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作品 - 20080616_808_2837p

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漂流する箱

  右肩良久

 作業着の尻ポケットから小銭入れを取り出して、自販機でタバコを買おうとしていたら、視界の右側にゆっくりと何かが入ってきた。気にもとめなかったけれど、マイルドセブンの販売ボタンを押したときに、それがコツンとこめかみあたりに当たったんだな。蓋を被った黒い箱だった。やばいね、これ浮いちゃってるよ。面倒なことにならなきゃいいけど。僕は箱を睨みながら屈むと、自販機からタバコを取り出した。箱に手を触れようなんてもちろん思わない。得体が知れないからじゃなくて、箱の中には猫の死骸が入っているってことがなんとなくわかっていたからね。こういうの、関わらない方がいい。
 宙に浮く箱から目線をそらさずじりじりと数歩後ずさり、追いかけてこないことを確かめて前を向いたら、その後は早足で工場に戻った。それが午前十時半のこと。シフトの関係でちょっときつい時間帯だったから、係長の林さんに断って外に出させて貰っていたわけ。嫌なものを見た。正門の裏側でタバコ一本を半分くらい吸うと、安全靴で踏み消し、早々に仕事に戻った。
 暑い夏の日だった。薄曇り。風少々あり。昼休みに、コンビニで買った焼き鮭のおにぎりと、シーチキンマヨの手巻き寿司、ペットボトルのお茶が入ったレジ袋を下げて二階から屋上へ上った。あ、あとさっきのタバコも持ってね。給水タンクの影を選んで、手すりにもたれて坐った。割と涼しい。で、むしむしと噛んでお茶で飲み下していくわけよ、おにぎりと寿司の格好をしたものをさ。やれやれ。腹がふくれて眼を閉じてみた。この下の玄関の脇でプラタナスの大きな葉が、がさがさ鳴っているのが聞こえる。植わっている三本ぶんのね。黒い箱は今、その二本目の木の辺りを漂っている。張り出した一番下の枝のすぐ脇ぐらい。目をつむったまま僕はタバコを出してライターで火をつける。器用なもんだろ?煙が肺をぐるぐる回りはじめると、箱の下を近藤さんと筒見さんが通るのがわかる。こないだ経理の女子と合コンした男子四人のメンバーの中の二人だ。もう一人は高校の後輩の菊池。残った一人が僕だ。近藤さんたちは少しも箱に気づいていない。瞼の裏の光を曇らすように吹き出す煙の中で、僕が気になったのは、箱、臭うよ、って。少しだけど。べっとりして吐き気がするほど甘くて、酸っぱくて、鈍い刺激も含んだ、そんな臭いがするよって。気づかなければそれが一番いいんだけど。
 タバコがフィルターまで燃えてきたので、もみ消して目を開いた。グレーの雲の下を、またグレーの雲が流れ、太陽が輪郭もなく背後に染みついている。一旦立ち上がって、下に置いたゴミの入ったポリ袋を掴んだら、プラタナスの葉と同じようにがさがさと音がした。その音を聞いた途端、何かがわかった。僕には。
 四年も前のことだ。だからね、一体何がわかったのか、今はすっかり忘れてしまった。
 

文学極道

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