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作品 - 20070815_136_2275p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


戦後ノスタルジー

  ベイトマン

ここは浅草 山谷の掃き溜め 音に聞こえたカッパの松が チャンコロ野郎に殺されて いまじゃ新橋 奴らの天下 デンゴロ食えねえ日本人 泣く泣くドヤに移り住む
さあさあ 御用とお急ぎで無い暇な方はちょいとばかしお耳を拝借させてくれ 聞くも哀しき語るも虚しき話だよ なに銭はいらねえし 荷物にもならねえさ

真夏の陽射しが四畳半の狭い部屋を照らしつづけた。威勢のいい行商人達の掛け声、遠くから聞こえる子供達の笑い声──胸糞が悪くなる。
台所の片隅で、眼球が白濁したネズミの死骸に群がった五匹のゴキブリが、茶色い触覚を震わせてうまそうに腐肉をついばむ。
湿気で不快にべとつく腋の下、異臭漂う室内、蚤が跳ね回るぶよついた畳は不潔に黒く変色し、たまげるばかりの太陽の輝きが思考を腐らせる。
蒸し暑い。毛穴から吹き出す汗の雫が熱気で蒸発した。外を見やった。道の脇に捨てられたイワシの残骸。ぼやけた陽炎。土ぼこり。
腐敗したイワシの眼窩へもぐる無数の黄白色の蛆虫どもが身をうねらせながら歓喜した。──汚らしいギンバエの羽音がやまかしく石川の鼓膜を障った。
柔らかい熱風が吹いた。吐き気を催すイワシの悪臭が風に混ざって部屋へと流れ込み、汗、畳、ネズミから立ちのぼる異臭とイワシの腐臭が嫌味なくらいに絡みつく。
前頭葉を刺激する強烈な匂い──石川の脳裏に淋病持ちで鼻持ちならなかった娼婦の姿が浮かび上がった。うつろな視線が宙を泳いだ。
灰色の膜に覆われたこの世と胸裏深くに根付いた虚無感だけが己の因(よすが)を浮き彫りにする。石川は力なく笑った。ただ、力なく笑った。

六尺に足らねえ五尺の、十に足らねえ九(ここのつ)の半端モン ボロ着た浮浪者 かっぱらい 星の旗振る兵隊さんが横流し バイ人達も大喜びだ

戦争帰りの傷痍兵 徒党を組んだ中国人と朝鮮人の小競り合いがやかましくってしょうがねえ あの三国人どもがいい気になりやがってよ

日本人に償う必要はないぞ 俺はあいつらがパンパンと乞食をいじめてやがんのを知ってんだ 確かじゃねえがそうなんだ 

サイホン引きのイカサマ博打 ゴロゴロ転がるのは四角いサイコロの目ん玉よ 目、目、目がでねえ 俺の目がでねえなあ いくらサイコロ振ってもよ 出ねえもんは出ねえな

頭に来て文句いってやったらよ 飛んできたのは直刃のドスだよ 俺はすぐさま土下座した 勝ち目が無さそうだったから あいつら俺を根性が無ねえだとか好き勝手にほざいてたよ

だからあいつらが油断して後ろ振り向いた瞬間に転がってたドス握って背中ぶった斬ってやったさ ざまあみろだ

GHQが警察から拳銃取り上げやがった 今じゃあ黒いのと白いのが街中で女と餓鬼をレイプしてんだ みんなあいつらの横暴に見てみぬ振りを決め込んでたさ
 
野良犬やら野良猫やらをドラム缶にぶちこんだモツ煮の饐えた匂いが胃の辺りをくすぐる 人の活気と熱気ほどうっとうしいもんはねえよ メチルで作ったバクダン カストリ 

石ころみてえにゴロゴロ転がっていくよ 明日なんぞを信じてる馬鹿どもが 石ころみてえに我慢して石ころみてえに冷たくなって

穴が開いちまったテント張りの店 ほつれたゴザしいて品物を並べただけの粗末な露天商 呵責ねえ三国人の罵声に若い巡査はたまらず泣き出しちまった

大の男がよ 俺の目の前で泣いたんだよ 大粒の涙こぼしてよ 顔クシャクシャにして泣いたんだよ チャカが欲しいな 中古のS&Wが欲しい それにギョクも 

バタヤンが新宿第一劇場でショーやってんだ あんたは七十円に一十八円足らねえ生活した事あるかい 俺がもし風船だったらなあ

そうだ 風船玉だ タタキやりながらふわふわ風にゆられて西へ東へ自由気ままな極楽トンボ そんでパーンと破裂してよ どこで野たれ死にしようがかまうもんかい

百円で買った名も知らぬ女の瞼に口づけする。眉間に縦皺を刻み、僅かに震える女の眼球──薄い皮膚を通して石川の唇に伝わった。
舌先を緩やかに瞼の隙間に這わせて直に舐めた。眼球は完全な球体ではなかった。角膜の舌触り──石川は微細な凹凸を知覚した。女の小さな耳朶を前歯で軽く噛んだ。
くすんだ肌の匂い。石川はこの匂いが嫌いではなかった。尿道が痺れる。首筋に触れた。指を肌からゆっくり滑り落とした。柔らかい。
女だけが持つ果肉の豊穣──男の本能を呼び起こす肉の感触。十本の指が無意識に蠢いた。女の喉くびに食い込む。指先から女の激しい脈拍が伝わってきた。
掌が熱をはらんだ。視神経が真っ赤に染まる。高ぶった。ベテルギウスの幻影が見えた。身体は芯まで火照るくせに、心はやけに冷えてくる。石川はじわじわと指先に力を込めた。
不条理な殺人に直面した女は爪で石川の腕を力の限り掻き毟った。腕の皮膚に血が滲む。石川の心臓が女を殺せと急かし、胸板を激しく乱打した。
見開かれた瞳──女の鼓動が消えうせた。女の顔が蒼白く──やがて紫へと退色していく。石川は息をのんだ。
女の股間からぬめつく褐色の糞便と小便がこぼれ落ちる。こぼれた糞尿が太腿を伝った。
女を仰向けに寝かせて汚れた太腿を両手で開き、石川は女の性器を覗いた。左右非対称の肉片、灰色のラビアは細長く、決して美しくは無かった。
糞便に混じり腐った魚のような臭気が鼻腔粘膜を強烈に刺激した。横隔膜を刺激する匂い。沸騰した胃液を逆流させながら石川は女にのしかかった。
食道の焼ける感覚が一種の感奮をもたらし、反吐をぶちまけながらも何故か心地よかった。つらい眩暈がした。激しい酩酊感が体を襲う。
獣のように吠え、獣のように女の内部で暴れる。ペニスの根元が痛みに叫んだ。生命の温もりを残す女の子宮に石川は断末魔の如くザーメンを放った。
己の乾いた血で黒ずんだ女の指を噛み千切り、石川は何度もほお張っては咀嚼する。爪と骨が大部分を占める指は旨くもなんともなかった。
舌腹に女の生酸っぱい錆ジャリの味が突き刺さる。口腔内でざらつく骨片──石川は痰とともに地面へ吐き捨てた。骨肉の混ざったぬめる痰唾が地面にビチャっとへばりついた。

なあ、女に惚れたことあるかい? なあ、惚れた女はいるかい? こんな俺にも惚れた女がいたよ その惚れた女がよ

三年間愛した女がいた 惚れた腫れたで一緒になって ふたりで一緒に幸せ掴もうなって 煤だらけになりながらリヤカーひいて銅線、鉄くず拾い集めてよ

だけど、だけどよ あいつはただの死体になっちまった 野原の隅で ススキに囲まれて ズタボロになっちまって 無残な姿になっちまって

あいつに買ってやった浅草神社のお守りもあいつの事 守っちゃくれなかったよ 痛かっただろうな 辛かっただろうな

糞ったれ あのチョン公めらが 戦勝国民 戦勝国民ほざきやがって好き放題しやがって 挙句の果てにゃこれかよ ポリもよ 俺達にゃなんにもしちゃくれなかった

だからよ だから俺は堅気やめたんだよ 堅気やめてよ 俺は外道になったのさ

泥んこにまみれちまったお守り握りしめてよ 取ろうとしても指の間でつっかえちまうんだ 身体中あざだらけで それでも それでもあいつは綺麗だったよ

たまらなく綺麗だったよ だから──俺はあいつを食ったんだ 眼から鼻から涙がダラダラこぼれてよ 口がひん曲がるくれえ肉が塩っ辛くて それでも俺は食い続けたよ

何度も何度も吐き戻しちまって それでも俺はあいつを食い続けたよ お日様が沈んでいくよ 俺のお日様が沈んでいくよ 俺のお日様が遠くにいっちまう

俺もお前も所詮は虫ケラ だかよ虫ケラにゃ虫ケラの意地があらあな ダンピラくぐってドス突き刺しゃあよ ちいとはポコペン野郎も大人しくなるだろうさ

徒党を組んだ三国人渋谷署を襲撃した。己らの威光と恐ろしさを世間に見せ付けるためだ。力だけが──暴力だけが全てを支配する時代だった。
三国人の集団を相手に真っ向からたちふさがったのはジュクの万年東一を筆頭とする愚連隊──その当時、三国人に怯える市井の民を守っていたのはヤクザと愚連隊だった。
神戸では三代目山口組組長田岡一雄率いる「山口組抜刀隊」が、ここ新宿では殺された「カッパの松」こと関東松田組組長松田義一が無力な警察の代わりをつとめていたのだ。
石川は他の愚連隊仲間とモクをふかしながら三国人の襲撃を今か今かと待ち構えていた刹那──鼓膜をつんざく銃声が闇の中で轟いた。安藤昇が先陣を切って散弾銃をぶっ放す。
拳が空気を切り裂いた。加納貢のストレートパンチが三国人の顔面に決まる。鼻骨を砕かれた三国人が哀れな声を出して地面にうずくまった。

浮世の憂さ晴らしといこうかい あのポコペンどもを叩きのめしてやる 命が惜しけりゃ引っ込んでやがれ どうせ人間死んじまえばただのオロクよ

善人も悪人もねえ ただのオロクよ そんでよ 燃えて砂利になって風に流されていくだけだあな おい、見ろよ 加納貢のメガトンパンチを

相変わらず凄げえな おっと、あそこにいるのはピスケンじゃねえか

直刃のドスがうなりあげるように吠えた。石川の握ったドスが男のドテッ腹に食い込む。鮮血が飛沫をあげた。怒号、絶叫、叫喚、あらゆる叫びが錯綜した。
割れた傷口から湿った空気の抜けるような音が漏れた。男が驚愕の表情を浮かべた。躊躇せずに石川は腹に突き刺したドスを滅茶苦茶にねじり回して男の腸を切り裂く。
己を凝視する男の悲壮に満ちた眼差し──石川の背筋に冷たい快感が走った。生温かい男の血がドスを握りしめた手を濡らす。狂乱が脳天を打ち砕いた。
ドスを引き抜いた。突き刺す。ドスを引き抜いた。突き刺す。ドスを引き抜いた。突き刺す。ドスを引き抜いた。突き刺す。ドスを引き抜いた。突き刺す。
こめかみに浮き上がった血管が激しく脈打った。心が、感覚が、魂が激しい憎しみに氷結した。血溜まりに息絶えた男の身体を転がし、石川は次の獲物を探し始めた。
初めて人を殺した感触──石川は無意識のうちに射精していた。

そんなわけでよ 俺は今この府中刑務所にいる 女も殺した チョン公もチャンコロも殺した 思い残す事はもうねえさ

文学極道

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