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作品 - 20090415_027_3463p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


30ページ+5分20秒

  ミドリ


隣国がミサイルを発射した夜。ぼくらはベットの中で、一つになっていた。恋人たちの愛の巣になっている、このベイエリアに在るホテルを、ぼくらはいつしか、愛おしいと感じるようになっていた。電波の悪いテレビの音声や映像も、ティーバックに煮出された水っぽいお茶も、排気ガスにくすんだ夜景の煌きも気になりはしなかった。

ぼくが女を抱きしめるとき。この地上に足跡を残していった、数多の死者たちのことを考える。女も、同じことを考えるだろうか?強く抱きしめながら、彼女の顔を覗くとき、ぼくの脳裏を過ぎるのはいつもそのことだ。躊躇いがちに彼女の瞳の奥を覗き込む。
「何考えてる?」
「別に・・何も・・」
ぼくは生温かい彼女の中に身を沈めながらキスをする。できるだけ深い、魂に奥まで届くような強いキスを。多分、ぼくらが考えるよりずっと、魂は深みで繋がり合っていて、ぼくらを守護してくれている。
愛を何度も繰り返した夜。朝はぼくらが隠していた秘密の全てを、明らかにしてしまう。むろん、スッピンの彼女の顔は、夜に見たそれよりもずっと美しい。ただ在り来たりの日常にふたりがいるこの奇跡に、涙が溢れそうになる。

       ∞

戦争が起きたらぼくも兵隊にとられるんだろうか?そう彼女に問いかけると。
「もっと若い人達を選ぶわ。20代の若い子達。あなたはちょっと年を取りすぎているわ」
ぼくは不思議な気分に襲われた。
「日本の若者なんて、ヒツジみたいなもんだろ?ただ囲いの中で飼われてるだけさ」
「でもあなたはいいのよ」
「いや、戦争が始まればぼくも銃を取るね。相手がちょーせん人だろうがべーこく人だろうが祖国を守る為に銃を取る。そしていっぱい殺すんだ。きっと国から勲章をたくさん貰って英雄になって君の元に帰ってくるよ」
ぼくは誇らしげに言った。
「そうね。そうならない事を祈るわ。戦争なんて絶対に嫌だもの」

ぼくはタバコを一本を取り出して、市街戦で銃を手に取り戦っている自分を想像してみた。塹壕の中で、狙いすました標的に向かい引き金を引く。敵国の兵士が、まるで犬ころのように路上に転がる。愛する家族や恋人を守るためだ。そしてこのぼくの体に、魂ってやつを吹き込んでくれた祖国のためだ。ぼくはきっと、とても冷静に引き金を引くことができるだろう。
そんな考えに耽っていると、彼女、藍子がぼくの手を強く引っ張って。
「ねぇ、遊園地に行こっ。行こうよ!」そう言った。

       ∞

「いいかい?外交交渉ってのはそんな甘いもんじゃないんだ」
ぼくはスポーツセダンのハンドルを握りしめながら、まだ、戦争の話をしていた。
「いつかきっと戦争になる。ぼくは銃を取って勇敢に戦うよ!」
「あっ、そこ右!」
話に夢中になって交差点を曲がり損ねたぼくに、藍子が声を張り上げた。
「あぁ、わかってるよ!次の交差点で曲がればいい。全ての道はローマに通ずるさ」
ぼくはまだ、興奮した調子で話し続けた。

       ∞

女って生き物にはいつも、不思議に思うことがある。ぼくらに比べてとても感情的に物事を判断するくせに、ことお金の事になると途端に論理的な判断を下すのだ。とは言っても、彼女たちが使う”数学”は、足し算と引き算の2種類であり、論理に秘められたもっと奥深い真理についてとても無知なのだ。問題はむしろ、彼女たちの感情の方だ。
朝が明けると街は次第に人と車で込み合い。騒音の洪水で埋め尽くされる。
「なぁ、早めに出て正解だったな」
ぼくは藍子に話しかける。都会はまるで巨大なタービンのようなものだ。始終、空気がピリピリと振動を繰り返し、人を不快にさせるもので溢れかえる。
例えば。体をプルプルと振るわせる老人が杖をつき、その覚束ない足取りでバスに乗り損ねる風景は日に必ず5回は目の当たりにするし、小さな子供が母親と逸れて泣いていても素通りする通行人の数は一日に延べ2,562万人もいる。
もっと不快なのは、バービー人形みたいな女の子達の振る舞いだ。頭の中に教養の切れッ端一つさえもないことが、例えば皿の上のソーセージをフォークで突付くその手つき大体わかるってもんだ!
いいだろう!ぼくはぼくを不快にさせるものさえ愛することに決めている。たとえこの場所が宇宙一危険な場所であったとしてもだ!ここがぼくら生きていく世界であるあることに変わりはない。

       ∞

話を戻そう。
ぼくらは隣国でミサイルが発射された日の夜。ベットの中で一つになっていた。初めて女を抱いたとき。まるで砂漠で一握りの砂粒をかみ締めるような、苦い思いに襲われたものだが、それはきっと、ぼくがまだとても若くて、この豊穣な大地に抱かれる愛の素晴らしさを知らず、まだ旅に出る前の、ほんの小さな痩せっぽち少年に過ぎなかったからではあるまいか。
今ならわかる気がする。ぼくはじっと藍子の目の奥を見つめながら、彼女の背中を強くかき抱くように抱きしめた。この地上に足跡を残していった、数多の死者たち思いに心をはせながら。

       ∞

ぼくは藍子の中に、愛を放った。

文学極道

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