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作品 - 20080614_780_2832p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


エデン(改)

  はらだまさる

金木犀が鼻先をくすぐる秋も終わりを告げようとしていた。

真夜中の事だった。
全裸の鳩は、全裸のうさぎに馬乗りになって首を絞めていた。
ラヴ・イズ・オーヴァ。

笑えない話。しかし、うさぎは危機一髪で命をとりとめた。鳩はうさぎの首を絞めて、本当に殺そうと思っていたが、ふと頭の片隅に母鳩の顔が浮かんだ。
その途端に、鳩は正気を取り戻すことが出来たのだ。
奇跡でもラッキーでもないような気がする。うさぎと、そして何よりも鳩を救ったのが所謂、愛ではないのだろうかと思った。それ以外、鳩には考えられなかった。

自分のそんなおぞましい姿を客観視した鳩は、その場から後ずさりして、地べたにペタリと座り込んだ。完全に腰を抜かして、バタバタバタバタとその現実に震え脅え切っていた。裸で仰向けになっているうさぎに視線をやると、大声で笑いながら泣いていた。
洒落にも何にもならないオチである。ハゲタカにも愛を伝える伝書鳩にもなれない、最低最悪の中途半端な鳩の成れの果て。

富士の樹海では方位磁針が効かない、というのは出鱈目らしいが、鳩の人生の方向を示す針は、どこに向かっていたのだろう。

そんなうさぎは、お互いの自由恋愛という、言葉にすればかっこいいが、今から考えれば実際ちょっとなんだかな的な契約を鳩と交わして付き合ったのだけど、結果的に強度の共依存の典型だった。
「死んだほうが絶対楽だ」とか「死にたいから焼いて食べてくれ」とか「殺されるより殺さなければいけない方が辛いから勇気がある方が殺すべきだ」とか「じゃあ串焼きにして食べてやる」とか「やっぱり食べたくない」とかうさぎに角、じゃなくて、兎に角、事あるごとに何でもかんでもアホみたいに、全てを
「死」に結び付けてしまっていた。

何度、切れた電線を自分の首に巻きつけただろう。精神の苦痛から逃れるために自分の鳩胸をカッターナイフで切りつけた事もあった。薬と煙草と酒を飲み続け、気が付いたら鳥年齢で、当時二十三歳の鳩は、うさぎ小屋でウンコをもらして十二指腸潰瘍になっていた。
鳩は正常でうさぎが狂っていると信じ込んでいた。うさぎを正気に戻すには、平和の象徴である鳩という生贄が必要だと真剣に考えていた。それが鳩の信じていた正義、だった。うさぎを助けたい一身だった。だけどうさぎはそんな鳩の優しさを尻目に、そんな糞みたいな信用する価値もない正義を振りかざして、私が正常になれると思うならやってみなさいよ、と云う具合だった。鳩なんて信用する方が馬鹿なのだと。それがうさぎと鳩の戦い。

父うさぎは共産党の党員だった。思想を貫くために、という理由でうさぎが小学三年生のときに離婚した。母うさぎはその行為が理解できずにアルコール中毒になった。小学三年生のうさぎが帰宅すると、その母うさぎはうさぎにお金を渡し酒を買いに走らせた。
うさぎは鳩と出会ったとき、透き通るような真っ白な肌で赤い目の、少女のあどけなさが残った容姿だったけれど、精神はすでに傷だらけでボロボロで、最初に交わした会話が「私、二十八歳で死のうと思ってるの」だった。初対面の鳩に言う台詞としては、不正解である。
鳩は「そんな馬鹿なことはやめろよ」と、ふざけつつも熱心に生きることのすばらしさを、うさぎに無邪気に語っていた。そんな鳩もいつの間にか「俺が焼き鳥になろう」とか「うさぎを殺さなくては」なんて考えるようになっていた。ミイラとりは簡単にミイラになっていた。東京でひとりで暮らすうさぎの父うさぎが、そんな僕等の関係をみかねて、わざわざ新幹線に乗って神戸までやってきた。しかし、その父うさぎのとった行動に、当時の鳩は唖然とさせられた。
父うさぎは言葉を濁らせながら、鳩に一万円札を渡し「娘と別れてくれ」と言った。

そのとき、こんな男がこの国をダメにしてるんだ、と鳩は強く思った。娘を思う親の気持なんて、わかる訳がなかった。


だだっ広い工場の資材置き場に、深夜に二人で侵入して「もう殺してくれ」と、うさぎにその気もなく頼んでみた。ひとつの賭けだった。するとうさぎは何も言わずに、両翼をだらりと垂らした無抵抗の鳩の首に手を伸ばし、ゆっくりと力を入れる。その冷え切ったつぶらな目で、無表情なままのうさぎをじっと見つめていると、押さえ切れない涙が流れた。もうどうすることも出来ない自分とこのあまりに不幸なうさぎは、絶望の淵で戯れているだけだった。首にかけられた手を握り離し、うさぎを目一杯の力で抱きしめて工場の空に木霊するくらいの大声で、鳩は鳴いた。



楽園と、どん底。
どこって聞いても誰も教えてくれないし、教えられない。「最果て」ってことばにも似てる。それは、大晦日にこたつに入って、蜜柑を頬張る感じとあまり変わらない。

文学極道

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