このあいだまでマイミクやったんやけど

ぼくの日記

ぜんぜん見ないから

はずした

ヒロくんの名字

めずらしいから

ときどきネットで検索するけど

出てこない

エイジくんも出てこない

ノブユキの名前は

どこかの大学の先生と同じで

いかつい経歴だった

ノブちんも

いかつい経歴だった

日本の大学には受からなかったので

シアトルの大学に行ったのね

ぼくとノブちん

その時期に出会って

遠距離恋愛してたんだけど

そだ

ノブちんのこと

あんまり書いてないね

出会いとか

別れとか

ああ

まだまだ書くことがあるんやね

みんな

遠く離れてしまったけど



離れてしまったから

書けるんやけど。



ウィリアム・バロウズの「バロウズという名の男」という本を読んでいて

ダッチ・シュルツの最期の言葉が、つぎのようなものであることを知った。

「ハーモニーが欲しい、ハーモニーなんかいらない」

以前に、バロウズの「ダッチ・シュルツ 最期の言葉」を読んでいたのに

忘れていた。

ほんとうにそうだったか、本棚に手をのばせばわかるのだが

そうなのだろうと思って、手をのばさないでいる。


エイジくんが、下鴨のマンションに住んでたぼくの部屋で

ユリイカに載ってた、ぼくの詩の「みんな、きみのことが好きだった。」を読んで

その詩の最後の二行を、ぼくの目を見つめながらつぶやいたのが思い出された。

「もっとたくさん。/もうたくさん。」


意味のあいだで共振してるでしょ?

「みんな、きみのことが好きだった。」という詩集の

多くのものが、無意識の産物だった。

さまざまなものが結びつく。

結びついていく。



四条河原町で、歩く人の影を目で追いながら

なんてきれいなんやろうと思いながら

なんてきれいなんやろうと思っている自分がいるということと

なんてきれいなんやろうと思って歩いている人間って

いま、どれぐらいいるんやろうかなあって思った。

男の子も

女の子も

きれいな子はいっぱいて

通り過ぎに

目がいっぱい合ったけれど

もう

そんな顔は

すぐに忘れてしまって

知っている顔

付き合っていた顔だけが

思い出される。

たくさんがひとつに

ひとつがたくさんだったってことかな。

そうだ。

パウンドの「仮面」で

忘れられないかもしれない一行。

「きのうは、きょうよりもうつくしい」

「おれ
 
 北欧館で

 おれみたいにかわいい子、見たことないって言われた。」

「広島のゲイ・サウナで

 エイジくん、いつでも、ただでいいよ。

 だからいつでも来てね。

 って言われた。」

「コンビニで

 マンガ読んでたら

 いかついニイちゃんが寄ってきよったんや。

 レジから見えへんように

 ケツさわってきよってな。」

はあ、思い出します。

なんで、きみのことばかり思い出すんやろうか。

ぼくのことは思いだされてるのかどうか

ぜんぜん、わからへんけど。

さっきの記述

「きょうは、きのうほどうつくしくはない。」

パウンドの詩句で

うろおぼえでした。

正確に引用します。




このはかない世界から、いかに苦渋にみちて

愛が去り、愛のよろこびが欺かれていくことか。

苦しみに変わらないものは何ひとつなく、

すべての今日の日はその昨日ほどに意味をもたない。


           (「若きイギリス王のための哀歌」小野正和・岩原康夫訳)

文学極道

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