鳥を捨て
こころではない
こころではない
と
言い募る
風の
涯
舞い落ちないものを悲しんだ
調整のために
空けられた
一行
かつて一身に受けた風力に引き延ばされていた
自転車でスピードを落とさずに坂道を上ってゆくための
たったそれだけでいいのに
濡らしたはずの指先にはもう感触がない
あえぎながらも
支えつづけろ
腕が攣りそうになっても伸ばしたまま走ってゆけ
空を指して
ああ
この指とまれ
この指にとまれよ
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2008年01月分
靴下
今日も何人かが旅に出て
靴だけが
ハの字に残された
僕は靴下を脱ぐついでに
膝を抱えようと思ったのに
今日は手が短い
ハハハ、おかしーなと
頑張って肉を伸ばしても
手が短い
脱ぎたての靴下が
床でボーっとしている
足を抜かれたばかりで
やる瀬無いのはわかる
でも、もう少し
きちんとしてほしい
僕は膝を抱えて
裸足で行っちゃった人の
旅の無事を祈りたいんだ
でも、今日に限って
手が短い
足りない物は 身近な物で 補うべきだ
放心状態の靴下を拾って膝に回す
両端を持つとギリギリ、
膝を抱えることができた
靴下の爪先は 湿って冷たい
いやな匂いもする
でも、靴下のおかげで
今日はなんとか 祈ることができた
キッチンでは健康サンダルの妻が
動物の肉を温めている
練馬区
ふしあわせな
作品をかいてとても
嬉しそうに笑っている
あのひとは疲れて
話しことばをひとつも
みつけられない
霜ばしらを踏む
ために水を浴び陽を
浴びて
平穏の光が射し
もうなにも残っていなかった
夢が来た
町のうえにある
ほのおが垂直に落下する
ブロッコリー畑を焼き
家を焼き学校を
焼いて電線の鳥が
くちばしもあけず
こちらをみている
何度も目をあける
熱のこもる部屋にいて
隣には、
隣には、
[ピーナッツ]
[ピーナッツ]
目の前には ばら撒かれたかのように 柿の種 が散乱している。
一目でわかるほどピーナッツの割合の多いテーブルの上、きっと指先は少し辛いのだろう。
行儀悪く指を舐めつつ足を組む、掛け違ったままのボタンも気にせずテレビ画面に目をやりながら、汚れていないほうの手で皺にならないようにスカートを脱ぐ。
CMではビールをうまそうに飲む名前の知らない女優が ビールをうまそうに飲んでいるのを見ながら足を組み替えつつ ビールをうまそうに飲んだ。
グラスの底に溜まった泡まで飲み干そうと吸い込むけれど、咳き込みそうだし。
言い損ねた言葉が出てきそうで、あわてて むせた。
鼻から麦のにおいがしてくると、左手はケータイを弄りだし、右手は食べる気もないのにピーナッツをつまみ 向かいの席に投げている。
きっと千葉県のにおいを期待しているのだ。
((チューゴクだろうけどね。))
恋人同士が待ち合わせをしている、手にはケータイを持って楽しそうにおしゃべり、そんなCMが流れている。
ピーナッツばかりが散乱する小さな部屋で、実は誰とも繋がる機会を手にしているんだ。
機械を手にしているんだ。
千葉県のにおいのしないフォントで「おめでとう」(と、小声で)吐き出してみたけれど、汚れていないくせに親指は滑らかな文面を書けないでいた。
滑らかな液晶に悪態をつき、グラスの底の泡を飲み干して打ち直す。
「オメデトウ」(と、もっと小声で)言ってみても、やっぱりどこか辛口で、ピーナッツをひとつまみする。
鼻の奥から千葉県((本当はドコだろう?))のにおいがして、部屋が回転していくのを感じた。
酔いは さめてきたけど、アルコールが回ってきたのだろうか。
ビールなんて水だと思っていたよ、ボタンを掛け違えた人に届け、と必死に親指を動かそうとする、汚れた指は煙草を咥えさせライターを準備している。
回転する換気扇の向こう側に吐き出した二酸化炭素が真っ白く逃げて行く、もともとナカにあったものなのになあ。
置いていかれたピーナッツを 齧る(/に 齧られる)。
これ以上、指を辛くはできないよね。
渦を巻く部屋と渦の中心の圏外がどうしても届かない。
もう苦くなりそうなメールに「omedetou」(と、口だけ動かして)いつかまた千葉県のにおいをさせた返事を ください。
おくってくれたらいいな、そう思っています。
指紋の増えたケータイをテーブルの上に投げ出し、散乱した柿の種は胃袋に収まりを覚えた。
ピーナッツは掛け違えたままのにおいを気にしている様子はなく、ビールではないアルコールがそろそろ欲しい。
もう一度足を組み替えて立ち上がろうとするけど、圏外のソトにはいったい何があるのかしらん。
声の洪水
眼にも口にも扉があるのに
無防備な洞穴の耳
突然侵入し
外耳道を滑り
鼓膜に音の波が当たる
増幅された振動に
あわてて中耳の骨が収縮しても
洞窟の柱の間をすりぬける
内耳の迷宮を
音速の波は
渦を巻きながらくぐりぬけ
出口で脳の底に激突する
脳は衝撃の半分をはね返す
反動で
大波は胸を急降下して
鳩尾あたりでバウンドする
大声が
奔流となって
洞穴の耳をくだり
胸から全身にひろがる
までの一瞬
ぼくは身動きできないで
打たれた金属管のように
鳴りながら震えている
半世紀も前に
父が母を怒鳴った
家が震え
ぼくら子どもは身を硬くして
波の静まるのを待った
耳の洞穴を修復しながら
くねる壁に残された傷跡に
声の洪水の歴史を発見する
雪待ちうた
息を凝らして
街は黙り込んでいる
雪をはらんだ雲の下で
街灯に霜が光っている
十字路がいつもの別れ道で
俺はやわらかい無力さを
おまえの痩せた首に巻いてやるのだ
若さを失って
俺たちにはひとつの部屋もない
けれど欲望の灯をともして
高く高く伸びた都市でさえ
雪が降るのは止められやしない
やがて
こらえきれない悲しみのように
雪が落ち始めたら
俺の指を思い切り噛んでくれないか?
噛んで 噛んで 噛んで
血が流れ出たなら
俺は真新しい雪の上に
名もない暮らしの絵を描くだろう
悲しみの小石
ベッドに横たわるきみに
背中を向けたぼくの
胸に小さい石が固まる
きみのささいな否定形の言葉を
核にした小石が
痛みだす
ぼくは膝をかかえて眼をつむる
きみは溜め息を
ぼくのうなじに吹きつける
そこだけ皮膚が砂利になる
きみは子どもをあやすように
硬くなったぼくの肩をたたく
きみの思惑を超えて
言葉の礫が
ぼくの胸に当たった
それはきみの罪ではない
塗りたての土壁のように
ぼくの胸がめりこみやすいだけだ
きみの問いかけに
いや何も
といって
あとの言葉は
胸の庭で岩になる
そこは小宇宙である
水はないのに
透明な流れがあって
岩と岩との間を
清めていく
そこにきみの沈黙も
岩となって横たわる
ぼくは眼をあける
天井に小粒の白色電灯の星が並ぶ
ひとつ青白く光るのがぼく
離れて赤く光るのがきみ
天の川に隔てられているように見えて
庭の石のように近い
透明な気が流れれば
ふれあうことができる
母の愛に飢えて
得られなかったときに
ひび割れてできた胸の隙間に
きみの言葉が落ちてしまった
もともとその空洞を埋めて
しなやかな胸になるために
きみといるのではないか
ぼくは思いなおして向きなおる
きみはやわらかな掌で
小石を溶かそうとする
バンドネオン
レクエルド。
砂時計が音もなくなだれを成して舞い墜ちる
夜にあなたは迷いこんできたちいさな銀河を
手のひらでつつむように抱きとめる 葉脈を
透かしてみえる地球の裏側では生れながらに
しろい瞳のマリーアが影のまま生きつづけた
腰かけた椅子がわずかに浮きあがりそれでも
なお部屋に壁は在り床が在って誰も知らない
ラピュタがゆるやかな光芒をはなつ雲の濃淡
垣間見えるのはおそらくあなた 忘れられた
歌をうたう バンドネオンのはじまりだった
ハカランダ。
水のにおいがする波の音がきこえる日だまり
にたたなずむギターのように古い三階建ての
事務所あなたは仕事でいそがしく窓をあける
知る人のない並木道を踏みしめた 薄紫色の
花の絨毯をふたり 深く知ることの難しさを
確かめようとかたく手を握りしめる瞬間その
手のひらと手のひらのわずかな間隙を狙って
散りゆく花のかけらが忍びこみ溶けて静脈を
遡る 毛細血管から支流を抜け本流へやがて
心臓ちかくの大血管に到達する あたたかい
オルヴィード。
色鮮やかに縁どられた外壁を持つ建物の群れ
が鳥のように河岸に列をなす折しもあなたは
源流より大河へつづくながい旅程を終えよう
としていた草原を渡りあるいた記憶も誰から
ともなく伝えつづられた物語もたった今この
雑踏でうたいおどられる劇中劇さえも過去の
事象として忘れられた 変わり果てたあなた
にとってあなたは誰なのか思い出せない風が
いつしか体内をめぐりあなただけが持つただ
ひとつの音を響かせる バンドネオン ロカ
ライタップ、エン、ダンス
喫茶店のブレンドコーヒー
うずをえがくミルクなんてごめんだった
人工的な甘味を加えるさとうみたいなもんなんて 論外
照明のオレンジのあかり
なんだか見覚えがあるんだけどなあ かわりばえのないだらんと延びきった感覚のなか、
店員の「ごゆっくり」の笑顔
ああ そうだ
歯医者のらいとに似てるんだろ
寝てやるよ
違うって 眠ってやるんだ
ぼくは鳥
せかいにあさひをゆらすのは
ぼくのこえ
ゆめにいつくしみを
ぬれたつちのにおいにかんじる つまるおもい
うちゅうになみだをおとすのは
よごしちゃったんだよ
すな ていどならたべてあげようか
ぼくは とり
駅にひっついている図書館
親子連れの膨大さ
品揃えに文句をつける中年女性
笑いながら対応する係員
虚空の中に受験生
なあ それ さあ
金庫に埋まってんだって
まみどりなきぎにあこがれなんかいだかない
だってぼくは とり
それ そのもの
ぼくは このよでたぶんゆいいつの そのもの それじたい
どう?
いとおしいでしょう
しろいあさひがなつかしいくせにきいろいよるをもとめるのはどういうりくつなんだろう
でも ぼくは
うん いいんだ
きにしないことにきめたんだ
今思えば 先刻の喫茶店でね
深刻そうな面持ちで
Sサイズのコーヒーに
漫画から飛び出したとしか思えないビジュアルのサラリーマンが
シロップを3個も入れやがった
いかれてんだ、あいつ
電車の時間はとっくに過ぎた
田舎のここは
次の電車が2時間後だってさあ
うん 悪くない
悪くないな
12月の雨
どんぐりたちが
屋根を踏み鳴らす遊びをやめたのは
いつだったか
秋の荷物が届かないまま
木々が、ほの暗い空へと
細い腕を伸ばしている
*
街はいつの間にか
切り絵のような
会釈で溢れ返っている
おはようございます
おはようございます
そうやって
いくつもの切り絵が
切り立ったビルの窓に
貼り付いていく
*
12月の雨が、
降ることを止めようとしないから
秋の荷物は置き去りにされている
もう届く事はないだろう
冬の言葉を知らないまま
雨に触れる指先は
初雪の夢を見ている
伸ばした腕の先には
空、ばかりが続いて
*
街はいつでも
いつの間にか
いくつもの
切り絵でいっぱいだ
お疲れ様です
お疲れ様でした
そう言って
いつの間にか
私の切り絵が街の片隅に
貼り付けられていた
剥がれる事も
剥がされる事も、
ないだろう
*
母の手の温度で
染み渡っていく夕日の中
はたはたと舞うコウモリを
追わなくなったのは
いつかの夏、の事
12月の雨が止む頃には
春の歌は歌えない
子供の頃の折り紙が
続いていく、空を
舞っていく
追いかけなくなったのは
書簡より
夢の径がいくつかに枝わかれして
闇は星運きに尋ねられるくらい澄んでいたから
どこを昇れば神さまに会えるのか思いあぐねる
うまれ始めの虹のいくつかを過ぎて
きのう歌を唄う夢
大気をよく知る樹々のものに還る
乾きの奥を進む水はささやく
目覚めてからもよろこびに包まれたまま
もうこれ以上考えられぬからと考える
何故か人は何故を
静止画のように思って太陽を見ている
そんな男のおごり
退屈そうな鴉がどこまでもついてくる
さみしさが何故か僕の何故
・
花をたくさん
飾ってあげて と
テラコッタを願って削り積まれた花壇
日暮れを待って水をあげたの
虹掛かるから
指をくみあわせると
そこに蜂にも蝶にも見とれない
まるでニンフの笑みがあったから
水があふれて唇に
涙がふれるまであげるの
しおざいがするわ
すると一瞬もっと陰って
体育館の表でバレーボールの練習生が
わっと風を受け止めたわ
それから幼い街路樹の前で
佇むルソーの亡霊を見たの
幻は都会にだってすこし探せば
お互いを祝い合って生きているのよ
真夏の氷のように
短い今を生き延びながら
・
老女の乳房がそよ風にのんびり垂れるから
すっかり珍しくなった停電を待ちながら
すり減りだした歯でくわえたシエスタ
透けた寝巻きが切なくて
朗らかにきゅうりを齧りことばを磨く
片方の足の裏であそぶ小蝿と共に
お前も
いつか
この裸のように描かれてくれるか
居室で洗濯物たたみながらおしっこ溜めたまま
時おり驟雨で目を覚ます
夜のオーネット・コールマンのようだ
何も残さない玉葱の皮を剥きながら
何も隠さない惚けた目の色しながら
かけて感情を出し尽くしてもなお眠りのようにからっぽ
ことばで満たすことはきっとできない
真実の先っぽのすき間が気になるんだ
たまにはてのひら
ひっそり重ねてくれないか
・
足りているの
コバルト
ルフランは擦り硝子のパレット
いつ剥ぎ取っても構わないけれど
チューブをするようにからだも絞って
あなたの好きだった色達が待っているから
わたしだって好きに並べる
花だって望んで枯れてゆくもの
さびしくなってしまった部屋に理由はないわ
向こうの教会でずっと祝われていたかったけれど
今日のわたしのキュロット
窓辺にひとつかふたつ干してくれれば
線いっぽんだけ選んで
きっと描いて
・
いいさ音がやたら響いて後味も豊かすぎるから余計に威を張って
チャ−#4がこれ以上薄まる前に片づけようか
話はお前の拙いキトリが塑像される前のこと
いつの間にか誰もいなくなった客室で
何のために飲むか忘れた酒に倦んでゆく前の
濯い忘れた布の汚れっぷりが心地いい
俺はどこから来たのかもう分からないからいいんだ
熟れ崩れた果実を日常に忍ばす枝絡まっていいんだ
自由はどうしようもなく退屈なもの
何故だろうお前が笑顔だけ残していった
仕方ない昨日まで突きつけてくる道をゆく
返すものなど…無くていいんだ
・
ひさしぶりの風に
かなしみを思い出してみたの
柔らかく日差しをゆらすレース越しに見れば
あなたの笑顔だけは、今朝もフライパンの中で元気
忘れないと決めていたの
この不思議な鮮やかさの灰いろ
興奮したかと思えばまたすぐ疲れて
ベランダの隅っこでする独り言が好きな
あなたはねぐらを洞に探すこうもり
あなたとわたし土から産まれて
ながい時間かけて灰に還る
恐ろしい朝と希望の、海へ
生活の網のすき間に指を挿すおんなね
いつも泣くたびかわいた何度も
求められてわたし
神様だって気持ちいいのが好きなの
その名前の前で産まれたてのはだか
胸の尖に甦るのどうしようもないの
・
緑の歓声一面に群れ
雲はどこまでもはぐれ
俺はどこにも鍵を掛けない
一日一度の許された打鐘
会わなくなっても
こうして感じる
お前は晴天に似合うきっと今も
ぽろぽろこぼれるニゲラの種も
赤土の荒野を吹きぬける
おなじ酒をおなじ口でひとり
よろこびひとつ朔すまで
降りそそげ
鮮やかに
いまだ摂氏三十度
アルタミラで復活し
蜃気楼すら陰る秋の日
お前と一緒に音楽を聴くと
不思議な一致がたくさんあって
ケニ−・ドリューの技の衰えは
山鳴りとなまめかしく混ざり
記憶の中では
かえって瑞々しいくらいだ
寂しいか 這い出る瞬間
懐かしい の問いに包まれる
・
擦り剥けた膝からのぞくの骨
唾すりつけてなおす高校生の人
幕前でふるえながら台詞を詠って
私だけに向けた眼差し演じ続けたこと
知ってるわ
みんな嘘だってこと
嘘が実はやっぱり本当で
本当の答えはこれっぽちも嘘にできないって
あなたのことばと
わたしのことばで
たったひとつのいのちになるの
訳はしらない
訳がわかるのは退屈だから
花屋さんが好きなの
あの沈黙が好きなの
湿った空気の中で誰もが溶けてゆく感じ
それは優しさではなくて
祈りでもない
まして迷いで騙る
愛の名なんかじゃない
そう、どうでもいいような
ふと飛びたつ小鳥の欲しいままの空
どこまでも歩きつづける雨の犬の軒先
そんなたくさん選べる中からほんの少しだけ
大切にしているもののひとつ
生きるだけのことのほかのあなた
何が欲しいの
わたしはどうしたって謎をあげたい
すこし寒くたって
わたしは見上げつづけるわ
そうすればきっとなれるわ
いつまでも空になれるわ
事切れの唄
ねこがいっぴき走っていった
庭の隅に入る陽が
すずめのえさを照らしていて
プランターの瘠せた土には
クモマグサの花が咲いていた
蜜柑の葉ずれの音
こころの真ん中にひびきます
女郎蜘蛛は縦糸をたらして
ときおり落ちてくる風に
ゆられながら下りてきます
「6時55分死亡確認、
この家の者とおもわれます」
ミュートな空がゆっくり
まきだして
這い這い人形のような
童子が
数珠繋ぎになって
昇っていきます
マリア
マリアよ
もうあの色街のにぎわいはない
薄汚れた壁紙に映っている裸の影
カタコトのままのお前を抱きしめる
今年もくすぶって消えてゆくだけの夏
いっそ焼き尽くすような炎に染まりたい
ハルピン
おまえが二重窓の部屋を捨ててきた街
遠い昔俺の母親が祖父母とともに逃れてきた街
見えるだろうおまえの灰青色の瞳には
いつの時代も国境を逃れていく敗れた者の列が
どこまでも続くだろうおまえの白い肌は
渇いた者がたどり着く最後の雪原として
そしてあくまで黒いおまえの髪
マリアよ
遠くで凍えている俺の足指をあたためてくれ
なにひとつ俺の手に入ったものはないというのに
おまえの乳房だけが奇跡のように白い
俺はおまえのカタコトの真実だけを信じよう
そうとも!
生きた者も
死んだ者も
平原を長い列車で運ばれてくるのだ!
ああ
汽車の窓から突き出された
おびただしい腕がいっせいに振られているね
苦い河を越えて
瓦礫の都市を抜けて走る列車よ
きっと俺はいつかそれを目にする
マリアよ
草原の一本道を荷馬車に揺られながら
屍となった俺は目にする
(無題)
もうすぐ。兄は、クリスマスイブの約束を破って、新しい彼女と出かけたまま行方不明になっている。近くの広場では、凧があがっている。凧って、あんなふうに揺れ動くものだ。母が作った雑煮を食べてテレビを見るわけでもない。午後は、これからデパートに出かけて、大賑わいのバーゲンセールを見学する。母が用意したマフラーを首に巻いて、バッグを取りに部屋に戻った。部屋には弟がいて、わたしのベッドで寝転がって漫画を読んでいる。地元のスターバックスでバイトを始めたばかりの弟は、初めての給料でわたしに漫画を買ってくれた。その漫画を読んでいる。思い返すと、まだ幼いころ、わたしの夢は漫画家になることだった。漫画なんて一度も書いたことないけど。わたしは、弟がわたしに漫画をくれた日にその漫画を徹夜で読んだ。夕食の後、部屋に閉じこもって。デパートに勤める女店員がデパートを経営する男社長と恋に落ちる。恋に落ちた二人は失踪する。デパートは、やがて倒産し、そこに新しいデパートが作られる。新しいデパートに勤める女店員が新しいデパートを経営する男社長と恋に落ちる。恋に落ちた二人は失踪し、デパートは、やがて倒産する。そこに新しいデパートが作られる。わたしは、そこまで読んで、その後、この漫画がどうなるかなんて興味がわかなかった。もしかしたら終わらないのかもしれない。弟は、わたしと目が合うと、寝返って背中を向けた。ふとももの後ろがむき出しになったジーンズは、兄のお下がりだ。ふとももの後ろを見る限り、弟は、母に似て肌が白い。わたしは、父に似て肌が黒い。わたしは、髪を長くしている。バッグが部屋に見当たらず、居間にいる母にわたしのバッグがどこにあるか確認したが、母は、居間にいなかった。わたしは、そのバッグをあきらめて、兄の部屋に行って手ごろなバッグをみつけた。外に出ると、雪が降っていた。雪が降っている。道向こうのバス停から、ちょうどバスが出発した。運転手と目が合ったような気がしたが、サングラスをかけていたので、わたしの気のせいかもしれない。時刻表を確認すると、次のバスは三十分後だった。わたしと同じくらいタイミングの悪い、あるいは、バスに乗る目的以外でバス停のベンチに座っている女の横にわたしは腰掛けた。わたしは、バッグの中から本を取り出した。次のバスが来るまでそれを読んで時間をつぶした。次のバスが来ても女は立ち上がらず、わたしは、一人ぼっちでバスに乗り込んだ。一番後ろの広い座席の右側に座り、本の続きを読み始めた。雪が降っているので、人はそんなに見当たらない。時刻表を確認すると、次のバスは三十分後だった。わたしは、バッグの中から次の本を取り出し、次のバスが来るまでそれを読んだ。わたしの横に女が腰掛けた。以前、どこかでその女と出会ったような気がしたが、サングラスをかけていたので、わたしの気のせいかもしれない。次のバスが来ると、女は立ち上がり、わたしは一人残された。運転手と目が合ったような気がした。時刻表を確認すると、次のバスは三十分後だった。真っ白い雪がバッグの上に降りつもる。兄は、どうしようもなく母に似ていた。わたしは、バッグの中から次の本を取り出した。次のバスは、三十分遅れで到着した。一番後ろの広い座席の右側に座り、本の続きを読み始めた。母がいなくなるたびに新しい母を見つける父の話だったが、わたしは、興味がわかなかった。運転手がすでにいなくなっていることに気づいたわたしは、バスを降りた。近くのバス停まで歩くことも考えたが、予定を変更して、近くのデパートに行くことにした。昼過ぎのデパートは、賑わっていた。弟が寝転がっている屋上に顔を出すと、兄が寝転がっていた。兄は、わたしと目が合うと、寝返って背中を向けた。雪が降っていた。サングラスのせいかもしれない。次の弟が来ると、兄は立ち上がった。時刻表を確認すると、次の弟は三十分遅れていた。女店員は、私の横に座ると、バッグの中から次の本を取り出し、次の男社長が来るまで本を読んで時間をつぶすことにした。一番後ろの広い座席の右側に父が座り、左側に母が座る。父と母は右と左を逆にする場合もあった。雪粉でうまる空を凧があがっている、デパートの屋上より高いところで、右と左に揺れ動いている。右には母がいて、左には父がいる。その間を凧が行ったり来たりしながら、時折、父と母は右と左を逆にする。母が左になると、父は右になる。母と父は、時折、逆になる。デパートの屋上より高いところで、父と母の間を凧が揺れ動いている。母が立ち上がると、父は残された。時刻表を確認すると、次のデパートは三十分後に新しくなる。バッグの中から本を取り出し、新しくなるまで時間をつぶすことにした。新しくなると、次の本を取り出し、横に座った。以前、どこかで出会ったような気がしたが、サングラスをかけていたので、気のせいかもしれない。雪がふる、右にはいつも母がいて、父が左にいる。三十分が過ぎるとすべてが新しくなる。すべてが新しくなる。弟が買ってくれた漫画をバッグから取り出し、それを小脇にかかえデパートの地下にあるスターバックスに行くと、わたしが座る兄の横には新しい彼女が座っている。恋に落ちた二人は失踪する。そこまで読んで、それはいつもどこかに書かれていることだ。しかし、それは、わたしのせいかもしれない。それは、わたしのせいだ。
恋歌連祷 8
8
給水塔の上
キジバトが世間を見ている
十月 あなたはあなたの街を散歩する 散歩に希望はい
らない? あなたは見る 青空がかぎ裂きに裂け宇宙の
黒い欠片が降りしきるのを みどり色の芋虫が路面電車
よろしく体を波打たせながら坂を馳せ下りてくるのを
レストランのアクリルケースの中で薔薇とパスタが埃に
まみれているのを 海鼠のプラットホームの上に佇み芋
虫の愛らしいマスクを待ちながらあなたは吐く なんど
も吐く 遠くであなたの母が笑いながらたしなめている
あなたはしもた屋のガラス戸を開け土間の奥の畳敷きに
上がる 唇が異様に紅いバカそうな少年が入ってきてあ
なたを押し倒す あなたの上で少年は嬉々として暴れ犯
しはじめる あなたは白壁のグリーンランドに似た染み
を見詰めている 畳の埃で頬がさらさらする 母に会い
たくてまた吐く 遠くで母が笑いながらたしなめている
砂漠の町の静かな広場で男が男を壁に押しつけ刺してい
た なんどもなんども刺していた 男が崩れ落ちて死ぬ
とまた最初から男が男を刺していた なんどもなんども
刺していた 男が死ぬとまた男が男を刺していた 刺し
た男はオートバイよりも速く地平線まで逃げた 死んだ
男は陽の下で死につづけた
プラタナスの葉裏が光る
紅茶は紅い
オリオン
春には、からだ中をくるくるとまきついてくる風を抱きしめては
夜にゆられている星をみつめています
きらり きらり
オリオンを見つけると
心が静かな波のように、なって
しゅるしゅるとからだから離れていく風は
どこへ、いくのでしょう
木々が今日も
やさしく鳴いています
夏には、太陽にさよならをしている間に
ぽつり ぽつりと
ちいさくきらめく星を見つけることができます
地平が、まるで終わっていくように燃えゆく後ろで
たしかな光を、はじまりのように放っているのです
大地が消えるとたちまちに
眠りについていた星たちが目を覚まして
夜の空を見守るやわらかな眼差しで
ふわりと、灯していきます
その中に、
オリオンは居るのです
秋になると、からからと乾いた音をたてながら
はらり はらり
枯葉たちが笑いかけてくれます
褪せていく命と、褪せない命と
太陽と雨曇はみんなに
やさしいんだって
そんなあたりまえのこと
あらためて思ったりしている間に
降りてくる夜が静けさを纏いはじめて
そのうちに
星たちも囁き声になって
それを見上げるわたしもついつい声を無くして
オリオン、あなたばかりを見つめてしまうんです
吐く息が真綿のように
やわらかなかたちを彩ってゆく冬は
気まぐれな灰色の雲に
せかい中が押しつぶされてしまいそうになります
そこらじゅうで凍りはじめる空気の音が聴こえてくるくらい
鎮まる大地に
風さえも声をなくしてしまって
それでも、夜になれば
オリオンから広がっていく天界に
浅く吐き出した息がふっと消えていくのを
見送る気持ちで見つめています
きっとそれは、
この瞳が続くかぎりいつまでも
いつまでも続くのだと
オリオン、
今もこうして
あなたを見つめています
「 ふかづめ。 」
一。
キイチのつめは、はやく伸びる。あたしが知っているおとこの中でいちばんはやく、伸びる。いくらふかく切っても、ものの一週間もすれば、しろくてほそいあの指先に、つんっ。と伸びて出る。
だからあたしはキイチの、つめを切る。
つめを切られるとき、キイチは、かたくなる。
「こわいの。」
とあたしが聞くと、
「ちょっとね。」
とキイチは答える。
「おとこなんだからこわがらないでよ。」
とあたしが言うと、
「おとこだってこわいものはこわいんだよ。」
とキイチは言い返す。
キイチはあたしの前だと、弱虫で、少し頼りない、おとこになる。そんなおとこは、キイチが、はじめてだった。
つめは、ひと指ずつ、切ってゆく。
指はつめたく、こわがっている。
ととのった甘皮のあたりが、紫色に、こわがっている。
左の親指、次に人差し指。と順に切ってゆく。
つめはやわらかい。つめ切りの先で挟むと、するりと落ちる。
「切れたよ。」
とあたし。
「うん。」
とキイチ。
指が、ふるえている。
「また切るよ。」
「うん。」
「もっと切るよ。」
「うん。」
「こわくいないでしょ。」
「ううん。」
つめは次々と、するりと落ちた。
中指は、最後に切る。
どうして中指を残しておくのかと、キイチに聞かれたことがある。
あたしは答えた。
「好きな、指だから。」
キイチは真っ赤な顔をして、黙ってしまった。
あたしの手の中のつめたい指は、やがてあたたかく、ゆるやかに、なった。
二。
キイチのことを話すと、シタ子はいつも、嫌な顔をする。
おんながおとこのつめを切っている。その図式が、シタ子は気に入らない。ダンソンジョヒだと、ジョセイベッシだと、シタ子は言う。いつも言う。
だからあたし、首を、横に振る。
あたしシタ子に首を振って、
「ちがうの。」
と言う。
「そんなんじゃないの。」
と言う。
だけどシタ子、わからない。
シタ子、溜息をつく。首を、横に振る。おおきく振る。
「わからない。そんなこと、あたしには…わからない。」
わからない。シタ子、わからない。あたしに指を差し出すとき、キイチがどんなにかたくなるのか。わからない。だからあたしの手の中の、キイチの指がどんなにつめたくて繊細なのか。わからない。そうしていると、あたしの胸がどれだけ高鳴るのか。わからない。やわらかい。シタ子よりもやわらかい、キイチのつめが、どんなふうに切れて、落ちてゆくのかも、わからない。だからあたしが、いつもふかづめにすることも、すごくふかづめにすることも、わからない。痛がるキイチを見て、あたしがよろんでいることも、わからない。だからシタ子、わからない。シタ子は、わからない。シタ子には、わからない。わからない。わから、ない。
シタ子は、キイチのことを話すと、嫌な顔をする。
だからあたし、いつもキイチことを話して、聞かせる。
三。
「やすり。」
と言うキイチの声は、ざらざらしている。どこが、とは言えないけれど、いつもとちがう。ざらざらしてる。
「もう一度言って。」
「やすり。」
「もう一度。」
「やすり。」
「もう一度。」
「やすり。」
キイチはあたしに言われれば、何でもする。何度でもする。だからすぐに覚える。うまくなる。
なのに何度言ってもキイチの「やすり。」は、ざらざらしている。
なめらかに、ならない。
「やすり。」
またキイチが言う。
「やすり。」
もう一度言う。
「やすり。」
いつもとちがう。
「やすり。」
ざらざらしてる。
「やすり。」
なめらかにならない。
「やすり。」
キイチの、
「やすり。」
四。
なめらかにする。
切ったままのつめは、ちくちくしている。つめ用のやすりを使って、なめらかにする。
やすりで撫でると、キイチはびくんっと、からだをふるわせる。
キイチが、かたくなる。
つめに、やすりを当てる。かるく挽くと、削れたつめが、はらはらと、落ちる。また挽くと、またはらはらと、落ちる。挽くごとに、つめは、さらにふかづめになってゆく。やがて指先からちりと、血が、にじみ出す。キイチはかたい。あたしはきつく、やすりを当てる。キイチのつめと、指を削る。なめらかにする。なめらかに、する。
なめらかになる頃、キイチの指は血塗れで、あたしの手は、血で、汚れている。
あたしは舐める。
ぺろぺろと舐める。きれいになるまで舐める。血は、つめたくてかわいている。きれいになると、キイチの指の血を、舐める。指の血は新鮮で、あたたかい。舌先を、つめと肉の間に、捻り込ませる。びくんっ。からだをふるわせ、キイチが呻く。
「痛いの。」
あたしは聞く。
「うん。」
キイチは頷く。
たまらなくなる。
指に、歯を立てる。
「痛いでしょ。」
「うん。」
血が、なめらかに、あふれ出す。
五。
聞いて、みたことがある。
「ほかのひとにはどんなことをされていたの。」
「ちがうこと。」
「どんなふうにちがうこと。」
「もっとちがうこと。」
「もっとちがうって、こんなこと。」
「ちがう。」
「じゃあどんなこと。」
「ちがうこと。」
「ちがうことをしたひとは、何人いたの。」
「しらない。」
「どうしてしらないの。」
「わからない。」
「これはしってる。」
「しってる。」
「そのひとはこんなことした。」
「しない。」
「そのひとはこんなこともした。」
「しない。」
「そのほかのひとはこんなこともした。」
「しない。」
「じゃああたしはどうしてするの。」
「わからない。」
「もっとされたいの。」
「わからない。」
「どうしてわからないの。」
「わからない。」
「なんにもわからないの。」
「ちがう。」
「じゃあなにがわかるの。」
「ちがうこと。」
「ちがうことして欲しいの。」
「わからない。」
「もっとちがうことして欲しいの。」
「わからない。」
「どうしてこんなことされたいの。」
「わからない。」
「あたしはどうしてこんなことをしているの。」
「わからない。」
わから、ない。
六。
知っている。
キイチの指は、あたしを知っている。あたしの指よりも、知っている。指は、なめらかに入ってくる。キイチは少し、痛そうな顔をする。あたしの中は酸性で、ふかづめの指を、溶かす。溶けてゆく。痛そうなキイチ。溶けた指は、さっきよりもなめらかに、ふかく、入ってくる。キイチは、指は、あたしの知らないあたしを掻き回し、入って、くる。
じくじくする。
あたしの中がじくじくと、する。
了。
18歳
僕が自分を知ったのは
たしか去年の秋でした
一人でニヤリと笑ったり
むやみやたらと騒いだり
校舎の窓から顔を出し
空を仰いでおったのは
すべてまえぶれだったのです
出会って最初のあいさつはたしか
こんちは
さようなら
なんだか気恥ずかしかったのです
オカアチャンの
機嫌をうかがう
子供のように
僕はしばらく外で遊んで
深呼吸してから
ドアをノックしたのです
僕ははじめての感覚に
戸惑い
喜び小躍りし
人を見下し
悲しんで
恐れおののき
身震いし
布団にくるまり頭を抱え
カタツムリみたく顔を出しぴょこんと
覚悟を決めたのです
ぴょこんと
覚悟を決めたのです
僕が自分を知ったのは
たしかに去年の秋でした
一人でニヤリと笑ったり
むやみやたらと騒いだり
校舎の窓から顔を出し
空を仰いでおったのは
すべてまえぶれだったのです
[シウマツ]
[シウマツ]
日曜日
道を一人で歩いていた
公園へ行こうと思った
向こうからやってくる男性はお年寄りだ
桜の樹の下ですれ違う
「
まだ咲きませんね
」
と言うと
「
その科白は彼女のですよ
」
と言われた
おじいさんの指差す先を見るため振り返るとリクルートスーツを着た女性がツカツカと近づいてきた
少し顔が怒っている
桜の樹の下まで来ると
「
まだ咲きませんね
」
と強い口調で言った
追い越される瞬間に耳元で
「
なんでその程度のこともできないの?
」
と言われた
いつもそうだ
彼女は足早に桜の樹の下から遠ざかる
もうすぐ公園に着くだろう
タイトなスカートに包まれている尻が左右に動きながら小さくなっていった
黙って様子を見ていた老人も
「
けふは死ぬにはいい日だ
」
そんな科白を言いそうになっていた
(そんな科白はないにもかかわらず だ)
公園へ行こうと桜の樹の下から離れ
桜の樹の下には誰もいない道を一人で歩いていたのにいつの間にか犬や猫がいた
赤と黒のランドセルもいた
それ以外の色もいた
児童たちはお揃いの安全帽子を好きな色に塗りなおし
「
わん
」
とか
「
にゃー
」
とか
「
あいつ科白もまともにいえないんだぜ
」
とか
「
だっさーい
」
とか言っている
きっとそれらは科白どおりなのだろう
言われたままでは肩身が狭いので笛を吹くように指示を出した
子供たちは口々にリコーダーを咥え
「
わん
」
とか
「
にゃー
」
とか
「
死ぬにはいい日だ
」
とか科白を鳴らしている
誰かが押さえる穴を間違えて
「
その程度のこともできないの?
」
と鳴らしたりもした
間違いさえあらかじめ与えられた科白に沿ったものだ
犬も猫もまるで就活でイライラした女のような声で
「
まだ咲きませんね(笑)
」
と言う
嬉しそうに言う
口々に語られる科白は次第に速度を増していく
いろいろな色のランドセルや犬や猫に早口で何か言われる
聞き取れない
指の動きが早すぎるのでリコーダーは
「
けふは死ぬにはいい日だ
」
と言う
聞こえない
向こうから男性がやってくる
スーツを着た女性かもしれない
公園からの帰りだろう
どちらにしてももうすぐ春だ
いつまでたっても公園にはたどり着けそうにない桜の樹の下で科白を言わされる
「
まだ咲きませんね
」
「
もう散りましたよ?
」
_
恋歌連祷 9
9
道ばたの草が汚れている
タールの新鮮な飛沫
あなたを連れていく 雨に濡れながらあなたを連れてい
く バターのようなぬかるみ道をあなたの腰を抱いて登
っていく 手をからめ脚をからめ毛髪をからめ目や舌や
息をからめ体液をからめあらゆる性愛をからめあなたを
連れていく 登りつめれば頭上の大いなる天の蓋を切り
裂きさらにさらに登っていく 雨に濡れながら連れてい
く 天国だの地獄だの わかっているだろう そんなも
のは ない あなたを連れていく 人が創ったちゃちな
書物と建築 言葉と音楽 そんなものは ない 信仰は
人の悪い癖 信仰の代わりも悪い癖 戦争?やってろ
平和?やってろ そんなものは ない あなたとわたし
のあらゆる突起と穴をギシギシギシギシ圧しつけあって
雨とぬかるみと血にまみれ もうもうと湯気をのぼせ
性愛しながら連れていく 世界? 宇宙? わかってい
るだろう そんなものは ない 生きても死んでも そ
んなものは ない
窓の
明るい雲
電子レンジが呼んでいる
甘ったるいポエム
ラブ ミー テンダー
ラブ ミー ユー
ラブ ミー ラブ ミー ユー
とニコラスケイジが
唄ってる中
僕は砂糖とミルクの
たっぷり入った
カフェオレを飲んでいた
ズン・チャチャ・ズン
(少なくとも僕にはそう聞えたのだが)
と君が口ずさみながら
部屋に入ってきた
「なにそんな甘ったるいの飲んでるのよ」
と君は言った
僕はもう一口カフェオレを飲んでみる
確かに甘かった
でもこの前
一人甘ったるいカフェオレを飲んでいた時
窓から空を眺めると
赤い布団が飛んでいたんだ
布団は本当に真っ赤だった
それは空の青さとの対比のせいかも知れないし
僕は真っ赤に見えても
君は真っ黄色に見えるかもしれないが
それでも
甘ったるいカフェオレを飲みながら
真っ赤な布団が空を飛んでいるのを
眺めるのは
なかなか面白いものだよ
君も一緒に居たらよかったのに