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2008年03月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


宙《そら》

  さちこ

高い 場所に いるんでしょ
遠いと思って 見てるでしょ
風もよく 吹くんだろな
見えないや ここからじゃ

悲しいことに 去ってきたんだ
しずみきった沼のような 視線の先に
悲しいと思うせいで

深いやぶの奥に 昔々
あなた立って見てました 私をじっと
あなたと私は 森でのちかい
茂みの中に ふたりしゃがんで
かたい土に書いた刻印
それはやわらかな黒印
ただのラクガキだった
どうともなく 笑いあっていた

空は空で 風は風で
何も言わずに ふってきた
ただ青さのまま
ズックをほうりなげた日

星をください
ぼくたちの手は
宙から返してほしいんだ

パズルのパーツを 時間をかけて 埋めていくのは
そんなに 困難じゃない きれいに そろえていくのは
よごれたものは よごれたレンズのまま
帰り道に 見てみたい
はっきりとした 夢の中で
あなたといっしょに星を うたがうことなく
ひとさし指で 見つけている
そんな夢を 今は 見ている

   *

(以前は藤坂知子と名のっていました)


たんぽぽ

  吉井

 たて樋をつたわる雪解け水が耳に障るから
 少女はフェルト底のスリッパを履いて
 踊り場の中途半端に塗られた漆喰の壁を見上げながら
 ふゆの明け暮れの何もない三畳間へ移っていった

 日に二回
 泣くように見える笑い顔がへばりつく時間
 お気に入りのテレビ番組を見に少女は下りてくる
 だから食事は早お昼と早夕飯そう決まっていた
 食事がすむと食器を洗いそして黄色い耳栓をして
 あなたを待ちながら聴く アイズ ウイズアウト ア フェイス と口ずさみ
 CDラジカセを抱えたまま気もそぞろに引き揚げていく

   *

 モルタル造りの戦前からある病院の建物は
 海岸が迫った小高い丘の上にあって
 まだ枠につながったプラモデルの部品のように並んでいた

 綿毛がわずかに爪先たって残っている1本のたんぽぽを
 くちびるが曲がった男が見つめていた中庭で
 少女は藤棚にバスタオルをひっかけ首吊り自殺を図った
 さくさくさくさく
 落としかけた命のしぶきが足下の土くれに当たって飛び跳ね
 たんぽぽは別れのささやきを聞くように被ばくした

 少女はここでこの夏を越した
 少女の主治医は女医で
 大抵の男より背が高く遠目には貧相に見えた
 女医はうす雪の匂いがしてくる扇子を左指に絡ませ
 角ばった見出しのような字をカルテに書き込んだ

 夏が終わり
 少女はあきらめのミミックで踏み固められた散歩道にしゃがみこみ
 くり落ちる橡の実を両手で拾い集めた
 少女は退院の日
 たんぽぽを掘り起こし大事そうに持ち帰った

  *

 たたきに両膝をそろえて立っている
 少女は一人で外に出ることはできない
 どうしたのそうたずねると
 バレンタインのチョコを買いに行くのだと言う
 200メートル程の道を手をつないで歩いた

 一歩いっ歩足を運べば
 一歩いっ歩目的地に近づくはずなのに
 少女は違った
 足が止まるのが恐怖だから一歩また一歩と繰り出す足が空回りする
 だから一歩も前に進めない
 固着した想いが割れない卵となって少女の身を侵していて
 少女が見る地上は現実からとてもなく遠ざかっていった

 少女は疲れたもののかげに埋もれて眠りについた
 すっかり雲がはかれた大空に
 はやい月が浮かんでいて
 少女が植えた たんぽぽは
 降りつもった雪の中から頸を北に傾けながら伸びていた


花冷え

  鈴屋

あなたがふりむく 春
花冷えに二の腕をさすり あなたにこどもを生ませる 春
いきるきもちもてない? 春 
桜なんて紙くずじゃないか
窓のそとのどこかの空でヘリコプターがとんでいる 春 さわらないで
水のませてくれ
 *
歩いていく
バイクがたおれている 発泡スチロールのカケラが目のまえを転がっていく
あなたの二の腕の鳥肌のザラつきに触れようとする
春 タイトスカートの裾から赤ン坊が降りてくる
あなたがふりむく  
洗面台の上の小窓が閉まらなかった 蛇口の雫が止まらなかった 春
さわらないで 紙くずじゃないか 
スカートの下に赤ン坊をぶら下げている
あなたの歩きにくさを忖度する

 *
歩いていく 自販機がある
カーディガンの袖で手をつつみ あなたにこどもを生ませる 春
まえをゆく尻の下で皺が左右にはしる
あなたの膣の熱をおもう 風が濡れ匂いたつ 春
ツーツーツー どこかで配送車がバックしている 
あなたがふりむく 桜なんて紙くずじゃないか
こどもは腹にもどっている いきていける? さわらないで
春 小銭をいれる
ウーロン茶でいいのか?


あいつの口笛

  まーろっく

海を想え
運河に沿って流れてくる
暗い潮の匂い
女の吐息のような
ぬるい風が吹く夜
ああ
死んだあいつが
口笛を吹いてる
まだ
あの小さな傷から
血は流れているんだろうか
湿った家で
なにかをまさぐりあう人たちは
あいつに笑われるといいんだ
なにも
しやしないなにも
持ってやしないからあいつは
口笛を吹いてるんだろう

海を想え
きらめく未明の潮騒や
現れては消える波間の白い帆を
ためらう指とうなじに揺れていた髪を
ああ
あいつの記憶を誰か
歩いてやってくれないか
どこにも
墓標なんてありやしない
ひなげしなんていりやしないから
貝のように
閉ざした戸のなかで血膨れする人は
あいつに笑われるといいんだ
半分
たった半分も
生きやしなかったからあいつは
涼しい口笛が吹けるんだろう

海を想え
ひとすじの血の糸を引いて
逃れてゆくさかなを
病んだトタン張りの工場や
その上にのしかかる高層ビルやを
それから俺や
手を汚さずに黒い雲をつかむ人たちやを
のせた岸辺から
どこまでも
逃れていけばいいんだ
心まで
青ひといろになるまであいつは
口笛吹いていくんだろう


central St

  宮下倉庫


細い路地に降り積もった雪を踏みしめる音さえ、私の耳には届かない。
路地の両端に立ち並ぶ建物は、古くさいバロック風で、薄闇から沸き立
つように現れ、どれも無人に見えるが、その窓窓から漏れる光のおかげ
で、かろうじて自分が新雪を踏みしめていることが分かる。私はもう随
分長い時間歩いている気がする。今ここでは、食器同士のぶつかる音や
スープの匂いは、雪の層に吸いとられ、なんの用も為さず、ただ視覚だ
けが、鋭くなっていくようだ。私の後に続くかもしれない誰かは、窓窓
から漏れる弱弱しい光の下に、私の残した足跡を認めるだろうか。そし
て、こんな荒天の夜に、このような細い路地を抜けていったのはどんな
人間だったかと、想像しさえするだろうか。私は立ち止まる。少し前方、
ちょうど額のあたりの高さに、建物の壁から突き出すように設えられた
(つまり不自然に低い位置にあると言っていいだろう)鉄製の看板は、
深く錆に蝕まれており、経年の長さを雄弁に物語っている。あるいはそ
う見えるだけなのかもしれない。歩みを進めると、看板の真下に、鈍い
光に照らし出され、徐々に足跡が浮かび上がってくる。まるで上空から
垂直に降り立ち、そのまま融けていなくなったかのような、誰かの足跡
が。私は額をぶつけないよう腰を屈め、足元に注意を払いながら、それ
を跨ぎ、すると、不意に路地と直角に交わる大きな通りにぶつかる。滲
んだ光環が等間隔に並び、向こうには茫漠とした闇が広がっている。こ
れが目指していた通りであるとしたら、この国の元首であった人間のフ
ァーストネームをその名に冠しているはずだが、絶え間なく降りだした
雪が、通行者たちに通りの名を告げる標識の所在も、大きな建築物の所
在も、全く不明にしている。しかし、これも、あるいは、私も、そう見
えるだけなのだろうか。


沼地

  殿岡秀秋

沼地に足をとられるように
気分が沈むときのあなたの眼に
昔のままのぼくの姿が
浮いているのではないか

末っ子だったぼくは
いじめることができる
妹を得たおもいで
姪のあなたを泣かしたり怒らしたりした

三つ編みをした幼女のあなたと野原で遊ぶ
小学生のぼくは草の茂る窪地に隠れる
突然ひとりにされてあなたは
泣きながらぼくの影を探す

あなたは小さな手で泥団子を
投げつけてきた
握り固めた怒りをぼくは受けとめたが
会うことが少なくなって溶けてしまった

ぼくは忘れそうになった宿題を届けに
大人になった
あなたの元へ行く
子どもの頃のことを詫びに

「意地悪をしてごめんね」
「そんなことないわよ」
その言葉であなたの記憶の沼に棲む
ぼくの面影が消えるわけではない

沼地に入れた足を引き抜くと
残ってしまう靴のように
あなたは三つ編みの幼女のままで
ぼくの記憶の沼に棲む


ココナッツマン!ワンダーランドの町を出る

  ミドリ


そこはアパートメントというよりも、防空壕のようであった。
うなずけないことではない。
ココナッツマンにとって、世の中は戦場のようなものであり、いつ黒い嘴を持ったステルス機による、絨毯爆撃があってもおかしくはないのだ。
爆撃?ステルス機?それはココナッツマンの妄想に過ぎないのではないか?

ほら、ココナッツマン。外へ出てごらん、町は平和だよ。
彼は言う、分厚いスクラップブックに綴じられた、黄ばんだ新聞記事の切り抜きを見せて、ここは半世紀前、戦場だったのだと。

アニーはココナッツマンを助けようと思った。アパートから出て、酷く落ち着きのない、ココナッツマンを、アリーは無理やりキャデラックに押し込み、キーをブルンとひねり、アクセルをグンっと踏んだ。

「スピードの出しすぎ!」

ココナッツマンは思わず叫んだ。
アニーは、スピード狂だったのだ。
道端に転がっている干上がった鼠の屍骸を踏み、ポンっと跳ねが上がるキャデラック。
カーブでは、対向車の、ヤー系のおっさんを驚かすほどのギリギリのステアリングでハンドルを切り。
助手席のココナッツマンは、上着のポケットからタバコを取り出し、震える手つきで、落ち着こうとしたが、マルボロの箱から出てきたのは、萎びたマカロニだった。
仕方なくココナッツマンはマカロニに火を点け、思い切り煙を吸い込んで、咳き込んでしまった。

「チェッ!こんな悪戯をするのは、カーマイクルのやつだな!」

ココナッツマンはキャデラックの天井に頭ぶっつけながら、アニーの横顔を見た。
亜麻色の髪と、大理石のような白い肌。
アニーの目が突然輝いた。ワンダーランドの町出たのだ。

「やったね!」

アニーはガッツポーズした。
しかしココナッツマンははっきりと見てしまった。
アニーがラバソールの白い靴を履き、全くアクセルを緩める気配のないことを!


桜色のトンネルで

  はるらん



桜の花びらが
流れてゆきます
僕の町を 君の町を

明日のことなど思いもしないで
つくしの子は伸び始め
僕らはいま確かに歩いています
桜並木のトンネルを

花びらがこぼれてゆきます
僕と君が手を繋ぐ指と指のあいだに
ときおり風に揺れる君の髪にも

若い夫婦がベビーカーを押す
赤ちゃんの膝掛けの上にも
桜の花びら
ほろりほろり
落ちてゆきます

スニーカーの少女たちは
はしゃぎながら笑い転げ
ときおり立ち止まっては
グループの記念写真を撮り

おだやかな春の陽射しが
銀髪のご主人のブレザーの肩に
ご婦人のレモン色の
カーディガンの袖に降りそそいで

ああ
もうすぐ日が暮れますね

夕暮れの風のなか人はみな
桜並木のトンネルを折り返し
僕は何も言わずに君と
手を繋いで歩いています

道は桜色のビロードを敷きつめて
ベビーカーの赤ちゃんはもう眠りかけ

車椅子を押してくれる
息子を母親はときおり
振り返っては微笑み

夕暮れの風のなか
誰も帰ろうとはせずに

ああ
もうすぐ日が暮れますね

桜色の風が微笑む
幸せな日曜日
明日のことなど思いもしないで
つくしの子は伸び始め

花びらはこぼれてゆきます
桜色のビロードを
僕らは
流れてゆきます

桜色のトンネルを


朝の陀羅尼

  いかいか

朝の陀羅尼、


朝の団欒の中で、
私たちの産卵は始まる、
どこまでも
うつぼ舟の中で眠ったままの
黒くたれるもの、
それが読経の春に、
呼び覚まされて、
この黒く一人でたれるものを切り裂く、


神産みの朝、
あんとくてんのうが、
再度生まれなさる、
そのために、
禍津日神は微笑みかけて、
私たちのスサノオを殺す、
それが僕が夢見る
永遠だということを、
こっそりこの日、開示しよう、


僕の逆行する視線や
翻る瞳で見る瞼の裏側に
広がる銀河鉄道の悲しい話や
それ以上に、
この朝の陀羅尼が
僕の田畑を締め付ける、
納屋に積みあがるのは労働の垂れる唾液、


おお、ザネリ、ザネリ、
カンパネルラ、カンパネルラ
さいごに、ジョバンニ!
君らの黒いものを、
この僕の視線で死滅させてやろう、
そして、
やはりまたどこかで黒いものが
たった一人で垂れる音が聞こえ始める、


裂ける背骨の木々の音、
山水画の山脈から流れる川
立ち上る隠喩の蒸気、
ガンジスの沐浴を、
すべての聖者達に
かの川の灰の汗を浴びせたまえ、
エノラ・ゲイの陽光を、
いままさに、
僕らは夜の夜明けの中にいる


手垢だらけのバイブル、
もしくは、ボロの法衣、
そして、手を合わせる恐ろしい数の人々、
裸なのは
私の唯一の戦争、


都市が老いて行くのは
この限りなく済んだ陀羅尼のせい
私たちが鼻歌を口ずさむように、
地球を転がすものならば、
あんとくさまが、
草薙の剣を振りかざして、
世界の花嫁を車窓から追い出す、
さようなら、
黒い花嫁、
君がこれから行くのは、
あの飛来する最前線、
切り開かれなかった田畑の上を、
麦をまきながら
永遠に生まれないはずの子供を抱きながら、
まるで母親のように、
そして、
最後の入水が僕らの晩餐だ、
それは日の出からさす夜の肉体、
たった一羽の小鳥を打ち落とさないための受難のとき


(無題)

  fluke


あの子はふたりで手をつないで道ばたでねころがっている、紙のお月さまをはさみで切り抜いて同時にひとつの目を閉じる、だんだんとにじんでいく空はふたりの耳をふさぐと、いまだ雪を抱く山の稜線にぼんやりとかさなり、菜の花畑を走りぬける鉄のでんしゃは汽笛を鳴らし、だれも乗せないでまっすぐ進み、そこの黄色を残し、はるか向こうのちがう黄色へ繋がり、回転しているアップルがふたつ見える夢、アップルの中で回転しているあの子が見えるそれは、回転しているアップルの中であの子は手をつなぐ菜の花畑は、けいれんしているふたりはやがてかたほうの目をゆっくり閉じて耳を、ふさぐと押しつぶされそうになったあの子の声がふたつ上空に幾何学的な、なにかをえがいて高いほうの空にはまだ届きそうな気がするからどこまで、も手を伸ばしていたいどこ、までもあの子につながれていたい夢の中は赤いアップルのしんにかたむいてけっしてだれにも触れられない空にアップルをほうり投げるあの子は痙攣しているいつまでも白い夢、菜の花畑はあの子をふたり空にほうり投げる


日暮れまで

  鈴屋

せめて喉をひらくほどの
風がほしい

倒れかけた一本の杭が
有刺鉄線にかろうじてぶら下がっている
足もとの草むらから椋鳥が飛び立ち
驚いてみることも救いなのだと
顔をあげれば、電線から垂れている紐の類

  あのひとの部屋で
  あのひとの裸体をステンドグラスみたいに
  区分けしてきたんだ

道のゆくての黄ばんだ空に
家や木立や電柱が、切り絵のように立てかけられて
歩いていっても崖、明日なんかない

蚊柱に立ち止まり
とある一匹を目で追っていくのは
存外たやすいことがわかる、けれども電柱にじゃまをされ
「耳鼻咽喉」って、どこの言葉?
踏み込んでしまった水溜りの
油膜の暗い虹
吸殻
ボルト
曲がっているのは釘?
ミミズ?

  あのひとの部屋で
  あのひとの内臓や管のひとつひとつを
  十二色のパステルで塗り分けてきたんだ

薄闇のなかに
ひとむらの小手毬がしろじろ浮かんでいる
住宅の閉ざされた窓々のひそやかさ
レジ袋を満載したママチャリにぬかれ、それきり
路上に人が絶えて、ふいの
風のように
学園のチャイムが中空をめぐり
放浪の予感?
ふりむけば
巨大な夕焼けが逆巻いて


「 犬雨。 」

  PULL.




 窓の外がうるさいのでカーテンを開けると、案の定、犬が降っているのだった。雨粒たちはみな、犬の姿をしていて、降り落ち、地面に当たると、きゃいんきゃいんと啼いて弾け数粒の、子犬になるのだった。耳を澄ますと、屋根に落ちた犬が爪を立てて、屋根瓦の上を滑り落ちてゆく音が、右に左に聴こえる。遠くで、排水溝に吸い込まれてゆく犬の、遠吠えが、する。飲みかけのティーカップの中の犬たちが、そわそわと波立ち、わたしのからだの中の犬たちが高く、呼ぶ声がする。眼から逃げ落ちた犬が。
 床に、ちいさく弾け、弾けた子犬がわたしの脚にちいさく、いくつも噛み付く。傷口からは赤い犬が流れ出し、赤い犬は猛烈な勢いでわたしに噛み付き、わたしの中をどこまでも駈け、昇った。

 からだの隅々まで犬になり、満たされたわたしは駈けていた。どこまでもずぶ濡れになりながら、激しい犬雨の中をただひたすら犬身的に、駈けて、いた。時折どこかで聴いたことのある、名前で、呼ばれることもあったが、その名前のことは、ようとして思い出せなかった。だからその名前で呼んだものに噛み付き、喰い殺した。犬死にしたものたちの肉は犬雨に打たれ、犬たちの、餌になった。
 犬雨はなお激しくなり、街の向こうではいくつもの遠吠えが、こだましている。






           了。


マフラーは長すぎて

  ピクルス



ちいさな掌を
ひとつ結んでは覚えてゆく指あそび
ほんとうなんて要らない
と言い聞かせながら
それは未だ新しい

老いさらばえた両腕は
調和したスープと
子守歌で満たされる
動かない光
あたたかな窓の数だけ
架空の挨拶が交わされる
ごきげんよう
ごきげんよう

薬を飲むの忘れたら
叱られるのが怖くて
初めて嘘をついた
ほんの少しずつ重なって
椋鳥は鳴かなくなった
弱さからか自信のなさからか身勝手さからか
君は知らない

綺麗な石を捜しては
積んでゆく
仕舞いには平衡について考える
不思議ななにかが喚んでいるよ
いつも遠く近く声がする
耳を澄ませると
さみしい
と黙り込む

どこへも帰らない
どこへも帰らない

未だ残っている旋律
拾う事の挑戦
捨てる事の満足
まもる事の

描きかけのカンバスの為に
絵の具が欲しい
緊張と臆病に疲れ
運命の前で愁傷らしく振る舞う絵は
いつまで経っても
家に帰れない

だいすきな匂いは
炊きたてごはん
それを嗅ぎながら
いただきますと祈る
椅子はひとつでも
花を飾り
また
新しい絵を描き始める

かえりたい
早く家に帰りたい


四月の海

  凪葉

今日は晴れ
泳ぐ魚が見えるくらい
水は透きとおっていて
四月のあたたかい太陽は
その水をきらきらと宝石にかえてしまう
これじゃ眩しすぎて
とてもじゃないけど入れないから
とりあえず、
今日のところはゆられていよう
 
 
空には、綿雲がわたわたとひろがり
奥行を描きだしている
その中を海鳥が
のんびりと、眠りながら飛んでいる
わたしは、
海鳥たちの名前を頭にうかべながら
砂浜に寝転がる
カモメ、うみねこ、
カモメ、うみねこ、
あまり間近で見たことがないからかもしれない
うまく、違いがわからなかった
 
 
風通しのよい胸が
今日に限って心地がいい
不思議と、気づかないうちに
波音が耳の中にあって
遠音のようにしんしんと
わたしのなかに響いてくる
時折波の合間を
海鳥たちの声が飛び交う
一体、なにを
話しているのだろう
 
 
空気を切る
音がきこえて
通りすぎる風、
ちいさく
砂ぼこりが舞いあがり
わたしは、慌てて起き上がる
ふいに、地平線、
どこまでも続く
青い鏡が瞳に宿る
 
 
今朝、
起きてすぐの予報を思い出す
気持ちは、
変わってはいない
明日の予報は、雨
もしその通りなら
わたしはたぶん
明日、この海になるんだ
 

文学極道

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