#目次

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2009年06月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


たんぽぽ咲きみだれる野っぱらで、俺たちは

  Canopus(角田寿星)


とおくの丘で
風力発電の風車がゆっくり回っている
見ろよ あれが相対性理論てやつだ
他人事であればあるほど
てめえだけは平穏無事でいられる
俺は腹がへって
あんちゃんのつぶやきをろくに聴かずに
肉眼で空を凝視しながら
あいまいな合槌をなんべんも打った
たんぽぽが咲きみだれる野っぱらで
飛び交う綿毛にむせっ返りながら
俺たちは
たたかってるところだった

成層圏のむこうに
きらりと光る何かが見えたら
そいつが敵だ
事の真偽を確かめずに
俺とあんちゃんがぶっ放す
これしきのランチャーじゃあ
ちいさなデブリがあたった程度だろう
まっすぐな煙はどこまでもあおい空に吸いこまれ
ちりちりと空気の焦げるにおい
時間をかけてレーションをあたためた
この なけなしの軍用携帯食が
俺たちの一日分の命の代価だ
安いなあ ひとの命は
あんちゃんが鼻唄まじりにレーションをあける
ああ ああ 安くて旨い
まだ値段をつけて貰えるからな
いい身分だよ 俺たち

やつらの言う
「誤爆」ってやつを目撃したことがある
ちょうど人間の形に蒸発した影が
壁に貼りついてた
なにかをつかもうとするような
指の痕跡まではっきり見えた
やつらが本気出しゃあ このざまだ
このたたかいは
負け なんて生やさしいもんじゃない
首根っこをつかまれて悪あがきで
手足をじたばたしてるようなもんだ
よそうぜ そのはなしは
メシがまずくなる

宇宙に もいっぺん行けたならな
あんなやつらこてんぱんにしてやるのに
俺は眠くなって
あんちゃんの遠い眼をかえりみもせず
大きなあくびをしながら
いいかげんな合槌をなんべんも打った
俺の頬を つう とひとすじ涙がつたう
あくびのしすぎだった

ここはあたたかすぎるんだ。

成層圏のむこう
きらりと光る何かが見えて
俺たちは何も考えずに
照準をオートにしたまま
ランチャーをぶっ放す
あおい空にどこまでも吸いこまれる軌跡
消えていく爆音
と 空の色が変わり
真昼の星が輝くように俺たちの阿呆づらを照らす
命中か?
命中だ…逃げろ!
咄嗟に熱反射シートをかぶり
ランチャーを放り投げる間もなく
あんちゃんの右脚と
俺の右腕が視えない衝撃に撃ち抜かれた
ちょうど俺たちの脚と腕の形に
地面は蒸発し
大量の黄色い花弁と
白い綿毛の乱舞が
これでもかと俺たちの上に
降り注いだ

ちきしょう
明日っから仕事ができねえぞ
俺は痛み止めを打ち
歯と残った腕で ついさっきまで
俺の右腕だったものをきつく縛りながら
あんちゃんの絶叫に
どうでもいい相槌をなんべんも繰り返した

たんぽぽの咲きみだれる
野っぱらの ど真ん中で。


夢日記

  いかいか

 ひとつのスピーチが終わった。会場にいた、コロン達がざわめく。男が一人、壇上に上がり、ステップを刻む。僕はそれを、観衆の中で見ているが、男はずっと僕を見つめたまま踊っている。男が踊っている時、男の口は一つの言葉を声なく言い続けている。隣にいたコロンの女性が私の手を引いていく。小屋の中には、三人の黒い肌をした子供がおり、「貴方の子供よ」と言う。「肌の色が違うじゃないか。」と僕が言うと、女は裸になって陰部を見せる。ここを舐めれば、貴方も黒くなる、と言って笑う時の歯が白い。

 架空の小説の話を考えながら歩いていると一人の少年がやってきてとおりゃんせを歌っている。今時の子供でもこんな歌を歌うのか、と思いながら、その子供を見ると、一つ目だ。片目がつぶれ、まるで小泉八雲のように、覚えたての歌を歌うようにして、彼とすれ違う。少し歩くと、20歳を超えた女がはしってやってきて、「私の夫を知りませんか?一つ目の!」というので、「一つ目の少年ならさっきみましたよ。」と言う。「それが夫です。」「でも、年はまだ10歳ぐらいだと思うんですが、、、」女はそれを聞いて怒る「あれは一つ目なので私の夫なんです。」と。

 友人の結婚式にきている。花嫁はなぜか、顔を伏せている。花嫁が泣きながら、「私は今から双子になるんです」と言っている。友人も延々と泣いている。
「この、まさに今、妻となろうとしている人は、双子になるんです」と。すると、彼女のスカートの下から小さな女の子が出てきて挨拶する。「私がこの
今から結婚する女の姉です」と、そして、友人にキスをする。友人は泣きながら嫌々そうにそれを受け入れる。彼の花嫁はそれを見て泣き喚く。

 ニューシネマパラダイスで唯一泣ける場面があるとするなら、「ここは俺の公園だ!」と喚きながら忌み嫌われる彼の真剣さとその光景の陽気さ。このことを、目の前にいる女性に話す。女性が立ち上がって、乳房を出し、「小さいでしょう」と突然言って笑う。

 周りには白人ばかりがいる。ここはどこの国ですか、と聞くと、「日本だよ。」と日本語で返ってくる。君は、スコットランド出身だろう。その黄色い肌、がまさにそうだよね、と、隣の女性が言う。目の前では、同じ黄色い肌をした老人が、浮世絵を描いている。

 女性と映画館に来ている。上映されている映画では、陽気な田舎で人々が歌を歌いながら田植えをしている。隣に座った夢の中で恋人である女性が、「クリムトは口笛がふけないそうよ」と言う。「へーそうなんだ」と軽く答える。女性が突然泣き始める。「口笛がふけないってことは、カモノハシを見たことがないからなのよ。」と。映画の中では、未だに田植えが続いている。

 来た事もないレコードショップでレコードを掘っていると、店員からこれがいいよ、とレコードを紹介される。それは見たこともないレコードでジャケットにはなぜか、デリダの写真が貼ってある。「これは何のレコードなんですか」と聞くと「HIPHOPさ、それもデルタブルース以前のね。年代ものだよ。プレス数かって少ない」と言われる。


手の鳴るほうへ

  ひろかわ文緒


泡のない麦酒をのこして、父はもう戻らなかった。柱にぶらさがった縄も吐き出されたものも、知らないだれかに片付けられて私には西日の眩しい部屋と、ぬるい麦酒だけがのこされた。滑りのわるい桟をキリルルル、といわせながら窓をあけると、涼やかな風がはいり、震える、暦は既に七月を数えはじめる。

 ∞

窓辺のテーブルに砂のうすく積もる。中指でなぞると、跡にはまっすぐの線ができ、めくって視た指のはらには細かくひかる粒。海にちかい家の必然、溜め息をついて雑巾で拭う。線は消え、ひかる粒はただ、雑巾をよごした。
繰り返しなんだと、思う。
デジャヴを感じた瞬間に今日は昨日になり、昨日のなかでまた、思う「視たことが、あるここは、生きたことが、ある」、昨日はたちまち一昨日になる、そして、また一昨日は。
ひだりの薬指に指輪がはまっていて、ぬけない。けれど幾ら待っても夫らしき人どころか誰一人、家のドアをあけなかった。郵便受けには
エアメールが一日置きに届く。送り主は分からない、私に宛てたものなのかも、分からない。蟻のような文字列はもぞもぞ動き、すぐ別のアルファベットに変わるので、とても解読できそうになかったけれど、私にはそれが唯一の救いに思えた。手紙だけは、
きちんと机に積もっていったのだから。

 ∞

 おかあさん、きょうはおつきさまがおっきいねー
 今日はね、満月、なのよ
 まんげつ?
 そう、まんまるでしょう
 うん、まんまる、

交差点の赤信号の点滅、ゆっくり車は停止し、上目をつかいながら動きだす。と、トラックがスリップしてみぎから突っ込んでくる、「おかあさん」は咄嗟にハンドルをきるブレーキを、踏む間に合わない、摩擦が交錯する、タイヤ痕とタイヤ痕の、ぶつかる、

 かあさん、
 おかあさん、
 きょうはしんげつ、だよ
 もうずっとおつきさまは、みちないよ

 ∞

干からびていく水溜まり。
アメンボはくうる、くうると周遊する。これが
公転だ、と云う。
自転というのはもっと内で、心臓で、自動に行われているものだから、わたしの行うこれが公転なのだ、と、云う。軸だっていらない、わたしの誇らしい公転。周遊を繰り返しながら、
あなたには公転があるか、と訊ねてくる。)(公転は、
私の公転は、視えないんです、と答える、透明に、透明なほら、風が、吹く、でしょう? それが私の公転であって、風の吹かない日にはたとえば陽が、雨が、公転をしてわたしは軸として、かろうじて立っているんです。
何てすばらしい、アメンボはほほ笑んで、跳躍し、さらさらと夜に溶けていった。
水溜まりはなまぬるい風に、波立つ。
あ、あ
違う。待って、私に公転なんて、ない、嘘なのだ、公転の一部でさえも、ない、(軸なんかでは、とてもない、)私はただの石っころ、だった

 ∞

いい天気ですよいい天気になりますいい天気が続きますよずっといい天気ですずっと、ずううううっと、いい、天気です。
キャスターのお姉さんが爽やか、の後ろ、渇ききった湖の底を裸足で駆けていく、子どもたちの映像。
空は深く、雲ひとつない、なるほど、いい天気の。
映像のない木の陰でひどく背の曲がった長老はくねりくねり、と、雨を降らすには生け贄が必要だ、と杖を砂に突き立てた。
若者は叫ぶ、
生け贄を用意しろー
誰でもいい、誰でもいいやつを、連れてくるんだ、早く
雨を降らせよ、
降れ
「降れ」

 ∞

庭へ、出る。
蛙は空に帰るように鳴き、
稲は葉をすりあわせながら育ち、
そうして時間が過ぎるのに耳を澄ます。
澄まされている暗闇のなかで白い
(白昼の下ではきっと薄紅色の、)
アジサイにそうっと、鼻を近づける。

雨の、匂いが。

ぱち ぱち と、まばらに手の鳴る音、
この陸はもうじき海に
まばゆい海に、あふれていく。


un radeau automatique et les oiseaux aux pommes

  はなび

林檎の木に鳥が止まっています
川上から機械じかけのイカダに乗って猫がやってきました

機械で猫は林檎の木で鳥のためにイカダをこしらえ
林檎は猫のための鳥機械を発明し

鳥は機械のために腐った林檎を猫に集めさせます
イカダはひとりで流れてしまった

林檎が川に飛び込んでイカダを戻そうと必死
鳥は林檎を捕まえに猫は鳥を捕まえに

川はにぎやかどんどん流れを急にして
急にして流れて渦になってバラバラにして

もういちどはじまります

りんごのきにとりがとまっています
こんどは
かわかみからねこがおよいでやってきました

猫が鳥を食べたら羽が生える
イカダが機械を食べたら林檎の実がなる


夜景/テイク2

  蛾兆ボルカ

やけいに綺麗だなって
夜景を見ていて
思った

あの灯りのなかに、
平均すればきっと一個ぐらいづつ
おまんこがある
って
最近僕はやっと
夜景を見てもそんなふうには
思わなくなった

ただ
やけに綺麗だなって
思うだけだ

こんなふうに丘の上の公園の柵に
ひじをついて
窓の灯がきらきら光る街を見下ろしていると
風が少し吹いて
僕を撫でていく

この先、僕にどんなことがあっても
僕はきっと、放火魔にだけはならないと思う


おまんこが
僕は好きだ

たとえ(最近は長いことそんなふうに思わないけど)
あの灯りの一つ一つのもとに
おまんこがあるんだって
ひしひしと考え込む夜が
もういちど僕に
あるとしても
それはつらいことじゃないって
きっとそんな風に
僕は思うんじゃないかな

そう思えるようになって
よかったなって
僕は思う


充分風にも吹かれたし

星を見上げて
おまんこ座を
作りながら

家に帰ろうと思う


(無題)

  石黒

刈りとられ
跳びはねてなお
夜になると猥らだった
言葉たち

お前たちを
摘みとってゆく
六月の光は
私たちの熱帯に
ろ過され
打ち砕かれた先に
また
芽吹きはじめる

雨が降り
生命がすべて
ただになるのなら
虎もまた
その縞模様に
見失われ
におい立つ痕跡と
血しぶきもまた
私たちの熱病を
いっそう深くする

息をひそめ
怯えながら老いてゆく
お前たちの姿は
魚に似て美しい


ようすいの丘

  mei




 世界はいつも濡れていて 陽射しが人々を焼こうともすぐ隣では雨滴が垂れていました


 四月 世界の中心 学校の工事は水の神様に赦される為
 海へと続く道を狭めていた街路樹をまずはじめに刈り取り
 三百年眠っていた忘れられた石は起こされてから一年を待たず再び眠りにつきます
 あなたの愛が終わる頃にわたしたちはまた醜くなってもう一度 記号に戻ろうとしている
 澱んだ水軒の川を下りてゆけばようすいの丘に僧侶の屍が飾られていて
 明るい雨に照り映えているのは静かな終末
 僧侶の屍が見る四月の海は光を滑らかに波へと移していって
 波が高くなればなるほど白い翼を持っているようでした
 太陽は 繭に隠れてはまた融け合う事を待ち望んでいます
 雨はやはり降り続け ……


    (あなたの 中 たえず疼いていた愛以外の衝動は世界に 安らぎをあたえていました
     夜の繁み 葉から垂れる水滴に舌を這わせて
     蠢かせる色情の結末を私は知っています
     月のない空の下で話しなさい 罪はわたしが負いましょう
     わたしが あなたを 赦します)


 ――あなたは 光と風に繋いだ糸を歓楽の鎖から断ち切って永遠へと引き摺って行くのです
 ――けれどわたしはあなたが世界になったとは思いません


 もう何度過ちを犯したか 月の出る時間になっても空は曇っていて星は一つもみえない
 あなたの声で夜が明けると
 ようすいの丘の上には新しい世界がひろがり
 かなたでは霞んだ水平線から薄い煙を立てながら近付いてくる船をみせる
 繭から不規則に放たれる白光
 海さえも白く 陽か月か私にはすでに判断のつかなくなった円光は鷲のように天へと上り
 たちまち消えてしまいました
 硝子に生命の火が宿る わたしは柔らかな乳房に憧れる
 神聖なものが処女の血のなかで生き続けるなら 私は神聖でなくてもかまわない
 生まれる前から知っていた空の飛び方
 世界は美しい
 残り火の薄ら明かりではなく 荒れ果てた街が遂げた
 閑寂と頽廃の先
 あなたは 星や雲ばかりに 目を奪われていました
 靄に隠れていようと 死骸が落ちてこようと あなたはその先にあるものから目を離さない
 降り続ける雨が世界を歪めてもあなたには別のものへと移る予兆がありませんでした
 朧気な山々を裂いて聳える朱の塔 深々とおおいかぶさる雷鳴の背中を撫で 儚さは蘇る
 黒雲であろうと繭であろうと 或いは残りなく晴れ渡った晴天であっても
 光がとめどなく洩れているのは祝福と同時に怒りなのです それは空間の歪み
 清らかな日に人々は身を委ねます 忘却を齎す言葉の代わり
 指に絡ませた枝を比類ない奇蹟と
 呼んでもいい


真夜中の魚

  mei



通りをまっすぐ行ったところに置かれた忘れ物よりもむこう
右へ右へと使われなくなった線路を歩いていくと役目を終えて眠りについた人形がいます
そこには電車と同じで動かなくなった時にだけ優しくされ
ふたたび誰からも忘れられてしまった人形たちの墓があります


運命でしょうか
神様のしわざでしょうか
雨のおおい季節です
台風におそわれます
からだの震える夜に冷たくなるのはゆびだけではなくて
ひとみもです


――ほら
赤いマントに白い風船
忘れたあしでのけんけんぱ
眠る頃に目が覚める
夢はたべられ野原に散らばる
海から手が伸び世界を引き込む
光は廻って始めに還った――


「私が星に指をつけます
 あのトンネルを抜けると火がひろがり 空を見上げると星がまたひとつふえました
 おおきな星をめじるしにして明日へとつなげましょう
 ほら ごらんなさい
 雨のやまない世界では椅子はすぐに腐ってしまいます
 なおそうとしてはいけません
 我々人形と同じでまた同じ事の繰り返しになりますから」


「夢というコトバが好きです
 未来にはないものですか?
 私たちはふたりの船でした
 そこに小鳥があらわれて彼の足を食べてしまったのです」


「それは不快ではありません
 いえ それをしあわせとよぶべきなのかもしれませんね
 鳥が飛んでいった時
 私は水になりました」


(――ああ
 波が夢をのみこんだ
 ベルの響かない夜は珍しい
 瞳の色がかわり 空気が白くなりました 光がおぶさります
 ながされる あいされる うまれゆく いきている
 あいしてる――)


それは海のにおい 彼のにおいです 魚のにおいでしょうか
子供が石をけっていると墓にあたりました それは過去です
線路は草でもうみえません
鳥が小さな声でないています
それをきいてしまうと
一日がまた始まります
真夜中に泳ぐ魚を見失う頃に
永い一日が また


No Title

  浅井 康浩


心臓の音を悼んでいると思ったら、わたし、祈っていたの。
そのままの姿で、くちずさむ調子で、鳥たちの声に。




なぜ自分のしていることが強姦になるのか、そのことがわかりません。ただ、相手にささ
やく言葉を知らなかっただけかもしれない。でも、どこかでふかい悲しみのようなものが
ふるえていて、言葉をつぐませてしまう、というか。そうやってなにも言うことができな
くなって、セックスから言葉や対象が失われてゆくのだとおもいます。静けさというもの
があったとしても、ひそやかな呼吸もなく、植物的なゆるやかさもないセックスのどこに
価値をみいだせばよいのか、それすらもわかりません。




せきとめられていたの、わたし、たおれこんでいたの、この川の辺へ、なんでもないよう
な呼吸のしかたもわすれてしまって。そうやって、そう、せきとめられている。湿り気を
もつハゼ科のように。じぶんの持っている輪郭をつよくととのえるまで。ひかりをいだく
ようにして。いつかはわからないけれど手をふるように。




この位置は、世界から聞こえてくるさまざまなものに耳をすましてゆける位置でもある。
だから、あなたが聞き出そうとしたことは、きっと、誰かがききたかった部分と重なって
いると思う。




そらみみだったのでしょう。こわれかけた鍵盤みたいにぽろぽろ流れこんでくるやすらぎ
にそらを見上げたのはわたし。そんなことをすれば、書けてしまった手紙のことばたちか
ら置き去りにされてしまうこともわかっていたはずなのに、はだしであるきましょう、は
だしであるきましょう、だなんてあなたが告げた声をわすれるともなしに朝をむかえてし
まえば、ひっそりと泣いてしまうことの準備さえできていないというのに。




どうしてそんなにねむることができるのか、そのことの不思議をおもっていた。あまりに
も透明といえそうな、あかるいひろがりに満たされていたから、しずけさにつつまれなが
ら眠ることもできるのかもしれないとも思っていた。




アスパラの茹でかた。喫茶店での過ごし方。待ちわびること。柳宗理の食器。シンプルな
生き方。ZARA、知床半島、マフラーの正しい巻き方。スーパーバタードッグ。上手なコー
ヒーの淹れ方。ヨットの原理。ラベンダー。ふるい絵本。琵琶湖。猫アレルギー。道端に
寝転がること。さつまいものタルト。感謝すること。奈良町。etc. 




デタラメなリズムで漕ぎだすくちぶえはめぐりめぐってHappy Birthdayを奏でてしまう。
だから、目はほそめたままでいましょう。眩しいから、って、そっと手のひらをかざして
こずえのみどりの影にゆっくりと埋もれてゆく。このような日々が終わらないままにつづ
いたとしても、それでもととのいはじめた呼吸のリズムのなかからマガロフのワルツの
音色を思いだすことはできるのだろうか




射精によって空間やへだたりが溶けてしまって、視界がひらけるように、ひとりきりでは
なく、あなたとともに交わっていたことを感じることが、ときにはあるかもしれない、ふ
たり、ということばのさざめきのなかに還ってゆけるかもしれないと感じることも、これ
からはあるかもしれない。発症にいたるまでの経緯をかたることはなんとしても避けると
ともに、わたしの言葉自体が崩されてゆくのを防ぐための努力に最大限の感謝を添える。
いつだって現実の直視からはじまることは疑いがない。そして、せかいは、わたしやあな
たの言葉に聞く耳をもたない。




ふたつのからだは、ひとつになれない。だからね、いとしいひとへの言葉をだきしめるな
んてことを、してはいけない。ましてや、満たすことなんて、してはいけない。


夜の闇、重なり続けていくもの

  なつめぐ

 

夜、浅い眠りの水面から目を覚ますと、眠れなかったのか、既に起き上がっていた妻が闇の中を見つめていた。僕が起き上がると、こちらに気づいて、何も言わずに体を預けてきた。眠れないのかと聞くと、眠れないのだと言う。
枕元に置いてあった時計を見ると、真夜中を過ぎた辺りだった。少し、散歩でもしようか、と、耳元で囁くと、妻はちいさく頭を縦に動かした。


 
外にでると、初夏の湿った生温かい空気が肺の中に入り込む。草や花、それと、無機質な匂いと、それらがゆっくりと、起きていた時の呼吸を思い出させていく、そんな感覚を抱きながら、妻の手を握り歩き始めた。上を見上げると、青黒く広がる夜の空の中、伸びきった綿のように薄い雲の隙間から、ちらちらといくつかの星が瞬いていた。
同じように上を見上げていた妻が、それらよりも少し離れたところで強く輝いている星を指さして、あれがきっとシリウスだねと言って、こちらを向いた。
瞳を合わせて、そうだねと、僕が返す言葉を受け止めた後、妻は、少しだけ微笑んだ。
 
 
 
昼間の、地響きのようなトラックの音さえ、無かったかのように静まる夜に、重なり続ける、蛙の鳴き声。二人の好きな、夏の声。自然と、その声の方へと歩いている、二人の背中で灯る、電信柱に添えつけられた外灯の明かりで、二つの影が細く長く、頭を夜の暗闇に呑み込まれながら伸びていく。
人を運んでいるのか、荷物を運んでいるのか、マイペースに線路を鳴らしながら、遠くの方から、近くまで、そしてまた遠くの方へと、電車がひとつ、走り去って行くのがわかった。
遠ざかっていく音へと言っているのか、夜に向かって言っているのか、このままあの電車にゆられて、どこまでも遠くへ行きたいと、妻が呟いた。
 
 
 
妻が見つめていた闇の中には、何が、あるのだろうか。不意に、怖い夢ばかり見るのだと、前の夜の疲れたきった妻の瞳が、頭の中で、今目の前に広がる闇よりも、更に黒く、深い闇を帯びているような気がして、不安を覚える。
ほとんど何も話さずに、ただ、二人分の、少しだけずれた歩幅の靴音が小石とともに音を立てているのを、聞いている。その静けさの奥の、暗いところへ触れる言葉を、とても長い間探している、この手のひらでは、未だ何一つ掴めていないのだ、と、くりかえし、くりかえし、波紋のようにゆられ続けている。
繋いだ手の先にある妻の姿、こちらには振り向かず、行く先の方をぼんやりと見つめている。

  
 
いくつかの角を曲がり、外壁に挟まれるようにして出来た細い裏道を抜け、少しだけ開けた場所にたどり着く。いくつもの田んぼが連なり、その数に比例するかのように、蛙の鳴き声も大きなものになっている気がした。
いっぱい鳴いてるね。妻はそう言って少し嬉しそうに田の側へと向かい、しゃがみ込む。ひらけている為か、上を見上げると、さっきよりもたくさんの星が見えた。
鳴いているのが雨蛙だったら、明日雨降るかなぁ。
風が吹くと、離れた所にある外灯の明かりでぼんやりと見える水面が僅かに波打つ。
そしたら、長靴を履いてまた散歩に行こうか。
妻の隣にしゃがみ込み、妻が見つめている夜の中空を同じくらいの角度で見つめてみる。その先に見える遠くの、山の肩辺りで、強く青白く瞬いている、シリウス。
何も言わずに、同じ所を見つめている時間の中を、重なり続ける夏の声。声はずっと遠くへと向かい、跳ね返り、またここへと戻ってくる。目の前に広がる暗闇の世界から、響き渡る声と、背中から響いてくる声とが絡み合い、ひとつになる。


 
こんな風に同じ世界を眺めている時間がとても好きなのだと、小さな、囁くような声で妻が言った。
僕が振り向くと、既に妻もこちらを向いていた。互いの視線が重なり、瞳と瞳が触れて、その奥に在る、小さく力強く、シリウスのように瞬いている闇に、どこまでも続いている、先の見えない夜のような闇に、触れる。
もしかしたら妻も、同じように僕の中の闇を見つめているのだろうか、と、思い、伸ばさした手の平に触れる頬はやわらかく、ほんのりとあたたかい。
帰ろうか、と、零れ出た言葉に妻は頷き、立ち上がる。
また元来た道の方へと歩き始める、僕たちの後ろに広がる夜の闇。瞬き続ける星の震えと、果てなく、止むことの無い夏の声。それらが、ひとつであるように、僕らも、そのひとつで在れただろうかと、思い、見つめる先にも、ゆらめいている、深い、夜の闇。


ふじさん

  いかいか

まばたきなき、

 散乱するのは、まばたきではなく、いつも朝食。狼たちは南下し、薪を火にくべる―私たちが手を温める(そこ、底は)―災厄を、
「火はない、あるのは、まばたきのみ」と、線世界に設定された、父がくる、母が来る、英語からも遠く、日本語からも遠い、故郷が、
国境線を(国を教える)、君に分け与える、詩のない世界を、歩く、人の背中から切断する―批評が乳房を満たし、貴方の頭に垂らした―、(
まばたきが、この世からは遠くにあることを、まばたきがこの世にはないこと、振り下ろす)
―キナキタバマ、と、黒い瞳をもたなかった彼は、同時に、彼女ももたずに、砂を洗いながら、キナキタバマは夢見を見る。
キナキ、タバマ、と別れたままの、瞳が、「まばたき」をせずに、水しぶきをあげる―神話を洗い流そう、創世の洪水で―
キナキ、タバマは、まばたきをしないための、灰を拾う―かまどを掃除する、隠れ住むために、煮えた鍋の地平線上で、コロンブスが、
卵を割る―eggは、ニワトリから早く逃げ出したから、殻―残り火の平原、ノコリ、ビー、と、喜ぶ、
 
 わかれ、横臥する人

 羊たちの雨を飲む―神々が天気を開き、私たちがそれに滑り込む―、骨を、投げる、
別れからは遠く、涙を、千に砕き、横臥する、人に、垂らすのは、神々の、天気、
繰り返し、ここは墓石の庭、昼に人は横切り、夜に、入る、
アボガドをむしる、緑の宇宙船、UFOの刺客、横臥する人を横切る、

 誰にでも読める平易な物語で

 物語のない、物語が読みたい、ことばをくちをうごかさないで、
真っ暗な部屋ではなく、真っ白でもない部屋で、「くちをうごかさないことばを」と、
白い人はいうが、


  如月


記憶の先端が
わたしを貫いていく
遠い、名前が
ささくれて
喉をふるわせる
空、は見ない
白い手首に確かな
透明で青い血管
があるから

 ・ 

街はパズルみたいで
まるで
はじめから何もかも
あったみたいに
新しい、が並べられて
錆びついた古い、の
隙間を
過ぎ去ってゆく声の鳴る
街が
いっそう
整頓されてゆくから
部屋は少し
散らかってるぐらいが
落ち着くの
白い手首をじっと
見つめていたら
確かに
血管は美しく
透きとおってるから

 ・

夜へ進化してゆく街の
瞬く中心は
パズルみたいに
おいしかったパスタ屋さんの
名前を思い出せないから
わたし
新しいお店の名前を
いくつか覚えたよ

 /
白い確かな、
手首に
血管が透明で
覚えてますか?
わたしの、消えない。
せめて
うまれたばかりの
からだのままで
どうか、
鮮やかに貫いて
 / 

見て、ほら
新しいお店が
また
いっぱい
できたみたいだから
今度、
一緒に行こうよ
 
 
 
 


隣人の空似

  りす

胸のうちに 捕虜が一人
背中を丸めている
蜂蜜色の肌
舐め甲斐のあるくびれ
解像度の高い汗で濡れた
僕たちの黄色い道具

瓶詰めの戦争が
窓際に並んでいる
鉢植えの華奢なハーブの隣で
戦争は死んでいる
透明な保存液のなかに
午後の最後の光が溶けて
僕たちの遺伝子が燃えている

散々殴られたあと
赤く腫れ染まった皮膚を
まだ黄色いと 恥じている
美しい捕虜の背中に
一枚の地図が浮かぶ
殴れば殴るほど
鮮やかに発色する国境線に
僕たちは嫉妬し
狂った眼を借りてきて

捕虜を打つ、
捕虜を打つ、
捕虜を打つ、

低いベッドから
這いおりたり
這いのぼったり
逃げ惑う捕虜の緩慢で規則正しい動きだけが
戦闘がないこの胸に時間の観念を呼び込んで
捕虜が生まれながら捕虜であり囚われであり
逃げる場所も記憶も痛みもないことに安堵し
空腹が訪れる
幸福な日々を
僕たちは喜ぶ
地図はいらない
空想と現実の
合い挽きは食べられない

捕虜には労働をさせよ!
僕たちの延命のために

等身大の穴を 千個掘らせよ!
千回死んで 千回生き返るために

そして
千回目のゾンビを
僕と名づけよう

僕の目の前には
掘り出した豊富な土がある
これで僕の土像を作ろう!
千体の夥しい 僕を作ろう!
僕の王国の建設
僕らしい軍備を整え
僕らしい戦争をする
僕の名を冠したミサイルが
国境線を越えていく


呑み込めなかった肉を
皿の中央に戻す日
肉はゆっくりと立ち上がり
皿の平野を歩き始める
ハーブの茂みをよけて
肉汁の沼を迂回する
地図を片手に
ナイフの橋を慎重に渡ると
肉は
皿の果てまで
辿りついてしまった

どこかで見たような顔だ、と
フォークが肉を突き刺す


17時のヴィーナス

  ゆえづ

肉感的な体つきの女たちがひしめいて
終礼後の女子更衣室はさながらトドのハーレムだ
中でもひときわお尻の大きな婦人が
衣服や文庫本が乱雑に詰め込まれたわたしのロッカーをちらりと見て
「まあひどい」と朗らかな笑声で言い放つ
そして脱皮の如く制服を床へ脱ぎ落とすと婦人は首を振りながら呟いた
「わたし小説家の嫁にはなりたくないわ」
「わたしも嫌ですねえ」
後輩のわたしは続く
「いつの日か認められるに違いないわなんて酒浸りのヒモ男を延々養い続ける根性ないもの」
「それは面倒ですねえ」
婦人のほんのり赤みがかった頬は馥郁たる香気を放ち
そばに寄るとほとばしる若さが目にしみてならない
しかしそのふくよかな唇から零れ落ちる言葉は
覗き見していた老警備員をむせ込ませてしまうほど酸っぱいものだった
「独りもんじゃないんだからいい加減落ち着きなさいよって説き伏せてやるわねわたしなら」
たわわに実った乳房をゆっさゆっさと揺らしながら間に割って入ってきたのは
ルノアールの裸婦画を彷彿させるこれまた巨大な婦人だ
「それすごいですねえ」
「だって子供でもできてみなさいよ、しっかりしてくださいなこの子のためにもなんて大きなお腹をさすりながら泣くつもり?」
「ああ! 馬鹿馬鹿しいったらないわ」
「それこそ小説みたいですもんねえ」
「男は稼いでくれなきゃねえ」
「ええ本当」
「でもそんな細い腰じゃだめね」
「へ?」
「育たないわ」
「ああ、子供ですか」
「恋がよ」
薄っぺらい胸がチクリと痛んだのは何故だろう
チャリンチャリンチャリン
わたしは着替えをするたび小銭を床にばらまくので
そのうち婦人たちの間でカーニバルと呼ばれるようになった
「おお。カーニバル! 今日はまた一段と派手ね」
毎度の如く申し訳ないなと思いながらもわたしは
足元の小銭を拾っている婦人たちの様子が『落穂拾い』に見えて
にへらと微笑まずにはいられないのだ
「ところでAさん、最近料理を始めたんだそうで」
「まあね、これといってすることもないから」
彼女らの燦然と輝く健やかな魂は
わたしという暗く湿った不毛地帯に
今日も惜しみなく注がれて


友人、夏にて

  破片

光が、
そこかしこに、
砕け散る正午の、
潮を孕んだ声を、
返した。
燻る先端が滲み、
煙は、塩水に、
溶けて、
破片は目にみえず、
血が流れる、
僕には、見えない。

花のような、
頬だった、
直視できず、
木陰に逃げ、
抱いてもらった。
掻き抱く、
無数輪の香り、
よりも、きみは。

眩い、一条で、
白い太陽は、
ひろく、まろび、
その中で、
破片は深々と、
みえずに。
煙もろとも、
揺らぐ、
揺らぐ。

空っぽの、
圧する青は、
焦げた防波堤から、
歯軋りで、
高く、
浮かばされ、
ねぇ、きみ、
この両手では、
送れないよ、きみを。

潮含みの声を、
ここから、
投げつけて、
指の間、するりと、
落ちた火、
僕の背にわだかまる、

言葉、
思い直して、
吸い殻を、拾い上げた、
きみと、
同じように。


川は流れた

  鈴屋

川は女だった
川は流れた
女は林崎久仁子と言い
夜、電車で鉄橋をわたり帰郷し
翌朝、実家近くの土手で青い矢車草を摘んだ
河原にしゃがんで流れる水を眺め
林崎は川とともに流れ
浮いたり沈んだり、目の前を通過する自分の裸体を見た
他日、川が
「わたしには寄る辺がない」と言うので
「それはわかるが・・・」
と私は川に言い、両岸の土手の効用を説いた

川は上流で妊娠し
河口で中絶し流した
川が流れる平野の町では人々がよく労働した
ある日戦争が済んで、つぎつぎに屋根がはびこり、道は網目となり
銀行は貨幣を出し入れし、電車はめまぐるしく回り
私は正しく修正主義者となり、いくたりか女と情をかわした
電車は鉄橋で瞬き、夕日は何度でも落ち
川は流れ、流した 
林崎は流れた
私は歩いた

林崎久仁子の実家の靴箱の上で青い矢車草が枯れ
林崎は流れた
父母は庭でインゲン豆を育て、父は長々しく理屈を言い、入れ歯を洗い
母は無言で草をむしり、芋虫を踏み潰し
林崎は流れた
私は休日のたびに河川敷に草野球を見に行き
そのときも川は流れ
センターフライを追いつづけ
白球は空で孤独な穴になった
「わたしは川底の下でも流れているのよ、知ってて?」と川は言い
私は笑いながら首をふった

林崎と私はアパートの二階で暮らした
畳の上で林崎は流れ、私は競艇の予想紙に赤鉛筆で印をつけた
窓からは色づきはじめた枇杷の実と
青空に刺さっているジェット戦闘機が見えた
夜更け
闇の中に横たわり
鉄橋を渡る電車の響きを聴いた
耳もとで水の音がすることもあった
川は流れ、流した
眠る林崎は流れた
闇夜の山岳、丘陵、平野を流れ
上流から下流まで全体が光って浮上し川は流れた


エメラルドグリーン

  ミドリ


一本の道は、果てしなく続いている。振り返るとそこには、蹴散らされた砂埃の中に轍が見え、エメラルドグリーンの海が広がっていた。

旧盆の初日が暮れようとしていたその日に、伝い歩きはじめたばかりの娘が、借家の縁先から落ちた。
真っ先に電話したのが彼だった。

小さな子がいるのに、パーティー?
そんなことできる筈もないじゃない。ってさ。ミノルに食ってかかりたかったのかもしれない。電話口の背後で、トランスした若い男女の声や、けたたましい音楽が聴こえる。

えっ?子供?なんだ!今すぐ出てこいよ!

わたしはガチャン!って。受話器を力いっぱい叩きつけた。
壊れるかと思った。

心も。電話も。全部。

       ∞

島に引っ越して半年。
知り合いもいない。家族も疎遠になった。娘の父親だって、どこにいるやら知れない。わたしは娘を強く抱いた。言葉はまだ話さないけど、それ以上のぬくもりが娘の体から伝わってくるような気がした。わたしは幸せなんだろうか?それとも、みじめなんだろうか。

ある日島のオバァが、うたきに連れて行ってくれた。乳母車に娘を乗せ、食料品店に買い物へ出ていたときのことだ。クバ帽を被ったオバァが、泣き出してきかない娘の顔を覗き込んで「ナチブーね」って、あやしてくれた。
オバァは一生独身通し、子供を産んだことがないという。娘を抱き上げると「ヴァチクァイヤッサー」といった。
オバァの体の匂いには、どこか鼻腔の奥をツンとくすぐる懐かしいもの感じて、わたしはその時、店の外へ目をやった。
なんでここの空はいつもこんなに、真っ青を晴れるんだろうって。

オバァとわたしたちの生活が始まったのはこの日を境にしてのことだった。オバァが娘を預かってくれるので、わたしは仕事に出ることができた。サトウキビ畑とスーパーのレジ打ち。時給がおそろしく低く感じられるのは、都会で暮らしていたわたしの感覚なのだろう。誰にも、愚痴は言えなかった。
そういえば、島の北部にはユタが修行する場所があると聞いたことがある。

オバァ?オバァは、神様とお話ができるの?
神様ねえ〜、あたしも偉くみられたもんだねぇと、オバァは笑う。

あんたの後ろに、へんな霊がついてる。なんてオバァに言われようものなら、わたしはきっと、信じたかもしれない。

       ∞

彼から電話があった。

どこにいるんだ?
引っ越したの
島から出たのか?
ううん
仕事は順調?
まぁね
ショップをオープンしたんだ。クラブだよ。なぁ、こないか?

彼は本気じゃない。電話だと、声の調子でそれがよくわかる。

さよなら・・
えっ?なんだって?

ガチャン!

       ∞

白い砂地の、一本の道は、果てしなく続いている。
振り返るとそこには、いつも変わることなく輝き続ける。
エメラルドグリーンの、大きな海が、見えるんだ。


god is my co-pilot

  debaser

外国の人たちが電車の中で殴り合っている。去年の夏にぼくは仕事でインドに行った。合間を見つけてぼくは妻のためにサリーを買いに街に出掛けることにした。ホテルを出るとリクシャーの運転手数人から声を掛けられたが丁寧に断った。街は予想通りにぎわっていた。サリーが買える店をみつけ中に入るとたくさんの人がいた。だけど客はぼく一人であとは全員店の従業員だった。ぼくに近寄ってきた男に妻のためにサリーを買いたいと伝えるとインドの山奥でんでん虫カタツムリっていったいなんのことだと訊かれた。それは日本の国歌だと嘘をつくと、男は何も言わずに生地のサンプルをいくつか見せてくれた。ぼくは眠っていた。死にかけている猫を動物病院に置き去りにしてわけのわからない薬を貰った。それを3粒飲むと、気持ちが良くなったのでメタモルフォーゼのチケットを買ってTangerine Dreamを観に行った。彼らは静寂の中ひっそりと現れ、ダンボールで作られたステージ中央の犬小屋に閉じこもりテクノミュージックのようなものをえんえんと演奏した。時折、発狂した観客がステージに上がりセキュリティの黒人たちに羽交い絞めにされた。娘がお父さんこれはいつの時代のなんという音楽なのと訊いてきた。何か気の利いたセリフを考えているうちに演奏が終わってしまったので、たった今終わってしまった音楽さ、と答えた。ぼくは眠っていた。昨日はSofia Coppolaナイトというイベントで夜の10時から彼女の映画を続けて3本観た。2本目の途中から吹き替えと字幕が交互になって仕方なく3本目が終わる前に映画館をあとにした。辛抱強く最後まで帰らなかった友人の話によると3本目のエンドロールの途中にSofia Coppolaが真っ裸で現れ、おまたに引っ掛けた糸でリンゴを剥いて観客に振舞ったそうだ。友人はリンゴは外国人のおまたの味がしたと言っていた。ぼくは電車の中で眠っていた。ぼくの隣には妊婦が座っていて、おなかをさすっている。ぼくは夢の中でぼくもおなかさすっていいですかと彼女に尋ねると、ええいいわよと言われたのでまるで自分の子どもが彼女のおなかの中にいるようにさすった。彼女がうとうとし始めたので、電車の中で眠ってしまうと危険ですよとぼくは忠告した。彼女はああそうねありがとうとか言って、この子が気違いになるのだけはごめんだわと降りていった。目覚めると妊婦はもういなかったが吊革にぶら下がった猿がぼくを見てなにがしか軽蔑したようににやと笑った。1980年以前の記憶がなかったので母に理由を尋ねると、お父さんが知っているわよと言う、お父さんはもうとっくに死んでるじゃないかと母に愚痴ると、今度会ったときに訊いておいてあげるわよと言われた。自室で眠っていると兄が猫を拾ってきた。ぼくは猫が好きだったのでとても嬉しかった。兄はその頃、大学を中退したばかりでまるで猫のように家でごろごろしていたし母に乱暴することもあった。猫が家にやってきてしばらくして兄がいなくなった。猫はとてもやんちゃで二階のぼくの部屋の窓から外に出て屋根伝いで毎日旅した。一週間ばかし帰ってこないこともあってもう帰ってこないかもしんないって思っていると、窓をトントンと猫が叩くので中に入れてあげた、どこに行ってたんだよと言うと、ぼくが小学生の頃に養護学級の女子を階段から突き落として血だらけになったその子が倒れている踊り場で血をぺろりぺろり舐めていた、とか言った。よく外に出て行く猫だったので喧嘩も絶えなかった。いつの日からか猫は片目になってそれでもぼくの部屋の窓から外に出て行くことはやめなかった。ぼくはバンガロールに向かう飛行機の中で眠っていた。The KinksのTシャツを着ている老人がぼくに話しかけてきた。この飛行機はいったいどこに向かっているんだと言うのでThe Kinksは大好きなバンドだけどもぼくは眠っているからそういう話はあとにしてくれと言った。老人はThe Kinksが音楽をやっている連中だなんて知らなかったと言って不機嫌そうに目をつむった。電車の中では外国の人たちが殴り合っている。ガンジス川のほとりで気が付くとぼくのとなりにはインド人たちがいた。そのうちの一人がぼくに話しかけてくる。おまえはなにじんだと訊かれワカラナイと答えた。彼はははんと笑って、おれと一緒だなと言った。何の収穫もなく帰国し街をぶらぶらした。渋谷で外国映画の撮影現場に出くわした。監督らしき男が話しかけている女は有名な女優だったが名前は思い出せなかった。ベビーカーに赤ちゃんをのせる場面を何度も繰り返し撮っていた。赤ちゃんは不思議そうな顔で彼女をずっと見ている。映画の中で彼女は赤ちゃんを渋谷に置き去りにする。やがて赤ちゃんは子どものいない裕福な夫婦に拾われ不自由なく暮らすが17歳の秋に黙って家を出てあてもなく外国に行く、外国の生活にも慣れ始めた頃に彼女は街の大通りで外国映画の撮影現場に出くわして監督らしき女にあなたわたしのママに似ているのと話しかける、監督らしき女は撮影の邪魔をしないで今撮っている映画はわたしのデビュー作になる予定だからとてもナーバスなの許して頂戴と言う、彼女は通行人の役でもなんでもいいからわたしを出演させてと頼んでみると、そうねえセリフらしいセリフなんてひとつもないけど赤ちゃんの役で良ければと言う。ぼくは飛行機の中で眠っている。目が覚めると野外のコンサート会場にいた。ぼくの隣で寝そべっている少年に今から何が始まるんだと尋ねると、WoodstockでもReadingでもATPでもフジロックでもないものさと言うので、つまり今までぼくたちが聴いたことのないような音楽が鳴らされるようだねと知ったかぶりすると、おじさんいい気になるなよと言って少年はどこかに行ってしまった。ぼくは寝そべりながらえんえんと音楽を聴いた。娘が犬小屋に片目の猫がいると泣き出したのでぼくはその猫はぼくの古い知り合いだからそのままにしておいて欲しいと頼むと娘はあきれたようにせっかく終わったと思っていたのにと言った。ぼくは寝そべりながらえんえんと音楽を聴いている。外国人のおまたの味がした。機長がやってきて飛行機は予定通り墜落しますと言った、興奮した乗客の一人がわれわれの飛行機はどこに墜落するつもりなんだと尋ねると機長は今のところなにも確定していませんと答えた。外国の人たちが電車の中で殴り合っていた。二人は父子だった。ぼくたちは今も本当の映画の中にいた。


つる子さん Mademoiselle Tsuruko

  はなび


つる子さんはカニかまぼこが好き
カニかまぼこと緑豆春雨とたまねぎスライスと
きゅうりの千切りをマヨネーズで合えて食べるのが好き

つる子さんはお散歩が好き
土曜日の午後あまり有名でなくてなんにもない
川沿いの公園を歩いていて犬に足を噛まれました

つる子さんは1月生まれの山羊座
真面目な性格でAB型です

つる子さんは幸司さんとデートしました
白いスカートをはいて行ったのに
喫茶店で紅茶をこぼしてしまった

お昼にカレーを食べました
特別おいしいカレーではなかったけれど
幸司さんがおいしいと言ったので
つる子さんもおいしいと言いました

幸司さんはとりの唐揚げが好き
つる子さんの事を大切に思っています
幸司さんのティーシャツの背中の右のところに
小さな穴があいていますが誰もその事を知りません

つる子さんには夢があります
それはNHKの深夜番組で見た
大きなメキシコの川

誰でもいいから
つる子さんが死んだら
そこに灰を撒いて欲しいんだって


さっちゃんの卵 

  ミドリ


その街についたとき、ぼくらは人々の言葉が全く理解できないことに気づいた。微妙なイントネーションからしてどこか違うのだ。
ロートアイアンで装飾された看板のショールームに入ると陽気な笑い声をあげる人々で込み合い。シェード付きのランプが取り付けられた入り口で立ち止まっていると、コニーさんの方から話しかけてきた。
彼は面長の七面鳥で、鳩の卵を売っている。

コニーさんは作業用の白手袋を脱ぎ捨てると、ぼくらに近づいてきた。顔は笑っているが目は笑っていない。

「やあ!」

コニーさんはぼくらを見つけると手を振った。何しろ室内はおそろしく込み合っている。5メートル進むのに3分も掛かる有様だ。

「すごい盛況ですね!」

ぼくは思わず声を張り上げた。

      ∞

「紹介しますよ」

ぼくは連れて来た鳩の手を引っ張って、コニーさんの前に押し出した。

「名前はなんていうの?」
「この子ね、少し知恵が遅れてるんですよ」
「卵は産めるのかい?」
「バンバン産みますよ!」
「そりゃー良かった。うちは実力主義だからね」
「さっちゃん。これから世話になるオーナーのコニーさんだ。挨拶なさい」

ぼくは唇を尖らし、さっちゃんに厳しい調子で言った。

「サチコです。宜しく」

さっちゃんはペコリと頭を90度に下げて、そのまま30秒ほど固まってしまった。

「さっちゃん、もういいよ。頭を上げなさい」
「もういいよ、さっちゃん頭を上げなさい」

彼女は90度に折り曲げた体を戻すと、ぼくの言葉をそのまま反復した。

「おいおい、大丈夫かね?」

コニーさんは上着のポケットからハンカチを取り出し、額に浮き上がった汗をぬぐった。さっちゃんは、大きな笑顔でコニーさんを見つめると。

「おいおい、大丈夫かね」と。

また例のごとく、彼の言葉を繰返した。
コニーさんとぼくは目を合わせ、苦笑した。

       ∞

「ここがこれから君が働くことになる仕事場だ。いいね」

コニーさんはさっちゃんの肩を抱き。指先であちこちを指し示しながら工場の中の事を、丁寧に説明していった。どうせ、さっちゃんにはその言葉の意味や難しいことは理解できないだろうが、コニーさんは必死だった。何しろ需要に供給が追いつかず、猫の手も借りたいほど忙しいのだ。
そして従業員の鳩たちは色んな地方から集められ、会社が用意した寮から通うものが殆どだ。

中には外国から来ている鳩もたくさんいて、そこで飛び交う言葉はさながら国際色豊かな交易都市の様相を呈していた。そしてバイヤーの中には、地球の裏側から出張して来るものも少なくない。そのコストを差し引いても、引く手あまたなのが、コニーさんの商品なのだ。

成る程ここで話されている言葉の意味がわからないわけだ。むろん従業員同士のコミュニケーションも、きっとままならないだろう。この職場に紛れ込めば、知恵遅れのさっちゃんも、彼らと同等の扱いを受けられる筈だ。

仕事は至って簡単。卵を産めば良いだけの話なのだから。

ぼくはコニーさんがさっちゃんに工場の説明をしている間。表へ出て煙草を一服吹かした。煙ばかりが空へ抜けていき。あまり味がしなかった。このままコニーさんとさっちゃんに挨拶しないで帰ろうかと思った。さっちゃんは何て思うだろう?
ぼくがさっちゃんに「バイバイ」って言うと、きっと彼女はいつも様に「バイバイ」とぼくの言葉を反復するに違いない。「お別れだよ」と言うと、彼女はいつもの笑顔で「お別れだよ」と、ぼくの言葉を繰返すに違いない。
そのままぼくがさっちゃんに背を向け、遠ざかって行けば、彼女はいつもと違う何かを察知して、ぼくの背中を追いかけてくるだろうか。

煙草の火をもみ消し、振り返ると。

工場の入り口で「談笑」する。
さっちゃんとコニーさんの姿が。ぼくの目頭から不意に溢れ出た熱いものの中で、滲んで、見えたんだ。

文学極道

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