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作品 - 20070921_774_2339p

  • [佳]  産声 - 灰人  (2007-09)

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産声

  灰人

 金魚の死体を私達は置いた。破線となって昇っていった。上空で帯が輪を描いた。龍のように見えた。
 雷雲と共に舞い上がり、世界の柱に喰らい付く。しかしやはり、龍にはなり損ねていたのだ。噛みすがる牙もなく、唾液をなすりながら落ちていく。空中で光る屑は涙の跡であった。
「どうして」
 上がる声に、無知であったのだと、私は答えた。

 力なく横たわるその尾を、統べる者の手が摘み上げ、ふらりと去って、どこかで放った。我々は急ぎ落下地点へ。闇の母なる湖へ。

 必死な水音を立てども、ついに見出すことは出来なかった。低く響く嗚咽が聞こえたと言う者があった。泣き腫らしたような目が見ていたとも聞いた。舌に撥ねた水は、潮のように塩辛かったとも。我々は術なく辺りを見回した。
 息苦しさを訴える者が出た。辺りの空気は後悔の濃度が高すぎた。我々はついに退散することに決めた。矢先、重い水音。

 私は水の中で、自分の姿をも見失った。
 水はあらゆる上に充ちてゆき、全ての輪郭を溶かしていった。何もかもがなくなり、そうなったところで裏返った。裏返った、そこには水さえない。何もない。
 
 何もない。を裂くひとすじがあり、それはやがて完全なカッターの姿を浮き上がらせた。裂かれた先にひとつの目があり、白い前歯と、舌が覗く。憎悪と呵責に輝くそれら自身を、長く伸び出した舌が巻き、輪になって向こうへ転がり落ちた。ぱたりと横様に倒れると、破線はその芯から昇り、

 点らない街灯の下、口に指を当てて、しきりに何か呟く姿をしながら彼は歩く。彼は湿気たパンに塩をかけて食べる。標識は破線によって描かれているが、それには気付いていない。
 やがて混乱と、巨大な白い影に乱され、彼は地面に向かって駆け出す。そこで溺れぬ金魚はいない。然るに彼は溺れ、苦しみに喘ぎ、泡を吐き、手足をもがく。今一口の酸素が与えられ、安らかに、彼は脱いだ。脱いで、小さくなる。また。やがて指も丸きおさなごに。裏返る。

 虚無ばかり。赤児はアアンとひとつ啼く。

文学極道

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