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作品 - 20090601_794_3560p

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夜の闇、重なり続けていくもの

  なつめぐ

 

夜、浅い眠りの水面から目を覚ますと、眠れなかったのか、既に起き上がっていた妻が闇の中を見つめていた。僕が起き上がると、こちらに気づいて、何も言わずに体を預けてきた。眠れないのかと聞くと、眠れないのだと言う。
枕元に置いてあった時計を見ると、真夜中を過ぎた辺りだった。少し、散歩でもしようか、と、耳元で囁くと、妻はちいさく頭を縦に動かした。


 
外にでると、初夏の湿った生温かい空気が肺の中に入り込む。草や花、それと、無機質な匂いと、それらがゆっくりと、起きていた時の呼吸を思い出させていく、そんな感覚を抱きながら、妻の手を握り歩き始めた。上を見上げると、青黒く広がる夜の空の中、伸びきった綿のように薄い雲の隙間から、ちらちらといくつかの星が瞬いていた。
同じように上を見上げていた妻が、それらよりも少し離れたところで強く輝いている星を指さして、あれがきっとシリウスだねと言って、こちらを向いた。
瞳を合わせて、そうだねと、僕が返す言葉を受け止めた後、妻は、少しだけ微笑んだ。
 
 
 
昼間の、地響きのようなトラックの音さえ、無かったかのように静まる夜に、重なり続ける、蛙の鳴き声。二人の好きな、夏の声。自然と、その声の方へと歩いている、二人の背中で灯る、電信柱に添えつけられた外灯の明かりで、二つの影が細く長く、頭を夜の暗闇に呑み込まれながら伸びていく。
人を運んでいるのか、荷物を運んでいるのか、マイペースに線路を鳴らしながら、遠くの方から、近くまで、そしてまた遠くの方へと、電車がひとつ、走り去って行くのがわかった。
遠ざかっていく音へと言っているのか、夜に向かって言っているのか、このままあの電車にゆられて、どこまでも遠くへ行きたいと、妻が呟いた。
 
 
 
妻が見つめていた闇の中には、何が、あるのだろうか。不意に、怖い夢ばかり見るのだと、前の夜の疲れたきった妻の瞳が、頭の中で、今目の前に広がる闇よりも、更に黒く、深い闇を帯びているような気がして、不安を覚える。
ほとんど何も話さずに、ただ、二人分の、少しだけずれた歩幅の靴音が小石とともに音を立てているのを、聞いている。その静けさの奥の、暗いところへ触れる言葉を、とても長い間探している、この手のひらでは、未だ何一つ掴めていないのだ、と、くりかえし、くりかえし、波紋のようにゆられ続けている。
繋いだ手の先にある妻の姿、こちらには振り向かず、行く先の方をぼんやりと見つめている。

  
 
いくつかの角を曲がり、外壁に挟まれるようにして出来た細い裏道を抜け、少しだけ開けた場所にたどり着く。いくつもの田んぼが連なり、その数に比例するかのように、蛙の鳴き声も大きなものになっている気がした。
いっぱい鳴いてるね。妻はそう言って少し嬉しそうに田の側へと向かい、しゃがみ込む。ひらけている為か、上を見上げると、さっきよりもたくさんの星が見えた。
鳴いているのが雨蛙だったら、明日雨降るかなぁ。
風が吹くと、離れた所にある外灯の明かりでぼんやりと見える水面が僅かに波打つ。
そしたら、長靴を履いてまた散歩に行こうか。
妻の隣にしゃがみ込み、妻が見つめている夜の中空を同じくらいの角度で見つめてみる。その先に見える遠くの、山の肩辺りで、強く青白く瞬いている、シリウス。
何も言わずに、同じ所を見つめている時間の中を、重なり続ける夏の声。声はずっと遠くへと向かい、跳ね返り、またここへと戻ってくる。目の前に広がる暗闇の世界から、響き渡る声と、背中から響いてくる声とが絡み合い、ひとつになる。


 
こんな風に同じ世界を眺めている時間がとても好きなのだと、小さな、囁くような声で妻が言った。
僕が振り向くと、既に妻もこちらを向いていた。互いの視線が重なり、瞳と瞳が触れて、その奥に在る、小さく力強く、シリウスのように瞬いている闇に、どこまでも続いている、先の見えない夜のような闇に、触れる。
もしかしたら妻も、同じように僕の中の闇を見つめているのだろうか、と、思い、伸ばさした手の平に触れる頬はやわらかく、ほんのりとあたたかい。
帰ろうか、と、零れ出た言葉に妻は頷き、立ち上がる。
また元来た道の方へと歩き始める、僕たちの後ろに広がる夜の闇。瞬き続ける星の震えと、果てなく、止むことの無い夏の声。それらが、ひとつであるように、僕らも、そのひとつで在れただろうかと、思い、見つめる先にも、ゆらめいている、深い、夜の闇。

文学極道

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