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作品 - 20081101_247_3119p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


 言葉のない世界に

  殿岡秀秋

もし言葉のない世界に言葉があるのなら
木は長い物語を
語るのではないか

小学校の塀の近くで
葉を落とす銀杏の木は
ぼくに見つめられて
幹の窪みの視線を返した
もし目のない世界に目があるのなら
木はぼくを見守っているのではないか

鬼ごっこの
鬼に追われて
クスノキの陰に隠れる
肩で息をする少年の汗
もし鼻のない世界に鼻があるのなら
木は少年の匂いを嗅いでいるのではないか

木の幹に触ると
掌が紙やすりでなでられる
働き続けた手のひらのようだ
もし手のない世界に手があるのなら
木の幹はゴツゴツと触りかえしてくるのではないか

雨水が
葉に滴る
木肌を流れ
根に落ちる
もし舌のない世界に舌があるのなら
木は柔らかな葉の舌で
水を味わっているのではないか

森が深くなるにつれて
沢が見えなくなり
木の根の間を
重いリックを背負って
荒い息をしながら登る
もし耳のない世界に耳があるのなら
木は登る者の息遣いを
木霊のように
聴いているのではないか

中学校をサボって
雑木林の奥深く
そこだけ木々がまばらなひとところ
紅い落ち葉の絨毯に
かばんを枕に仰向けに寝転んで
水鳥やコッペパンやアザラシが
浮いているのを見る
ぼくもその仲間になりたい
木々に囲まれて
空を見ていると
幹や葉に濾過された
空気が香り
枝から離れる葉が
かすかな音楽が奏でる
木々はぼくの身をつつむように
透明な蛹を作る
もし形のない世界に心があるのなら
木々がかもしだすのは
木の心ではないのか

文学極道

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