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作品 - 20080321_964_2673p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


central St

  宮下倉庫


細い路地に降り積もった雪を踏みしめる音さえ、私の耳には届かない。
路地の両端に立ち並ぶ建物は、古くさいバロック風で、薄闇から沸き立
つように現れ、どれも無人に見えるが、その窓窓から漏れる光のおかげ
で、かろうじて自分が新雪を踏みしめていることが分かる。私はもう随
分長い時間歩いている気がする。今ここでは、食器同士のぶつかる音や
スープの匂いは、雪の層に吸いとられ、なんの用も為さず、ただ視覚だ
けが、鋭くなっていくようだ。私の後に続くかもしれない誰かは、窓窓
から漏れる弱弱しい光の下に、私の残した足跡を認めるだろうか。そし
て、こんな荒天の夜に、このような細い路地を抜けていったのはどんな
人間だったかと、想像しさえするだろうか。私は立ち止まる。少し前方、
ちょうど額のあたりの高さに、建物の壁から突き出すように設えられた
(つまり不自然に低い位置にあると言っていいだろう)鉄製の看板は、
深く錆に蝕まれており、経年の長さを雄弁に物語っている。あるいはそ
う見えるだけなのかもしれない。歩みを進めると、看板の真下に、鈍い
光に照らし出され、徐々に足跡が浮かび上がってくる。まるで上空から
垂直に降り立ち、そのまま融けていなくなったかのような、誰かの足跡
が。私は額をぶつけないよう腰を屈め、足元に注意を払いながら、それ
を跨ぎ、すると、不意に路地と直角に交わる大きな通りにぶつかる。滲
んだ光環が等間隔に並び、向こうには茫漠とした闇が広がっている。こ
れが目指していた通りであるとしたら、この国の元首であった人間のフ
ァーストネームをその名に冠しているはずだが、絶え間なく降りだした
雪が、通行者たちに通りの名を告げる標識の所在も、大きな建築物の所
在も、全く不明にしている。しかし、これも、あるいは、私も、そう見
えるだけなのだろうか。

文学極道

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