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作品 - 20090523_647_3538p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


”クラッカー”

  ミドリ


いいかい?

問題は連中が風変わりな帽子を被っているってことなのさ。この際はっきりさせようじゃないか。ドレッシングのたっぷりかかったサラダを一掴みすると、クラッカーと呼ばれた男はカウンターに肘を付き、大袈裟に肩をすくめてみせた。

連中はその帽子を一体どこで手に入れるんだい?

初老の紳士が小さく顔をしかめ、その質問を終えると忙しなげに体を左右に揺すり、クラッカーを見つめた。

生まれた時から帽子を被っているのさ。驚いたね。ソーセージみたいなもんだろ?チクワに穴が開いてるのと一緒さ!そりゃ幾らなんでも問題だろ?問題はそれだけじゃない。というと?

むし暑い夜だった。シーリングファンが俺たちの頭上で静かに回る。そっちの窓を閉めてくれないか?クラッカーは少し神経質に苛立ちながら言った。あぁ、用心してくれ・・・。クラッカーは額の汗を右手で2度拭った。

黙って聴いてくれ。驚いたりするなよ。ああ、驚くもんか!驚いたりするもんか!クラッカーは俺たち一人一人を順番にゆっくり見つめると。声を潜め、やはり彼は、俺たち向かって、驚くべきことを口にしたのだ。バーに一台だけある。カウンターの向こうの霜付きの台下のSANYOの冷蔵庫の中に、腐りかけのレモンが一切れと、チーズが一箱しかないのが見えた。

俺たちはその夜のことを、誰にも漏らさないと口々に誓い合い、夜中の3時半には、てんでに帰路についた。あの夜からもう3年と4ヶ月が経つ。風変わりな帽子を被った連中は、相変わらず俺たちの街に居坐り続けたし、クラッカーが街のバーに入り浸ることも変らない。ただ一つだけ言えるのは、秘密の共有がこの街の人々の間で急速に進み。生活は何一つ変らないままだという、この奇妙な事実が、俺たちの生活に今も、重くのしかかっているということだ。

クラッカーのその後について、もう少し詳しく話さなければならないだろう。世界中に偏在するバーナキュラー建築がその土地の風土に適した形に適合するように、彼が俺たちに語る風変わり帽子の連中に纏わる秘密も、時間の変遷とともに形を変えていった。

深夜のファーストフード店でクラッカーは、フライドポテトをつまみながら誰かに電話をしていた。ショップの店主によると、彼は酷く落ち着かない様子で身振りを交えながら激高していたという。

クラッカーは公衆電話の受話器を乱暴に戻すと、残りの小銭を数枚ポケットに突っ込み。トレイをダストボックス投げ込むとショップのドアを乱暴に押し開き、前のめりになって車に急いだ。彼は何度もポケットの中のキーを握りしめ、その顔は蒼白に青ざめていたという。

俺たちの街では。彼の噂を言外に持ち出すことは暗黙の不文律として、タブーであると認識されている。なぜか?俺たちは本当のところ。彼、いや”クラッカー”を信用しちゃいないのだ。こんな話がある。誰にも言っちゃならないことだが、実はクラッカーも風変わりな帽子の連中の一味であり、バーに入り浸り、酔っ払った市民から本音を引き出し。俺たちをスパイしているのだという話は、まことしやかに囁かれる噂だ。

なぜなら、あんな恐ろしい秘密を大っぴらに喋れるのはこの街で唯一クラッカーだけであり、風変わりな帽子の連中に睨まれることをもっともおそれる俺たちにとって、畏怖すべき存在であると同時に。疑わしい存在でもあるのだ。物事には常に二つの可能性がある。それはコインの表裏の関係だ。3年と4ヶ月という月日が、俺たちと、俺たちの暮らすこのちっぽけな街の中にも流れた。その時間はとても多義的であり、俺たちの目の前に投げ出された、まっさらな運命をいっぱいに描きこめる一枚の白いキャンバスとて、それは同じことなのだ。

文学極道

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