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作品 - 20080529_372_2796p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ありがたい、日々

  はらだまさる

「不可能は癖になる」という、どこかの進学塾や中小企業が掲げそうなキャッチコピーを噛み締めている二日ぶりに晴れ渡った五月下旬の午後。このプロジェクトの最後の仕事である動力部分据付のためにマカオに出張した私は、その言葉を奥歯で丁寧にすり潰して呑み込んではもどす、という反芻を執拗に繰り返していた。歯磨きをしながら、初老の妻がそれをみて笑っている。

決算期と重なったため、最近何かとうるさくなってきたコンプライアンスの観点から色々と時間的な制約があったりして、慣れないニホンゴでのコミュニケーションもうまく行かず、先方には随分と迷惑をかけてしまい大変な作業になった。ただこの歳になってこういうのも変だが、何もかもが新鮮で、やればやるほど色んなことが見えてきて、FA(ファクトリー・オートメーション)による量産段階では「問題」というよりも、溢れ出てくるアイデアと可能性をすべて一から試したい衝動を抑えるのに必死だった。
主に工場内での作業だったのだが、現場責任者として試作品のラフ・スケッチから色々なアドヴァイスを提供して、プロデュース的な仕事に関しても、不可能と思われる私の無理難題を冷静に判断し、それらが具体的にどうすれば形に出来るかを一緒になって模索し考え、全面的に協力してくれた山村ちゃんには、マジ頭があがらない。
料理が得意な従兄がくれた特製キムチだれの蒸し鶏を手土産に、これから山村ちゃんの家へ挨拶に行くのだ。山村ちゃんはブラジルで生まれ、貧困で両親を亡くし、十四歳の冬に姉といっしょに日本へ戻り、帰化した日系四世だ。大学卒業後、営業畑から転身して機械設計のエンジニアになった変わり者だが、今や「YAMAMURA-CHANG」といえば世界中のアニメおたくの教祖として、ネット界では知らない人がいないというくらいの愛に溢れた人格者、らしいのだけど、それは表か裏、どちらかの肩書きだ。顔のない世界で「人に知られている」というのは、実際の人物が相当の人格者でなければならない、という訳でもなく、私が知る限り、彼女は単なるお人好しの無口な(?)美人だが、その眼は異様な力(こういう表現はあまり好きではないのだけれど、私の表現力ではこう記すより他ない)を放っている。彼女のボディーガードでもある強面の側近、リーが言うには、佐川一政よろしく相当なキ印らしい。
そもそも私が彼女と知り合ったのはミクシーで、これまたどう表現していいのか悩むのだが、彼女のトップページは「世界でも有名なソープランド街の老舗No.1」のような雰囲気を醸し出していた。そのときの彼女が、初対面の私に向かってマイミク申請してきたときの言葉が印象的だった。

「悪ぶるのは簡単やけど、善人でい続けることは難しいんよ。そやけど、本当の悪人にはなかなかなれへんもんなんよ。」

私は田舎の町工場で、あまり大きな声では言えないような、少し特殊な機械設計を担当している平凡なサラリーマンだ。結婚も出来ず、来年で還暦を迎える冴えない男だが、今の今まで女に苦労したことはない。年甲斐も無く、さっきも女を抱いていたんだ。ぶっちゃけ山村ちゃんなんていうようなものは、この世に存在しない。歩道に敷き詰められたタイルの溝に幾つも幾つも蟻の巣が隆起している。私は彼女の家に向かう途中で、それらに吸い込まれるような気持ちでそんなことを考えた。山村ちゃんはすこぶるイイ女だが、まるで有機的に振動する(酷く自虐的な)機械のようだ。私は山村ちゃんを設計し、それを量産して、そのうちの一体と結婚したいと思っている。そして、今以上に平凡な人生を送りたい。歩道の脇で乾涸びたたくさんの躑躅から、微かに匂いたつ甘い蜜の香りだけが、歩行してることさえ忘れてしまった私に私を認識させている。死の匂いを嗅ぎ分けた蟻たちが、列をなしてやわらかい肉をめざしている。空から落ちて地面で潰れて死んだばかりのスズメの雛だ。マジ可哀想だと思う。だけど、私はそれを見て手を合わせることも、拾い上げてどこかに葬ることも無く、眼を背けるような善人面だけして、ただただ日常茶飯と言わんばかりに、その死をさっと跨いで通り過ぎてゆく。きっと何れ訪れる私の死もその程度のものだ。炊きたての玄米が盛られた茶碗の横の秋刀魚ではない。本当の悪人とは、もしかしたら今の私のような存在を指すのかも知れない。私の人生に対して、私はいつも心の中で不可能だと繰り返していたが、不可能で良かったのかも知れない。

なんとありがたい、日々。

文学極道

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