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作品 - 20071015_599_2385p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ヒバリもスズメも

  浅井康浩

ねぇ、この石段をのぼれば、なにもかもが風にさそわれているような朝になるから、って、
でも、あんまりとおいから、いつもの朝がみえるね、って、くちずさむものだから、ほら、
あなたの息がそっと、わたしのリズムにまどわされてもつれてしまう、そんなひとときに
わたしはときほぐされて、なんのうたがいもなくなって、草のようにあざやかなよろこび
でうるおってしまっていたね。そして、あまりにもあしおとが静かだったから、ふたりの
まわりの景色からは、すうっと音が消えてしまって、その消されてゆく音のはやさに、寝
ぼけたヒバリもスズメも溺れてしまうのが、なんとなく、おかしかったりもするあのころ
のゆきみちだったね。



ここでしか、聴けない音があるために、わたしはわたしを好きであることができた。あの
ころは、ゆっくりと、ことばをついばんでは、あそんでいたけれど、それでも、ふるふる
と、くちぶえだけは、うそ泣きのようにさざめくことをやめはしなかった。それはきっと、
ひたよせるためいきの消えてゆくまでにゆるされている、ひとときのやさしい気持ちだっ
たのだろう



ねぇ、くりかえす季節がよっつあるために、あなたのくちびるをくすぐっていた花言葉の、
その声のやわらかさがそっと、わたしと、すごしてきたふたりという時間を、とても、あ
まい思い出にかえてくれることを、わたしは、すごく感謝している。そう、すくわれてい
る、といってもいいくらいのかなしみの果てで、きみは、いまでも、はなもものいわれを、
おぼえてくれているのだろうか。忘れてはいけないことを、わすれないままにゆっくりと
たずさえてあるけば、きっと、どこかでくるくると、茎へとつたう水滴のように、あのこ
ろの自分にもどってしまうこともあるから、春といえば摘み草しかおもいつかなかったあ
のころのふたりに戻ってゆきたい、と、そんな気持ちになることがあれば、そのときはそ
っと、教えてください



いつからだろう、そっと、頬をつたうような、やさしい予感にふるえて、こんなにもやわ
らかく、ほどかれてしまって、せせらぎのように、しんしんとながれてゆく、しずかな夜
はゆるやかに、わたしをひとり、とりのこしてゆくけれど、その場所で、ささやかに、き
みに、感謝をつたえ、このまますすんで、くるっとまわって、そんなふうにして、いまの
わたしのままで、かなしい音楽をひとしきり、かなではじめて、そんなことさえゆるされ
てしまうような、そんな感じで。



夏のはじまりの予感に、のどが渇きはじめたら、もう、わたし以外のだれにもなれなくな
る。そうすれば、きっと、あのころの記憶もあざやかさをとりもどすだろう。そうやって、
わたしは、どうしようもなく、忘れていた夏をおぼえつづけてゆく。きっと、うしなわれ
たセミの声によって、その夏が、これからくるどの夏よりもあつくあるように。いつか、
わたしは、のぼりきった石段のうえで、風にさそわれている朝につつまれているだろう。
「おはよう」ってくちずさむあなたが、そばにいても、いなくっても。

文学極道

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