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作品 - 20080829_195_2990p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


「黙示録」と題されたひとつの画面の持つ意識

  右肩良久

   I

 潮の臭いがすると思ったが、それは形を失った古い時間の発酵だった。本当は、ここでは何も臭わない。
 僕らは峡谷の崖から突き出す岩鼻に、白いプラスチックの椅子と丸テーブルを置いて暫く話をすることにした。
 目鼻もなく柔らかく言葉が生まれると、赤い夕暮れの赤黒い雲が頭上で静かにひとつの渦を巻く。ひとつまたひとつ渦を巻き、僕らの話は遥か眼下の大河へ流される。
 そうだ、ちょうど暗い落葉のように、次々と。

 風音。激しい流水の音。ときどき破砕音。

 据わりの悪い椅子とテーブル。傾いて置かれているカップには生ぬるい水が注がれており、それは甲冑魚の吐き出した太古の海に由来している。
 はらはらと砂が降ってくる。赤く苦い微細な砂が、髪の間やシャツの襟元に入り込み、湿気のないテーブルの上を滑ってゆく。僕らもまた当然それらの一粒である。
 
 僕らは失踪した君のことを話している。
 クラムボンと呼ばれた君が、今丁度記憶の新宿の亀裂に嵌り、路上に置かれたトリスバーの箱形看板にすがって激しく嘔吐していることを。
 路上には折れた焼き鳥の串、輪ゴム。陰毛。
 それらの上に被る生白い吐瀉物の中に、噛み潰された子羊の肉片がびくびくと生あるもののようにのたうっていることを。
 君の知らない君のことを僕ら、延々と話しているのだ。

 遥か向こうの岩山の頭に巨大な木柱が直立し、漆黒の影として乾いた風の舌に舐められている。その由来は古く、総ての神話と史実を超越する。そこへプロメテウスが縛られていたのも、イエスが打ち付けられていたのも、ムッソリーニが吊されていたのも、相対的には一瞬の出来事に過ぎないはずだ。

   II

 僕らの間違った予感の中に生きている大勢の人々よ。
 やがて僕らは目を閉じ、口元へ静かにカップの水を傾けるだろう。唇が濡れる。口腔に水が充溢する。その間も確固として実在する世界の喧噪よ、君や君たち、人々よ。
 やがて僕らは君や君たちを塩の柱とするだろう。それは断罪ではない。だから、何ひとつ怖れる必要はない。君や君たちにまつわるものの総てが、まったく混じりけのない塩化ナトリウムの結晶と化すという、そういうことだ。
 塩は僕らにとって無闇に美しい物質である。

 赤い渓谷にぱらぱらと雨が降り始めるが、雨粒は地上に弾ける前にすべて蝙蝠へ変身してしまう。彼らは上下左右へ不思議な軌跡を描いて飛び交い、攪拌される僕らの話。

 遠望する岩山の中腹では、赤い岩の凹凸が人の顔の形を描き出している。誰だろう、あの岩の形として存在する人格は。僕らは囁き交わす。僕らが見ているこの暗喩としての風景を、僕らが話す暗喩としてのこの言葉を、君が解く。それはとても官能的な営みとなるだろうと。くすくす笑いながら囁き交わす。

 まるで全世界の映り込んだ水晶玉を口に含んでちゅぷりと舐めるように。 

文学極道

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