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作品 - 20090413_002_3458p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


マーブル

  ひろかわ文緒

新聞が配達される夕方だから、あたしは早急にパソコンを消して、冷凍庫から蜜柑を取
り出し、子どもたちに均等に分けてあげなければならないのだけれど、数をかぞえられ
ないことをたった今、たった今知ったのだった。うさぎのぬいぐるみの耳をちぎってし
まったあたしの左手を、半ばあきらめ顔のママを、鮮明に思い出せるよ、台所の床に横
たわり腐敗していく、パパのことだって。

  +

夏には、空中に金魚が泳いでアスファルトからはとうもろこしが吹きこぼれる。甘い匂
いがして、うつくしいねと呟いていたのは、赤いランドセルを背負った。ランドセルを
背負った少女、はあたしであって、決して佐藤くんなんかじゃなかっ、た。麦わら帽子
を被った佐藤くんを見たのは、あたしが最後なんだと、刑事のおじさんや佐藤くんのお
母さんは肩を揺すぶるのだった、だけど(だから)、佐藤くんはただ、蜻蛉を捕まえに
いっただけだよって、首のない蜻蛉は珍しいからコレクションにするんだって虫とり網
をもって嬉しそうに、崖の方に走っていったんだよって、全部を話して、あたしが健や
かになったら、あ、頭上に蜻蛉、が、飛んでいって。飛んでいったそいつには首がなか
った。
縁日にはお面を被った人がいっぱいいるから、こわい。だけど佐藤くんはこわくない
よ、だから帰っておいでよ、

  +

セーラー服がまるで似合わないから学ランが着たいと主張して、弓子先生を困らせてし
まったことがあった。ガクガクふるえる脚を見せるのが嫌、リボンを結ぶのが苦手、釦
を必ず留め違えてしまう、自覚ばかりして、する、ばかりだったのだから。何故あたし
には「しゃかいのまどがないの?」
お姉ちゃんは睫毛に器用に黒色を塗り、瞼に金色を塗り、エナメルのヒールを履いた。
社会人はとても金属質なのよ、姉は溜め息をつき、呟きながら携帯電話を扱う。あたし
はといえばリコーダーを、「もう授業には使いません、」と先生に注意を受けてもクラ
スメートにひそひそ笑われても、机の中にいつでもしのばせていた。 吹くことなんて
なかったのだけれど、おそらく、自分で決意したことではなかったのだと思う。口笛で
さえ上手に吹けなかったのだから、おそらくは。「行って来ます。」お姉ちゃんはそう
云ってどこへでも行ってしまう。デパートやホテル、東京、海を越えた遠い国、名前が
変わる、先にだって。笑顔で、

  +

血圧、の意味が分からなかった。病院の看護師さんは何も話さず唐突に、無表情に計り
はじめ、(締め付けられ)(弛められて)、終わったあとにようやくニコリとする。を
繰り返す。血圧、の正体が分かる頃には、円周率だって導き出されているのだろうね。
早く、早くそうなるといいのに。かなしげな記号など、もう使いたくはないのだから。
先生が、あんまり多くのお薬をお出しになるから、ノイローゼになりそうです。口を尖
らせて、診察室から飛び出して。ねえ神さま、確定からあたしを仮定してほしい。ソー
ダ水みたいにさ。ぬかるみがはじけて、

  +

パパに買ってもらったものといえば、ピンクのカチューシャくらいで、今はもう、あた
しの頭には小さくて、鏡台の上でただの飾り物みたいになって、いる。大して大事でも
ないのだけれど、壊されたり無くされたときには多分、許さない。ぜったいにころすん
だと思う。例えばそれが高橋さんであったりあたしであったり世界であったり、したと
しても。でも安心してほしい、パパは包丁に刺されて、おびただしい血液をあたしたち
に見せてくれたから、ずっとだいすきのままだよ。

  +

足元に猫が擦り寄る。胴の長い犬を昨日、玄関にくわえてきた口で(狩猟がとても得意
な動物なのだ、鋭い爪は下弦の月の、終末みたいだと感じる。)丁寧に鳴いてみせる。
さびしいというより前に背中を丸めて髭を揺らしてみせたのなら、すすきのように溶け
ることができたはずの。鳴き声。お腹がすくだなんて汚らわしいことだってママはおっ
しゃった。それだってあたしたちはお腹がすくようにできているから、せめて感謝をし
ないことが重要なのよ、と。煮干しを適当な皿に入れて、差し出す。ちゃんと感謝しな
い。咀嚼をして、ふくよかな腹へと流される煮干し/彼らのカルシウムについて考えた
とき、あたしは全くの無防備になるのだった。ほら、涎がだらだら垂れる、冷凍蜜柑み
たいに、じくじくと正常になる。

  +

マーブル、仕組みが理解できたときに子どもたちはまんまと生まれた(体内の組織全
部、
混じり合わせたい、)。赤みのある肌でけたたましく声をあげる子どもには、ありった
けのミルクを与えなければならなかったし、最も必要であった。ある、と、知って

た。与えなければ

―――――脈、瞳孔、ひとつ、またひとつ、確認する。(数字、かぞえられる。よ!…

子守唄を誰か知っていますか、ワルツでもいい、暗示にかかるだけのいのちならまだ、
あるはずだ、から、だから、あたしの知らない、初めてを、うたを、うたってやりた
い、

            マ マ 、 )))

  +

まっくらなだけの電線。ひかりが消えては灯る、その間を縫うように草の道、素直にね
むる子どもを抱いて、ほほえんで、ゆく。

文学極道

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