黒になる。全てが黒になって沈んでゆく。ぼくらは恐怖ではなく、惑星に同化する幸福感に包まれる。呼吸が面倒に感じた。夜光虫というものを体感したのもこのときがはじめてだった。赤潮だとも知らずに、はしゃいだ。越前岬での夜間潜水、十年も前になる話だ。水平線にぶつかって砕け散る夕陽の音だけが、写真に残っている。
夏、ぼくらはブルーベリーを頬張って、左手で千歳緑の喘ぐ点描画を描く。天然酵母のパンを焼く。全粒粉、胡桃、レーズン、玄米粉、イチジク、クコの実、煎り大豆。窯に入れて、大量にスチームする。アントシアニンで染まるまで、ぼくの世界は平面だった。焼き上がったばかりのパンは、パチパチと鳴く。
山鳥と、松林が囁く。「いいか、眼をそらすな、動物の耀きが、動物そのものが砕け、黒になる瞬間から眼を逸らすな。熱と、倫理の腐敗と、文化総体のよどみが、白と黒、左から右、西から東に並べられて、ゆびさきで弾かれ、ページがめくられ、破かれる祈りに似た、絶望、雲が雲からもげて、生成される音楽が終焉を迎える、その瞬間から、眼を逸らすな。」
大きな歌は、あまりに高音域でぼくには聴きとれない。
二十世紀のエレクトロニクスの結晶が、一台、二台、三台と遠くで重なってゆく。小さなスタジオでプラスチックを叩く。電子音。機械音。ビニールの擦れる音。非金属が金属を打ちつける音。振動する、音。水や、木や、痛みから遠く、遠く離れた、音。何故こんな音に安心するんだろう。快楽と嘔吐することの平衡感覚、または欲望するアンテナ。
「それが地上の楽園だ。」と、顔のない世界では老成だが年齢不詳の少年が、爪を噛みながら、ぼくらの耳に届かないくらいの小さな声でこぼすと、世界は白々しく耀き出し、空が跡形もなく黒に燃え尽きる、サウンド。
東寺に木霊する、ピアノ。Michael Nymanの、ピアノ。反復と動的な旋律と、ポエジー。人間の歩幅で奏でる感情。暴走族と、ぼくら。騒音と、ピアノ。恥ずかしさ、悔しさ、遣る瀬無さをも吸いこんだ、黒。黒のタキシード。そして赤い靴下。あたたかい。
ぼくらは、今夜もたった一つと抱き合う。
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