4 花
夜、星たちが暗黒に天蓋の形をあたえた
昼、太陽が天蓋に軌道をひいた
灼熱が地平のわずかばかりの禾本科の草を枯らし
驟雨と夜がまたわずかばかりの発芽をうながした
あなたは細い水脈を見つけては水を手のひらにすくい、すすり
ただちにそれは汗となって薄い衣服を濡らし、乾いては塩の染みを跡づけた
日に日をついで大地を蛇行していくあなたの足跡が、まだしも、けものの証なら
神の名を知らぬまま、未明の空遠く鳴いてみることも
やがてあなたは色濃い草と森に沈む村に辿りついた
炎天のもと、静まりかえる畑中の道、よどむ溜池、生垣から覗く庭、
なぜ人は花を植えたがるのか、あなたが怪しむそこここに夏の花は咲き
よそ者ふぜいを隠しもせずとぼとぼと過ぎていくとき
蓮華、露草、昼顔、山百合、金鶏草
あなたを訝るすべての花が
あなたに強いた
「もだせよ」と
小道のわきには百日草がならび咲き
土塀をなぞる指がふと空をおよいで、あなたが覗き見た庭には
沙羅、合歓、花魁草、凌霄花
花かげの奥の座敷で、花よりも紅い女と
花よりも蒼白な男が
死よりも哀しくまぐわい
あなたが見渡すすべての花が
あなたに強いた
「もだせよ」と
百日紅の根方の石にあなたは座した
足許の先に六つ七つの蟻の巣穴が散らばり、
運び出すもの、運び込むもの
旅に出るもの、帰還するもの、交渉するもの、連絡するもの
蟻の集落の殷賑をあなたは飽かず眺めた
周囲には酢漿草の花が明かりのように咲きそろい、さらに鳳仙花、葉鶏頭の森が囲んでいた
なつかしい民族のように彼らの言葉を音楽をかすかに聴きながら
幹にもたれ、日暮れへさそう風にわずかに花冠をゆらす芙蓉を
見るとはなしにいつしか眠った
それは誰だったか、肉親がひとり
あなたが忘れていたあなたの名をしきりに呼んだ
5 広場
秋になった
わたしはあなたを失った広場に佇んでいた
あれからいくたびか雨が降り、いくたびか日が照り、舗石はしろじろ洗われ、清潔な風がふきわたり
舗石の隙間という隙間に針金のような帰化植物が生え
あちこち鼠色の穂ををつけているのもあった
ビルの壁には四角い青空が整然とならび、そのなかのひとつが思いがけず日を弾いた
地平線は目の高さにあった
点と見えたものが短い縦軸になり、ゆらめく紡錘形となり
それはわたしにむかって歩いてくるあなたの姿だった
あなたは歩を止めると、両手を垂らして立ち尽くし
その眸はわたしを、それともわたしの背後を、いや、なにひとつ見ないかのようにさ迷い
やがてわたしが聴いたのは、たしかに懐かしいあなたの声だった
「批判につぐ批判、払拭につぐ払拭、変遷につぐ変遷、草をはむこと、石をけること
落ちているものを拾い、手のひらにのせ、見つめ、捨てること、歩いていること、川をわたること、そしてなお、けっして成就しないこと・・・、そう、だから、わたしはあなたに言う、さようならすべて・・・
キイロスズメバチが死ぬまぎわ、嗤いながら言ってた、地上の解放は人の消去だって、わたしはかれを笑って見送った
眠り、目覚め、水をのむこと、日をあび、風にさらされ、ときに生に、ときに死に至ること
そしてなお、けっして成就しないこと、・・・そう、だから、わたしはあなたに言う
さようならすべて
さようならすべて
さようならすべてがすべて」
地平線は目の高さにあった
あなたの後姿はゆらめく紡錘形となり、短い縦軸になり、地平線に交わる点となって消えた
わたしは舗石の上に落ちているホワイトパールのケイタイと片方のパンプスと
キイロスズメバチの屍骸を拾い、ベンチの上にならべ
手をはらいネクタイを締めなおし、広場からオフィス街に向かう広い鋪道を歩きはじめた
振り向かずともたしかに、背後で人々やバスやタクシーが行き交い、鳩が舞ったりしているのがわかった、はやりの唄や靴音やクラクションが聴こえてきた
わたしはわたしが給料生活者であることを思い出し、それはゆくりなくも
「嗚呼」という声とともに空を仰ぐほど新鮮だった
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選出作品
作品 - 20080816_948_2965p
- [優] あなたのゆくえ(1〜5のうち4・5) - 鈴屋 (2008-08)
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あなたのゆくえ(1〜5のうち4・5)
鈴屋